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令和5年度第3回 長崎原爆資料館運営審議会小委員会

更新日:2024年4月12日 ページID:041960

長崎市の附属機関(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和5年度第3回 長崎原爆資料館運営協議会小委員会

日時

令和5年9月19日(火曜日) 15時30分~

場所

長崎原爆資料館2階 会議室

議題

1 協議事項
(1)若い世代に自分事として捉えてもらうための展示、未来志向の展示
(2) 第1回、第2回の振り返り

審議結果

(1) 若い世代に自分事として捉えてもらうための展示、未来志向の展示

〈担当委員より説明〉

【委員】
私は、普段は長崎大学の核兵器廃絶研究センターで核軍縮の問題を研究していまして、教育学の専門というわけではないですが、最近は軍縮教育、平和教育といったテーマに関わる研究をしています。
さて「未来志向の展示」という言葉は、以前の審議会の中でも少し質問したことがありますが、やはり前向きな将来に向けて、とりわけ若い人、子どもたち、修学旅行生、若い方々が訪問するということも念頭に未来志向の展示をするということで、恐らく誰しもがこれは重要だと頷く点であると思います。
ただそれは、具体的に何を持って未来志向とするのか、どういうことをしていけば未来志向の展示というものになるのかというところが、なかなかこれを突き詰めて考えると非常に難しいテーマでもあると思います。
これは他の平和教育、軍縮教育も実は同じ構造があり、つまり、誰しもが印象として重要、必要だと思う、しかし突き詰めていくと、ではどうするのかというところでなかなかこれまで深く考えられてこなかったテーマであると思います。
私の方からは、未来志向の展示に求められる要素をとりあえず4つ挙げました。もちろんこれだけではありませんので、まずは入口という視点としています。
まず一つ目は、「『自分事』として捉える」という言葉を書きました。自分事として、これもまた非常に平和教育などでよく使われる言い回し、という感じですね。
自分事として捉える、というとどういうことであるのか、をもう少し深く掘り下げていくと、例えば私は大学の授業の中で核問題を扱う授業をいくつか行っています。その中で「被爆体験の継承」を授業のテーマにすることもあります。そのときに、学生たちに授業の最初の学習を始める際のポイントとして、「被爆の継承は必要だと思いますか」と問います。すると学生たちは100人いればほぼ100人全員が、必要だと頷くわけです。
次に「では、なぜ必要だと思いますか」と問います。そうすると、結構学生たちの反応が、ちょっとびっくりしたというか、そういうことを聞くのか、と意表を突かれた感じになります。
つまり、長崎で生まれ育って小学校中学校と過ごすと、当然のように平和学習というものがあって当たり前に知るべきことであって学ぶわけですが、言ってみれば「なぜ学ぶ必要があるのか」、もう少し「それが自分にどうつながる話なのか」を考えないまま、そういった学習を行っていることが多いのではないかと思います。
つまり受身ですね。基本的に学ぶ側というのは受け身であって、そして、「なぜそれを学ぶのか」という問題意識とかモチベーションというものが、比較的そこを開拓しないまま学ぶ、その結果どうなっているかというと、自分につながるというところがないまま、やはり遠い話であったり歴史の1ページであったりして、「自分とは関係ない、学ばされている、嫌でも話を聞かなければいけなかった」という感覚につながっていくと。
そうした意味で、学生たちから掘り起こして話をして対話をしていく中で私の授業で目指しているところは、「原爆の実相を知る」ということは、要は「今の世界を正しく理解し、かつ自分たちの未来を描く上で、つまり今を生きる私達にとって必要な知識であり、そして必要な感性を養うものだ」。そういった感覚をきちんと養うことで、知識というのは言ってみれば後からついてきます。
でもこうした問題に向き合う姿勢、まさにこれが自分事というところに直結するわけですが、なぜこれが必要かというのは、やはりそこはかなり丹念にプロセスをたどっていかないとなかなか身についていきません。しかしそこが抜けてしまうと、知識として頭に入っても、やはりそれが他人事で遠い話で結局自分には何もできない、といった無力感にもつながるということになります。
そうした知識、具体的にはなぜ今の世界につながっているか、これも言わずもがなですが、私達は今、核兵器のある世界に住んでいるわけでありますし、実際に例えば一つのニュースを見る、そしてそれが一体何を意味するのかというのを理解する上でも、原爆の歴史の一つの物差し、心の中にある物差しみたいなものだというふうに私は思っています。
例えば、アメリカがトランプ政権の時代に新型SLBMを配備したというニュースがありまして、その爆発威力は7キロトンと新聞記事で出ました。7キロトンというのは、少し知識がある人であれば、これは広島原爆の約半分だなというところまではわかるかもしれない、あるいは新聞記事にそう書いてあると。これを例えば、今の若い人やあるいは若い人に限らずですが、原爆のことに普段馴染みのない、知識がないあるいは世界中のいろいろなバックグラウンドの人がこの記事を読むと、広島原爆の約半分の威力の核兵器が使われたらどうなるかということに、やはり想像がなかなか及ばないわけですね。
しかし、広島長崎の原爆が、たった一発で一体どれだけの被害を、そしてそれがどれほど長く続くものか、そしてどれほどそれが大きく1人の人の、そしてあらゆるものの人生を狂わせてしまうかといった、その重みみたいなものをしっかり感じ取り、そしてそこから、数字そしてデータや新聞記事を見て、そこからきちんと人間の顔を思い浮かべる、そして苦しみや悲しみを想像できると、そういった力を養っていくというところにつながっていくわけです。これが自分事です。
どうしたらそうした認識を養えるかということで、やり方はいくらでもあるのですが一つ例をあげると、レクナで行っている、こちらの隣にあります国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の委託を受けて行っているプロジェクトが、被爆前の長崎に残っている日常の写真のスナップを集めて、それを題材に教材や様々なものを作っていって提示すると、そういったことをしています。これは報道されているのでご存知の方も多いと思いますが、何千枚という、被爆で焼け残った写真が残っています。
今日ネットの調子が良ければ少し動画のさわりをと思っていたのですが、レクナのウェブサイトの方に、この被爆前の写真はアーカイブというタイトルでありますので、後日ご覧いただきたいと思います。
そこでキーワードというのは「共感力」なんですね。共感、つまり一言で言えば、何が原爆によって失われたのか。その失われたものというのは、本当に今を生きる私達と全く同じ日常です。今日写真をお見せできないのは残念なのですが、写っている写真に、例えば子どもたちの写真もたくさんあります、日常を過ごしていて、兄弟やペットの犬、あるいはお父さんとお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと遊んでいたり、ご飯を食べていたり、友達と勉強していたり、という日常のスナップが多数あります。
今の原爆資料館の入口にも、確か集合写真の形で被爆前のスナップがいくつかは出ていると思いますが、やはりここはもっと手厚くして、一体この原爆というものが失わせたものが、いかに私達と同じ、例えば好きな人がいて好きな食べ物があって将来なりたいものがあってみたいなですね、今を生きている私達と共通項を見出せるような、そうした人々の日常が奪われたのだというところをきちんと押さえておくと、多分その後の被害というところが、例えば亡くなった方の人数というのは、単なる7万5千人ではなく、1人1人の名前があって人々の暮らしが、人々に好きなものがあって、というところを想像する力が養われることにつながっていきます。
先日福島に行ってきまして、福島では、ご存知のように津波で失われたところに様々なアーカイブ、ミュージアムもできています。そのミュージアムの一つで、請戸(うけど)小学校という震災遺構があるのですが、1階が全て洪水で流されてしまって2階にミュージアムがある、1階部分はがらんどうになって崩れた教室の様々なものがあり、2階の一つの展示に、津波で流される前の町のジオラマがあります。そこに住んでいた人たちが町の写真や思い出を話しながらジオラマを作っていったということで、よくある話かもしれないのですが、私が非常に感銘を受けたのは、そこの一つひとつにメッセージが書いてあるのです。
例えば、この角では誰々さんの店があってここではよく何を買っていたとか、ここの空き地ではこういったことがあったと、もちろん工夫の仕様でいくらでもそういったものはすでにありますし新しいものでもない、デジタルを使ったものがあるかもしれないのですが、ポイントとしては、78年前の原爆が失わせてしまったものというのは全く違う歴史の1ページ、私達の知らない過去ではなくて、今の私達にも直結する、そしてこれから未来に起こりうるというところを、今を生きる私達に想像させるということであると思います。
復興した姿を見せることが重要だという議論はここでもあります。私も全くそのとおりだと思いますが、しかし福島の旅を通じて一つ強く感じたことは、かなり個人的なことですが、復興と共に、「二度と帰ってこないものもある」ということはやはり強調されるべきであると思います。
特に海外の方にとって、長崎の復興はこれだけ立派な美しい街ができたので素晴らしいといったストーリーになるということは、よく聞く話です。でも、二度と、二度と帰ってこない、そうした人の命、一人一人の名前があって、その人の命、そして失われてしまった生活に、きちんと光を当てるということが必要ではないでしょうか。
