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市長記者会見(臨時)【2021年7月30日】

更新日:2021年8月4日 ページID:037193

市長記者会見(臨時)

1.日時

令和3年7月30日(金曜日) 午後1時30分~午後2時00分

 ▶ 会見の様子(YouTube動画)は、こちら(新しいウィンドウで開きます)。

2.市長発表・質疑応答

市長発表

令和3年長崎平和宣言(骨子)について

市長発表への質疑応答

令和3年長崎平和宣言(骨子)について

3.会見録

市長発表

令和3年長崎平和宣言(骨子)について

田上市長
 ご参加いただきまして、ありがとうございます。それでは、私の方から、令和3年長崎平和宣言の骨子についてご説明をさせていただきます。
 宣言文につきましては、起草委員会の委員の皆様からも、多くの貴重なご意見をいただきながら、慎重に検討してまいりました。
 今年は、核兵器禁止条約の発効という画期的な年であるとともに、被爆100年に向かう、次の25年のスタートの年でもあります。さらに昨年から続くコロナ禍の中、一人ひとりが社会のあり様を考えている状況にあることなどを踏まえまして、多くの皆様に共感いただけるよう推敲を重ね、核兵器廃絶を求める被爆地の声として、今年ならではの宣言文を作成しました。
 それでは、宣言文の流れに沿って、全体をご説明します。
 まず冒頭で、被爆者がつづった手記を用い、核兵器廃絶に向けた被爆者の強い思いを伝えます。
 次に、今年1月に発効した核兵器禁止条約を、世界の共通ルールに育てるためのプロセスがこれからはじまるという一方で、核保有国の間で核軍拡に向けた動きが強まっていることへの危機感を表明します。
 その上で、日本政府や国会議員に向けて、核兵器禁止条約第1回締約国会議にオブザーバー参加し、条約を育てる道を探るよう求めるとともに、条約への署名・批准を訴えます。そして、憲法の平和の理念の堅持と北東アジア非核兵器地帯構想の検討についても要請をします。
 さらに、核保有国と核の傘のもとにいる国々のリーダーに向けて、次の核不拡散条約(NPT)再検討会議において、核軍縮を実質的に進展させることを求めます。
 続いて、すべての人々に向けて、核兵器がもたらす危険について声を挙げ、世界を変えるべきときが来ていること、そして、「長崎を最後の被爆地に」というキーワードを挙げて、この言葉を世界の人々と共有することを呼びかけます。
 次に、原発事故から10年が経過した福島へ、エールを送ります。
 そして、最後に、原爆犠牲者への追悼の意を表するともに、多くの人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくという決意を宣言して、結びの言葉とします。
 以上が、今年の長崎平和宣言の骨子です。
 8月9日の平和祈念式典は、昨年に引き続き、参列者を例年より大幅に縮小した形で行うこととなりますが、被爆地長崎の平和への強い思いを、しっかりと世界の人々に伝えたいと考えています。
 なお、宣言文は、10カ国語に翻訳して、ホームページに掲載し、世界に向けて発信をします。10カ国語というのは、英語、中国語、韓国語、ロシア語、フランス語、オランダ語、アラビア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語となります。
 私からの説明は以上です。

市長発表への質疑応答

令和3年長崎平和宣言(骨子)について

記者(共同通信)
 改めてなんですけれども、今年ならではの部分というのは、この平和宣言の中でどこに該当するか、お聞きしてもよろしいでしょうか。

田上市長
 昨年は被爆75年という大きな節目の年でしたが、今年も非常に大きな節目の年と位置づけています。一つは、核兵器禁止条約が発効した年であるということ、それから、2つ目に、被爆100年に向けた、被爆76年という次の25年に向けたスタートの年であるという点、それから、コロナ禍を世界中の皆さんが共有体験している中で、核兵器の問題についても当事者として考えていただく機会となるのではないかと、そういった考え方のもとで、今年ならではのメッセージを発信したいと思っています。

記者(共同通信)
 あと1点なんですけれども、4番目の丸のところの、核兵器禁止条約と並列して、北東アジア非核兵器地帯に言及されている意義というか、改めてお聞きしてもよろしいでしょうか。

