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外観2階建、緑のペンキで塗られた手すりが特徴的なヘトル部屋。実は日本で初めてペンキが塗られたのもこの出島だったのだとか。この緑色は、住人であるオランダ人が故国オランダのチューリップの葉を思い描いて使用人に指示したとも、使用人が故国の豊かな自然を懐かしんで勝手に決めたとも様々な説があるのだとか。
1階売店では、コンプラ瓶やオランダ東インド会社のVOCマークが刻印された皿など出島にちなんだオリジナルの商品などを販売している。訪れた記念に是非どーぞ。染付VOC大皿、アサギ玉足ワイン、瑠璃盃、コンプラ醤油差し、染付VOCコーヒー椀皿、南蛮屏風、出島ミニ便箋、お香「出島」、出島型絵ハガキ5枚セット。他に川原慶賀が描いた『唐蘭館絵巻』の絵はがきなどもある。
2階に展示されているベッドがオランダ人のベッドにしては小さいことに驚くのではないだろうか? これはもしもの襲撃防止のため横向きに小さくなって寝ていたからとする説と、オランダ本国からの習慣で、寒さゆえに丸まって寝ていたからとの2つの説があるのだとか。
碑文をよくよく見ると最後にシーボルトの名前が記されているのがわかる。
現在出島史料館分館1階に保管展示されている日時計は、本来「きゃぴたんばし」の脇にあったもの。現在はその基礎石のみが残されている。
ここは女人禁止、日本人は紋付袴でしか入れなかったのだとか。館長には歴代の長崎県知事が就任していたという。
かつてオランダの記念日などに翻っていたというオランダの国旗。オランダ本国がフランスに占領されていた商館長ドゥーフの時代、オランダがネーデルランド王国として独立を勝ち取るまでの間、出島は世界でオランダの国旗が翻った唯一の場所だった。
川原慶賀が描いた出島の絵には描かれていないことから、幕末の頃インドネシアのバタビア(現在のジャカルタ)からオランダ人が持ち込み植樹されたものだと言われている。長い間、出島の歴史を見守ってきたのだ。現在ミニ出島があるエリアにこのデジマノキを挿(さ)し木した子どもがスクスクと育っている。