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令和4年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2023年5月15日 ページID:040425

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和4年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

令和4年6月11日(土曜日) 10時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

令和4年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
おはようございます。今回は第2回目の起草委員会になります。お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。今回は、前回1回目に皆様からいただいた様々なご意見をもとに文案を作らせていただいています。
冒頭に、前回、委員からお話しいただいた渡辺千恵子さんの話を入れて、その中で、使ってはならないというメッセージ。それから、こういう危機を繰り返さないためには、なくすしかないというメッセージを伝えるとともに、その後に二つの重要な国際会議に関する話。それから、最後は市民社会の皆さんへの呼びかけ等を中心に構成をさせていただいています。
今日は、2回目ということで、毎年ですが、素案をボコボコにしていただく機会ですので、ぜひ遠慮なく、いろいろなご意見をいただいて、ぜひ3回目に向けて成長できるように、皆さんのお力で育てていただければ思います。前回と同じく、2時間の会議になりますけれども、様々なご意見を交わしていただいて、有意義な時間となることをお願い申し上げて、ご挨拶とさせていただきます。今日はよろしくお願いします。
それでは議事を進行させていただきます。まず私の方から、平和宣言文案を朗読させていただきます。
(素案朗読) 

以上が素案になります。ちなみに、28行目の核兵器禁止条約の締約国会議については、第3回目の会議前に開かれますので、その内容を踏まえたかたちで書き加えることとしたいと思います。文字数でいうと少し多いかなという感じで、これに締約国会議の内容が加わると全体としては少し長めの文章ということになります。
ということで、ここからは、この素案に対するご意見をいただければと思います。

【委員】
おはようございます。案が送ってきた時に、すぐに読みました。そして、1行目から10行目くらいですか、そのあたりに私がお話した時のことが書いてあるなと思いましたので、そこで私が気づいたところを言います。よろしいでしょうか。では、私が書き直したところを言います。
「今から66年前の1956年」、そして一応元号も入れたらどうだろうと思って、括弧書きして(昭和31年)、そして「8月9日、長崎市」は後ろにもっていって、「第2回原水爆禁止世界大会が長崎市で開かれました」。その「会場」ではなく、その「大会」に。「原子爆弾によって」は取ります。要りません。「16歳の時に下半身不随となった被爆者、渡辺千恵子さんが参加しました」、ではなくて、「されました」。
「彼女がお母さんに抱きかかえられて会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。すると、それを見た人たちではなくて、会場の中から、「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、会場は騒然としました」、ではなくて、「なりました」。
「その後に」、ではなくて、「しかし、27歳の渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました」ではなくて、「言われました」。「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」と。括弧書きしてその後ろに「と」。
それから行を変えて、「皆さん」、皆さんって呼びかけてください。「皆さん、この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか」。
という感じで、10行目くらいが、私がお話した分かなって思って、一応自分の分だけは今のように書きました。それでよろしいでしょうか。以上です。 

