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令和5年度第2回 長崎原爆資料館運営審議会小委員会

更新日:2024年4月12日 ページID:041950

長崎市の附属機関(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和5年度第2回 長崎原爆資料館運営協議会小委員会

日時

令和5年8月24日(木曜日) 16時00分~

場所

長崎原爆資料館2階 会議室

議題

1 協議事項
(1)原爆投下に至る歴史に関する展示

審議結果

〈担当委員より説明〉

【委員】
歴史を見る場合、世界史の中での日本の位置づけ、日本史の中の地域の位置づけ、といった二つの視点が必要で、委員ご専門の国際政治学は、前半が大体自分の専門と重なりそうですので、いろんな意見をお互いに議論できればいいと思います。
前回の小委員会でも申し上げましたが、第一次世界大戦という大きな悲惨な出来事を受けて、戦争のない世界をどう作っていくかのテーマが世界史では非常に大きく、ベルサイユ平和条約によって国際連盟を作り、今までに無かったようなパターンの講和条約が結ばれて、その中で国際連盟の規約などが入り込み、不戦条約以前の段階なので、「政策としての戦争を選ばない」というところまでには至っていないものの、「戦争に訴えないことを各国の義務とする」というもので、国際連盟もそれを踏まえて国際会議を行うという約束もしています。「戦争を再び起こさない」と第一次世界大戦を収拾したにもかかわらず、世界は再度世界戦争を行い、最後に原爆という大量破壊兵器を使用しています。不戦を各国の義務とし軍縮があったものの、再度第二次世界大戦で大量破壊兵器を持ち出した、という流れになっています。
このことは、近年のヨーロッパの戦争を語る中でも注目されていて、例えば、フランスのアンヴァリッド軍事博物館の最後の展示コーナーには、第二次世界大戦の説明の最後に、硫黄島の解説と長崎の原爆の写真が掲げられています。硫黄島は戦闘の経緯の説明がありましたが、長崎の原爆は写真が展示されていました。世界の大きな流れの中で原爆というものが使われていることを考えなければいけないと思います。
もう一つは日本史の視点で、日本は日清戦争以来戦争を繰り返していて、各々離れているように見えるものの、「中国での利権をどう維持するか、若しくは拡大するか」というテーマが流れています。その流れが、1937年日中戦争という大きな戦争に繋がり、非常に無理な戦争を拡大していって、1941年の対英米戦になり、その過程で最後に2つの原爆が使われたということです。
日本の戦争を終わらせたのは、原爆か又はソ連参戦か、学界ではまだ議論があると思いますが、去年、防衛研究所の千々和さん(千々和泰明氏)が中公新書で『戦争はいかに終結したか』を出版されていますが、ソ連の参戦が日本の未来を失わせる恐れがあることから(ポツダム宣言)受諾に至った、という、新しいといいますか、今までの議論を一つの新しい考えの元に出されています。原爆かソ連参戦かどちらかという議論はあるにしても、原爆を使ったことは国際法違反にもなるし、ただそこだけをクローズアップするのではなくて、長崎も広島もやはり世界の恒久平和というものを実現するうえでの核廃絶の訴えをしていくという、そういう流れはやはり押さえておくべきだろうと思います。皆さんと議論できればと思います。 

