●カトリック 中町教会(カトリック)
電話095-823-2484 中町1-13
●JR長崎駅からのアクセス
 徒歩/長崎駅前から徒歩6分。
 車/長崎駅前から約2分。

●創建

創立者の島内要助神父は、殉教の歴史を持つこの地に日本人のための教会を建てようと志し、明治22年の暮、大村藩蔵屋敷跡の現在地に教会建設の仕事に取りかかる。
設計はフランスのパピーノ神父。
明治24年8月より建設に着手し明治30年(1897)9月8日、聖母マリア誕生の祝日に献堂式が挙行された。
昭和20年(1945)8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失したが、昭和26年10月16日、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建された。
貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けた、聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会。




●ミサ
毎日  午前6:30

●神父さん

下川英利さん

●取材メモ1 ミラノ・グラッシ氏作の美しいステンドグラス

思わず目を奪われてしまう聖堂内の扉に配された10枚の美しいステンドグラス。
きめ細やかな色彩に深く刻まれた影、そこへ外から差し込む陽の光が加わり、見事な芸術が浮かび上がっている。
主の誕生、聖家族、主の洗礼、最後の晩餐、主の十字架、主の復活、主の昇天、聖母の出現、ファチマの聖母、聖母の戴冠までを表現したこのステンドグラスは1982年にミラノ・グラッシ氏に製作されたもの。
また、再建の際作られた「十字架の道行」を現したレリーフも聖堂内の壁に飾られ、ステンドグラスの色と共に祈りの空間を作り出している。


●取材メモ2 西坂の丘で殉教していった16人の碑

26聖人はよく知られているが、中町公園にある16聖人の碑はあまり知られていない。
聖トマス西と15人の殉教者はドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害が厳しかった1633〜1637年に長崎西坂の丘で殉教した人々。
その中には、日本の教会が打続く迫害で壊滅状態にあることをマニラで知り、殉教を覚悟で教会再建のために日本潜入し活動をしていた司祭もいるのだとか。
処刑は「火あぶり」「水責め」「穴吊り」などとてもむごいものだったらしい。
この記念碑は1988年8月に建立され、毎年9月第4日曜日には殉教者たちのための記念ミサが捧げられている。