【委員】
それでは、いくつか感想のようなものを述べさせていただきたいと思うのですけれども、まず、渡辺千恵子さんの引用ですね。ノーモアヒバクシャという言葉は非常に抽象的な概念としては希少で活きると思うのですけれど、やはり被爆者の方からノーモアヒバクシャというのは、本当はどういう意味を持つのかっていうのが語られるのは大切な引用だと思いました。ぜひこれを使っていただきたいと思います。
第二点は、この渡辺さんの話が最初にきて、平和宣言は10か国語に訳されていますけれども、世界の人の中には、原爆でどのくらいの被害があったのか知らない人もいるのかなと。そうすると、2018年、2019年から15万人の死傷者という言葉が入っているので、どこかに「原爆で15万人の方が死傷した」というのが入った方が、もし長くなるようであればあれですけれども、いいのではないかということも思いました。
それから、後ろの方から行くのですけれども、49行目から51行目ですね。“戦争の文化”と“平和の文化”というところですけれども、2018年から平和の文化という言葉が平和宣言の中で使われてきて、2018年に戦争の文化と平和の文化が対比されて、その後は平和の文化という内実は説明されないで言葉だけ受け継がれてきたというところで、この宣言で初めて平和の文化が何を指すのかっていうのを例示的に示されたということで、これはとても大事なことではないかと思います。
やはり、戦争の文化と対比させているということは、ロシアとウクライナの、ロシアの一方的な侵略の中で、私たちが本当に戦争っていうのはどんなものなのかいろんな形で目にするようになってきて、戦争の文化の意味で使われている、「不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする」、はまさに理解できる、その対極にあるものとして平和の文化が、ここでは、「信頼を広め、多様性を大切にし、話し合いで解決しようとする」、はすごく分かって、平和の文化ってこういうイメージなのだなとよく分かるような気がしました。
それで、言葉はこれで良いと思うのですけれど、「不信感を広め」と「信頼を広め」が対になっていて、「暴力で解決しようとする」と「話し合いで解決しようとする」が対になっていて「恐怖心をあおり」と「多様性を大切にし」が対になっていて。意味は分かるのですが、「恐怖心をあおる」は、自分と異なる他者を敵として捉えていること、それに対する恐怖心をあおるということだから、「他者を受け入れる」とか「他者を尊重する」とかそういうことで、「多様性を大切にする」とか言ってもいいと思うのですけれど、「他者を受け入れる」とか「他者を尊重する」とか、そういう言葉で言い換えもできるのではないかと思います。どちらがいいのか、もちろんよく分からないのですけれども。
それがその部分に関する感想なのですが、少し蛇足的に付け加えると、平和の文化って私は祈りってとってもらえると思うのですね。これは実際平和祈念式典、祈りの式典の文章を考えていこうっていう集まりでもありますよね。祈りっていうのは、自分の力は及ばないかもしれないけれども、他者に最善のものを願うというもの。
それに対して、呪いっていうのは他者に最悪のものを願うもの。だから、戦争の文化が呪いの文化なら、平和の文化は祈りの文化であるといえるだろうなと思いながら、ただ、それをここに書く必要があるというのではないのですけれども、そういう視点も必要ではないかと考えました。
それからこれは全体に関わることで、言えないかもしれないですけれども、もし言えたら、少なくとも自分が経験した危機の中では一番大きな核兵器が使われる危機にあるのではないかと思いますので、私たちは第二次世界大戦後、最大の核戦争の危機に瀕しているというのを言えるなら言った方がいいだろうと。ただやはりキューバ危機もありまして、そっちの方がよっぽど危機だったという考え方もあるでしょうから、異論があるから言うのはないでしょうが、今の状況が非常に切迫しているということはどこかで伝えるようにするといいのではないかと思います。
あと一個だけですが、これは21行目から22行目で、「今、核兵器によって平和を保とうとする考え方の下で、核兵器を持つ国が増え、世界はどんどん危険になっています」。この部分を聞いていてちょっと引っかかったのは、核兵器によって平和を保とうとして北朝鮮は核兵器を持とうとしているのか、覇権主義といった方がいいような中で国家エゴを通すためと言った方がいいのではないかと思ったりもします。それで、「核兵器によって平和を保とうとする名目の下に」であれば分かるのですけれど、それが基本の考えとして核兵器が増えていると言うのはどうなのだろうという気がしました。
それから、持つという言葉に「保有」と「共有」と両方が組み込まれていると思いますが、今、特に日本なんかでも問題になっているのが核の共有という考え方ですから、「保有」と「共有」を分けてっていうのがいいのかなという気もいたしました。以上です。 

