創立者の島内要助神父は、殉教の歴史を持つこの地に日本人のための教会を建てようと志し、明治22年の暮、大村藩蔵屋敷跡の現在地に教会建設の仕事に取りかかる。
設計はフランスのパピーノ神父。
明治24年8月より建設に着手し明治30年(1897)9月8日、聖母マリア誕生の祝日に献堂式が挙行された。
昭和20年(1945)8月9日の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失したが、昭和26年10月16日、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建された。
貴重な被爆遺構として長崎市の指定を受けた、聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会。
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