出島のオランダ商館は男性だけの世界でした。平戸の商館時代はオランダ人が夫人を同伴することは許されましたが、出島では全く許されなかったようです。女性で出島行きを許されたのは長崎の遊女だけでした。
安政2年(1855)の日蘭和親条約の締結でオランダ人の出島拘束は解除され、同5年の日蘭通商条約の締結で日本人も出島に自由に出入りが出来るようになります。が、オランダ商館は安政6年に廃止されており、歌に出てくる“オランダ娘”は幕末から明治以降に長崎市内に住んでいたことになります。 |

「長崎古今集覧名勝図絵」(長崎文献社刊
復刻版)
に描かれた「遊女出島ニ行クノ図」
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