文・宮川密義


【外海】
外海(そとめ)地方は、昔は“陸の孤島”といわれました。長崎市街地から北に約10キロの所にある外海町はキリシタンの歴史やド・ロ神父の残した遺産、貴重な文化財など豊富な文化資源に恵まれた町で、『隠れキリシタンの里』『歴史と文化の町』として知られています。
特に出津(しつ)という地区は文化、観光のシンボルゾーンとして、ド・ロ神父記念館や歴史民俗資料館、子ども博物館が建てられ、公園化して「出津文化村」が造られました。
また、外海町は遠藤周作氏の「沈黙」の舞台となった場所で、「出津文化村」には「沈黙の碑」が建立され、「夕日が丘そとめ公園」には遠藤周作文学館もあります。

1.「ド・ロ様数え歌」(わらべ唄)


ド・ロ神父はフランス人で、明治12年(1879)に外海地方の主任司祭として出津(しつ)に来て、大正3年(1914)まで村人たちのために教会を建て、開拓移民、医療、教育、福祉事業に私財を投じて貢献しました。
そのド・ロ神父をたたえた数え歌形式のわらべ唄が残っています。

ド・ロ神父


出津教会


2.「そとめ口説(くどき)」(日本古謡、木野普見雄・作曲、葵ひろ子・歌)


外海やお隣の大瀬戸地方には『口説(くどき)』と呼ばれる民謡が残っています。『口説』は長唄や義太夫で恋愛の情を表すところで使われましたが、その後、各地の盆踊りに現れ、『何々音頭』『何々節』に名を変えました。隠れキリシタンの住んでいた地方に多く、特に「大瀬戸口説」は有名です。
ここで紹介する「そとめ口説」は民謡ではなく、古来の歌を基に、長崎の木野普見雄(きの・ふみお)さんが新たに作曲して、昭和45年(1970)レコードが作られました。
ジャンルでは「新民謡」の部類に入るもので、外海の娘さんがふるさとの情景に託して恋心を歌った美しい歌です。
元々『口説』は盆踊りで歌われていたもので、『口説』と名付けたこの歌も最初は盆踊りで親しまれました。


レコードの表紙


3.「そとめ音頭」
(昭和45年=1970、乗田正美・詞、木野普見雄・曲、杉野正男、丸山浜子・歌)


地元の人の詞に長崎の木野普見雄さんが曲を付け、長崎の杉野正男(すぎの・まさお)さんと丸山浜子(まるやま・はまこ)さんが歌って、前記「そとめ口説」とのカップリングでレコードが作られました。
学校の運動会や地区ごとの運動会で利用されてきました。



出津文化村


4.「池島の詩(うた)」
(平成15年=2003、寺井一通・作詞、作曲、ぼんごしいず・歌)


長崎を拠点に活躍するシャンソン歌手、寺井一通(てらい・かずみち)さんが平成15年5月にまとめて発表したCDアルバム「長・崎・歌・百・景」第3集に収録されている歌です。
寺井さんは“ふるさと・長崎に根ざした音楽活動を!”を合言葉に、県内各地の人々とともに歌作りに励んでいますが、この歌は、炭鉱が閉山して間もない池島に寄せる思いを作詞、作曲し、外海町のコーラスグループ「ぼんごしいず」が歌っています。
同年7月27日(日)には、活気を呼び戻すための文化活動を展開している「池島−文化を創る会」が第一回「池島音楽祭」を開き、ぼんごしいずが「池島の詩」発表のほか、寺井一通さんのシャンソン、池島中学校有志による太鼓演奏、市内在住の音楽家や舞踊家が出演するコンサ−トなどで賑わいました。
寺井さんはこのアルバムで「炭坑(やま)終(す)みて」(明石美津子・作詞、寺井一通・作曲)、平成12年(2002)に出したオリジナルCDアルバム「晩秋〜季節に抱かれて〜」の中で「池島にて〜2002秋〜」も歌っています。


「池島の詩」を発表した第1回池島音楽祭


炭坑の灯が消えた池島


5.「夕映えの海」
(平成14年=2002、寺井一通・作詞、作曲、永田早苗・歌)


前述の寺井一道さんのCDアルバム「長・崎・歌・百・景」第2集に収められた13曲の中の1曲です。
歌う永田早苗(ながた・さなえ)さんは外海町在住の歌手で、外海町から見た美しい夕日を歌っています。翌15年には同町神浦に架かる赤い橋を通して、他界した夫を偲ぶ「夕陽橋」をCDで発表しました。