【委員】
いくつか感想や気づいた点を話させてもらいます。細かいことも含めてですけれども。15行目のところの「核兵器の使用を匂わせ」っていうのは、普通は「ちらつかせ」っていう言い方になるのかなと思いました。
それから19行目、「さらに一人のリーダーの誤った判断などにより」っていう言い方になっているのですけれども、プーチンさんの恐怖なり、指導者としての判断だけを言っていると違っているような気がして、やっぱり冷戦の後の報道が大きく変化している現象の中でこういうことが起きているということなのじゃないかなと思うので、一人のリーダーの誤った判断とすると見誤るような気がしました。
後はですね、36行目の「日本政府と国会議員に訴えます」なんですけど、こういう主張をするのは大事なのですが、国民や世界の人々に対する訴えがあってその次に政府や国会議員にそれを背景にして訴えるという感覚が必要なんじゃないかなというふうに思いました。
先ほど委員もおっしゃいましたけど、戦争と平和の文化についてはですね、これは私も極めて重要な指摘だと思いますのでぜひここは入れていただきたいと思います。やっぱり力と力の対決から対話と信頼の解決という構図を改めて強調するのがいいのかなと思います。
最後のところですけれども、59行から、「長崎は広島、沖縄、そして同じく放射能の被害を受けた福島とつながり」というところなのですけど、その次がいきなり「すべての人々との国境を越えた連帯を広げながら」という、ちょっと飛躍しているような印象があったので、少し表現を工夫された方がいいかなと思いました。以上です。

【委員】
全体の感想として、最初からインパクトのある内容だなと思いました。
29行目のNPTのところですが、30行目に、「NPTは核兵器を持つ国が増えることを防ぐ条約」とあるのですが、防ぐだけでなく「核軍縮を進める条約」とした方が後につながるかと思います。
51行目の、「市民社会は戦争の温床にも、平和の温床にもなり得る」という表現ですが、時代を超えて市民社会という言葉を当てはめるところに、人によっては違和感があるかなと。本当の市民社会があれば戦争は止められるかもしれませんし、今市民社会と呼んでいいものなのかと思ったりもしますので、単純に「私たちは」とすると、色んな私たちが生まれるのでいいかなというふうに思いました。
47行目ですね。「戦争はいつも普通の人々」、ここもやっぱりくどいかもしれませんが、45行目も「私たち」と始まっていますので、あえて「私たち普通の人々」とした方が、委員長がおっしゃるときも上から目線じゃないような印象を残しておくためにも、そのほうがいいかなと思います。
54から55行目のところですが、この一文の中の重点がどちらかというと、「若い世代と力を合わせて、新しい方法にも挑戦」、というこちらの方がメインかなと思いますので、「戦争の体験と原爆の惨禍の体験を伝え続けながら、若い世代と力を合わせて、新しい方法にも挑戦していきます」、とした方が聞いた後に印象に残るかなと思った次第でございます。以上です。 

【委員】
最初の渡辺千恵子さんの8行目から11行目のところは非常に良い内容だと思います。
それから39行目から40行目ですが、「非核三原則を持つ国として、核共有などの『戦争のシステム』づくりに向かうのではなく」と、書いてありますけれども、一つは、岸田内閣になってからこの前のバイデンさんとの首脳会議の中で、防衛力を増やすということを表明されたわけですね。今現在1%をちょっと超えているわけですけれども、2%を超えたら、11兆円という倍になるわけです。そして世界規模第三位の軍事費を使う国、いわゆる軍事大国になっていると、そういったことを少し書かないといけないのではないかなと思います。
それと、昨日厚労省と被爆者の要求に基づいて被団協が交渉をしたわけですけれども、何にも進展しませんでした。本当に情けないぐらい木で鼻をくくったような回答でした。
そのような中で、政府が今後の黒い雨の問題で、広島の84名をすべて救う、そういう判定が出て、その84名と同じ境遇にあった人たちも救うのだと、そういう判例の内容なのですね。それを被告である国が勝手に判例の内容を変えていくと、11の病気のことは何も判例で言っていないのですけれど、勝手に産後被爆者と同じなのだということで11の病気にかからなければ手帳を発行しない、そういうふうに勝手に自分たちが解釈して判例を曲げていくと、そういう状況があるわけですね。そして長崎は切り捨てるということになっているわけです。今、長崎県と長崎市と厚労省と話し合いはもたれていますけれども、昨日の回答ではなかなか本当に難しいなとそういう感じがいたしました。
最後に57行目ですね。「日本政府には、被爆者援護のさらなる充実」と書いてあるわけですけど、私たち被爆者は国家補償に基づく被爆者援護法の制定っていうのをずっと最初から求め続けているわけですね。だからやっぱり、被爆者の声を素直に表現していただきたいなと、そういう気持ちです。以上です。 

