大正12年から昭和13年にかけて刊行された『長崎市史』からおよそ75年振り、市制120周年を記念して編さん、刊行を開始した『新長崎市史』。それぞれの違い、魅力、役割……これまで一般の方にはあまり縁のなかった『長崎市史』の世界を紹介する。
皆さん図書館などで一度は見かけたことがあるだろう、漆黒の背表紙の分厚い書籍。長崎市の地理、自然、歴史、風俗などが書き記された『長崎市史』だ。
大正12年から昭和13年にかけて編さん、刊行された、いわば“長崎市の歩み”を封じ込めたこの本は、この地を愛する多くの人々にとってはかけがえの無い財産である。
今年3月、実に75年の歳月を経て、『新長崎市史 第二巻近世編』が他巻に先駆けて刊行された。これを機に、既存の『長崎市史』について、また、現在各執筆者の方が手掛け、これから続々と刊行を控えている『新長崎市史』の世界を覗いてみたいと思う。
まずは、既刊の『長崎市史』の世界へ--。現在すべてが絶版となっている『長崎市史』は全8冊。大正12年3月の「地誌編・佛寺部 上」を皮切りに「地誌編・佛寺部 下」「風俗編」「地誌編・神社教会部 上」「地誌編・神社教会部 下」「通交貿易編・西洋諸國部」「地誌編・名勝舊蹟部」「通交貿易編・東洋諸國部」が発刊されている。
ページを繰ってみると、文語体の文章に一瞬たじろいでしまうが、長崎の歴史に少しでも興味があるナガジン!の読者の方ならば、何の、どんなことについて書かれているのかおそらく理解できることだろう。
ナガジン!特集、「越中先生と行く」シリーズでお馴染み、長崎歴史文化協会理事の越中哲也先生も、『新長崎市史』刊行委員のお一人であり、他に先駆けて刊行された『新長崎市史 第二巻近世編』では執筆もなさっておられる。そんな越中先生に新旧『長崎市史』についてお話を伺った。
Q1.既刊の『長崎市史』はどのように編さんされたのでしょう?
越中先生「『長崎市史』は、今まで残されてきた資料を材料にまとめられたものです。私は、その『長崎市史』の原本のひとつと思われる『長崎集』という書籍を、1993年、解題を添えて復刻版として公刊しました。
『長崎集』が誰の編さんかは不明ですが、推察するに、この本の編集は享保14年(1729)以前だったようです。本の中には、それ以前、長崎の地に存在したという七種類の「通史」(書名不明)を参考にして記されたことを示唆する記述があります。私は、宝暦10年(1760)に『長崎実禄大成』を著した田辺茂啓が、この『長崎集』の編さん者である可能性が高いと考えていますが、いずれにせよ、大正末~昭和の初めに編さんされた『長崎市史』も、時代の折々で記された著書を参考にまとめられたものなんです」。
『長崎集 巻之壹』は、〈長崎開基之事〉〈南蛮船初て日本に来る事〉〈南蛮船初て長崎え来る事并に内町立始之事〉にはじまっているが、この内容を踏襲した文章が確かに『長崎市史』「通交貿易編 西洋諸國部」〈第二章 長崎の開港〉に記されている。この復刻された『長崎集』純心女子短期大学長崎地方文化史研究所/編(純心女子短期大学)は、長崎市立図書館に蔵書あり。閲覧、貸出可能なので一度目を通してみるといいだろう。
Q2.『長崎市史』と『新長崎市史』の違いはどんなところですか?
越中先生「既刊の『長崎市史』は、残された資料を中心に文語体で書かれた古文的なものであるのに対し、『新長崎市史』は、これまでの資料に新たな資料を加え、高校生程度にも理解できるように口語体で見やすくまとめられています。また、“長崎”という町を広い視野でとらえているのが大きな特徴ですね。“世界の中の長崎”、“日本の中の長崎”を、細分化して専門的に記している。いわば、“長崎文化社会事典”のようなものになっています」。
これまで長崎市では『長崎市史』、『長崎市制50年史』(昭和14年)、『長崎市制65年史』(昭和31年~34年)という3種類の市史と、『長崎市史年表』(昭和56年)、『市制百年長崎年表』(平成元年)という2種類の年表を刊行してきた。しかし、時の流れに沿って体系的に記述された市史類はなかった。また、合併等で市域が大幅に拡大したことから、市制施行120周年を迎えるにあたり、市民一人ひとりが郷土の歴史と文化を共有し、個性的で魅力あるまちづくりを進めるために不可欠な新たな市史の編さんに着手することになったのだ。
今後続々と刊行される予定の『新長崎市史』。既刊の『長崎市史』が全8巻であったのに対し、今回は「自然編、先史・古代編、中世編」、既刊の「近世編」「近代編」「現代編」の全4巻。まさしく時の流れに沿って体系的にまとめられる予定だ。
Q3.『長崎市史』と『新長崎市史』、それぞれの役割をどのようにお感じですか?
