◆愛宕暮雪
「長崎八景・愛宕暮雪」
長崎歴史文化博物館蔵
現代版愛宕暮雪
次は市民がいつも身近に感じている山のひとつ、愛宕山。
越中先生「“愛宕の山から風もらお”という古い童謡があります。この山がハタ揚げ(凧揚げ)に興じる子ども達に風を与えていたそうですね。頂上には愛宕大権現を奉祀している霊山で、昔から天狗伝説があるんですよ。全国の愛宕神社は古くから火伏せ・防火に霊験のある神様ですが、この愛宕山も毎年12月24日が縁日で、この日に酒を慎むと火災をまぬがれるといい、“酒精進”の日ともいうのだそうです。」
愛宕神社
尖った岩山に木々が覆っている愛宕山は、長崎名勝図絵に「積翠螺髻(せきすいらけい)の如し」とあり、髪を結った子どもの後ろ姿のようだったと説明してある。直立した姿から「文筆峰」という雅名もあるが、とにかく尖っているのが愛宕山の名物だった。
越中先生「今は、木々が茂って円くなっていますね。昔は版画のように木はなかったんでしょうね。」
愛宕山
今も存在感ある姿で、長崎港を見下ろしているかのようだ。右側に見える帆柱は大波止、左手は当時唐船の碇泊地だった梅が崎。長崎港口に伊王島と香焼島と思われる島影も描かれている。
◆神崎帰帆
「長崎八景・神崎帰帆」
長崎歴史文化博物館蔵
現代版神崎帰帆
現在、女神大橋が架かる長崎港の入口。かつてその左右の山崖を、西側を男神、東側を女神と呼んでいた。それは神功皇后が命名したという伝説になぞられたもの。
越中先生「男神の下に神崎神社(こうざきじんじゃ)があり、航海の神として唐船に乗って来ていた唐人達の信仰も集めていたんですよ。唐船は、この神崎神社の前で船を泊めてお祈りしたそうですよ。」
版画では右側が神崎神社。小さな祠が描かれている。ちょうど唐船が泊まり、唐人達が手を合わせているところだろうか。
神崎神社
越中先生「女神にはキリシタンの潜伏時代に活躍した金鍔次兵衛という宣教師が身を隠したという金鍔谷(きんつばだに)がありますよね。男神と女神は長崎港の一番狭くなった場所で、両側には海を監視する番所も置かれていました。」
金鍔谷
現在も女神大橋の上から神崎神社、金鍔谷を見ることができる。
◆市瀬晴嵐
「長崎八景・市瀬晴嵐」
長崎歴史文化博物館蔵
市瀬晴嵐
1670年代に長崎のことを最初に紹介した『延宝版 長崎土産』に登場する一の瀬。
越中先生「他国から長崎へ出入りするとき、陸路では日見峠を通る長崎街道を選ぶのが通例でした。『延宝版 長崎土産』には、一の瀬まで日見峠より下ってきたら何ともいえないにおいがしたと綴られているんです。私はおそらくこの辺りまで来ると異国的な長崎の香りがしたんだと思います。」
長崎へ入る人もいれば、長崎から出る人もいる。
越中先生「長崎より旅立つ人は、この一の瀬まで見送られ、蛍茶屋(一の瀬茶屋)という休憩所で最後のお別れをしたそうです。長崎甚句にも、
送りましょうか送られましょか、
せめて一の瀬辺りまで
新井関所と箱根がなくば
連れて行きたいお江戸まで
というくだりがあるんですよ。」
一の瀬川に架かる一の瀬橋、蛍茶屋(一の瀬茶屋)、前面の彦山、中腹の青銅(からかね)塔。見通しは悪くなったが、今も現存するものも多い。飛脚や釣り人、唐人らしい人達。旅の中継点ながらものどかな風景が描かれている。
一の瀬橋
◆稲佐夕照
「長崎八景・稲佐夕照」
長崎歴史文化博物館蔵
現代版稲佐夕照
長崎の太陽は彦山から昇り、対岸の稲佐山へと沈む。稲佐山の背後から夕映えの光が、海や町全体を美しく照らす。
越中先生「この版画は稲佐山の対岸、大波止から描かれているんですね。鉄砲ン玉があるじゃないですか。これは長崎七不思議として「玉はあれど大砲なし」と唄われる長崎名物ですよ。今年、新しく文化財に指定されましたね。」
その鉄砲ン玉の横には大勢の市民がオランダ船の入港を見物している。なかには望遠鏡を覗き込む姿も。
大波止の鉄玉
越中先生「右側には長崎八景『笠頭夜雨』にも描かれた万福寺の様子がありますね。左側に長屋二棟と家屋三軒があるのは、長崎八景『神崎帰帆』で記述した港警備の西泊番所ですよ。この番所は対岸にあった戸町番所とともに“千人番所”といわれ重要な役割を持つ港番所だったんです。」
海と山が織りなす穏やかな風景。人々の暮らしぶり。四季折々の風物詩……。
8枚の版画に江戸時代の長崎が浮かびあがる。
江戸時代、長崎の人々の目にさぞ新鮮に映ったであこの長崎風景は、また違った意味で、私達に新鮮な長崎風景を味わわせてくれる。
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