【委員】
私、毎回申し上げていると思うのですが、12歳の時に私も被爆して、原爆の恐ろしさを、身をもって感じておるわけです。ただそういった中で、戦後の被爆斡旋活動というものが、理想主義をもって書かれておる反戦平和の方法として訴えておるというよりも、自分たちの政治的立場の援護のために上手くそれを利用しようとするような連中がいかに多かったのかということを大変残念なかたちで思っております。
そういった意味で、この委員会でつくる原案というものは非常に純粋な気持ちで書かれておりますので、私は大変結構なことではないかと思っております。ただただいたずらに反戦平和ということを訴えるだけで、自分の政治的立場を堅持するということのみにそれを投じてきているということが、いかにそういった人たちが多かったかということを私は身をもって周辺の人の中に多かったことを大変残念に記憶にとどめております。
どうか今回の原案となっております純粋な訴えを、皆さんとともに共有しながら今後ともこの平和活動に取り組んでいきたいと思います。反戦平和というものをただ単に訴えるだけではどうにもならないので、やはり何か効果のある、政治的な影響力、圧力は周辺に加わるということがなければその効果はないというのは事実でございます。しかし、ただ単にそういうことをするために反戦平和というものを原爆の問題と同じようなかたちで利用する連中がいかに多いかということを私は大変残念に思っております。
どうかそういった連中と同類とさせられないようなかたちで、純粋なかたちで、この問題に今度とも取り組んでいきたいものであるというふうに思っております。どうか皆さんも一緒に取り組んで参りましょう。以上です。

