電話095-822-1738 桶屋町33
慶長19年(1614)唐津の僧慶西が一寺を建立。 元和7年(1621)東本願寺から光永寺の寺号を得た。 山門は朱印地様式の遺構で、もともと桶屋町通りに面していたが、文化元年(1808)現在の東向きの一に移された。 寛文3年(1663)と寛政元年(1789)の2度、火災に遭い焼失したが、その度に再建された。
慶応義塾創立者、現在は1万円札の肖像で馴染みの福沢諭吉。 安政元年(1854)、当時19歳の諭吉はこの光永寺を頼って来崎。 蘭学学習の第一歩を踏み出したのがこの寺だった。 約1年この寺に留まっていたとか。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色……」。 『平家物語』冒頭で名前だけは広く知られる沙羅の花。 この娑羅は仏典的伝説から「無常のたとえ」とされている。 光永寺では新しくできた寂光堂の東と北のアプローチに「双樹」となるようにこの樹が配されている。 ツバキを小さくしたような真白な花は、緑濃い葉に囲まれながらもひっそりとした美しさを放っていた。
中島川端から見ても、緑豊かな光永寺はこの界隈の景観を形成する上で重要なポジション。 境内に入ると一本の大きなイチョウの木が出迎えてくれる。
言わずと知れた長崎の名産品、ビワの木を発見! ビワと呼ぶには小さいので、ヒワと呼んでいた記憶もあるが、昔はこんなふうに普通の民家でもよく見かけられた。