田上市長
 北東アジア非核兵器地帯については、長年、平和宣言の中で、長崎から発信をしている、提案し続けているテーマの一つです。これは、核兵器の廃絶に向けて、例えば、禁止条約もそうですけれども、世界全体で核兵器をなくしていこうという動きが、非常に時間がかかる作業である中で、地域ごとに取り組むことができる取組として、北東アジア非核兵器地帯は非常に重要なアイデアであるというふうに思っています。また、もう一つは、長崎は、広島もそうですけれども、核の傘のもとにいながら核兵器の廃絶を訴えるということが、説得力がないんではないかという指摘はずっと受けてきました。被爆者の皆さんも直接そういう指摘を受けたりしてきました。そういう中で、日本が、核の傘ではなく、非核の傘をつくることで、その矛盾と指摘される部分から抜け出すことができる、そういう意味でも、非核兵器地帯というのは非常に有効な方法であるというふうに考えています。そういう意味で、今後とも、この北東アジア非核兵器地帯については、さまざまな、具体的などういうあり方がいいのかということの研究も含めて、RECNA等とも協力をしながら、提案を続けていきたいと思っています。

記者(共同通信)
 最後に、全体の分量についてはいかがでしょうか。大分長くなってきているという話が会合でもあったんですが、最長になっているとか、そういうことはあるんでしょうか。

田上市長
 今回、2,071文字ということで、昨年が2,239文字ですので少し短くなっていますが、その前の年の令和元年は1,959文字ですので、2,000字を超えるという意味では、決して短いとは言えないですけれども、去年、今年とも、やはり区切りの年であって、またいろいろな動きがあっている年で、その内容がどうしても多くなる、これは仕方のないことだと思いますし、分量と相談しながら、ぎりぎりのラインをまとめた結果だと思っています。

記者(朝日新聞)
 2点伺うんですが、一昨年から、被爆者の手記とか詩とかを引用されるケースが多くなっているかと思うんですけれども、そこら辺の意義というか、効果というか、そのあたりをまず教えてください。

田上市長
 ご指摘のように、3年続けて、被爆者の方の手記を取り上げる形になっています。被爆者の方がだんだん少なくなっていく中で、被爆者のご本人の声を平和宣言にのせて伝えるというのは、やはり伝える力があると思いますし、この時期だからこそ、そういった生の声を、手記という形ですが、伝えていくことには意味があるというふうに思っています。
 また、一昨年に、そういう取り上げ方をしたときに、やはり大きな反響があって、またそのことが今回につながっていっていると思いますし、今回もそういう意味では、これまで被爆体験を語る機会が比較的少なかった岡さんが、こういった形の中で手を挙げてくださったり、そういったいろいろな動きが少しずつふえていっていますけれども、ぜひ被爆者の皆さんの声を直接お届けする機会というのはこれからもつくっていきたいというふうに、改めて思っています。

記者(朝日新聞)
 あともう1点なんですが、最後から2番目の、やはり被爆体験者の救済の部分で、最近また動きがありましたけど、その辺って盛り込むことはできたんでしょうか。

田上市長
 今回の「黒い雨訴訟」に関するご質問だと思うんですけれども、平和宣言の起草が一応固まった段階の後で訴訟の判決が出たということで、その後の政府の動きについても、つい近々ということで、今回の平和宣言にはその分は反映されておりません。ただ、長崎の被爆体験者の皆さんの救済につながる部分というのはあると思っていますので、今回の判決、あるいは国の対応等をしっかりと分析しつつ、長崎から国に対して要望すべき点については要望していきたいと思っています。

記者(朝日新聞)
 要望していきたいという話が今ありましたけれども、具体的に決まっているものというのは特にまだないような状況でしょうか。

田上市長
 今、県とも協議をしておりまして、要望活動をする場合の日程等についても、今後の調整になっていくと思いますが、いずれにしても、それほど時間を置かずに、できれば来週にでもそういった動きができないかという調整を、今、進めているところです。

記者(朝日新聞)
 もう1点だけ、今のお話で、官房長官の、協議したいという発言がありましたけど、まだ、現状、国から協議の打診とか、特にないような状況ですか。

田上市長
 お話が、協議の中には、長崎県、長崎市も入ってというお話はありましたけれども、ただ、私は、直接、そういうお話があったとは聞いていませんけれども、確認をしてみたいと思います。いずれにしても、そういった形で、ぜひ「黒い雨訴訟」が起点になった動きですけれども、長崎県、長崎市も加えていただく中で、今後の対応を決めていっていただければと思っています。