【委員】
私からは、展示の中でとりわけ「原爆投下に至る過程、歴史」に焦点を当て、現在の展示に対しての私の感想と、そしてこういった視点を盛り込んだら更に充実するのではないかという提案をしたいと思います。
第一に、現在の展示は「日中戦争と太平洋戦争」という形で、我々が高校で学ぶようないわゆる一般的な日本史の記述と殆ど重なってしまうということです。教科書で学べる日中戦争から太平洋戦争に至る大きな流れとかなり重なってしまうため、「なぜ長崎の原爆投下に至ったのか」という疑問に対して必ずしも明快な答えを感じることができないのではないか、という気がしています。
言い換えれば、例えば日本が満州事変を起こし、その後に真珠湾攻撃に至ると。では、戦争を開始した国に対して原爆を投下して良いのか、報復として原爆を投下することが必然だったのか必要だったのか、そしてそれは避けられなかったのか、という疑問に対して、必ずしも今の展示は十分に答えられるものではないのではないか、という印象がありました。
もう一つは、今の高校の歴史教育では、皆様ご承知のとおり、「歴史総合」という新しい科目が入りました。従来の日本史と世界史が分断されていたものを統一し、より広い視点から融合して歴史を捉え直す、日本が世界の中でどういう歩みをしたのかということを広い視座から問い直すことを、高校生は新しく勉強しています。今の展示は、かなり日本史の歴史に偏重していて、世界史の中で日本がどのように動いたのか大きな潮流がなかなか見えてこない、という印象があります。そういった視点を今の歴史教育の大きな流れの変化に合わせて盛り込んではいかがか、という印象です。
そのためにはどのような視点が可能なのか、「なぜ原爆投下に至ったのか、あるいは原爆投下に至らない避ける道はなかったのか」、そういった疑問に答えられるような展示にするためにどのように視点を変えたらいいか、4点提案します。
まず第1が、「核開発の歴史をより大きな『大量破壊兵器の開発の歴史』の中に位置付ける」ということ。つまり、戦場で馬に乗って兵士と兵士が戦っていた19世紀の時代から、大量破壊兵器、例えば第一次世界大戦で毒ガスが初めて本格的に戦場で使われましたが、こういった一般市民も含め大量に人々を殺戮する大量破壊兵器が開発されていく、その極みが核兵器であり、使用されたと。つまりは、戦争は悲惨なものであり、また兵器というものをそもそも減らす、失くしていく必要があるのは当然ですが、それ以上に、より大規模な殺戮が可能となった大量破壊兵器がいつどのように発展していったのか、ということについてもう少し検証しますと、一つの非常に不幸な帰結としての核兵器の開発と使用というものが理解されるのではないかと思います。
2点目が、「戦略爆撃機の展開」です。日本の歴史では「満州事変」あるいは「日中戦争」について学んでいますが、しかしながら満州事変が1931年9月に行われたことは皆さんよくご存知ですが、その翌月に日本は北京郊外の錦州空爆を行っています。結果的に日本の自作自演でしたが、本来、満州事変は満鉄を防衛する自衛目的だと主張していて、実はその主張は、一旦国際レベルの理事会の中では受け入れられていたのです。なぜその後、国際的な潮流が変わってしまったかというと、その翌月に、戦争を広げないということを国際社会に約束しながら、日本は中国の一般市民に対して空爆をしました。これは軍事目的ではない一般市民に対するものであり、必要性という点でも、本来日本が主張していた満鉄防衛とは関係の無いものでした。このように、錦州を空爆するといった戦略爆撃を日本が本格的に戦争で用いた、これが後のスペインの、ピカソが描いたゲルニカ、あるいは東京大空襲に繋がりますし、日本はそれ以外に上海などの都市にも空爆を行っています。空から無抵抗な一般市民を殺すことの残虐性、戦略爆撃の歴史は、現在の展示では殆ど体系的には触れられていないと思いますが、広島長崎に帰結する戦略爆撃機の端緒を開いたのは日本だったということに対する反省を、もう少し転じて伝えることができるのではないかと思います。それが直接、なぜ長崎に原爆が投下されたかという歴史にも繋がってくる重大な問題だというふうに考えます。
そして3点目が、「核兵器使用の決定」です。現在の展示でも既に記述がありますが、果たしてアメリカ政府は核兵器を使わないとの判断はできなかったのか、あるいは広島に一つ目の原爆を落とした後、長崎に2発目の原爆を投下する必要があったのか、という重大な問題があります。委員の発言にもありましたように、ソ連の参戦によって、もしかしたらその必要性がなかったかもしれない。アメリカは核兵器をなぜ使用したのか、そしてその核兵器の使用に関しては、当時のアメリカ政府内においても議論があり、歴史学会でも随分長く論争が続いています。世界的に有名なこの原爆投下論争について、原爆資料館を見た方々に十分に理解していただくことが重要と考えていますし、これに対する記述も充実させることができるのではないかと思います。
そして最後に4点目、非常に重要な点だと思っていますが、「平和思想の後退」という現実です。先ほど、現状の展示は日本史の視点にやや偏重し世界の大きな歩みの中での日本の行動というのが見えにくい、と述べました。例えば、1899年と1907年に2度、オランダのハーグで行われた平和会議は、画期的な会議であり、戦時の国際法つまりは戦争中の軍事行動に対する大きな制約を国際的な取り組みとして決めたものです。その中では「一般市民に不必要な苦痛を与えない」ことが合意されています。そうすると、このハーグの平和会議での国際的な合意、戦時国際法に対する少なくとも広島長崎の原爆投下が、一般市民に対して不必要な苦痛を与えるという点で、平和思想に対する大きな挑戦であることは理解しても良いのではないか。
そしてもう一つの重要な転換点が、1928年のパリ不戦条約です。これは別名、ケロッグ=ブリアン条約といいますが、それまでは、戦争が必ずしも国際法上違法ではありませんでした。政策の延長として戦争を行うことに対して、大きな問題は国際法上無かったのです。第一次世界大戦も同様です。ところが1928年に日本が調印したパリ不戦条約以降に関しては、「戦争は違法である」という、まさに憲法9条の第1項の思想があるわけですが、国際的な規範があるにもかかわらず、日本は満州事変以降戦争を続けていくのですから、以前とは戦争する重み、国際的機関を破壊する大きさが全然違ってくるわけです。ですので、パリ不戦条約によって戦争違法化、平和思想が世界に定着しつつあった直後に、日本がその平和を壊したことの重みというものを、平和の重要性を鑑みたときに展示の中で触れることも重要ではないかと思います。
以上の観点を加えることによって、なぜ長崎、広島に原爆が投下されたのか、それが必要だったのか、ということを訪問者の方々により深く理解していただく機会にならないか、専門の国際政治あるいは外交史の視点から、申し上げたいと思います。

〈協議内容〉

【副会長】
2人の委員のご意見に対するコメントでもかまいませんし、今日のテーマについて、別冊資料2の「既存資料に対する意見・要望」もありますので、その辺のことも踏まえながらご意見いただければと思います。 

【委員】
2人の委員のご意見はいずれも必要な視点と思います。「原爆投下に至った歴史」と「核兵器の使用があってはならないという普遍的メッセージ」を相対化したバランスをどうとるかというのが問題かと思います。
広島には原爆投下に至る展示というものが無いですが、長崎は広島とは違う独自性があると。相対化のところは、「原爆投下、核使用はどんな理由があってもいけない」とのメッセージが必要ですが、国際的には、国際司法裁判所の意見でも最終的には、「一般的には違法だが、一部の軍事行動は答えられない」とされていて、そこはありますけれども、長崎の視点からは、それを踏まえても「いけないんだ」というメッセージをこれから強化していく必要があるだろう、最終的な核廃絶に向けてのですね、と思います。
展示の仕方によっては、メッセージが逆効果になることを防ぐと同時に、逆に被害のみしか言わなければ、中国や韓国での原爆投下は自業自得だとの理屈、あるいはアメリカ国内の原爆正当化理論に与することになります。それは得策ではないと思いますし、バランスをどう取るか、「相対化になるような形を極小化しながら、普遍的なメッセージになる側面を最大化する」方針で進めてはどうかと思います。 

【委員】
同じ意見だと思い聞いていました。国際法違反は、「非人道的な兵器を使用した」という点、問題は、その極小化をどのような形でやっていくのか、技術的なところになっていくかもしれませんが考えていきたいと思います。 

【副会長】
バランスという意味を詳しく教えていただけますか、どのように理念を構築していけばいいのか。長崎だけなのか広島も含めるのか世界なのか、立地の場所や国際政治の視点、中国やアメリカなど様々な文脈の中でどのように考えていくのかということを、もう少し詳しくお願いします。 

【委員】
具体的には、全く原爆投下に至る展示をしないというのは、中国、韓国からの無用な批判を招く口実を与えることになりますから、避けるべきだろうと思います。何らかの反省するところは、謝罪というか反省すべきという展示は必要だろうと思いますが、それが同時に、原爆投下に直接的にリンクする形に読み取れるような展示になると、核使用が相対化されてしまいますので、そうではない形を国際的な反響とかも考えながら、訴えるべきかと思います。 