越中先生「『長崎市史』は、表題を見ても判るように、佛寺なら佛寺、教会なら教会というように分野別にまとめられたものでしたが、『新長崎市史』では、長崎を時代で区切り、その時代の推移、構造、風俗、生活の様子などが個別にまとめられ、当時の町の様子が判りやすく記されています。私は、新旧の著書を併せて読み上げると、長崎の町の成り立ちから現代までの流れがより深く理解できると思います」。
第一弾として刊行された『新長崎市史 第二巻近世編』はB5判、1004ページの充実の内容。長崎の華やかなりし頃の江戸時代、出島での貿易などで栄え、近世都市として発展したまちの様子がまとめられている。既刊『長崎市史』とは打って変わり、写真や絵図を掲載したオールカラーというのも魅力だ。
Q4.『新長崎市史』で先生がご執筆なさったのはどんな項目ですか?
越中先生「既刊の『新長崎市史 第二巻近世編』の「第7章 近世長崎の生活」〈第2節 多彩な生活文化〉で【衣】と【食】、〈第5節 長崎の工芸〉で【長崎の金工(鋳物師 いもじ)】【長崎の鼈甲(べっこう)細工】【長崎のガラス工芸】【長崎刺繍】を執筆しています。もともと私の専門分野は長崎の“美術工芸”と“食”ですから、これまでもたくさん本にまとめてきましたので、それらを元に構成しました。私は、長崎の歴史で時代的に一番面白いのが諸外国との交流がさかんだった近世だと思っています。長崎と唐南蛮洋風画、鼈甲細工、ビードロ(ガラス工芸)、長崎刺繍……どれも海外との交流がなければ長崎で誕生しなかった美術工芸品ばかりです。特にガラス工芸は国内全域に影響を与え、現代生活にすっかり解け込んでいることを思うと長崎の代表的な工芸品だと思いますね」。
では、越中先生のおすすめ通り、『新長崎市史 第二巻近世編』で越中先生が執筆された【衣】の記述を、『長崎市史』で詳しく調べてみたい。
『新長崎市史』では、(1)南蛮風俗(2)長崎に定着した衣の文化、という項目に分かれ、(1)〈当時の武将たちの服装〉〈献上品として歓ばれる物〉〈貿易の展開〉、(2)〈襦袢(gibao)〉〈合羽(capa)〉〈唐桟〉〈メリヤス(Meias)〈カルサン〉〈パッチ〉〈畦足袋〉〈ボタン〉についてまとめられている。引用した参考文献も詳細に記されているので、興味を持ったものをドンドン突き詰めていくことができるのがありがたい。
ところで、(2)長崎に定着した衣の文化 に記された〈カルサン〉という響きに覚えはないだろうか? 『新長崎市史』には、『長崎市史 風俗編』733頁引用とあり、「カルサンは袴と股引とを折衷したようなものである」とある。実際に『長崎市史 風俗編』733頁を開いてみると、いかにも。さらに「往時職人其(その)他髪結など労働に従事する者の間に盛んに行はれた。」と続く。しかし、この〈カルサン〉、(1)南蛮風俗の〈当時の武将たちの服装〉ですでに登場している。当時、南蛮風俗に影響を受け、京都の武将や権力者の間でポルトガルの衣服が大流行。その諸大名達が身につけている衣服の中に“軽衫(かるさ)”というものがあった。この軽衫は、ポルトガル語のカルサン(calcão)のことで、伝来当初は武将の戦闘用として使われていたというのだ。
にしても〈カルサン〉……この語感、どこかで聞いたような……そう! 現代では女性用のファッションアイテム!フランス語で“カルソン”のことだ。
伝来した当初の使用法からの変化、現代との結びつき--いや~、知れば知る程、長崎の歴史はオモシロいことがいっぱいだ。
最後に--。
かつての長崎を知るには、古い資料を掘り起こすに限る。新旧『長崎市史』は、この街の歴史を判りやすく(新)、詳しく(旧)解説してくれる。長崎は町じゅうが文化遺産といっても過言ではない。まずはこれから続々と刊行される『新長崎市史』に目を通し、そこで興味を持った項目を既刊の『長崎市史』で詳しく読み込む……といった具合に『長崎市史』と『新長崎市史』を併せ読みすると、時に現代に導かれ、ワクワクするような新たな発見に出会えるに違いない。あまりの分厚さに物怖じすることなく、ぜひ、新旧『長崎市史』に親しんでみよう。
『新長崎市史』「第一巻自然編、先史・古代編、中世編」と「第四巻現代編」は2013年3月、「第三巻近代編」は2014年3月にそれぞれ刊行する予定。
問い合わせ/市史編さん室 TEL095-846-7410
参考文献
★『長崎市史』/「地誌編・佛寺部 上」「地誌編・佛寺部 下」「風俗編」「地誌編・神社教会部 上」「地誌編・神社教会部 下」「通交貿易編・西洋諸國部」「地誌編・名勝旧蹟部」「通交貿易編・東洋諸國部」(清文堂出版株式会社)、★『新長崎市史』/「第二巻近世編」長崎市史編さん委員会編集(長崎市)