●伊勢宮

電話095-823-2665 伊勢町2-14


●創建

現在の伊勢町がまだ新高麗町と呼ばれていた頃、伊勢内宮天照皇太神宮を奉祀した小さな社があったが、キリシタンにより破壊。
その後、キリシタンに対する禁教令が強化され、仏教・神道の復活の体制づくりがとられた。
寛永5年(1628)新高麗町民が伊勢宮再興を祈願し奉行所に願い出て唐津出身の天台宗修験南岳院存祐(なんがくいんそんゆう)を神主に推挙。
存祐は伊勢に赴むき外宮長官の桧垣常晨から許状をもらって長崎に帰り、寛永16年(1639)創建された。
その際町名も新高麗町から伊勢町と改称された。
右奥には楠稲荷神社などの末社がある。 



●取材メモ1 クスノキはお乳の神様?


楠稲荷神社の鳥居横に、それはそれは大きなクスノキがある。
昔、子供を産んで乳がでない母親が、洞穴のようになっているこのクスノキの幹の部分に、米のとぎ汁を一升かけお祈りすると乳が出るようになったといい、乳がでない母親の参拝が増えたのだとか。
この幹は江戸時代頃の火災で焼けたものらしいが、クスノキは現在もスクスクと育ち、存在感を放っている。



●取材メモ2 お宮で見かける「大一」とは?


お宮のあちらこちらで見かけるこの「大一」の文字。
どんな意味があるのだろう?と尋ねてみると、これはお宮の紋章なのだとか。
道教の影響を強く受けたものらしい。
「大一」と刻まれた灯籠の底には寄贈主の名前が記されていた。「丸山町 花月」。
かなり古いものなので、現在の花月の方も知らないかも……と禰宜(ねぎ/宮司さんの補佐役)の島さん。



●取材メモ3 金屋町から奉納された御神体


普通、神社の御神体というのは鏡らしいが、伊勢宮のご神体は金屋町から奉納されたというこちら。
金色の輝きが年代を物語るが、存在感あるぅ。




●取材メモ4 江戸末期に奉納された三十六歌仙絵


平清盛などが詠んだ36人の歌と肖像絵が描かれた「三十六歌仙絵」が本堂に飾られている。
自由に見ることができるので、靴を脱ぎお賽銭箱のある一段上に上がってじっくり見てみよう!