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この民謡はグラバーが経営していた明治初年頃に作られ、炭坑に働く人たちの悲しみ、恨み、つらみも歌い込まれています。地の底で働く人たちにとって、労働条件に不満があればつい愚痴も出ようというもの。
歌詞の「三五郎さんの娘」の「三五郎」は納屋頭のこと。納屋頭は賃金をピンハネし、島抜けがバレたらリンチを加えるので、働く者にとっては怖い存在でした。罪はないのに納屋頭の娘さんまで憎く見えたわけでしょう。
また、グラバーは裕福な商人で、自分たちをお金で操る人間…と殺伐な言葉で炭坑員たちの恨みが歌われています。
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石炭資料館の内部 |
| なお、後述の「小さな島の大きな夢」(ZINM)と題するCDアルバムの中に収録された「島中みんなで《高島アイランド音頭》」の冒頭、この「高島節」が取り込まれています。 |
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7.「端島音頭」
(昭和49年=1974、淀川正二・作詞、光田藤雄・作曲、田中久之、近藤敬子・歌) |
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有名な炭坑の島「端島」は、石炭全盛期の昭和34年には人口は5,259人。面積で算出した人口密度では「超密度の島」でした。高層アパートが次々と造られ、外観が軍艦に似ていたので「軍艦島」とも呼ばれました。
炭坑が閉山する年(昭和49年)、端島労働組合が解散記念にレコードを作りました。
端島は昭和39年にガス爆発で坑内が水没する事故があり、それが契機となって規模が縮小され、閉山となっていきますが、この歌は、全盛時代の活気に満ちた端島の姿を記憶にとどめようとする人々の心が込められました。
レコードは端島の人々や関係者に配られましたが、この歌の存在はあまり知られていません。
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“軍艦島”で知られる端島 |
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8.「青空高島」
(平成9年=1997、松原一成・作詞、木村暢子・作曲、末石ちえ、木村暢子・歌) |
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人気を集める飛島磯釣り公園 |
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石炭の島からマリンパラダイスへ大きく脱皮を図る高島町が制作した町のイメージソングです。
長崎で活躍したZINM(ジンム)の「小さな島の大きな夢」と題するCDアルバムの中に収録されています。
高島町は炭鉱閉山から10年たったころから、飛島磯釣り公園と人工海水浴場を建設するなどして島の再生に全力を注ぎました。
この歌は、高島の美しい自然を歌い上げたもので、タイトルに“青空”を付け、歌詞には長崎港や軍艦島なども登場する親しみやすい作品です。
作詞は長崎のZINMの作品を手がけた松原一成(まつばら・かずなり)さん。作曲の木村暢子(きむら・ちょうこ)さんは佐世保在住のピアニスト。歌っている末石(すえいし)ちえさんも佐世保で活躍している人です。 |
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9.「この島はいいよね」
(平成9年=1997、松原一成・作詞、大鋳武則・作曲、ほたて児童合唱団・歌) |
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これも高島町の歌で、“高島愛唱歌”の冠が付いています。
「豊かな自然に包まれた日々の暮らしを絵画と音楽と小説に託して表現した」(松原さんの話)そうです。いわば高島の人たちのための“心の歌”。
子供たちの心にいつも流れているような愛唱歌…のねらい通り、すぐ高島の子供たちに受け入れられ、愛唱されています。
曲はZINM(ジンム)のリーダーだった大鋳武則(おおい・たけのり)さん。大鋳さんはこの歌が完成する2年前の平成7年に亡くなりましたが、大鋳さんが残した曲に松原さんが詞を付け、佐世保市のほたて児童合唱団が歌って発表しました。
CDにはほかに「高島アイランド音頭」、福岡で活躍中の米国人ピアニストが作って歌った「ザ・スモールアイランド・ア・ビッグハート」、その日本語版「小さな島の大きな愛」、カラオケバージョン4曲など計10曲が入っています。
平成9年8月、町ふれあいセンターのオープンを記念した「高島の歌発表音楽会」で初めて披露されました。 |

「高島の歌発表音楽会」(平成9年8月) |

高島のイメージソングを収録した
CDの表紙 |