さらに自分事に関しての細かいことで言えば、今回、原爆資料館の中を学生たちの主体で回って、「もし自分たちがコンサルタントとして展示を改善するならば」というプロジェクトを行ってきたのですが、その中で学生たちの声で非常に大きかったのは、やはり想像しようにも世代間や地域間のギャップというものがものすごく大きいです。多分ここにいる私達の世代では想像できないくらい、特に同じ日本語を話す、日本文化を知っている学生でも、ほぼ異文化コミュニケーションに近いです。
例えば、瓦の表面のブツブツしている展示があると思います。瓦の実物を見たことが無い学生も大勢います。そうすると、一体これがどこから出てきて、海外からの留学生は当然ですが、日常生活のどのような部分にあったのかわからないと、それが出てきたところで、燃えたんだ、で終わってしまう。
しかし、そうした生活と密着できるような写真が1枚あるだけでも、そしてさらに言えば、例えばARや拡張現実などを使って、実際に燃えている形の光とか映像とか、さらにそれを触れるとかいろんな工夫ができるのですが、いずれにしても大事なことは、私達の生活に結び付けて考えられるイメージできるようなものにするということです。ですから、「知らない」ということをもっと前提にした方がいいと、共通言語はほぼないということを、外国の人たちだけでなくて、日本の若い世代の人たちに対しても、もっともっと「知らない」ということを前提にしてほしい。
また、長崎の地名などは、場所も含めてやはりどうしてもローカルの人には距離感覚や地理感覚があるのでそういった目で見ることができますが、外からの人には正直わかりにくい、という声がたくさんありました。そうした長崎のローカルではない人がきちんと距離感などをイメージすることが必要かと思います。
「自分事」の最後に、やはり「問い」で終わってほしいと思います。この資料館を出て行くときにどのような気持ちになるのかということです。やはり核問題というのは現在進行中の問題であるということを最後に認識しながら、人は資料館を出ていくと思います。そのときにものすごくその問題が複雑でお手上げだという感じも同時にしてしまいます、自分たちには何もできないと。
様々な工夫はありますが一番大事なことは、あなたはどうしたいのか、どうするのか、これはあなたの問題だ、私達一人ひとりが考えるべき問題だということを、オープンクエスチョンのように問いかけて、多くの人が宿題として持って帰りながら帰っていくという、そうした構造にしていくことが必要だということです。
2番目3番目からちょっと簡単にいきますが、2番で「双方向発信の強化」をあげました。原爆資料館を訪問した学生たちは皆口を揃えて言いますが、やはりいろいろなことを考えると、知れば知るほどモヤモヤするわけですね。つまり、簡単な解決は見出せないし、被害はわかってすごく辛い苦しい、また起こるかもしれない、さあどうしようという時に、やはり考えたことを共有したい、発信したいと、そのようなこともあるわけです。
実際資料館には、各国の要人などが訪問した際のメッセージを残す「芳名録」はあると思いますが、一般の訪問者が自分の思いを残せる工夫をもっとした方がいいと思います。よくあるメッセージ帳みたいなものだけではなくて、福島の富岡町のミュージアム(とみおかアーカイブ・ミュージアム)にあったのですが、訪問して写真を撮りたい人は自分たちの写真を撮ったりメッセージを残していったり、またそれを家に帰ってからも二次元コードでできたりするのです。つまり、考えてしばらくして、もっとたくさん書きたいという人は書けますし、それを外からホームページで見ることもできるということです。
行った人だけではなく、そうした共有ということもありますし、またその誰かが書いたメッセージや問いに対して別の人が答えるといったある種のコミュニケーションツール的な伝え方もできます。そうすると、また再度訪問しようとか、今ある質問に対する答えをくれたかな、みたいなことができるのではないかと思います。
双方向発信のもう一つのポイントとして、「資料館についてもっと知りたい」と思っています。つまり、資料館自体をどのような思いで作って、展示をしているのか、よくある例としてはバックヤードツアーというのもありますが、資料のごく一部しか原爆資料館に展示していません。つまり、多くの資料が眠っているのと同時に、多くの資料の中でなぜこれを出して、どのような思いでこれを展示しているのかといった裏方の、運営側の思いみたいなものを様々な人と共有していく、あるいはボランティアの人が、どのような思いでそこで活動しているのか、関わっている人たちの声をもっと表に出していく、ということも良いと思います。それも双方向と思っています。
学生からの無理難題の提案の中に、資料館に来るときに、ボランティアや被爆者の人と少しでもいいから会話がしたい、という声がとても多いです。まだまだ難しいと思います、案内の方も一応おられますが、一方的に何か見せられているのではなくて、質問をしたり、問いかけたり、あるいは少し話をしてみたい、少し人と触れ合いたいみたいな、そういった要求も大きいわけです。そうした、なにかアクセシブルな「出会える」資料館、みたいなものは双方向の一環として考えられないかということを申し上げます。
3点目が「『次の学び』につなげる」です。情報量は非常に多いです。1回では消化しきれない、今の展示もそのような意味でとても勉強になります。しかし一方で、自分事とするためには、感性に訴えかけるような展示というのも大事なわけです。
そのように考えると、頭を使って学ぶことや考えること、情報を受け取ること、そういったものの中でどんどん詰め込むと、これは実際に学生から非常に多く出た意見なのですが、資料の文字が小さく見辛い、言葉が難しい、情報量が多くしかも混んでいる際には短い時間しか滞在できないがとても消化できない、といった声は多いです。
一方で、もっと知りたいという声もあるわけです。この点についてもっと勉強して、詳しく知りたい、学びたいというニーズもある。学校現場に持ち帰りもっと学ぶという、帰ってからの学習につながること、つなげることを意識して、とりわけ今、小学校も中学校も双方向オンライン学習法が進んでいますので、学習をもっともっとつなげるような、例えば、展示に更に二次元コードなどを使って、より知りたい人はこういったところから更に発展できるという形を考えれば、ここで実際に展示されている情報量を、本当に伝えたいことにどんどん絞っていけると思います。
そしてもう一つ、これもよく出てくる話かもしれませんが、地域の関連施設や関連性という形で次につなげていく、特に被爆遺構なども含めて誘導する工夫というのは必要だと思いますし、マップも出されていると思いますが、まだまだ利用し辛いと。スタンプラリーとかがいいのかわかりませんが。
「『次の学び』につなげる」の最後の点としては、やはり「学びを行動に」ということです。これまでの会議の意見の中でも、例えば現在活動しているボランティアグループなどを紹介するということも出てきていると思います。例えば平和首長会議から始まって、活動している人の様々な情報が、既にある程度展示してもいます。
もう少し、帰ってからも、連絡して何かやってみたいというときに、例えば私の記憶ではですね、隣の追悼祈念館にいろんな組織のカードが置いてあって、興味のある団体の情報カードを持っていけるという仕組みがあったと思います。
今でしたら二次元コードとかでもできるでしょうが、あのように物理的に、興味がある団体の紹介がこれくらいのハガキ半分ぐらいのカードになっていて、それをどんどん集めてそれについて学んでいったり、後から連絡したり、実際のボランティア活動につなげていく、みたいなこともできるかなと思っています。
最後に4つ目の点です。「人と情報が集まる『ハブ』となる資料館へ」と書きました。これは何かというと、「2回行きたいですか」という問いですね。つまり長崎で生まれ育った方はご存知だと思いますが、大体市内の小学生は、5年生のときに1回学校で行くということがありました。しかし、私は課題を出していた長崎育ちの大学生と話すと、ほぼ全員その小学5年生以来、足を運んでいません。つまり原爆資料館について、一度学べば後はわかったというような、あるいはもう1回行きたいと正直思わせていないという現状があると思います。
これは単にリピーターを増やそうという意味だけではなくて、つまりここに行くと新しい情報がある、新しい学びがある、新しい出会いがあるというイメージが、今残念ながら全く持たれていないですね。もちろん新規で多方面から来られる方で十分訪問者は多いと思いますが、私は、この長崎において、何度も繰り返しここを活用して平和をつくる、そのクリエイターたちにとっては、原爆資料館というすごく重要で、役に立ってここで新しいものが生まれるんだという、そのような場所になってこそが、未来志向のこの資料館の姿ではないかなと思います。
もちろん扱っているテーマはものすごく難しいです。原爆資料館でも行きたいと、長崎の若い人たちが思うようになれば、本当の意味での未来志向の資料館になると、展示やイベントにおいて、とりわけ今SDGsに関連してとか、ジェンダーや環境の問題もそうですが、新しい動きがどんどん起きています。
大きな課題としては、もちろん海外向けの発信とか、英語の表示のそもそもの少なさやウェブサイトがまだまだ発展途上であるとか、せっかくガイドさんや各種サービスがあるが十分調べなければ分からないとか、細かい課題はあります。でも今私が申し上げた、より大きなこととして、原爆資料館がまさに若い人に限らず多くの人たちに、訪れたい、訪れようと思う人たちを1人でも増やし、かつ自分事と本当に思わせる、そうした魅力を持った資料館にしていく、そしてそれは十分できることだと思っています。

