1.「恋の唐人船」
(昭和12年、久保田宵二・作詞、竹岡信幸・作曲、霧島 昇・歌)
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昭和12年(1937)といえば、7月に日華事変がぼっ発、「露営の歌」を皮切りに、「愛国行進曲」などの軍国歌謡競演時代の開幕となった年です。
しかし、事変の4ヵ月前の3月に出た「恋の唐人船」は戦争への暗さはまだ感じられず、中国ムードをしっとりと描写しています。
吹き込んだ霧島昇は福島県の出身。
前年の11年にデビューしたばかりで、12年の「赤城しぐれ」で将来性が期待され、13年の「旅の夜風」、それに続く「愛染かつら」三部作で不動の地位を築いた人です。
この「恋の唐人船」は霧島昇が大歌手として名を上げる直前の歌で、初々しさも感じさせます。
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2.「長崎唐人ばやし」
(昭和10年、西岡水朗・作詞、古関裕而・作曲、ミス・コロムビア・歌)
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3.「長崎のチャイナタウン」
(昭和28年、山本逸郎・作詞、上原賢六・作曲、平野愛子・歌)
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4.「長崎の唐人娘」
(昭和31年、野村俊夫・作詞、古関裕而・作曲、関 真紀子・歌)
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「長崎のチャイナタウン」もそうですが、中華街や中国人を取り入れた歌の中には、かわいい中国の娘さんがよく登場します。
中国娘を『姑娘(クーニャン)』と呼びますが、この歌は長崎の『姑娘』を歌った代表的な歌です。
歌詞も「花の前髪ゆらゆらと」「青いヒスイの耳飾り」と独特のムードを漂わせています。
歌の中のクーニャンは前髪を下げ、繻子(しゅす)の靴を履き、青いヒスイの耳飾りを付けて夢を見るような表情をしています。
さらに、窓辺には鳥籠が下がり、赤い花が散っている…なんともエキゾチックな雰囲気です。
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5.「長崎の唐人祭り」
(昭和28年、吉川静夫・作詞、吉田 正・作曲、渡辺はま子・歌)
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中国盆を直接歌ったものはありませんが、この「長崎の唐人祭り」にはペーロンや銅羅、花火、切子灯籠などが出てきます。
特定の祭りを描写したものではなく、中国街の全体的なムードで書かれているようですが、長崎の人たちには中国盆に映るのではないでしょうか。
長崎のお盆が済み、秋の気配を感じるころ、中国盆が始まります。
中国盆は鍛治屋町の崇福寺で、毎年旧暦の7月26日から3日間(新暦では9月の初め=今年は9月3日〜5日)行われます。
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中国盆(崇福寺)のフィナーレ |
境内には線香の煙やにおいが立ち込め、爆竹が鳴り、中国服の娘さんたちもいて、異国ムードいっぱい。
最終日の夕刻には、丸ゆでの豚、アヒル、山羊、鶏や伊勢エビ、果物など山海の珍味、中国のお菓子などの供え物が境内せましと並べられます。
夜10時ごろになると「金山」「銀山」を山積みして火が付けられ、立ち上る炎が夜空を焦がします。
※註=歌以外の中国に関しては、「特集:長崎でチャイナに出会う」を参照して下さい。
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