記者(読売新聞)
 今の質問に関連してなんですけれども、来週にでもそういった動きっていうのは、厚労省、実際に訪れるのか、それ以外の要望の仕方なのかというのと、もう1点が、実際に国と協議できるとなった場合に、長崎市としてどういうことを訴えていきたいかというのがあれば、教えてください。

田上市長
 実際に東京に行って厚労省でという形になるかどうかというのは、まだ今いろいろ協議、調整をしている段階です。それから、どういった内容になるのかという点についても、国の判決の内容、それから、国の対応ですね、これもまだ国がどういった形で対応していくのかというのは決まっていない段階ですので、そういったことも踏まえながら、今の段階でどういった要望をするのかというのを今、協議をしながら取りまとめているところです。

記者(長崎新聞)
 被爆者の手記についてなんですけれども、今回、小崎登明さんを選ばれた理由や経緯とか、そのあたり伺えますでしょうか。

田上市長
 毎年、実は、手記を選ぶのに、それは、手記としてすばらしいということだけではなくて、やはり平和宣言という限られた行数の中でどういった形でそれをお伝えできるかというのを考えると、かなり限られてくるんですね。今回も非常に多くの手記等を探す中で、小崎登明さんが書かれた文が、非常に今、伝えたいメッセージとフィットしていたということが一つと、やはり亡くなられたばかりで、小崎さんへの思いというのは多くの方々が持っておられますし、そういう追悼の意味も含めて、今年取り上げる被爆者の方の手記としては、一番ふさわしいのではないかというふうに考えました。

記者(長崎新聞)
 もう1点だけ、ことし、平和の文化という、平和首長会議でも新たな活動の柱に加えられた部分ですけれども、この平和の文化という文言が、平和宣言の中に入るのが初めてかということと、この平和宣言の中で、平和の文化を広めとなっていますけれども、どういったお気持ちで、この平和の文化について発信をされようと思っているのか、伺えますでしょうか。

田上市長
 平和の文化については、ここ数年、平和宣言の中で取り上げている、これからの一つのキーワードになると思っています。平和の文化を取り上げる一つの契機は、被爆者の方が少なくなっていく中で、どうやって被爆体験を継承していくのかというときに、被爆者の方たちがいない時代にも、核兵器の悲惨さであったり、あるいは核兵器廃絶の思いであったりをどうつないでいくかという中で、それは、被爆体験のない人たちで、みんなで手を取り合って、協力しながら伝えていく必要があります。その土壌となるのが平和の文化だというふうに考えています。そういう意味で、いろいろなスポーツを通して平和を考え始める、音楽を通じて平和について知りたいと思う、あるいは演劇を通じてですとか、絵画を通じてですとか、いろいろな入り口を多様に用意する中で、日常の中での平和を考えるきっかけを多くつくっていくということがこれから必要だというふうに考えています。そういう意味で、入り口が暮らしの中のあちこちにある、そういう平和の文化を持ったまちになっていこうということが一つです。
 それと、もう一つは、これもこれまで繰り返し平和宣言の中でも取り上げてきたことですけれども、やはり不信感が戦争を起こし、そして、それが原爆、核兵器の使用につながったというような流れから考えても、そういう不信感に基づく文化であったり、力で解決する文化であったりではなく、信頼をつくっていこうという、それは市民社会にもできることだというメッセージをこれまでも平和宣言の中で発してきたんですけれども、そういう信頼に基づいた文化との関係をふやしていくというのも平和の文化の一つで、そういったメッセージをこれからもぜひ平和宣言の中で繰り返し発信し続けていきたいと思っています。

記者(NHK)
 まず、2点ほど、改めてなんですけれども、今年核兵器禁止条約が発効されたということで、これまでも、市長は条約の署名、批准等を求めていらっしゃったと思いますが、ことし、改めて平和宣言で盛り込むことの意義をどういうふうに感じられているのかというのを教えてください。