・事務局より展示の現況について説明 

〈協議内容〉

【委員】
例示をあげていただいて、どれも私は問題ないと思います。委員からお話いただいた点は必要だし素晴らしいと思います。追加というか、追加ではないかもしれませんが、若者が関心を持っている事項とどう結び付けるのかというのは、私は高校で講義する時に、どうしても核問題は抽象的な問題として捉えられて、さきほど委員のお話もありましたが、だからこその被爆前の写真とか、共感を持たせて非常に必要だと思いますが、それでもどうしてもやっぱり自分と関係ないという感じがしています。ではどんなことに興味があるか聞くと、環境とか気候変動とか貧困問題とかそういったことにはすごく関心があると。
環境問題と核問題というのはつながっていることを示すという、そうすることによって若者は、自分たちが関心を持っていることが核問題と直結していると思うのではないか。例えば核戦争、核使用が起きれば、自分たちが解決しようとしていることも解決することすらできなくなると、全ての前提だということですね。
最近アメリカの大学の先生が、気候変動モデルを使って、例えば核兵器が100個使われた場合のシミュレーションというのを行い、どれだけ気候への影響が、グローバル・クーリングがおきて、食糧生産の大幅な低下につながって飢餓人口が増加して、とそういった研究をしています。
核戦争が起きるような切迫感があまりないというところで、どうしても切迫感というのは気候変動がと感じてしまうところですが、実は終末時計は、冷戦期の一番状況が悪い時よりも、今は更に残り90秒となっている。テロとか気候変動とかも全て含めて90秒となっているのですが、分かりやすい展示として、切迫感も大切という意味で、重要なのかなと。他の切迫感のある自分たちの関心事とつなげる、そういった意味があるかと思います。 

