現在の伊勢町がまだ新高麗町と呼ばれていた頃、伊勢内宮天照皇太神宮を奉祀した小さな社があったが、キリシタンにより破壊。
その後、キリシタンに対する禁教令が強化され、仏教・神道の復活の体制づくりがとられた。
寛永5年(1628)新高麗町民が伊勢宮再興を祈願し奉行所に願い出て唐津出身の天台宗修験南岳院存祐(なんがくいんそんゆう)を神主に推挙。
存祐は伊勢に赴むき外宮長官の桧垣常晨から許状をもらって長崎に帰り、寛永16年(1639)創建された。
その際町名も新高麗町から伊勢町と改称された。
右奥には楠稲荷神社などの末社がある。
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