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更新日:2018年3月1日 ページID:030910
長崎市の情報を届ける方法は、テレビ、ラジオ、新聞、ホームページなどいろいろあります。その中で、長い間一番の中心媒体となっているのが、今、手に取っていただいている「広報ながさき」です。
「広報ながさき」は昭和26年に創刊されました。戦後の占領下に「PR」という言葉が日本にもたらされ、それが「広報」と訳され、多くの市町村でこのころに広報紙が創刊されました。創刊当時の名前は「ながさき市政展望」でした。
それ以来、毎月発行し続け、市民の皆さんに市の政策や生活に密着したお知らせなどをお伝えしてきました。今月号で806号になります。
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私は、市職員として「広報ながさき」の編集を担当していた時期があります。毎月頭を悩ませながら、数名の編集チームで力を合わせて紙面をつくりあげる作業は、とてもやりがいのある仕事でした。
そのころ、全国あちこちの市町村から送られてくる広報紙によく目を通していました。広報紙にはとても地域性があります。沖縄の広報紙には原色がよく使われていました。まるで沖縄の魚の色のようでした。都会の広報紙はまるで新聞のように記事がギッシリ詰まっていて、まさに「情報誌」のイメージ。小さな村の広報紙は、隣の人に語りかけるように、見出しに方言を使っていました。
「広報ながさき」も長崎らしい広報紙にしようと、新しいコーナーをつくるなどいろいろな工夫をしました。「広報ながさき」にも、長崎らしい個性があります。
私が担当していた30年前と今を比べると、一番違うのはページ数です。当時は16ページでした。今はその倍以上のページ数です。真ん中に折り込んであるいろいろな特集号の紙面も当時より格段に増えています。
暮らしの在り方や価値観の多様化に合わせて、お届けする情報が多様化し、情報量が増えているからです。それぞれにご自分に必要な情報をピックアップしていただいて、「広報ながさき」を上手に役立てていただければと思います。
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昨年、「市の情報をどこから得ますか?」というアンケートをしたところ、圧倒的に多かったのは「広報ながさき」という答えでした。インターネットの時代といわれますが、「広報ながさき」の役割はまだまだ大きいようです。
新しい媒体とも役割分担をしながら、多くの市民の皆さんに必要な情報をお届けできるよう、これからも工夫を重ねていきたいと思います。ご意見があればどんどん広報広聴課にお届けください。
今日は「広報ながさき」を手に取っていただき、ありがとうございます。これからもぜひ、ご愛読ください。市長としてはもちろんですが、「広報ながさき」を愛する元編集担当者からのお願いです。
より良いホームページにするために、ご意見をお聞かせください。コメントを書く