【委員】
7ページに書かれている例示というのは確かにそのとおりで、見た人たちが過去の歴史として自分は関係ない、となってもらっては困る展示が原爆展示かと思います。
かつ、今ヨーロッパの戦争、ウクライナで使われるのではないかという切迫感はあると思うので、今再度学生に直接尋ねてみれば、核兵器の問題というのはもっと関心をもってもらえているのではないかな、という気がするのが一つです。
それから先日、テレビ大分制作のNNN放送で、アメリカ人の学生が、当時長崎で海兵隊に数か月駐屯していた祖父が撮っていた写真を調べ、(公財)長崎平和推進協会の方たちが協力をして、21枚中18枚まで撮影場所を特定したというドキュメンタリーをやっていて、すごく感動しました。
その中で、瓦礫の写真があり、なぜこれをお祖父さんは撮っていたのだろうという話になって、そこから彼は考えて、お祖父さんはたまたま少しだけ日本に駐屯したアメリカの海兵隊員だったが、元の日常の姿というところの瓦礫というのもあって写したということ、それと親子3人が縁側で日向ぼっこしている写真、これは場所を特定できなかった一つなのですが、今の瓦礫の写真と比べてやはり日常の落差をもたらした核兵器というものをお祖父さんは考えたのではないか、と想像していました。
彼は、大分県内で相当数の講演活動をしたみたいですが、その後沖縄に行くという、なかなかすごいドキュメンタリーだったと思います。さきほど委員の報告の中で、「日常のスナップを集める意味というのが大きい」と言われたのは、最近私もいろいろ長崎のことを調べていてわかったのですが1980年代に長崎市も絡んで行った街並みの復元では90%ぐらい復元されたというお話がありますけども、それから瓦礫の写真と誰かの写真とを比較させて想像させるということもできるでしょう。
私達は全て言葉で説明しきるということよりも、ここにあるものからどう想像できるかという、さきほどの瓦の話もそうなのですが、現実の瓦を知らなければ被爆した瓦の意味がわからない、ということは確かにそうで、そこに何らかの手助けの解説は必要かもわかりませんが、そのような想像を助けるような展示というのはすごく大事だと思います。
沖縄のひめゆりの資料館がリニューアルしたので、私は科研で共同調査に行って、館長さんや学芸員さんから話を聞きました。資料館を入ったすぐのところで一つ展示しているのは、ひめゆりとは第一高等女学校と女子高等師範学校の合同の同窓会ですが、その師範学校の人たちは1944年時に教育実習に行っているのですよね。その中で、十・十空襲で那覇は丸焼けになるという事態になりますが、そのような日常生活の展示が最初にあって、その後、沖縄戦となると、やはり見ている私達はその落差というものにも驚くというか、そこで一つ考えさせられることはあるわけで、そのような意味で様々なことは長崎でも実際に既に実現されているし、そういうものを大切にしながら展示を作っていくということは、十分できると思います。 

【委員】
さきほど委員のお話を聞いて、やはり自分事化ということの難しさ、あるいは大切さというのが、私はポイントなのかなと思います。言うは易し行うは難し、ということですが、資料館として、やはり自分事化といったものを出すための方策としては、例えば今、「オッペンハイマー」という映画が、日本では上映されておらず僕は見ていないのですが、これだけ世界を賑わせているというのは何か、ということなのですが、例えばそういった映画を観ると、若者たちは原爆というものを考えると思います。
もう一つ、例えば、第二次世界大戦中にゼロ戦に乗って敵艦隊に突っ込んだ若者たちの手記なんかを読むと、やはり自分事のように思います。お父さんお母さんがいて、戦争がある、そんな中で自分は突っ込んでいかないといけない、と書くと、非常にインプレッションで、アトラクティブな自分のモチベーションになってくる、決してこんなことが起こってはいけないという思いを新たにすると思います。
そして、我々が原爆の研究をしている中で、うちの大学がいかに特殊な大学かということですね。ここから5分もかからないところに医学部があるわけですが、以前もあったのですよね。それがどういう形になったか、その当時と被爆後というのはすごく僕にとってはショッキングでした。病院はコンクリートで、建物は残っていたのですが、木造の基礎というのは全て壊滅ですね。898人の関連の先生方、あるいは職員、患者さんが亡くなりましたが、そんな中でやはり若者として学んでいた人たち、学生たち、本当にすごく思いを残して亡くなっただろうと思います。それは学生という身分として医学部で勉強している若者たちと共有できれば、すごく印象、影響を与えると思うし、それが可能だと思います。被爆前と後といったものを、いかにその中で復興に努力をしていたかということも伝えられると思います。
例えばうちの大学はもう壊滅してしまって、とてもいい大学だったのですが、古い大学は1857年に創立して、そこから広がってきた我々の医学部が、もうなくなる、廃校に向かうところだったのです。そこで先人たちが努力をして復興をさせていったというところですね。1857年からの歴史といったものが、今度は原爆によって、新しい、原爆について考える大学になっているわけです。朝長先生の前の世代が第一世代だと思いますが、その先生方が、研究しないといけないといったモチベーションを持って奉職された、例えばそういったことは、若者たちはすごく感じてくれるのではないかと思います。
昔の医学部の学生さんたちが、僕らの大先輩ですが、亡くなる直前に詠んだ短歌、これはすごく悲しくてすごく心に刺さるようなものが多いです。そういったものも残し続けるということですね。昔の学生さんたちは今と比べてすごく大人で、すごく考えていて、短歌という形でまとめる、そういった能力に長けていました。そんな形で、辞世の句ではないですが、そういった若者たちが亡くなっていったという状況で、戦争の悲惨さが伝えられるような展示、それも一つの案ではないかなと思っています。
また、さきほど福島のお話をされましたが、私も福島の伝承館には2回くらい行っています。伝承館は、この原爆資料館の建付けを真似というか、それを基本にしていて、長崎大学の高村先生が館長ですので、時間軸で坂を螺旋上に登っていけば、津波前から津波後といった、津波前もなぜ原子力の街になったかといったところから始まりますし、その前にあるのが、大きなスクリーンでもって、いかに自分事のように伝えられるかといったものを出しているのです。津波が来るようなところ、その中で亡くなった人たちがいて、と短時間で見せようとしていて、心が掴まれるようなところがあります。
同じようなことも、最初の導入部分で、映画にまとめたりして流すっていうのは、非常にインプレッシブ(印象的)だと思います。そういったことができるのではないかなと思っていて、ぜひそんな形で、若者の心を掴むような、現実と復興とその前のこと、という時間軸を持って示してもらえれば、と思っています。時間軸が大事だと思います。 