田上市長
 核兵器禁止条約が1月22日に発効した、これは本当に被爆地からすると長年の願いであって、それが現実になったということで、非常に被爆者の皆さんも喜ばれた出来事でした。これはただ、まだ生まれたばかりで、この条約自体をきちんと育てていく作業がこれから必要になります。そういう意味では、日本はこの条約の生みの親にはなれなかったわけですけれども、ぜひ育てる過程の中に参加して、育ての親になってほしいと、それが、具体的に言うと、締約国会議に参加することであって、オブザーバーとして参加する中で、いろいろな、日本が持っている、我が国だからこそ、唯一の戦争被爆国だからこと持っている知見等を使って貢献をしてほしいというような思いが、今年の平和宣言の中には込められていると思っています。

記者(NHK)
 2点目は、被爆体験者に関してなんですが、要望内容については具体的にまだ決まっていないというお話でしたけれども、もし要望するとなったら、市長としてどういった思いを国に届けたいかというのを、現時点でのお考えを教えてください。

田上市長
 市として、これまでも被爆地域の拡大を訴えていく一方で、裁判においては、被爆体験者の皆さんの裁判、非常に厳しい判決が続いていました。そういった中で、今回、「黒い雨訴訟」の判決が出て、その内容自体が、分析する中では、やはり長崎に通じるものがあるというふうに思っていますので、それをしっかりと分析しながら、どういった形で、そこに長崎の条件につなげていくのかといったことを、しっかりと分析をして、そして、国に訴えていきたいと、何らかそこにつながりを見つけて、つなげていきたいというふうに考えています。

記者(NHK)
 日程的には、可能であれば8月6日前にということですか。

田上市長
 そうですね、6日前後になると、いろいろな日程が非常に厳しくなりますので、その前にもしそういう調整がきけば、要請活動を行いたいと思っています。

記者(NHK)
 確認なんですが、行かれる場合は、市長お一人で行かれるんでしょうか。

田上市長
 そういったところも含めて、まだ決まっていないんですけれども、いずれにしても、県とも今、協議をしているところです。

記者(NBC)
 下から3つ目の項目の、長崎を最後の被爆地にというキーワードを挙げて、これを世界の人々と共有するというお話がありました。改めてなんですけれども、当日、この長崎平和宣言をどんな思いで世界に向けて発信したいかというのを、気持ちの面のところをもう一回伺えますでしょうか。

田上市長
 毎年なんですけれども、平和宣言に関しては、今年伝えるべきメッセージというのを探しながら推敲を重ね、つくっていっています。今年は、そういう意味で言いますと、先ほど申し上げたように、被爆100年に向かう、25年のスタートの年であったり、核兵器禁止条約の発効の年であったり、あるいは、コロナ禍の中で多くの皆さんが同じ共有体験をしている時期であったりといったような状況を踏まえた平和宣言になっています。
 先ほどご質問にあった、「長崎を最後の被爆地に」というキーワードをことし取り上げえた意味ですけれども、今、被爆者の方たちが少なくなっていく中で、被爆者のいない時代が近づいている。その中でどうやって継承していくのかというのは非常に大きな課題です。これまで、「長崎を最後の被爆地に」というのは、長崎から発信するときの言葉であったわけですけれども、これからの時代は、この言葉を被爆者だけの言葉でもなく、長崎だけの言葉でもなく、世界の人たちが共有する言葉だと、世界の人たちが発信してくれる言葉にしていかなければならない、そういう思いで、今回の平和宣言に取り上げています。そういう意味では、今回だけのメッセージというよりも、これからこの言葉を世界の皆さんとともに共有して、大切にしていきたいと、そういう思いを込めた、今回の平和宣言になっていると思います。

記者(西日本新聞)
 細かいことですが、1点だけ、上から2番目の、核兵器禁止条約を世界の共通ルールに育てるためのプロセスという文言があるんですけど、こちらは、締約国会議のことが含まれていると思うんですけど、締約国会議以外のことも何か想定されている事象とかというのはあるんでしょうか。それとも、このプロセスというのは締約国会議と同義と考えていいでしょうか。

田上市長
はい、これは、基本的に締約国会議をイメージして、そのプロセスが始まる最初のスタートだということを伝えている部分ですね。

記者(NIB)
 確認なんですけれども、締約国会議へのオブザーバー参加について言及するのは今回初めてということでよろしかったでしょうか。

平和推進課長
 昨年の平和宣言で、オブザーバーという言葉は使っておりませんので、今回が初めてだと思います。

記者(NIB)
 それを踏まえて、今回、これまで署名と批准というのは呼びかけられてきたかと思うんですが、オブザーバーという表現を使うことで、より踏み込んだという形になるのか、オブザーバーという表現を盛り込んだことへの思いというのをお聞かせいただけますでしょうか。