【委員】
バランスの話は、これまでの自分の考えに近かったので納得できました。1945年7月に原爆投下の決定をした後の米国政府内の様々な資料が公開されています。アイゼンハワーの原爆投下に関する進言などはありますが、トルーマン(大統領)が投下の決定をした本質的なところは今ひとつ明確でないと感じます。トルーマンの伝記などを読んでも投下の決断の下りは明確に書かれていませんし、本人がそもそも明言していないのではないかと思います。そういった経緯を捉えたうえで、原爆投下に対する一定の見解を展示するというのはなかなか難しいことで、投下という現象面をしっかりと展示で表現することになるのではないかと思っています。
それから委員のご発言で重要な点は、フランスの博物館の最後の写真が長崎ということですが、記述はどうなっているのでしょうか。 

【委員】
記述は無く、写真だけです。見学後に館長と議論しましたが、その点は明確に話すことができず、分かりませんでした。硫黄島の展示は、戦闘過程を結構説明していましたが、原爆については、フランスも連合国の一国なので、説明できなかったのではないかと思います。ただ、今ヨーロッパの博物館は、国立博物館も含めて、外国人の委員も入れることになっていますし、当該博物館もドイツの学芸員が2人入っていました。広い議論を踏まえているはずなので、もう少し踏み込んで聞けば良かったです。また訪問する予定がありますので聞いてきたいと思います。 

【委員】
現在もそうですが、フランスは核兵器国として核抑止論の保有数の非常に確信犯的な動きをされているので、発端はあったのかなと思いまして、興味を引きました。
それからもう一つ、委員にお伺いしたいです。先ほど「平和思想の後退」という視点ですが、1928年パリ不戦条約の成立前後、日本は満州の問題を起こして戦争へ向かっていくと、イタリアも同様に侵攻を行っていたわけですけども、こうやって平和思想が後退する中で最終的に不戦条約は形骸化していったというお話を伺いました。委員は、日本の国策としては誤ったというか、侵略戦争を続けた結果であるとお考えですか。 

【委員】
委員が言われるとおり、1930年代に日本の満州事変、イタリアが行った侵略、その後にはヒトラーがポーランドに侵攻し戦争開始に繋がっていきますが、やはり1920年代から30年代にかけて、国際連盟や2度のハーグ平和会議など、平和を定着し確立しようとする思想や運動がある中で、光と影ではないですが軍事力に頼り自らの利益を拡張しようとする動きがありました。それがイタリア、ドイツ、日本であり、事情や背景は異なりますが軍事力に頼って自らの利益を拡張しあるいは目的を達成するという、パワーポリティクスが広がっていったのが1930年代だとすれば、それがその後も長く続いていきます。その大きな軍事力への信仰、大量破壊兵器に対する依存には、広島、長崎の原爆に繋がる水面下にある思想があったのではないか、平和思想を育んでいくという運動がある中で、その潮流を日本が壊したことの重みは、より広く知られてもいいのだろうと思います。
言い換えますと、日本が満州事変以後の世界の潮流を軽視した軍事行動が、今度は逆に原子爆弾投下という形で日本が被害を受けることになってしまったわけです。しかしながら逆に言いますと、今度は第二次世界大戦後にも(第一次世界大戦後と)同じような動きがあり、様々な国際機関、国際的な合意、平和運動、平和思想というものが継続し、世界で戦争は続いてはいますが、現在まで長崎以降、戦場で原爆が使われたことはありません。20世紀における軍事力への信仰と平和思想の限界、この二つの交錯という中で、戦前の日本の歴史と戦争の歴史、そして原爆投下を位置づけることによって、より深く訪問者の方々に原爆投下の世界史的な意味を理解していただけるのではないかと考えました。 

【委員】
原爆投下についての歴史の展示は、国際関係抜きには語れないだろうとまず思います。フェーズ(段階、局面)だろうということです。ヨーロッパの軍事勢力の台頭があって、平和思想の後退、不戦会議があったと思います。そのフェーズがあって、日本も加担をしていって核開発に向かうような潮流が出来てきたと。植民地支配や、自分の権益のみを中心に考えていく際に起こったということです。特に日本では人体実験や毒ガスの開発も行っている事実を知らしめる必要はあると思います。次に、満州事変から日中戦争、太平洋戦争と進みますが、その後に原爆投下の意思決定がどのような形でされたか、といった三つ目のフェーズになるわけです。
まず平和思想の後退のフェーズがあって、その後様々な世界の潮流があった後に、ヨーロッパや日本による侵略戦争あるいは人権無視の歴史が出てきて、戦争に至ったフェーズと、第3に、アメリカによる核実験あるいは核兵器の開発から使用というフェーズです。併せて言えば、広島に原爆が投下された後に、ソ連のスパイが現地を見に行き亡くなったという話を聞きましたが、ソ連も原爆の開発や使用に非常に興味を持っていたということもありますし、そういった3つ目のフェーズがあった後に、遂に核兵器を使用してしまったと。ただ、そこで終わるのではなく、その後に、平和思想の後退からまた復興が起こって、原爆投下論争も、また4つ目のフェーズという形になっていて、歴史に関する展示の方法としては、そういったいくつかのフェーズに分けて訪問者に伝えるというのは、テクニカル的にはいいかなと思います。
日本の歴史と国際的な歴史、国際的な関係の繋がりを、今理解されている範囲で記載していくのが非常に重要な点かなと思います。委員ご発言のバランスも取っていくべきだろうと考えています。日本は加害者であり被害者でもありつつ、被害を受けてもまた思想後退した後に復興させています。その後日本は戦争していませんよね。そういったところも必要な観点だろうと思います。
原爆投下論争も非常に重要な点で、平和教育の必要性が増えていくだろうといった中、フェーズによるこの潮流の動きといったものをダイナミックに捉えて、今までわかっている範囲で客観的にバランスを取った展示をしないといけないと思います。 

【委員】
委員が言われていた視点については、侵略した側が悪で侵略された側が被害者という認識が一つありますが、大量破壊兵器の開発や戦略爆撃機、侵略戦争を各国が行い各々に加害、被害の両面があります。南京事件もそうですし、それぞれが進めていったことが、どこか別の側のところに繋がります。例えば今の戦略爆撃機でいうと、世界に対し最初に市民に対する無差別爆撃をするという日本のやり方が、アメリカでいわば採用されて、ドイツや日本の空襲で踏襲されています。アメリカ政府も、原爆を投下したという点では加害者ですが、南洋諸島でのアメリカの核実験を眼前で見せられ被ばく者となったアメリカの兵士たちが、保障を求める裁判を起こしています。アメリカ、日本そして海外の信託統治になっている南洋諸島にも被ばく者を出していて、アメリカは加害者であると同時に被害者も抱えています。こういったことについていろいろ考えられる展示について、皆さんと議論したいと思います。 