【委員】
7ページに示されている目指す姿と、それから現状、あと課題の整理、そういうところは、この通りの設定でいいのではないかと思います。
それから、委員が非常に丁寧に細かく言われた点は全て、その通りだなと思って伺いました。ただ、子どもたちはちょっと年齢幅が大きいですね。小1から小3、それからもう少し高学年生から中高生、大学生と、この年齢層をやっぱり対象にしていろんなことを考えておく必要があるのではないかなと。30歳以上の大人に関して言えば、大学生を対象とした考え方が一般化できるのではないかと思いますので、我々が重点を置くべきはそこじゃないかなと思います。
それで、少し想像するに、例えば小学校1年生は、今度原爆資料館に行くよと言われたときにどういうことを目的で来ているのか、それまでに受けた教育、原爆とか戦争とか、戦後の復興とか、少しでも習っているか、それとも全然触れられたこともないか、とで大分違うのではないかなと思います。
これも原爆資料館に1回来た高校生に、遠隔教育で、奈良の高校に、本当の医学部的なところを教えてほしいというので、かなり熱心に深く勉強されていて、先生や子どもたちは原爆のことを非常に理解していました。ですから、1回そういうのに触れると全然違います、次の段階でステップアップできるのですね。
そういう意味で、最初に来られる修学旅行とかいろんな機会に来られる人たちの平均的な原爆に関する知識とか、そういうものはもう少し調査して、我々も十分知った上で準備していく必要があるかなと思っています。
それから、自分事として捉えるというのは、なかなか言うは易く行うは難し、ですね。というのは、北海道の東の小清水町という赤十字会があるので1回呼ばれてそこに講演に行ってきた時に感じたのですが、原爆を自分事として感じてくださいと言っても、「いやあ、一体この辺が核兵器で攻撃されることがありますかね」といった町民の反応があったりするわけですよね。確かにそういうことからいうと、自分がどこに住んでいるか、とか自分がどのような職業についているか、とか多様性があって、これは自分事として捉えてもらえれば一番いいのだけれども、大変な苦労だなと思います。だから、いろんなことを設定してやっていく必要があるので、ここは試行錯誤になるのではないかと思います。
それから、1回原爆資料館訪れると、2回目に来たくなるかどうかということと同時に、理解した場合は全然理解も違ってくる、というところもあると思うのですよね。そういう、回を重ねていくと、例えば3年ぐらい経ってからまた行くとか、そういうときにまた次の資料が加わっているとすれば、重ねていく教育の重要な部分というのが、少し求められるのではないかなと思います。
ここで決めたらこれでばっちり10年ぐらいはいけるっていうものはないのではないかと、今のこのウクライナ、ロシアの戦争を観ていますと、今の世代は相当、変転極まりない時代に成人しているわけですから、我々はそれを十分考えながら展示をして彼らの求めに答えていかないといけないのではないかと思います。

【委員】
私の方から、2、3件コメントさせてもらえればと思います。今回の議論の対象となる目指す姿ですが、もう既に委員の先生方がご発言されていますが、遠い昔の出来事ではないということと、今の自分にもという二つが目指すべき姿として書いていますが、もしもこれを考えたときに、若い世代の1人である子どもに、「なぜ遠い昔の出来事ではないのか」、そして「なぜ今の自分にも起こり得るのか」と聞かれた時、大きな問題として出てくるかなという気がしました。
どういうことかといいますと、元々、原爆資料館の設置目的として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するということが掲げられているわけですが、この前身となる長崎国際文化会館が開館した1955年には、核保有国が3か国しかありませんでした。ところが、現在は、核実験に成功した国だけでも8か国、さらにはアメリカが核兵器5900、中国が350、おそらく2030年まで中国は1000発を超えるだろうという状況です。
つまり、核廃絶を目標に、被爆の悲惨な実相を世界に訴えてきましたが、このような願いがなぜ伝わらないのか。本来であれば、原爆投下というものが遠い昔の出来事でなければいけなかったと思うのです。それが遠い昔の出来事になってないということの難しさをどう考えたらいいか、例えばそれを子どもたちが考えたときに、我々大人がどう答えるのか、というのは、重たい問題としてあるのだろうと思います。これが一点。
今の自分にも起こり得るということですが、これも抽象的な言葉としてもちろん大変重みのある言葉ですが、例えば子どもから、「じゃあ日本で原爆投下が起こりうるとしたら、誰が日本を攻撃するの」ということを、漠然と子どもから聞かれたときに大人が答えられるのか、ということもこれ大きな問題として存在しているだろうと思います。
実は戦争が遠い昔の出来事であるように見えますが、これはあくまでも太平洋戦争、第二次世界大戦のことであって、冷戦が終わってからも湾岸戦争から始まってユーゴスラヴィアのコソボ、アフガニスタン、イラク、ウクライナと続くわけですね。しかも今の若い人たちは、それを映像で見ている。ですので、戦争というものが遠くなった世代ではなくて、実は我々の子どもの頃よりもはるかに、戦争に映像で日々接するという意味で近い世代かもしれません。そういった意味で、実は戦争というものが身近まで迫ってきている。それは当然ながら様々なメディアがリアルに戦争を伝えているということだと思います。
一方で私が申し上げたいのは、核保有という点で核保有国あるいは核保有数は増えていますが、以前何度かこちらでもご指摘したとおり、1945年の8月以降、核兵器は長崎以降一度も戦争では使われていないのです。
そういった意味では、核兵器の原爆の被害というものは、実は戦争では起きていない。しかしこれも起きるかもしれないわけですね。なぜあの戦争が遠くなっていないのか、なぜ遠い昔の出来事ではないのか、あるいは、なぜ今の自分にも原爆投下というのは起こりうるのか、ということを、恐らくこの単純かもしれない真摯な問いに対して、現時点で答えを出す必要があると私は思っていませんが、これは大変論争の起きるテーマですので、その問いに対して一人ひとりの訪問者が、子どもたちが、考えてもらえる材料を提供するということはおそらく必要となってくるのだろうと思います。
したがって、元々の一番の基本理念、あるいは目指す姿に、全く私は賛同しますが、実は非常に重たい、その問いを我々にも大人にも投げかけている、ということではないか、ということが一点あります。
そしてもう一点意見したいのが、世代間格差というものです。つまり、今の若い人と我々で、デジタルに対する格差がある。我々が生まれ育って慣れているものと違い、今の若い人たちはスマホで全てが完結する世代ですので、ハードウェアの面とソフトウェアの面、いかにそういった子どもたちに、自分たちのものとしてリアルに感じてもらえるか、それは恐らく展示の仕方を工夫しないといけないだろうと思います。そういった意味で、目指す姿として、今の子どもたちにリアルに戦争や原爆の被害というものを理解してもらう、というのがおそらく原爆資料館に必要な重要な使命である、としたときに、今の若い人たちに届くようなハードウェア、ソフトウェアというものを考えていく必要がある。
更にもう1つ最後につけ加えますと、実は我々、自分たちが長崎市というところに限定される、あるいは世界人類全てなのかということで、少なくとも資料館では英語の展示はかなり多くありますので、日本人に限らず世界に向けて訴える、これは元々の審議会で書かれていたとおり、単に日本国民だけではなくて世界に訴える、例えば海外の子どもたちが見たときにそういった人たちにも自分たちの問題だと捉えられるように。
例えば戦争が他人事と思えないようにといっても、ウクライナの子どもたちは、目の前で父親が死ぬ姿を見ていたりするわけですから、そういった子どもたちにも見てもらうことを想定したうえで、自分たちが人類全体といったときに、展示内容が相応しいものになっているかどうか、大変難しいタスクではありますが、恐らくそういった趣向を取り入れるということが重要ではないかと思います。