田上市長
 本来、署名、批准して、核兵器禁止条約に参加してほしいというのが一番の願いなわけですけれども、それが今すぐ難しいとすれば、ぜひオブザーバー参加をすることで、この条約を育てていくプロセスにかかわってほしいという意味合いです。
 そういう意味では、先ほど申しましたけれども、ぜひこの条約の生みの親にはなれなかったけれども、育ての親にはなってほしいし、日本政府が一番それにふさわしい存在だと思いますし、また、いろいろそういう被害に遭われた皆さんの援助という意味では、多くの知見を持っていますので、貢献することが必ずできると思います。そういう意味でも、オブザーバー参加を、1回目の締約国会議からぜひしていただきたいと思っています。

記者(毎日新聞)
 被爆100年に向けた1歩目ということでおっしゃっておりますが、被爆100年というのは、単なる節目というだけではなくて、どのような意味合いを持つ年になるのかというところを伺いたいのと、あと、被爆100年までに核兵器(禁止)条約をどのように育ってほしいといいますか、被爆100年までに核兵器(禁止)条約がどういった形になってほしいと願われていますでしょうか。

田上市長
 被爆100年というのは、25年ずつの区切りで見たときに、75年が過ぎて、次の25年という意味合いですけれども、この被爆50年から被爆75年の間に、例えば、高校生の平和大使ですとか、あるいはピースボランティアという動きですとか、あるいはユース代表団という若い皆さんが平和活動するというような動きを、長崎で生んできたわけですね。そして、次の25年では、まさしく、一番大きな動きとしては、体験を語れる被爆者の方たちがいなくなってしまうという時代を迎えるということがあります。それは非常に大きな危機感であって、これまでずっと体験を語って、核兵器廃絶運動を引っ張ってきてくださった被爆者の方たちがいなくなったときにも、長崎がきちんと平和の思いを伝えていく、あるいは核兵器廃絶に向けて力を合わせていく、そういうまちであるためには、やはりこの75年から100年の25年というのは非常に重要になっていくわけですね。そういう意味で、この被爆100年までの25年というのをきちんと見越して、被爆者の方たちがいなくなったときにもきちんと平和の大切さを伝えていけるまちであるために、今しなければならないことをやっていこうと、そういう思いが込められています。
 そして、具体的に、被爆100年のときにどういうふうになっているのかということですけれども、それは、本当に、今、被爆100年のいろいろな皆さんにご議論をいただく動きを始めているわけですけれども、被爆100年には、核兵器禁止条約がどうなっているのかということよりも、核兵器自体がなくなっているという状況を目指して、そのために何ができるのか、そのためのまず第1歩として、禁止条約をより実効性のあるものにしていくということは当然必要ですけれども、それだけではなくて、平和の文化もつくりながら、市民社会の声を広げていくことも重要ですし、被爆100年に核兵器のない世界が実現しているということをイメージしながら、取組を進めていく必要があると思っています。

記者(KTN)
 1つ目の被爆者の手記についてですけれども、小崎さんの手記をごらんになって、市長としてどのように一番感じられたのか、そして、それを踏まえてどういうふうに伝えていきたいかというところを改めて教えてください。

田上市長
 小崎さんの手記と出会ったとき、これが今年の平和宣言に一番ふさわしいと思ったんですけれども、それは、非常に率直に、今の状況と、さっきフィットしていたと言いましたけれども、本当に共鳴するように、今の時代に伝えたいメッセージを小崎さんが書いてくださっていたということだと思います。そして、核兵器のない世界を確認してから死にたいというふうに手記に書かれている小崎さんが亡くなられたということで、その思いというのは、非常に今、多くの皆さんに伝えていく価値のあるメッセージを残してくださったと思っています。ですから、この手記を見つけたときに、これはもう今年の平和宣言にぜひ組み入れたいメッセージだというふうに思いました。

広報広聴課長
 先ほど、朝日新聞さんからご質問があった「黒い雨訴訟」に関して、国から働きかけがあっているのかという趣旨のご質問があったかと思いますので、所管部局からお答えをさせていただきます。

調査課長
 「黒い雨」に関しまして、国の方から具体的な話は今のところあっておりません。

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