ここから本文です。
更新日:2019年12月1日 ページID:033773
外海の大中尾棚田に行ったことがありますか?
日本一の清流ともいわれる神浦川沿いを車でしばらく上っていくと、左側に入り口があって、上るとすぐに美しい棚田の風景が見えてきます。
田んぼは全部で450枚ほどあって、全体の面積はなんと約8ヘクタール。石垣と田んぼが段々に広がる風景は、季節ごとに色が変わり、周りの山や空と織りなす景色は、初めて見る人にもなぜか懐かしさを感じさせてくれます。
棚田の田園風景は、「原風景」の一つとして、日本人の心の中にしっかりと組み込まれているのかもしれません。
![]() |
「日本の棚田百選」のひとつ。 |
大中尾棚田の起源は戦国時代から江戸時代にさかのぼります。昔の人たちは、田んぼと同じくらいの面積に及ぶ美しい石垣を組み上げるのに、いったいどれほどの長い時間をかけたのでしょうか。今、これだけの棚田を造りたいと思っても、とても造れないと思います。
それだけではありません。この棚田に水を引くために、昔の人たちは何と4・2キロに及ぶ水路も造りました。大井出水路といいます。今も、この水路を通って流れてくる水が、大中尾棚田の米を育ててくれているのです。
そして、忘れてはならないのは、米をつくり、棚田を守るのは人だということ。大中尾では棚田を守ろうとする地域の皆さんが棚田保全組合をつくり、米を作り続けています。
でも、人口が減る中で棚田を守り続けるのは大変です。大中尾では早くから棚田オーナー制度をつくり、地区以外の皆さんにオーナーになってもらう仕組みをつくってきました。オーナーの皆さんや、作業を手伝いに来てくれる学生さんたちもいて、大中尾棚田は今も毎年おいしい米を私たちに届けてくれています。
毎年、秋の収穫が終わると、大中尾棚田では火祭りが行われます。あぜ道に約6000個の竹灯籠を並べて火をつけると、たくさんの小さな炎が風に揺らぐとても幻想的な光景が出現します。たそがれ時にしばらく眺めているうちに、空の色が刻々と変わり、何ともいえない美しく優しい風景の中に自分がいることを感じます。
よその棚田の火祭りでは、最近はイルミネーションが多いそうですが、外海では一つ一つ火をつけて回る竹灯籠を使っています。そういえば、火祭りの会場では外海でつくった鉄火味噌やかりんとうなどが売られていました。外海には手作りが似合います。
火祭りの少し前に開かれた「外海ふるさと祭り」では、移住してきた若い人たちがパン屋やアクセサリーの工房を開いていました。新しい手作りの魅力も増えているようです。
すごく大きなものや豪華なものではなく、人の力が支えていることが分かるような小さなものが集まって、外海の魅力はできています。あなたも外海への“小さな旅”に出かけてみませんか?
より良いホームページにするために、ご意見をお聞かせください。コメントを書く