(1) 第1回、第2回の振り返り

〔国際情勢について〕

・事務局から意見一覧資料について説明

【委員】
小さな点というか、発言メモを出すようにと言われていること、それから録音を起こしている中で少しずれたのかと思っていますが、左の一番上の基本的な姿勢で、国際連盟と国際連合の位置づけが書いてありますが、「国際連盟が戦争のない時代を目指して誕生した」というのはいいのですが、「核兵器のない時代を目指して」国際連合が誕生したというのは、言えるかなというところです。国際連合の方も、やはり戦争のない世界を目指して、第三次世界大戦を起こらせないために国際連合を作ろうということになった。そこはやはり同じ「戦争のない時代を目指して」という表現でいいと思うのですが、その中で軍縮問題それから核軍縮問題という二つを両輪で国際連合は何とか進めていこうというので総会開いたりしていくという動きがあると思うので、そこの表現がちょっと引っかかったので意見を申しあげます。
それから2段目の真ん中も、二つ目のところの括弧で国政情勢、多分「国際情勢」だと思います。 

【事務局】
誤字は修正します。また、「核兵器のない時代を~」も、会議録の確認漏れかと思いますので確認して修正いたします。 

【委員】
国際連合の「核兵器のない世界を目指して」は、国際連合ができて最初の総会というのは「核兵器の廃絶」というのを打ち出していますよね。そういった意味で、順番が逆かもしれませんが、国際連合が誕生して核兵器のない世界を目指している、とすればいいかもしれません。 

【委員】
そうですね。逆にすればいいかもしれません。 

【委員】
2ページ目もいいですか。「メッセージは必要だがプロパガンダにならないように」とありますが、思い出せないのですが、どのような流れのときに発言ありましたか。 

【事務局】
副会長からのご発言だったと思うのですが、海外の戦争に関する資料館の展示を通して見学した際の。 

【委員】
博物館を回られたときの感想ですね、今思い出しました。 

【副会長】
はい。その他にありますでしょうか。なければ、事務局より次の被爆医療、放射線に関する事項について、説明をお願いいたします。

〔放射線等について〕

・事務局から意見一覧資料について説明

【委員】
特に被爆医療ということではないですが、ストーリー性、なぜ原爆を落とされるようになったかの経過や様々な問題、それから、日本の加害の歴史とか、非常に多項目にわたる条件が一通りあり、ストーリーを持って原爆につながるとか、あるいは放射線の問題を、ストーリー性をかなり強調して議論したと思うのですけどね。
実は先日長崎の資料館を見に来られた元々広島の方は、アメリカで歴史学者として30年勤め最後は教授もされた後に帰国し、広島で幼稚園から大学まで連続した教育を行う新しい学校を立ち上げる計画で校舎建築にも既に着手しているとのことで、実際に広島と長崎の資料館を比較されたそうです。
その先生が言われるには、長崎の資料館はストーリー性があって、自分は非常に広島より長崎の方がいいと思ったとのことでした。いやしかし長崎の資料館は狭くて十分ストーリー性を出せるような記述になっていないところがあるのですよと言ったら、いや大きければいいというものではないですよ、とその人は言われました。アメリカでもいろいろな歴史博物館を見てこられた印象ということですが、大きいだけが良いわけではなく小さくても十分ストーリー性を持って理解していただけますよ、といったお話で、私ももう少しスペースがないと駄目じゃないかなとずっと思っていたものですから、少し目から鱗でした。最近の経験としてお話ししておきたいと思います。 

【委員】
私が小委員会に出席できず申し訳なかったのですが、この放射線の影響のところで質問ですが、「世界の核実験被害」についての議論は何かありましたでしょうか。
というのも、現在の原爆資料館にも、核実験の被害、ネバダやセミパラチンスクとか、あと核実験ではないですがそういった核被害を少し大きなくくりで展示してあるところ、これはかなり重要なポイントだと思っています。
加えて今、核兵器禁止条約の議論の中で、まさに委員が深く関わっておられるテーマですが、核被害者援助そして汚染された環境の修復という問題はものすごく今、世界的にも注目されています。
そして新しい科学的知見というのも、これからますます調査を進めて出てくるということもあると思いますので、そうした世界の原爆での知見と合わせてですね、今言った世界ですと核被害にどういった科学的、医学的知見というものがあるのかという、展示もぜひこれは長崎の原爆資料館、特に日本の中で核実験の被害って本当にあまり知られていないということですね。
テーマとして非常に、過小評価ではないですけど、あまり出てこないという、教育の中でも常々思っているところですので、もし議論があったのであれば教えてほしいです。今後こういうものも注目していくべきだというところを何か記録に残していただければと思っています。 

【事務局】
小委員会の中で直接、世界の核実験被害者の議論があったかと問われると確かなかったのではないかと思いますが、以前の審議会などでこのコーナーについて貴重だというご意見はありましたし、また別の会でもご意見あったかと記憶しています。
今いただいたご意見は新たにこの中に追加して、また整理をしていきたいと思います。 

【委員】
放射線のテーマではなかったと思いますが、確か私が発言したのは、モニターが小さいので大きくして、AIを使って核実験被害者の証言をインタラクティブに、みたいなそういった話はしました。 

