●出島和蘭商館跡

問合せ/出島史跡案内所TEL095-821-7200


●ヘトル部屋 <入場無料>


オランダ商館長を「カピタン」、商館長の次席を日本人は「ヘトル」と呼んでいた。しかしこの「ヘトル」という単語はポルトガル語だというから面白い! 現在は1階は史跡案内所や出島オリジナルのグッズなどを販売する売店、2階は多目的ホールとなっている。

●取材メモ1


外観2階建、緑のペンキで塗られた手すりが特徴的なヘトル部屋。実は日本で初めてペンキが塗られたのもこの出島だったのだとか。この緑色は、住人であるオランダ人が故国オランダのチューリップの葉を思い描いて使用人に指示したとも、使用人が故国の豊かな自然を懐かしんで勝手に決めたとも様々な説があるのだとか。



●取材メモ2


1階売店では、コンプラ瓶やオランダ東インド会社のVOCマークが刻印された皿など出島にちなんだオリジナルの商品などを販売している。訪れた記念に是非どーぞ。染付VOC大皿、アサギ玉足ワイン、瑠璃盃、コンプラ醤油差し、染付VOCコーヒー椀皿、南蛮屏風、出島ミニ便箋、お香「出島」、出島型絵ハガキ5枚セット。他に川原慶賀が描いた『唐蘭館絵巻』の絵はがきなどもある。





●料理部屋 <入場無料>


ヘトル部屋の奥にあるオランダ商館員の食事を作っていた部屋。料理人は日本人だったが、「オランダ正月」など特別な日には商館員も手伝い、賑やかな雰囲気の中、調理をしていた。



●西側護岸石垣 <見学自由>


築造当初はきれいな扇形だったが、船の積み荷の揚げ降ろしに便利なようにと後に継ぎ足した「荷揚場」石垣の跡。現在、3回に渡り石垣が継ぎ足された石垣を見ることができる。出島の周りは海が浅くオランダ船が近よることができなかったため、出島から少し離れた所にオランダ船を留め、貿易品を小船に積み替えこの場所まで運んだのだ。



●一番船船頭部屋 <入場無料>


ここはオランダ船の船長が貿易の期間に滞在する部屋。オランダ船は数隻同時に来航したが、一番船の船長が宿泊したのがこの建物だったとか。室内にはオランダやバタビアから持込んだ家具や船長の日用品を展示している。

●取材メモ3


2階に展示されているベッドがオランダ人のベッドにしては小さいことに驚くのではないだろうか? これはもしもの襲撃防止のため横向きに小さくなって寝ていたからとする説と、オランダ本国からの習慣で、寒さゆえに丸まって寝ていたからとの2つの説があるのだとか。





●一番蔵 <入場無料>
  二番蔵 <有料>出島史料館本館・分館と共通入場券一般300円/小中学生150円 


一番蔵は主に輸入品の砂糖を、二番蔵は主に蘇木(そぎ)を保管していた土蔵。安政6年(1859)に出島和蘭商館が廃止された後取り壊されたが、平成12年に復元された。

蘇木(そぎ):蘇芳(すおう)の木の枝。赤色の染料になる。



●出島シアター <入場無料>


慶応元年(1865)に建てられた石倉を復元した建物を利用し、大型スクリーンで出島を案内。出島が造られた時のいきさつや貿易の様子、商館員の暮らしぶりをオランダ通詞が解説する。



●表門 <見学自由>


出島側から見た表門。出島表門は出島表門橋を通じて長崎市中と出島をつなぐ唯一の出入り口で、常時番士(門番)がいて取り締まりをしていた。平成2年に復元された現在の表門は、明治期の港湾改良工事により北側が約18m河川に削り取られているため、実際の場所よりも南側にある。



●ケンペル・ツュンべリー記念碑 <見学自由>


商館医であると共に日本の研究を行い、日本文化を海外に紹介したケンペル、ツュンベリーの功績を称え、後にシーボルトが自分が管理していた薬草園に建てた記念碑。

●取材メモ4


碑文をよくよく見ると最後にシーボルトの名前が記されているのがわかる。





●ミニ出島 <見学自由>


シーボルトが薬草園を作った場所には15分の1に縮小した模型のミニ出島が展示されている。出島は年代毎に姿を変えていったが、このミニ出島は1820年代のもの。その年代ここはシーボルトが作った薬草園となっていた。現在はシーボルトが持ち帰った植物が里帰りしている。


シーボルトのお抱え絵師・川原慶賀が描いた出島には現在ある「きゃぴたんばし」が描かれていない。かつて出島の住人たちの夕涼みの場であった「きゃぴたんばし」はシーボルト来日以前にこの場所にあったものだ。

●取材メモ5


現在出島史料館分館1階に保管展示されている日時計は、本来「きゃぴたんばし」の脇にあったもの。現在はその基礎石のみが残されている。




●出島史料館本館 <有料>分館・二番蔵と共通入館券一般300円/小中学生150円


建物は、明治10年(1877)に日本で最初にキリスト教神学校として建てられた「出島神学校」を利用。「貿易」「文化」の、2つの視点で出島誕生のいきさつ、出島の変遷、貿易品や出島での生活などを紹介する。


オランダ船が運んだ植物など、実際に目で見て当時の日本人の驚きを体験することができる。



●旧内外クラブ記念館 <入場無料>


明治36年(1903)に、グラバー園内の旧リンガー住宅の住人であった、英国人リンガーによって建てられた英国式洋風建築物。外国人居留地時代、長崎に暮らす外国人と日本人の交流の場として賑わった場所で、当時バーやビリヤードなどがあり様々な催しが行われていた。

●取材メモ6


ここは女人禁止、日本人は紋付袴でしか入れなかったのだとか。館長には歴代の長崎県知事が就任していたという。




●出島史料館分館 <有料>本館・二番蔵と共通入館券一般300円/小中学生150円


安政の開国後の石造倉庫で昭和31年(1956)に古写真を元に復元された建物。遺構調査で出土した遺物を中心に出島の貴重な史料を展示している。



●出島中央広場 <見学自由>


中央にそびえ建つ出島の旗竿は、もともと二番蔵の前にあったものを復元、移築したもの。当時と同じ高さ30mあるのだとか。

●取材メモ7


かつてオランダの記念日などに翻っていたというオランダの国旗。オランダ本国がフランスに占領されていた商館長ドゥーフの時代、オランダがネーデルランド王国として独立を勝ち取るまでの間、出島は世界でオランダの国旗が翻った唯一の場所だった。




●デジマノキ <見学自由>


デジマノキとはインドやマレーシア、ジャワなど東南アジアの島々に自生するナンヨウスギ科の常緑高木で、日本では唯一出島にしかないもの。長崎県指定の天然記念物となっている。

●取材メモ8


川原慶賀が描いた出島の絵には描かれていないことから、幕末の頃インドネシアのバタビア(現在のジャカルタ)からオランダ人が持ち込み植樹されたものだと言われている。長い間、出島の歴史を見守ってきたのだ。現在ミニ出島があるエリアにこのデジマノキを挿(さ)し木した子どもがスクスクと育っている。




●南側護岸石垣 <見学自由>


平成8年に出島南側の一部について発掘調査を行った結果、江戸時代の石垣4段が出土。この石垣は出島の南側護岸にあたり、石垣の保存整備と欠損している部分の復元工事が行われた。加工していない野面石(のづらいし)で江戸時代初期の工法、布積みが施されている。