【副会長】
今回の展示に含めた方が良いということですか。 

【委員】
はい。 

【委員】
冒頭に委員が言われていた「バランス」ですが、私なりの受けとめ方としては、長崎独自の歴史や原爆投下という唯一の長崎の経験があると同時に、大量破壊兵器や戦略爆撃機、あるいは今委員のお話がありました「被ばく」ということ、チェルノブイリもありますし、よく日本が唯一の被爆国という言葉を使うことがありますが、つまり被ばくは実は様々な場所で起きていて、福島の原発事故も重要ですが、「戦争における核兵器の使用は長崎が最後」という長崎の独自性の問題と同時に、「長崎が経験したことを世界に様々な形でメッセージとして教訓や示唆を与える」という普遍性の問題、この二つをどのように組み合わせるかも、とても大きな視点だろうと思います。
先ほど委員が「相対化」を言われていましたが、例えばホロコースト博物館は、いきなりナチスの歴史から始まるのではなく、19世紀末にロシアの中で行われていたユダヤ人差別や、1930年代にドイツのユダヤ人が世界に助けを求めたときにアメリカの中でも非常に色濃いユダヤ人差別があり提案が次々と拒絶されていく、非常に残酷な歴史も描いています。つまり、全ての責任をナチスドイツ一国に押しつけるというよりは実はユダヤ人差別というものが相当程度世界で根が深かったということにも触れているわけです。
そのように考えると、より大きな破壊力のある兵器に人々が誘惑を感じ求めるということは歴史の中で何度も繰り返されてきました。太平洋戦争中、第二次世界大戦中に原爆を開発したのは、アメリカだけではなく、当時イギリスの方がそもそも先進的に核開発を進めていて、カナダの科学者も加わっていっています。いわば英米カナダの合作として組み合わせたということ、そして一時はドイツで非常に核開発が進んでいたということや、日本でも非常に遅れていましたが、核開発を進めていました。
つまり、もしもこの核開発レースでドイツや日本が勝っていれば、先に日本やドイツが使用したということは十分に考えられるわけですから、国際的な大きな潮流として核兵器に世界が魅了されていたといった現実にもやはり目を向けるということが必要であると同時に、平和を求める思想や運動がどこにでもあり、例えばアメリカの政策決定の過程でも、アメリカ政府の中で当時核使用に反対する人たち、あるいは科学者の中で核兵器の開発に対して非常に強い警鐘を鳴らしている人たちを、部分的には既に展示がありますが、いつの時代においても、やはり平和思想というものが色濃く力強く残っているということが、細やかな希望にも繋がってくるのではないか、という気がしています。 

【委員】
委員が言われていた「平和思想」は聞いていて非常に重要だと思ったのですが、戦略爆撃の目的や大量破壊兵器の使用を日本も行っていたし、その極みが原爆投下という、そういった展示がよく考えると必要だろうと思います。一定程度、広島長崎は原爆投下を避けられなかっただろうと思いますが、他方で、それで本当に良かったのかという問いかけを、展示としてすると。きちんと歴史も展示したうえで、原爆投下は良かったのかという問いかけをするときに、平和思想の展示というのは意味を持つのかなと思います。
不必要な苦痛を与えてはならないとか、現在の国際法上の基本原則というのは、今の話ではなくて、元々19世紀の残虐な時代ではあったけれども、その時代から既に戦争に対する思想はあったと示すことによって、原爆投下論争自体はいろいろあり、相対化されることは避けられないかもしれないけれども、そういった思想に照らし合わせると、「本来であれば使用してはいけない爆弾だ」というメッセージになる形に、おそらく全体のバランスというか、全体的にこういうことがあったのかなとわかるようにした方がいいと思います。
「平和思想」については、原爆投下に至るまでの歴史だけではなく、その後の歴史も含めてはどうかと思います。平和運動や、前回の委員会でも「希望を与える」ものを含めると。平和思想が19世紀から今にも繋がっているということと、核戦略などに平和思想がどのように影響しているのか、ということです。
少なくとも原爆投下の時点で、反対した人は一部だと思いますが、平和思想とか不必要な苦痛とかあまりそういった原則は考慮せずに原爆を投下したと思います。今の核戦略は、少なくともアメリカにおいては一定程度国際法上の原則は実は考慮されているという事実がありますが、では本当に国際法に則った確証がありうるのか、ということはまた別の議論になります。
そのように、平和思想は実は核戦略の中に入り込んでいて、将来的にはそれがさらに強くなって核廃絶に向かうと、今に繋がるような展示にしたらどうかと思いました。 

【委員】
リニューアルした広島平和記念資料館について、以前に1度訪問してはいましたが、今日の小委員会を迎えるにあたり改めて訪問し、熟視してきました。委員が言われていましたが、広島では歴史の説明は殆どされていません。現象面で、被爆者の写真が延々と続きます。被爆者が描いた絵の展示もありますが、この絵がなかなか効果的です。確かに原爆の被害は凄まじいものだという、これを植え付ける展示としては最高の展示ではないかなと思いましたが、一方、歴史を振り返るコーナーは無いし、あとは自分たちで見て考えなさいという展示の仕方かなと思いました。
勿論、日中戦争はそれを遡って日清戦争、日露戦争など、そういった記述はありますが、どのように戦争に流れこんでいったか、委員が言われた、1930年代の非常に大事な時期も詳述はされていませんし、見る側が、小学生、中学生、高校生、大学生、と世代の違いを考慮すると、自分で考えなさいと言われても、そのベースを与えてもらえないな、という感じがしました。
それが現在の広島の資料館に対する印象ですが、対して我が長崎の原爆資料館は、既に歴史的な背景も多少の記述はされていて、歴史的ストーリー性も少し学べるようになっているわけですね。しかし、先ほどから話題にのぼっている1930年代の「平和思想の後退」などは、あまり記述が深くありません。細かく触れていくと、スペースの問題から相当な制約を受けざるを得ません。
ストーリー性を持たせたいがスペースとの兼ね合いで、どのようにコンパクトに写真など展示していくかという方法論で今後我々は苦労するのではないかと思っていまして、ワーキンググループみたいに、あと何人かAIの専門家みたいな方も委員に入ってもらってコンパクトにまとめていくということをしない限りは、長崎原爆資料館の面積は正確にはわかりませんが、広島の面積と比べて何分の一ですか、相当少ないですよね。広島の資料館は全館見て回ったら、暑さもありましたが疲弊しましたから、小中学生はどうなるのだろうと思って心配になりました。今日の議論を聞いていて、広島見学と合わせてそのように思いました。 