【委員】
(核実験害者証言コーナーのことを)今日追加してもらえればいいのではないでしょうか。漏れていたというか、そこまで議論はなかったですし。 

【委員】
「展示の方向性」の中で真ん中の一番上に、「原爆による放射線被爆と原発事故による被ばくとの相違を理解できる展示が必要」とありますが、放射線事故というのは、定期的にというか10数年周期くらいに起こっているわけですね。1986年のチェルノブイリ、1999年東海、2011年の東北大震災、そして今回、といった感じで、定期的に皆の関心を更新するということがあるわけですが、被爆者という言葉には漢字で書く「被爆者」とカタカナで書く「ヒバクシャ」があり、「ヒバクシャ」は英語で通用する脅威になっているということですね。
この「被爆者」あるいは「ヒバクシャ」というのは、原爆による被爆者のみではなく、チェルノブイリでの被害者や、他にもセミパラチンスクは、1950年代から地上・地下核実験は多くありましたが機密として行われたため近隣の地域の方々は全く知らずに被ばくの影響を受けているわけですね。
放射線の影響を考えるときに、やはり推定線量は必要ですが、それが全く推定できないのでいろいろな影響が無視されているというか、我々もあくまで聞いた話ですけども、セミパラチンスクにあるメディカルユニバーシティっていう、地域でも一番古いぐらいの大学ですが、そこでは未だにそういった形での研究をしていて我々も手伝いに行きました。カザフスタンからも多く人が来て、その人たちが情報発信し世界に広めていくことを目的に我々も教育しているというところがありますので、非常に重要なことと思うので、ぜひ世界の「ヒバクシャ」という形にまとめていただければと思っています。
今年の夏にはドイツの医師会が取材に来られました。委員も取材を受けましたが、ドイツ語でドイツの医学雑誌に、原爆、被爆者のことが発表されます。これはやはり一つ大きなことであって、その理由は世界の人たちは放射線の影響を知らない、と思うのです。
その前にはライデン大学から来られた教育者の先生たちから質問されました。二世の影響はどうか等聞かれるのですが、そういった意味では、まだまだ世界の人たちに、アピールが足りないということです。悲惨さがわかれば、今のウクライナの情勢等を起こすようなことは少なくなるのではないかということです。
我々の先輩である西森教授(元長崎大学医学部)が、「原爆の悲惨さの実相を伝える術というのはいろいろあると思う」と、「しかし私が一番考えるのは、どんなに原爆の影響が悲惨だったかっていうことを実際に見てもらうことが一番大事ですよ」ということを話されています。随分前の言葉ですが私も知ることが大事だと思います。
以前、世界のG7で来られた方々がいますが、子どもが英語で案内していましたよね、あれはすごくボランティアとしてはいいのかなと思いました。英語を使って外国人に、影響を伝えてくれるというのも、一つのボランティアのあり方かなと思います。新しいエッセンスを使ったり、システムを入れたり、積極化する必要はあるということですね。 

【委員】
さきほど重要なご指摘をお話いただきました。おそらく、何故原爆の被爆が深刻な問題なのか、というのは、戦争で被害を受けた方はたくさんいますが、原爆というものがもつ一般性と特殊性、今お話ししているのは恐らく特殊性の方かと思いますが、一般の兵器とは違って、放射線の影響の症状が長く持続的に被爆された方を苦しめること、であって幾人かの委員が言われていたとおり、あまり海外ではよく知られていないからこそ、G7で各国の首脳が広島の資料館を見学した後、カナダのトルドー首相は、あまりに性急でもっとゆっくり見たいということで翌日訪れたとのことでしたよね。それだけ「知られていない」という実相があるということです。
世界には様々な戦争の博物館がありますが、長崎の資料館の持つ特殊性、被爆の実相を見ていただく、そういった意味で、私も専門ではないですが、核兵器というものが持つ他の兵器とは違う特殊性を説明する重みを改めて感じています。 

【委員】
委員が言われることも大事なことだと思いますし、この資料の一番上のところでも、原爆による被爆と原発事故による被曝というのは、字が変えられていて、原発事故による方は日偏で常用漢字ではないからひらがなにしていると思いますが、今委員がお話されたのは「ヒバクシャ」ということで、前回少し申し上げた、広島と長崎の市長の平和宣言をまとめた本を見ると、広島の平岡市長が、そこをすごく考えて、字が違うことについて持論を持っておられました。
6日に読み上げる平和宣言は「ヒバクシャ」を平岡市長は使われていたようで、そういった意味で委員が世界の「ヒバクシャ」ということでまとめて世界にアピールするという意味は、ローマ字で表現すれば同じになってしまうわけですが、相違というものに重点を行った発言の意味を、私自身は科学的によく理解はできていませんが、「被爆者」と「ヒバクシャ」、共通する放射線による人体への影響というものを世界に持っていってもっと知ってもらうという、そういう意味でも展示が必要ではないかと思っています。

〔原爆投下に至る歴史について〕

・事務局から意見一覧資料について説明

【委員】
申入れ書の中で、私の発言で「国際司法裁判所の意見でも最終的・一般的には違法だが、一部については答えられないとしている」と書かれていまして、私が国際司法裁判所の意見を引用したことで核兵器の使用を認めることにつながるのではないか、というような申入れがあったのですが、私の発言のポイントはそこではなくて、「国際司法裁判所の意見があるものの、長崎の視点からは、いかなることがあっても核使用はしてはならないという主張を強化すべき」というのが私の趣旨ですので、その辺はお伝えしたいと思います。 

【副会長】
そのほか原爆投下に至る歴史に関する展示でコメントをお願いします。委員なにかありますか。 

【委員】
特にありません。まとめていただいた内容で、今後、進めていただければ結構ではないかと思います。 

【委員】
委員が発言されましたが、(申入れ書で)もう一つ私も少し解せないのが、1ページ目「委員の中からは、南京大虐殺などの記述の修正または削除につながりかねない発言があった。それが現実化すると、被爆の実相を伝え、核兵器廃絶と戦争のない平和な社会実現を世界に呼び掛ける長崎の姿勢が理解されない」と書いてあります。このような発言はどこであったかなと思います。事務局わかりますか。 

【事務局】
申入れ書で引用されている部分について、会議録と一言一句まだ確認できていない部分がありますので、傍聴された中で聞かれた内容と理解しています。 

【委員】
無かったように思うのですが。点検していただくのはまあありがたいことだと思うのですが、議論されていることと違うような気がします。そのへんは少し問題だと思いますので、しっかり確認して訂正をするなりしてもらわないと、と思います。 

【事務局】
この申入れをされた団体からは、委員の皆様のご意見であったり、反論があればまたお返しいただきたいとお聞きしていますので、会議録を確認したうえで、委員の皆様と連絡させていただいて、お返しする分があればまとめてお返しをするようにしたいと思います。 

【委員】
文章だけ読んでよく意味が理解できない部分があったのですが、2ページ目右上の「アメリカも加害者であり、南洋諸島の核実験の被害者も抱えている。」これはアメリカも、が正しいですか。 

【委員】
私が発言したみたいです。アメリカは広島長崎の加害者であることは間違いないですが、録音テープ起こしの間違いだと思います。
アメリカの軍人たちで、核実験に立ち会わされた人たちが補償要求をして運動している被害者がいる、かつ、旧南洋諸島ビキニ環礁で彼らは核実験をしたので、そこでも被害者が出ている。アメリカは広島長崎の加害者だけではなく、国内にも被害者を持っていると、そのような意味の発言のつもりでした。 

