●聖福寺

電話095-823-0282 玉園3-77

●JR長崎駅からのアクセス
車 / 長崎駅前から約1分。
徒歩 / 長崎駅前から徒歩5分。


●創建

万寿山聖福寺。黄檗宗。延宝5年(1677)僧鉄心道胖(俗姓西村氏)が創立。
興福寺、福済寺、崇福寺とともに長崎四福寺という。



●文化財


聖福寺大雄宝殿
(県指定有形文化財)


天王殿
(県指定有形文化財)


山門
(県指定有形文化財)


聖福寺惜字亭
(市指定有形文化財)


聖福寺石門
(市指定有形文化財)


  黄檗三禅師次韻
 (市指定有形文化財)

 聖福寺の梵鐘
 (市指定有形文化財)



●取材メモ1 惜字亭という奥ゆかしい名の焼却炉

これは経文や寺院内の不要になった文書類を焼却するための炉なのだとか。
字を惜しむという何とも奥ゆかしい名前が印象的!
中国人信徒によって築造寄進されたもの。



●取材メモ2 長〜いしっぽの狛犬と中国的な地蔵様


惜字亭横にはお顔と同じくらいの大きな尾を持った狛犬を発見!
この狛犬をサイドに控えた中央には、いかにも中国らしい色彩と表情の地蔵が数体並ぶ地蔵堂があった。



●取材メモ3 悲話が秘められた「じゃがたらお春」の石碑


寛永年間のキリシタン禁制によって、現在のジャカルタに追放された日本人女性、お春を哀れみ、昭和27年(1952)に建てられた石碑。
「じゃがたら」とは現在のジャカルタのこと。
当時、江戸幕府は政策の一環として混血児とその日本人の母親をジャカルタに追放した。
イタリア人の父と日本人の母の間に生まれたお春は、15歳で母、姉と共にジャカルタへ追放された。




以来、お春は自分の想いを手紙に綴り、オランダ船に乗せて日本へ送ったのだという。
石碑の裏には歌が刻まれている。
「長崎の鴬は鳴く今もなほじゃがたら文のお春あはれと」



●取材メモ4 さだまさしが歌う『無縁坂』の舞台?


長崎出身のさだまさしの歌に『無縁坂』という歌がある。
♪母がまだ〜、若い頃〜、僕の手をひいて〜、この坂を上るたび僕はため息をついた〜♪
確かそんな歌だったか。実はこのうたに歌われる坂が聖福寺の大雄宝殿横の坂だという情報を入手した。
さだまさしさんの親族の墓がこの寺(周辺?)にあるらしく、彼はこの坂を通り墓参りをしていたらしいのだ。
この情報については現在も調査中デス。