キリシタン全盛の頃の慶長12年(1607)、唐津出身(佐賀)の威福院高順が長崎に訪れ、数々の妨害に直面しながらも新高麗町のヤブの中に小さな祠を建て、天満宮をまつっていたが、元和8年(1622)長崎奉行・長谷川権六郎が神社の由来を聞き、桜馬場郷の現在地に敷地を寄進し、社殿の造営を助成。
その後、明治元年、神仏混淆(しんぶつこんこう)禁止令により従来の威福寺から天満神社と改称、明治7年(1874)村社となった。
菅原道真公が祭神。昔は長崎といえばこの辺りまでだったので、江戸時代、オランダ人や唐人等が将軍に会うため長崎を発って江戸に上る時にはここで勢揃いして見送り人と別れの盃を汲み交わし、旅の安全を祈る祈祷寺としても親しまれていたという。
神社建立以来約390年の歴史が刻まれている。
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