その特異な島影から「軍艦島」と呼ばれる端島は、ホンの数年前まで遠い記憶の片隅に追いやられた過去の島だった。2009年、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに記載されたのを機に注目を集め、昨年から一般の上陸が可能となったこの島に注目!


ズバリ!今回のテーマは
「軍艦島が教える過去・現在・未来」なのだ。




●ナビゲーター
坂本道徳さん
/「NPO軍艦島を世界遺産にする会」理事長。小学校六年生のとき、福岡筑豊より端島(軍艦島)へ移住。少年期をこの島で過ごした端島出身者。


世界遺産暫定リストの記載を受け、昨年4月に一般の上陸が実現するようになった通称 軍艦島こと端島(はしま)。以来1年余り、来航者は激増。当初推定していた2万人を大きく上回り、現在までに8万人(2010年8月現在)を超える人々が軍艦島の地を踏んでいる。現在、その上陸クルーズを請け負う汽船会社は5社。利点や魅力など、それぞれに特徴を持つが、今回はこの島を故郷に持つ「NPO軍艦島を世界遺産にする会」理事長・坂本さんの同行解説が体験できる「長崎学さるく」に参加。高島海上交通のクルーズ船「竹島丸」に乗り込み取材を敢行した。
※ クルーズは平成22年8月6日より「ブラックダイヤモンド」が就航している。

今回の取材にあたり利用した(有)高島海上交通のコース・料金は以下の通り

■コース工程
長崎市元船桟橋より乗船〜(30分)〜高島で下船・石炭史料館にて模型を利用しての説明の後・岩崎弥太郎銅像見学(30分)乗船〜(10分)〜軍艦島上陸(60分)NPO軍艦島を世界遺産にする会メンバーの案内〜(30分)乗船〜元船桟橋

■ 毎日催行(一日2便)※年末年始は除く

■ 料金 おひとり大人4,000円 中学生3,200円 小学生2,000円
  ※小学生未満は乗船不可。
  ※別途上陸施設使用料(大人300円小学生150円)が必要。


■上陸の注意点
風速が5mを超える時、波高が0.5mを超えるとき、視程が500m以下のときは上陸できない。また、見学者が安全に下船できないと船長が判断するときも同様。船舶はチャーター運送のため、上陸できない場合も返金はできないが、上陸のための施設使用料(大人300円小人150円)は不要。

■問い合わせ
(社)長崎国際観光コンベンション協会
TEL.095-811-0369 (平日 8:45〜17:30/土日祝日・年末年始 休業)
http://www.nagasaki-tabi.jp/gunkanjima



島を知る

野母崎へ車を走らせるとき、いつも右方向に見えてくる軍艦島の姿を心待ちにしている気がする。それは、なんといっても現在は無人、だがかつては日本一の人口密度を誇ったという、見るにも聞くにも不可思議なこの島の存在が気になるからだろう。この島を周遊するクルーズ船が出航するようになったのは十数年前だったが、興味はありつつも未体験。しかし、乗船した人の話は興味深く聞き入ったものだ---「面白かったよ、ただ上陸できんとがね……」。

元船桟橋を後にして、しばし楽しむは長崎港内クルージング。穏やかな海は美しく、その海を囲むように小さな造船所や小菅のソロバンドッグ、三菱重工業長崎造船所のマークが燦然(さんぜん)と輝くドッグが、クレーンが、大型タンカーの勇壮な姿が次々に目に飛び込んでくる。それはまさに“造船の町、長崎”を実感する風景だ。そして、目的地の端島もまた、明治23年(1890)より三菱の経営となった高島の支鉱であった。


かつて海底炭鉱で栄えた端島は、長崎港から南西に約19kmの沖合いに浮かぶ。本来、島の面積は現在の3分の1程の小さな瀬だったが、明治30年(1897)〜昭和6年(1931)に行なわれた6回に渡る埋め立て工事によって拡張。それでも南北に約480m、東西に160m、周囲約1,200m、面積約63,000�屬箸い�小さな島である。出炭量が増加するにつれ人口も増加し、大正5年(S1916)には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には約5,300人もの人が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度に達した。


竹島丸は、まず三菱の主力炭鉱があった高島に着岸。徒歩2、3分で「石炭史料館」に到着した。海側には、NHK大河ドラマ『龍馬伝』の影響ですっかり有名となった迫力の形相の岩崎彌太郎像があり、観光客のシャッターポイントとなっている。

 
石炭史料館の屋外に展示された「軍艦島」の模型を囲み、坂本さんの解説がスタートした。



坂本さん 「今から11年前、25年ぶりに島の同窓会を開くことになったんです。皆に「端島に行こう」と提案したら、返ってきた答えは「行きたくない」「廃墟となった故郷の姿を見たくない」というのがほとんどでした。しかし、渡航、上陸が実現。私が住んでいた65号棟は、ここです。昭和19〜21年に建てられた鉄筋のアパートで、9階に住んでいました。中に入ると、ポストには両親、私、妹の名前が残され、部屋には、タンスや火鉢がそのままにありました」。

端島は、全国でも数少ない黒字で閉山した炭坑で、退職金も出るほど、皆が裕福。家具や電化製品を残して行っても、新天地で購入するだけの余裕があったという。




この上陸を機に、坂本さんは「この島を日本の近代化を支えた産業遺構として保存したい!守りたい!」という想いを強め、その方法を模索。2003年に「軍艦島を世界遺産にする会」を立ち上げた。
 

島を感じる

「軍艦島」の異名は、大正期に三菱重工業長崎造船所建造中だった日本海軍の「戦艦土佐」になぞられたものだが、この頃はまだ日本初の鉄筋コンクリートの集合住宅も一部だけで、木造平屋や2階建てが主流だった。しかしこの小さな島に建物が林立していたのは間違いなく、それが遠目に軍艦に見えたのもうなずける話である。

高島から10分ほどで、まさしく、その軍艦と見まがう島影が近づいてきた。
上陸クルーズの開始に合わせ、整えられた桟橋や見学ルートの舗装地以外は、30数年の風化を帯びた、まさしく廃墟の島である。
上陸すると、自然の中にただたたずんできた凄みさえ感じるコンクリートの塊と、それに寄り添うかのように無邪気にまとわりつく雑草の鮮やかな緑のコントラストが真っ先に目に焼きつけられた。

残された建物が、どんどん姿を変えていきつつある周囲の景色が、坂本さんの中に眠っていた記憶を呼び起こす。


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