夕映えが美しい外海町の海


【高島】
高島は長崎港外に浮かぶ周囲1�舛両�さな島ですが、徳川時代から石炭の島として知られました。慶応4年(1868)に英国の貿易商人、トーマス・グラバーが佐賀藩との合弁事業で高島炭坑を開発。明治2年(1869)には日本最初の蒸気機関を使って、深さ43�辰領�坑(たてこう)を開き、日本の石炭産業の近代化に貢献しました。
高島は昭和30年(1955)に端島(はしま=通称「軍艦島」)と合併、最盛期には153万9千500トンの最高出炭量を記録しましたが、エネルギー革命による合理化の波に押され、昭和61年(1986)11月に閉山しました。
閉山による人口減と経済崩壊で危機に直面しましたが、平成9年(1997)飛島磯釣り公園と海水浴場がオープン、新たな産業、施設などで、観光の町として新たな道を歩み始めています。

6.「高島節」(民謡)


この民謡はグラバーが経営していた明治初年頃に作られ、炭坑に働く人たちの悲しみ、恨み、つらみも歌い込まれています。地の底で働く人たちにとって、労働条件に不満があればつい愚痴も出ようというもの。
歌詞の「三五郎さんの娘」の「三五郎」は納屋頭のこと。納屋頭は賃金をピンハネし、島抜けがバレたらリンチを加えるので、働く者にとっては怖い存在でした。罪はないのに納屋頭の娘さんまで憎く見えたわけでしょう。
また、グラバーは裕福な商人で、自分たちをお金で操る人間…と殺伐な言葉で炭坑員たちの恨みが歌われています。



石炭資料館の内部
なお、後述の「小さな島の大きな夢」(ZINM)と題するCDアルバムの中に収録された「島中みんなで《高島アイランド音頭》」の冒頭、この「高島節」が取り込まれています。


7.「端島音頭」
(昭和49年=1974、淀川正二・作詞、光田藤雄・作曲、田中久之、近藤敬子・歌)


有名な炭坑の島「端島」は、石炭全盛期の昭和34年には人口は5,259人。面積で算出した人口密度では「超密度の島」でした。高層アパートが次々と造られ、外観が軍艦に似ていたので「軍艦島」とも呼ばれました。
炭坑が閉山する年(昭和49年)、端島労働組合が解散記念にレコードを作りました。
端島は昭和39年にガス爆発で坑内が水没する事故があり、それが契機となって規模が縮小され、閉山となっていきますが、この歌は、全盛時代の活気に満ちた端島の姿を記憶にとどめようとする人々の心が込められました。
レコードは端島の人々や関係者に配られましたが、この歌の存在はあまり知られていません。



“軍艦島”で知られる端島


8.「青空高島」
(平成9年=1997、松原一成・作詞、木村暢子・作曲、末石ちえ、木村暢子・歌)



人気を集める飛島磯釣り公園

石炭の島からマリンパラダイスへ大きく脱皮を図る高島町が制作した町のイメージソングです。
長崎で活躍したZINM(ジンム)の「小さな島の大きな夢」と題するCDアルバムの中に収録されています。
高島町は炭鉱閉山から10年たったころから、飛島磯釣り公園と人工海水浴場を建設するなどして島の再生に全力を注ぎました。
この歌は、高島の美しい自然を歌い上げたもので、タイトルに“青空”を付け、歌詞には長崎港や軍艦島なども登場する親しみやすい作品です。
作詞は長崎のZINMの作品を手がけた松原一成(まつばら・かずなり)さん。作曲の木村暢子(きむら・ちょうこ)さんは佐世保在住のピアニスト。歌っている末石(すえいし)ちえさんも佐世保で活躍している人です。


9.「この島はいいよね」
(平成9年=1997、松原一成・作詞、大鋳武則・作曲、ほたて児童合唱団・歌)


これも高島町の歌で、“高島愛唱歌”の冠が付いています。
「豊かな自然に包まれた日々の暮らしを絵画と音楽と小説に託して表現した」(松原さんの話)そうです。いわば高島の人たちのための“心の歌”。
子供たちの心にいつも流れているような愛唱歌…のねらい通り、すぐ高島の子供たちに受け入れられ、愛唱されています。
曲はZINM(ジンム)のリーダーだった大鋳武則(おおい・たけのり)さん。大鋳さんはこの歌が完成する2年前の平成7年に亡くなりましたが、大鋳さんが残した曲に松原さんが詞を付け、佐世保市のほたて児童合唱団が歌って発表しました。
CDにはほかに「高島アイランド音頭」、福岡で活躍中の米国人ピアニストが作って歌った「ザ・スモールアイランド・ア・ビッグハート」、その日本語版「小さな島の大きな愛」、カラオケバージョン4曲など計10曲が入っています。
平成9年8月、町ふれあいセンターのオープンを記念した「高島の歌発表音楽会」で初めて披露されました。

「高島の歌発表音楽会」(平成9年8月)

高島のイメージソングを収録した
CDの表紙


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