【委員】
私も広島の資料館には何度か行ったことがありますが、視覚に訴えられるものが主体だったと記憶しています。長崎の展示として何に重きを置くかということは、非常に重要な点と思っています。何も広島と同じことをする必要は無いのであって、最終的な目的は若い人に原子爆弾の歴史を、記憶を留まらせるということと同時に、いかに核兵器廃絶に繋げていくかといったメッセージが一番重要だろうと思います。
そこに向かわせるためには歴史なくしてあり得ないと思います。国際情勢の複雑性は、1900年初頭から戦中戦後に向かっていますが、あまり変わることなく繰り返している、そこを考えてもらうという展示方法だといいと思います。繰り返しになりますが、フェーズを分けた、いかに戦争に突入していくか、それからいかに脱却していくか、というのが重要なことと思っています。
ポイントとしては、フェーズに分けたものをどうやってテクニカルに示していくかということと、国際情勢の複雑性を子どもたちが分かるように、考えてもらう契機になるように、文章にして示すような形での展示が重要になってきます。
どの国も戦争を起こす人たちの目的は、自分たちの権益を増やすことであろうし、そのために大量破壊兵器に向かっていったという歴史がありました。たまたまアメリカが先に使用しましたが、他国も開発していた、表舞台ではなく裏側の世界でその事実もあるわけですから、そういったところも示していくというのが非常に重要な点だと思います。
様々な思想があるかもしれないですが、事実があったということは示し、俯瞰して見て考えてもらう展示をテクニカルに作っていただければ、と考えています。

【副会長】
委員、冒頭にご提案いただいた4つの視点につきましては、展示に咀嚼していくストーリーと考えてもよいでしょうか。 

【委員】
はい。委員が言われた、フェーズとして歴史を考えたときに、必ずしもこの4つの視点を柱に立てるというよりは、私が展示を見ながら、こういった視点がもし含まれたら、より原爆投下に至る歴史の過程について従来とは異なる視点から深く掘り下げることができるのではないかと、触れたものです。
従って、展示の例えば時期区分や取り扱うテーマについて、今後本格的に議論を行い、従来の形をそのまま踏襲するのか、あるいは大幅にこれを書きかえるのか、これから議論されていくことになると思いますが、いずれにおきましても、その際に、先ほど申し上げたような視点を加えることが可能だろうと思っていますので、仮に実現すれば、私個人としては展示についてより充実した内容になるのではないかと考えています。

【副会長】
展示の中で「モノ」といいますと、いわゆる「ブツ(物)」もありますし、今ここで議論しているのは、情報の、年表とかですね、あるいは文書やテキストのようなこともあろうかと思いますが、先生方今までの議論中の「モノ」という意味は、どちらかというと「ブツ(物)」としての何をピックアップするかということではなく、考え方、ストーリー性、メッセージ性など情報的なことと理解してよいのでしょうか。 

【委員】
まさに我々が議論してきた約1時間、原爆投下に至る歴史のストーリー性を中心に議論してきたと思います。「ブツ(物)」はいろいろあると思いますが、そこは中心になっていないのではないでしょうか。 

【副会長】
はい。ありがとうございます。 

【委員】
今日の議論の中で、4つの視点と、フェーズというのは、どちらかといえば時代の流れを言われているように感じましたが、展示をテーマごとにするのか時代ごとにするのか、どこかでまたクロスすることもある気もします。時代ごとにする方が全体としては分かりやすいとは思いますが、同時に、テーマごとにサイドノート(注釈)というか、原爆使用の決定の過程とかを展示してもいいし、平和思想や原爆使用の決定までを展示するとなると、全体を見せられないようなテーマもあると思うので、そこは工夫が必要と思います。 

【委員】
今日の皆さんのご意見に同意しながら聞いていました。様々な事実を並べて見ていただく際に、やはりメリハリというか、もう一つの言葉でいうとストーリー性を委員は4点で言われましたし、そういうものが読み取れるようにどのような展示をしないといけないかと考えた時に、日本や世界の出来事を並べるだけでは、見る人はそこから読み取るのも難しいし、どのように工夫するかという点は、委員の言われたとおりテクニカルな部分があると思います。
ただ、皆さんのご意見で一致していると思うのは、世界がどのように動いてきたか、それが究極、1945年の8月6日と8月9日に受けた被害に繋がることを具体的に見せるのかというのが展示の問題だろうと思います。ですから、委員が言われたように、確かに悲惨さというのは、具体的に展示で初めて知った人たち、特に外国の人たちには1番ショックなようですが、やはりそこに至る日本と世界の背景が、きちんとストーリー性を持って読み解けるようにしないといけないと思います。 

【副会長】
時間が経過しましたので、少し休憩を挟みたいと思います。この間に、いま発言した中身とそれから他の委員方の発言を咀嚼し、考え直すこともあるでしょうし、ストーリー性をどのように具現化していくのか、問題点は何なのか、それからそれを今後どう表現してどのような手法があるかということも含めて、ご議論いただきたいと思います。

~休憩~

【副会長】
再開します。残り40分ですが、あと1回小委員会がありますので、その委員会も踏まえて継続したいと思います。今日の残り後半は、多分結論は出ないと思いますが、再度復習をして、先ほど段々展示よりの話になってきましたが、テーマごとにするのか、あるいは時間軸ごとにするのか、ストーリーを考える際の考え方の基本、あるいはAIとかバーチャル、いろんな情報を、100坪も無いような展示室に多くの情報は入れられませんが、取捨選択するというのも展示設計ではないと思いますので、バーチャルとかデジタルミュージアムとかいろいろ手法としてはあると思います。
委員のお話ですと、歴史展示の手法をどう考えるかという話もありますし、それから、一方的な立場で立つというよりもバランスとか、相対化という話も出てきますのでそれも踏まえながらご意見いただけたらと思います。
展示の小委員会ですので、主として展示に関しての議論をしたいと思います。勿論、理念的なものを外せませんので、上位概念からいうと、資料館の理念、レゾンデートル(存在理由)、長崎独自のメッセージ性、それから一段下がってくると、展示更新の方針あるいは展示政策のガイドライン、そして更に展示の文章表現、テキストという形になってくると思いますが、そこまではこの委員会の責任範囲ではないと思いますので、上位概念とそれから展示制作にあたっての考え方、制作の方針、そのあたりを議論できればいいかなと思います。 

