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平戸出身の詩人、藤浦洸(ふじうら・こう)、福岡県柳川出身の作曲家、古賀政男(こが・まさお)という大物作家コンビの作品を、人気絶頂の女優歌手、奈良光枝(なら・みつえ)が歌いました。
発表会にも奈良光枝が来崎して歌う予定でしたが、急病で倒れたため、代役の織井茂子(おりい・しげこ)が披露しました。
織井はデビューして間もないころでしたが、真っ赤なドレスでこぼれるような愛敬を振りまき、声援を浴び、奈良光枝から届いたお詫びの電報も代読していました。
なお、奈良光枝の「長崎ロマンス」は中央でも高い評価を受け、岡本敦郎(おかもと・あつお)が長崎をイメージして歌った「月の居留地」とカップリングで、1年後の25年9月に全国盤でもレコードが出てヒットしました。 |
奈良光枝
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「長崎ロマンス」のレーベル |
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3.「長崎市民歌」
(昭和34年=1959、長崎市選定・作詞・作曲、藤山一郎、安西愛子・歌) |
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昭和34年には市制70周年と市庁舎落成を記念して「長崎市民歌」と「モッテコイ節」が制定されました。
歌詞と曲は公募して、「長崎市民歌」は長崎市琴平町の三菱長崎造船所研究部勤務、青井果(あおい・きのみ)さんの詞と東京の鈴木重(すずき・しげ)さんの曲が採用されましたが、作詞、作曲とも“長崎市選定”となり、曲の大部分を補作した古関裕而(こせき・ゆうじ)さんが編曲も受け持ち、コロムビアの藤山一郎と安西愛子が吹き込みました。
レコードは蓄音機で聴くSP盤のほか、新たに出現したEP盤でも作られました。
作詞の「青井果」は土井一郎さん(当時41歳)のペンネームです。土井さんは長崎の歌人、島内八郎さんに師事したこともあり、明るく健康的な詞を得意としていました。昭和21年には毎日新聞社公募の「新日本の歌」に入選、全造船労組の労働歌、37年にはNHK公募の東京オリンピック愛唱歌「海をこえて友よきたれ」なども作詞しています。 |
SP盤のレーベル
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EP盤と歌詞カード(部分) |
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4.「モッテコイ節」
(昭和34年=1959、長崎市選定・作詞・作曲、浜 子・歌) |
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歌詞は「長崎市民歌」とともに公募して、長崎市新町の水木節子(みずき・せつこ)さんが入選しました。曲は市内丸山町の長唄の師匠、松永鉄四郎(まつなが・てつしろう)さんの作品でしたが、「長崎市民歌」と同様、表向きは詞、曲とも長崎市選定となりました。
長崎芸能会の浜子さんの艶っぽい声に、くんちと精霊流しをイメージした「モッテコイ スットン チャーパ」の囃子も付いた楽しい歌で、長崎の日本舞踊家、花柳輔繁(はなやぎ・すけしげ)さんの振りも付き、よく踊られました。 |

SP盤のレーベル |
 SP盤、EP盤とも付けられた
「モッテコイ節」の振り付け |