毎日、青空や雲の流れを見やる人は百人に一人もいないそうだ。
殺伐とした社会で生活しているとそんな余裕はなくなるのだろうか。
私は高校卒業して暫く、ちんぴら同様の荒れた生活をしていた。
その後、父が経営する会社で労務者として錆とほこりにまみれた現場仕事を数年体験した。
ある時、もう一度大学へチャレンジしたいという気持ちになった。
既に23歳。高校を卒業して5年経過している。
高校時代はろくに勉強もしていないし、その上浪人崩れだ。
しかし一大決心で会社を辞め予備校へ通って翌年、関西学院大学商学部と同志社大学経済学部に合格、関西学院へ入学した。
当然、合格の感激はあったが、初めて登校した日、図書館前の広い芝生に寝転がって空を見上げた時、「空はなんと美しいのだろう」とこれまでにない驚きを体感した。
真っ青な空に白い雲の流れ、緑のキャンパス、「ここは天国ではないのか」と紛うばかりの美しさだった。
還暦を機に大型バイクを購入した。
それ以来、大学卒業後全く縁がなくなっていた自然と接する機会が多くなった。
このところ三年間、毎日唐八景へ行き、ひと休みする。
唐八景は目前に天草の灘が開け、左手には遠く雲仙の普賢岳をのぞむ。
二年前から朝日の写真を撮り続けている。
雨模様でなかったら、毎日欠かさずバイクで行っている。
唐八景でひと休みする20分の時間帯が私の「至福の時」である。
朝日の上昇に伴い刻々変化する雲の色合いの美しさ、神秘さ荘厳さは筆舌に尽くし難い。
晴天の場合も、少々雲があるときも、雲で覆われガスでもやっていることもあるが、それぞれに趣がある。
自然は偉大だ。自ずと頭が下がり合掌する。
四季折々、雲の形状も周囲の光景も大きく変化する。
冬はキリッと引き締まり、春は華やいでくる。
5月から6月にかけては柔らかい。
夏の雲は男性的で逞しい。
秋はススキの茂みからみる光景は格別だ。
太陽が、空と雲という自然の大カンバス上に、優しく時には荒々しく色づけしていく様を芸術と表現するのは不遜かもしれないが「光の芸術」ともいえよう。
そこに神を視る。
光景が秒刻みで変化していくのでシャッターチャンスが一瞬のためらいで消え失せることもある。
雲はしばしば考えられないような体をなす。
上空は晴天なのに海面へ絨毯を敷きつめたように雲が張りついていたり、時にはどす黒く分厚い雲の下に白い雲が帯状になって重なり、そこへ光が射し込んで眩しく輝いていることもある。
四季により、天候によりその他の自然現象の違いによるのだろうか、太陽が雲に描く色調は多彩だ。
時には黄金色に輝き、時にはピンク色に染まる。
霞がかったブルーなカーテンの奥で青白く輝いている幻想的な太陽がある。
三年間毎日通っていると、しばしばこのように神秘的な光景に遭遇する。
早朝の唐八景は私にとって瞑想の場であり、疲れた心を癒してくれる神様のふところだ。
橋本寛(ゆたか)さん
株式会社橋本商会社長。
長崎市出身で、創業130年の歴史がある橋本商会の5代目社長。
多忙な会社経営の傍ら、天候が許せば毎日大型自動二輪を駆って、大いなる自然にふれるのが最高の楽しみとにこやかに語られる。
著書に「母と銀めし―小学生カンちゃんの思い出つづり」「菜の花日記」(長崎文献社)がある。
掲載写真は文中にもある著者撮影の唐八景の写真。
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