【委員】
先ほどスペースの問題のご意見が出ましたが、広島の原爆資料館など、全国に関連する博物館があると思いますので、連携できる部分は連携し、デジタルで可能な部分もあると思いますし、こういうことを知りたいがここに展示は無いなという時に、疑問に思うだろうことを他の博物館と連携できるような、長崎でしか展示できないものが、基本的に優先順位が高いと思います。 

【委員】
現状の展示で、個別には勿論年表もありますが、全体の流れを年表で示すのは読み取りにくいかなという気はしました。最初に委員が4点出されたテーマ別という視点はいいなと思います。日本史の教科書も、通史ですが所々に2ページぐらいテーマ別にまとめている箇所があり、時代を貫いているので分かりやすいので、こういった方法もあるのかなと思いました。
早稲田大学の出版部が編纂して今年出版された、長崎と広島の平和宣言を全て掲載している本を購入したのですが、それを読むとやはり平和宣言そのものが、その時代の中でそれぞれ特色があり、解説によるとアメリカが問題であるということを言い出したのは最近の宣言であるとか、いろんな特色が並べてみると出てくるということがあるため、文章を多く並べることは展示では無理ですが、しかし、要所、要所でこういうものも使うといいかと思います。
核兵器禁止条約もあるわけですし、時代は大分変わってきているのではないか。そのようなことも思ったので、核兵器のない世界の展示をどのようにするのかというのは、これは委員がご専門ですが、実際の展示を作っていくに当たっては複数のプランを出してそんな中で、技術的にできることできないことがあるでしょうから、もう少し先の議論を進めたうえで、どのような軸の展示をするのかという話ができるかなと、いまはまだ理念というか、そういうことからかなと思ったのですが、いかがでしょうか。 

【副会長】
デジタルやデーターベースの体制ですが、どのような母体の中で考えていかないといけないかということはありますが、まだここでは合意形成するための理念も大事だと思いますので、その議論についてはあと1回、それから運営審議会でも議論できると思います。 

【委員】
今日のテーマで、国際、そして日本の歴史、まあ相対化しながらの話ですが、日本がアジアの国に与えた加害のようなものですね。それから、いろんなものの写真などの情報をどう選択するか、最小限のものを選ばなければならないのではないかと思います。そのときに、広島の資料館では、長崎の資料館と比べると公平ではないですけれども、とにかく写真が大きく、広島市街の全てを壁の端から端まで展示していたりしますが、長崎では写真があったとしてもこのような展示の仕方は難しいだろうと思います。
それから歴史の近現代史で最も重要な太平洋戦争へ進んでいく過程、それから、日本が初戦は勝っていたが途中負けていって、最後の段階で原爆投下と、そのような展示は記述が中心になるのではないかと思います。原爆のきのこ雲の写真とか素材はあるでしょうし、AIの技術などを使って最小限の実相展示は可能ではないかと思います。
今日は歴史に関して複雑な議論があっていますが、全部文書で皆さん直されると思います。広島の資料館の記述は3行4行、多いので7行でまとめてあり、しかもポイント数が大きくて読みやすい、これは非常にいいなと思いました。今の長崎の展示は、字が小さく、テレビ画面モニターも小さく、その中の字がまた小さくなっていますから、全体的にモニターを大型化しなければいけないのではないかと思います。壁の面積との関係で、どのように配置していくか、実際のソフト面での字数は各々の項目の記述を3行で簡潔にまとめていくということで克服できるのではないかと、アバウトですが今のところそう思っています。 

【委員】
展示の基本方針として、歴史のポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)なところはどうしても必要になってくると思います。理解のためのポイントとして委員が言われた4つの視点は非常に重要でして、これを取り込むことによって次の方法が変わってくると思います。ですから、実はコンテンツの方がまずは重要で、キーワードあるいは視点、新たに見えてくるものが出てくるのではないかと思っていますので、この4つの視点を大事にして、まずはコンテンツを考えていくということです。その際は、視点とフェーズは必ずしも一致しなくてもいいと思っています。歴史的な流れの潮流の中で揺らぎがあって、様々な出来事が別々に起こっているときに、視点、コンテンツとしての問題ですが、これがキーになってくるのではないかと思っているところです。
戦争の中で原爆が使われていったわけですから、戦争という大きな時代の潮流、それと、戦後を経て今の状況は揺らいでいる、ということですね。そこを理解してもらい、歴史として何を学んでいくかということです。最終的に平和教育的な資料館としてのメッセージを伝えられる作りにしていければいいのではないかと思います。
展示のスペースに関しては、今の技術を使えばそれは工夫次第だというふうに思いますので、まずはそういった歴史的な潮流と、それを理解するための新たな視点をポイントとして、そこで考えてもらうといったつくりにできれば、と思います。 