【委員】
アメリカの中にも被害者がいる、というニュアンスで捉えればよろしいのですね。それは大変重要なご指摘だと思います。つまり、軍人も含めて一般人も、アメリカの中でも同じように風下の人々、地域で核の被害にあった方もいますし、軍人の被害もそうですし、施設の周囲の人々の被害もありますし、核保有国の中でも、イギリスもフランスもそうですので、核保有国の中にも被害者がいる、というご指摘で、理解できますし重要だと思います。 

【委員】
アメリカでいえば、まさに先住民の方も、ちょうど最近核実験被害者救済法の期限がきて議論されていましたが、難しいですがそれでも超党派で動いて延長されたということがありました。そのようなことも含めて、世界の被爆者、要するに先住民の方たちの被害、弱者が一番被害を受ける、その視点も常に持っていたらいいのかなと思います。 

【委員】
「核実験の被害者」ということで、最近は、その辺の被害を受けた方々に対しては、「ヒバクシャ」という言葉を使うことが多くなっています。核実験でどれくらい世界がプルトニウム汚染されているかということは、まだ調査があまり進んでいないですよね。例えば、長崎の西山地区というのは有名な長崎の地域で、プルトニウムが検出されますが、そのプルトニウムの中に原爆からのプルトニウムと、南太平洋の核実験からのプルトニウムが混在していて、一遍にプルトニウムとはなかなか言えない。それで、プルトニウムの中にいくつかサブタイプがあるのですが、それを検出して、長崎の原爆のサブタイプが西山地区で確認されました。
そういう複雑なことがありまして、世界中の核はまだまだ研究途上なのです。しかし核の被害を受けて生活が破綻したとか、いろんな人たちはたくさんおられるので、被害者として救済しようというのが、今の核兵器禁止条約ですよね。核の被害者という観点で、展示に示す必要はあると思います。 

【副会長】
今、1回2回目の振り返りをしたわけですけでも、このまとめでも、どういう意味かとか質問がありました。今度の4回目のまとめに入るときは、もう少し抽象的なレベルになってしまうので、まとめ方についてどのようにしたらいいのか、どのような方向でまとめるのか、事務局から説明いただけますか。

【事務局】
今お渡ししている資料は、委員の皆さんの意見を整理して載せていますが、これから基本方針を策定するうえでは、一定意見を集約したり絞り込んだりする必要があると思っています。
次回の小委員会までには、こういった意見一覧から、素案に近いものを事務局で整理をして、ご意見をいただければと思っています。 

【副会長】
一言ずついただきます、委員からお願いします。 

【委員】
大変貴重なご意見をいただきまして、大変難しい作業ですが、基本的に整理していただいた方向で進めていただければ結構と思います。最初に申し上げたとおり、ハード面、マルチメディアでデジタルデバイスを使ったり、スペースにも限りがありますので、そういったところにより豊富な情報を盛り込むということで、一方でソフト面では、今まで欠けていたような視点や内容を加えて、ハード面とソフト面で両方上手く融合させて、今後展示をより充実した形に変えていくということがよいのではないかと感じました。 

【副会長】
以上で本日予定していた議題は終了ですけれども、最後に、今日のテーマである若い世代に自分事として捉えてもらう展示、未来志向の展示ということでお話しいただきましたけれども、委員最後になにか一言ありますか。まとめというか、言い残しというか、メッセージをいただければと思います。 

【委員】
何人かの委員からもご指摘ありましたとおり、若い人だけではなく、対象はあらゆる世代の人、全ての層の人ですが、この未来志向であり自分事としていくということは、本当に言うは易し、で実際どうやっていくかという時に非常に難しい、しかも多くの人の知恵が必要だと思います。
当事者というか、中身を作っていくときはぜひ、若い人も含めたいろいろな世代の人と実際に話しながら作っていくような、そういったプロセスを考えていっていただきたいです。専門家の知見はもちろんですが、まさにプロセス自体が教育の一環であると思います。
そして、例えば長崎の将来を担う若者たちが、自分たちが一緒に作りあげていったというある種のオーナーシップというか、自分たちのものというような意識があると、非常にこれから先、例えば私達全てがいなくなってからも、原爆資料館に関わらなくなったその次の時代においても、原爆資料館の中身に、まさに伝えたいことが、自分たちの思いがこもっているというか、そういった世代を育てていくという作業が必要ではないかと思います。
そういう意味では、プロセスというのが非常に足固めとして重要だと思いますので、自分もできることをぜひ一緒にさせていただきたいと思います。 

【副会長】
一言、感じたことをお話したいと思います。私もいろいろ博物館を作ってきた経験から言いますと、今お話しいただいているのは基本方針、理念、展示更新という具体的なゴールがあるわけですが、その理念づくり、基本方針作り、というのは非常に大切なことですし、今日のように文字化されて残るものというのは非常に記録として大事だと思います。
しかしもう少し今後詰めていく場合は、共通認識を持つという意味で、言葉一つひとつに慎重な定義付けというものも必要かなと思い聞いておりました。
被爆医療や放射線に関する展示、といった場合に、2つの意味があると思うのですが、1つは科学的あるいは医学的な情報、あるいは今日の若い世代にといった意味では、社会的な情報。科学的医学的な情報なのか、社会的な情報なのか、あるいはブツとしての物なのか、あるいは情報として提供すべきなのか、今後設計段階とは思いますが詰めていく場合に、定義一つひとつ丁寧にやっていく必要があるかなと思って聞いておりました。
また、冒頭にバックヤードツアーということで委員からお話いただきましたが、そのバックヤードツアーというもののイメージは、おそらく収蔵庫の中とか展示物ということだと思うのですが、その他に情報としてオンラインとかバーチャルミュージアムとかそういったバックヤード、物理的な空間を割くのと、展示物以外の情報を使うのと2つあると思います。
これから一つひとつ、言葉というものをきちんと定義をしていった方が、より堅実的に進められるかなと思って聞いていました。
次は恐らく私の話すストーリー性とかメッセージ性とかいう課題になろうかと思いますので、その準備も進めていきたいと思っています。
以上で今日の議論を終了したいと思いますので、事務局にお返しいたします。 

【事務局】
本日は長時間にわたり貴重なご意見いただきありがとうございました。次回の小委員会は現在日程調整中ですが10月中旬以降の予定です。次回のテーマは「展示全体を通したストーリー性、展示の配置や観覧動線」、及びまとめに向けてさらにご意見をいただきたいと思っています。

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