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被爆75年

更新日:2020年8月1日 ページID:034987

ホッとトーク

 被爆から75年目の夏がやってきました。
 25年ごとの節目をたどると、次は被爆百年ということになります。そう考えると、今年がいかに大きな節目であるかが分かります。
 ところで、被爆50年からの25年間は、長崎にとってどんな四半世紀だったのでしょうか。振り返ってみると、長崎はいくつかの新しい動きを生み出してきています。 

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若いかたの平和の取り組みは、核兵器廃絶と被爆継承に向けた大きな力になっています

 平和祈念式典の最後に純心女子高校の生徒たちが歌ってくれる「千羽鶴」。歌詞を公募し、長崎出身の大島ミチルさんがメロディーをつけてくれました。この曲が誕生したのが25年前。それ以来毎年、高校生たちの澄んだ歌声は、平和祈念式典に癒しと希望を与えてくれています。
 初代の高校生平和大使が国連に派遣されたのはその3年後。高校生一万人署名活動も始まり、長崎発の高校生活動は今やノーベル平和賞の候補にも名前が挙がるようになりました。
 18年前に誕生した青少年ピースボランティアは、とても長崎らしい活動です。8月に全国から集まってくる子どもたちのお世話や、平和祈念式典での水やおしぼりの配布など、おもてなしや優しさを感じさせてくれます。
 さらに7年前には、大学生や若い社会人によるナガサキ・ユース代表団の活動もスタートしました。SNSで海外の若者たちとのネットワークを広げたり、研究成果を国連で発表したりと、次々に新しい活動を生み出す成長の速さには、私もたびたび驚かされました。
 こういう若い世代の活動が誕生したのは、この25年間の成果の一つです。

 いくつかの“平和のチーム”が生まれたのも、同じくこの25年の大きな成果でした。
 世界の非政府組織(NGO)が集まる「核兵器廃絶ー地球市民集会ナガサキ」を運営する市民の実行委員会。長崎大学の核兵器廃絶研究センター(RECNA)。長崎大学と県、市の協働による核兵器廃絶長崎連絡協議会(PCUーNC)。
 どれも、この25年間に長崎が生み出した平和のチームです。そして、それぞれが今や長崎の平和活動を支える大きな存在になっています。市民や大学や行政が、それぞれの特徴を活かして活動し、必要に応じて協働するというスタイルは、とても長崎らしいと思います。
 ところで、平和のチームといえば、忘れてならないのが「V・ファーレン長崎」。“愛と平和と一生懸命”を掲げてスポーツと平和をつなげてくれる姿は、平和活動に新しい風を吹き込んでくれました。これからの平和活動にヒントをもらった気がします。
 こういうユニークな動きが長崎で生まれ、育っていることを誇りに思います。なかなか進まない難しい問題もたくさんありますが、力を合わせて前進させてきたことも確実にあることを、この節目の年に確かめたいと思います。そして、次の四半世紀に向かってしっかりと歩き始めたいと思います。

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