【委員】
多くの委員や副会長も言われたとおり、デジタルを使うのは良い考え方だと思います。世界の歴史博物館等を訪問するのが大変好きなのですが、最近の傾向としては、実物のリアルな展示と、そして博物館資料館の中で直接いろいろとデバイスを使ってリアルな展示と組み合わせて見るものと、さらに自宅などでアクセスして遠隔からも見えるもの、この三つの組み合わせが主流になっていると思います。
例えば私が見た中では、南アフリカのアパルトヘイトの博物館も、あるいはベルファスト、北アイルランドの内戦博物館もそうですが、様々な被害者の方々は非常に高齢で、例えば小さなブースに入りデジタルで音声画像を録画して椅子に座り、あたかも身近で直接その被害者の方々からお話を聞くことが、デジタルデバイスの使用によって非常に容易にできると、そういった声をたくさん集めることによって、過去に伺ったお話を、動画と音声とを組み合わせることにより、あたかも目の前でお話を聞いているかのようなことを、いくつかの博物館で経験して、非常に良いアイデアだなと感じました。
また、コストは恐らくそこまでかからないと思うのですが、小さな部屋で大きなスクリーンに囲まれる形で、例えばドーム型の映像でもプロジェクターとかも結構だと思いますが、今の研究結果や技術を使って、若い人たちがその中で、実際に8月9日に長崎に行って原爆の投下を疑似経験し、どれぐらいの光の強さなのか、そしてその映像によって長崎の古い街の映像をもとにして、それが一瞬の光であの廃墟となるというような、まさにその場に行って経験するようなことも、いくつかの世界の博物館で私は経験したことがあり大変衝撃を受けた記憶があります。
デジタルデバイスは今、それほど費用がかかりませんので、そういった技術を使って対面での実際の展示の資料と、そして資料館を訪問していただいた方にデジタルデバイスを使って、例えばゴーグルをつけて3Dを取り入れて使うとかそういったものを充実させて、また自宅からYouTubeの動画などを通じて、遠方の方々も一度長崎の資料館を訪れたいと思ってもらえるような動画などを組み合わせることによって、今あるものを活用しながらあるいはスペースの問題で今展示されていないものをより充実した形で展示できるのではないかと思っています。 

【副会長】
一通りご意見いただきましたが、今日の配付資料の5ページをご覧ください。展示更新によって目指す姿、基本的な考え方について、前回審議会で説明したものです。5ページをご覧ください。ここに展示更新の基本的な考え方を整理されておりまして、館全体のコンセプト・ストーリーを共有し、関連施設、遺構などとの導線も踏まえて検討する、と。被爆遺構も、デジタルで関連性をもって情報提供できると思います。また、被爆100年を見据え将来的な建て替えや大規模改修を含む長期的な視点で検討する、とあります。
今ここで与えられている使命は、2年後の展示更新の非常に小さなスペースですが、コンテンツを充実していくことによって、被爆100周年の時に更に情報が増えていくということも、視野に入れられればいいかと思っています。四角の中の展示更新の基本的な考え方ですけれども、ちょっと読み上げます。「館の目的や基本理念は変えず、時代の変化に応じて展示更新する」、これはよいですね、異論はないかと思います。
「(1)戦争から遠くなった世代に、戦争(核兵器)によって日常が壊されることを自分事として捉えてもらうことで、原爆の被害の実相や被爆者の苦しみと願いをわかりやすく伝える。(2)誰もが今も核兵器のある世界に生きる当事者であると同時に、平和な未来をつくる当事者であることの気付きにつなげる。(3)一人ひとりが身近なところから平和について考え、行動するきっかけを作る。」ということで、この点についても異論はないと思いますが、よろしいですか。必要な視点が3つほど挙げられております。また、予備知識の乏しい子どもたちへの対応、ユニバーサルデザインへの対応、それから展示物の視認性の向上、資料保全、ということで視点が整理されておりますけれども、この点について反対はないと思いますが補足あるいは修正があれば、ご意見いただきたいと思います。

【委員】
ユニバーサルデザイン、前も質問したことがあるかもしれませんが、今ひとつ頭に入ってこないのですが、説明してもらえませんか。 

【事務局】
第1回審議会の中でもお話があったかと記憶しておりますが、入館者の半分近くは子どもたちで、また、外国からの来館者もかなりおられます。また、高齢であったり障害をお持ちの方であったり、どのような環境に置かれている方でもスムーズにご見学いただけるような工夫が必要ということで掲げています。 

【委員】
日本語表記と英語圏の表記と常に平行して、ということですかね。 

【事務局】
現状は全ての表記に英語表記が備わっているわけではありません。そこはスペース上の問題はありますが、可能な限り様々な国の方に見ていただけるように、先ほどからお話出ていますとおり、デジタル技術を使う必要もあるかと思っています。 

【委員】
様々な美術館などで、デジタルの操作をしながらコンテンツを選んで説明を聞くとかがありました。例えば中国語での表記が展示に無くても、各写真や歴史的な表記とかを中国の方がさっと聞けるとか。いくつかの言語が選べるのは良いと思いますし、そのようなデジタルモニターを入館時に配布して聞いてもらうと非常にスマートになってくるのではないかと思います。 

【副会長】
ユニバーサルというのは、一つは外国人を、一つは身体的に大変な苦労をされる方、それから、高齢者から幼児まで含めてです。ただ最近、ユニバーサルという意味が拡張されて、物理的な車椅子とかではなく、情報へのアクセシビリティ、アクセスが可能な情報なども含まれています。 

【委員】
資料5ページの展示更新の基本的な考え方の中の(1)~(3)ですが、従来の館の目的、基本理念を説明しているのか、時代の変化として更新することを説明しているのか、どちらでしょうか。 

【事務局】
従来の館の目的、基本理念のことを書いているわけではなく、それを踏まえたうえで、時代の変化に応じてどのようなことを目指すかということで、今回新たに書いたものです。 

【委員】
広島の資料館で気付いたことは、現在の核の状況の展示は、殆どゼロなのです。例えばウクライナのロシアの侵攻が始まって核の威嚇がされて・・など、無かったですね。更に、記述内容を改定しないといけないことは次々出てくるのではないか、それをどのようにアップデートしていくか、ということは問題だと思います。今の時代を生きる若者が、特に、中学生とか高校生ですね、彼らが今生きている時代のことが、切られているのはいけない、と思いました。 

【副会長】
事務局はコメントありますか。 

【事務局】
今のご発言は、まさに課題として捉えていることですが、現在の資料館は平成8年の開館ですが、開館後の国際情勢の情報がやはり乏しいということ、またスペースの問題もあり、加筆を重ねていくことも難しいですので、タッチパネルの情報は増やしていますが、モニター設置だけでは、人の滞留などを考えると十分に情報発信できないということもあり、今回そこも含めて検討していく必要があると思っております。 

