昭和43年、ご当地ソングブームが開幕。大村市の婦人会が「大村の歌もほしい」と、大村商工会議所専務の田中吉太郎(たなかきちたろう)さんに持ち掛けます。
田中さんは「田中仙夢(せんむ)」のペンネームで、大村湾の真珠にまつわる民話「白珠姫(しらたまひめ)」と大村湾の風光を盛り込み、「琴海(ことのみ)ばやし」と「悲恋・白珠姫」を作詞しました。
この頃、東海林太郎が公演などのため頻繁に大村市を訪れており、東海林太郎と知り合いだった田中さんが2つの歌詞を見せたところ、東海林太郎は「自分が歌いたい」と言い出し、コロムビアの作曲家・森一也(もりかずや)に作曲させました。
元の原稿は難解でしたが、東海林自ら手直しして、作曲の森一也にもいろいろ注文を付けていたそうです。
「悲恋・白珠姫」は東海林太郎がソロで吹き込みましたが、「琴海ばやし」は島倉千代子を巡業先から呼び寄せてデュエットしました。島倉も「大先生と一緒に歌えて光栄です」と感激していたとか。 |

真珠貝のイラストを配した歌詞カード表紙
(発表会のチラシも兼ねています) |