【副会長】
2年後のことを考えつつ今のウクライナ情勢、ロシアの情勢を情報の中に入れるというのは余程慎重にしなければいけないと思いますが、博物館も時代と共に動いていますので、情報のアップデートというのも必要だと思っています。
時間が押してまいりましたので、今日の論点は歴史認識でしたが、改めて文字に起こして、議論を踏まえてそして確認をする、といったことをしたいと思います。
特に委員から説明いただきました4つの視点とかは、紙ベース、文字ベースになおして、合意形成を図りたいと思っていります。「展示更新の基本的な考え方」で先ほど読み上げたように、このような形で考え方を整理しましょう、といった議論を口頭だけではなく、文字で議論した方がいいように思うのですが、委員方いかがでしょうか。
次の小委員会は、9月中旬以降ですか、その間に今日の議論は文字化して議事録のような形にしてフィードバックして整理すると、そういった確認作業ができればよいかなと思います。よいでしょうか。それではあと10分ですので、一言ずつ今日のまとめのコメントを委員方お願いします。 

【委員】
長崎の原爆資料館という財産、これは長崎にとっての財産であると同時に、日本にとって世界にとっても不可欠な、極めて価値の大きな財産だと思っています。こういったものがより多くの方々、とりわけ若い世代の方々に来ていただける、そのためにも充実した展示を作っていくことは、大変有意義なことだと思います。
長崎の内外から、様々な声が届き、要望や様々な見解が寄せられていると伺っています。こういったものにも耳を傾け、可能な限り多くの方々が納得し、また満足いただける形で議論を進めていきたいと感じています。 

【委員】
歴史のところは大変センシティブな問題がいっぱいありますから、先ほどから何度も委員も言われているように、一面からではなく両面、といいますかね、バランスを取った見方で記述していくという考え方が、非常に私には印象的でした。これはぜひ実現できたらいいのではないかなと思います。
日本の加害の歴史などもそうですが、こればかり強調していくのもちょっとバランスを欠いてはいけないと。加害の歴史と、それから、世界的に日本が追い詰められていくような部分があるわけですから、そこらへんのバランスをとって、そのような事実を展示することを心がけていけばいいのではないかと思います。それが若い人たちにとって太平洋戦争、日米戦争から学ぶことになるのだろうと思いますね。 

【委員】
今日の論点は非常に重要な論点であると同時に難しいと思いました。特に展示面で考えていくと、多数のダイバーシティのある人たちが来るわけですから、難しいと思います。しかし、やはりこの現代史の中で一番複雑なところを分かりやすく展示する、というのが資料館としての腕の見せどころというかですね、これによって今後の世代の考え方、理解が深まるかどうかというところにかかってくると思いますので、今回の議論を踏まえて新しい意見もあったと思いますので、ぜひ充実して分かりやすい展示をしていただければと思っています。 

【委員】
様々な新しいご意見が出されたので、私たちは大変な作業をしないといけない、と思いを強くしました。また、「歴史認識」という言葉は、委員はそれで何冊か書いておられますし、戦争についてはそれぞれ様々な研究が深められていますが、その中でも例えば少し議論になった1920年代の「戦争は違法か」という問題については、まとまった単著がこれまであまり無く、小牧聖子さんがアメリカを中心にしてまとめたのが2年前の成果くらいかと思います。
歴史的事象の中身は皆が知っているものの、更にそれを深めて歴史学の専門の単著として出てくるのには一定時間がかかるということがあります。そのような意味では、現段階の一番新しいところということを、高校の教科書を超えて、私達も提案しないと、学んでいかないといけないと思いました。 

【委員】
前回の小委員会でもお話しした、核兵器を巡る国際情勢ですが、単に事実を述べるだけではなくストーリー性を、ダイナミックに立体的に物事が分かるようにという、今日の歴史の部分と同じような気がしています。
資料館は教科書の年表を書く場所ではないので、全ての事案を書く必要はないと思います。来館者が大きな流れを汲み取って理解し、なぜこうなったのか、そして今後どうすればいいのか、が分かるような展示をして、同様に歴史認識についても、立体的に理解できるように、原爆投下の関連で特に重要な事案を中心にストーリーを組み立てていくと。
例えば冒頭に委員が言われた、満州事変、満州事変は必ず教科書に載るような重要な事案ですけれども、それよりむしろ北京郊外への空爆が最初の戦略爆撃であってその極みが原爆投下であるという、これは非常に重要な流れだと思いますが、普通教科書に載らないけれども逆に原爆投下に関連して重要な事案、という意味では、長崎の原爆資料館としては載せるべきだろうと思いますし、他方で、歴史的に重要な事案であっても、原爆投下にあまり関係ないイベントであれば、それは別に無理して、全て網羅する必要は全くなくて、そういった意味でダイナミックに立体的に分かるようにしてはどうかと思いました。 

【副会長】
様々なキーワードが出てきましたので、再度整理しなければいけないと思っています。いくつか私なりに整理しますと、委員が最初に言われた4つの視点、メッセージの普遍性、バランス、対局にあるのは相対かなと思いますが、あとは、国際的な潮流で日本の歴史と世界史をもう一度融合させて考えてみよう、というお話をいただきました。
それから後半は、スペースの問題も触れましたし、事務局が用意した展示更新の基本的視点について異論はなかったと思っています。
最後のコメントは、それぞれ思いを踏まえたうえの発言と思いますが、長崎の財産であるとか、あるいは長崎独自の視点ということも提示されましたので、これも議事録に残しておきたいと思っています。
それと今回(の更新の想定範囲)は非常に小さなスペースなのですが、余計なことかもしれませんがこういった議論は永久に続くと思います。長崎を最後の被爆地にといっても、そうではない場合も発生するかもしれないし、そのようなときに長崎原爆資料館の発信するメッセージ、これは展示から読み取ってくれる人もいれば、読み取らない人もいると思いますが、この時代ですから、時代の潮流に合わせて変化しつつ、更新していかなければいけないと思います。
ただ20年後のことを考えると、もう長崎は長崎の枠だけではないのではないか、と思います。つまり、広島との連携をどうするのかなど、行政的にも学芸員の交流とか様々あると思いますが、さらに長崎プラス広島というのが日本全体へのメッセージに繋がるといった環境も作っていかなければいけないのではないかと思います。
今は長崎の展示更新ですが、短期、中期、長期といえば短期の話ですけれども、中期または長期という視点もいずれ避けては通れないと思いますので、こういった議論も必ず記録に残して、透明性の確保、あるいは説明責任を果たすべきだろうと思っています。私の進行はこれで終わりとし事務局にお返しします。 

【事務局】
本日は、長時間にわたり貴重なご意見をいただきありがとうございました。次回の小委員会は、調整しているところですが、9月中旬以降に考えています。これで小委員会を終了します。

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