【委員】
流動的な現状の中で大変なことと拝察いたしております。読ませていただきまして、少し何箇所かコメントさせていただきます。
まず、最初の渡辺さんのエピソードですが、訴求力のあるエピソードだと感じました。ただ、渡辺さんのこの脊髄損傷というのは放射線や熱線と違って通常爆弾でも起こりうるものかなと。そこはやはり海外の人たちに具体的なイメージを湧かせにくいのではないかなと感じました。例えば渡辺さんが被爆したのは爆心地から2.5キロメートルも離れていて鉄骨の構造物の中にいたにも関わらず、そういった重大な外傷を負った、というような、訴求力を少し高めるような表現、説明が入ればもっと違うのかな、と考えました。
それから、10行目に「魂の叫びが聴こえますか」とありますけれども、渡辺さんの叫びを誰に聞かせたいのかっていうところですね。世界の人々や一般の人への呼びかけと理解することもできるのですけど、最初らへん私この辺曖昧だなってちょっと感じたのですけれども、よくよく読んでいくと、非常に段階的に、まずはプーチン大統領ですね、独裁的権力者の代表的なプーチン大統領をまず俎上にあげて、それから13行目、34行目では、「核保有五か国」というのが出ています。
それから21行目と30行目では、「核兵器を持つ国」というのが出てきます。よく読むとそのようにして少しずつ対象が拡がっているということですね。これに核兵器を是認する国というのを加えて、少しずつ拡がっていくといった構成方法をもうちょっとクリアにしていった方がいいのではないかなと感じました。そうすると先ほど意見もあがりましたプーチン1人の悪玉論に走らずに、国際社会の問題点を歴史と共に際立たせていくのに効果的ではないかなと感じました。
それから、17行目から19行目のところですが、この出来事をつきつけた現実は、「機械的なエラーや操作ミス、テロ行為」といった明らかに予測されていた事態に加え、一国のリーダーが核使用を口にするというような新しい時代なので、ここは「機械的なエラーや操作ミス、テロ行為、さらに」というところを、「機械的なエラーや操作ミス、テロ行為だけでなく」として、「一人のリーダーの誤った判断など」を取って、「一人の判断により」としたらどうかと感じました。そうすると、一般的に言われる「核のリスク」に加えて、「指導者のそういったリスク」もクリアになるのではないかと感じました。
それから、21行目から25行目のところですけれども、さきほど言われたように、「核兵器によって平和を保とうとする」っていうここでいう「平和」というのは、宣言の中の他の表現、例えば「平和の文化」、そういったものと「平和」の内容、概念がちょっと違うかなと思いました。ですから、お書きになった表現もあるかとは思いますが、私は、例えば「自国の優位」みたいな言葉に置き換えた方がいいのかなというふうに思いましたけど、その辺はご検討いただければと思います。
そして、「核兵器を持つ国が増え」というところは、先ほどちょっと言いましたけど、「核兵器を持つ国や保有を是認する国が増え」というふうに、核抑止論のことを念頭に置いて、定義を2つに分けた方がいいかなというふうにちょっと思いました。
それから、「一人のリーダーの誤った判断」というのと、「核兵器によって自国の優位を保とうとする考え方」というのが、ある意味同じことを言っていると考えれば、21行目にも「誤った」という言葉を加えることによって、意図できるのではないかなと考えました。ソ連の解体時に核放棄をしなければ良かったという、ウクライナに関していえば、論議も出ていますので、むしろ核共有論を助長しているような傾向にちょっと楔を打っていただければと考えた次第です。
それから国際会議に関して17行目に書いているのですけれども、31行目の「実行できず」というところを、「実行されず」とか「実行せず」とか、できないのかしないのかっていうところをクリアにした方がいいのではないかなと考えました。やはり、こういった、特に核保有五か国が、国連安保理常任理事国であるにも関わらず、特権的な地位に胡坐をかいて、核軍縮の努力を怠っている、そのつけを今回、ウクライナ侵攻みたいな形で出ているのだということを思っていますので、そういった「常任理事国の責任」を少し明確にしていくといいと感じました。
それから、54行目ですけれども、「新しい方法」というちょっと抽象的な言い方になっているのですけれども、私もこの辺の動きには少しは関わっていますので、存じておりますので、具体的なところを少し表現して、世界の若者に参加を呼び掛けるような、そういったものになったらいいなと思いました。
あと細かいところでは、先ほどの「温床」という言葉が、実際には苗床という意味で良い意味にも勿論使われますけれども、一般的な用例は圧倒的に悪い意味で使われることが多いので、少し言葉を考えるのが必要かなというふうに感じました。以上です。

【委員】
本当にたくさんの意見を綺麗にまとめられていて、拝読した時も、心に入ってくるメッセージが込められているなと思っております。それで、今回は、ロシアのウクライナ侵攻というリアルな出来事がある中ですので、より多くの人たちにリアリティをもって受け入れていただくことが多分できるのではないかと感じていまして、その中で、私自身は「平和の文化」というところが一番伝えたいこととしてありましたので、45行目からの部分で感じたことを伝えさせていただきます。
まず、「テレビやYouTubeで見ている」、というところなのですけども、「リアルに目にすることができる時代になっている」、ということを強調できるといいなと思いました。記録された映像や人から伝え聞くのではなく、自分たちが、同じ時代に生きている、悲惨な状況を目にしているということ。その同時性を強調する。「リアルに」と言葉を入れるとか、強調したらどうかと思いました。
今、命が奪われていることに対して、同じように長崎、広島でも命を奪われた方たちがいるということをお伝えしたいと思うのですけれども、どのようにしてこういったことが起こっているのかということをきちんと知ることができる、苦しんでいた人たちがいるという状況から、どうやってこういうことが起こっているのか、どの程度明らかになっているのかわかりませんけれども。
少なくとも議論することができるっていう状況にある私たちは、それに対して意見を述べることができることにもっと感謝をして、その価値をちゃんと理解するという責務を負っているのではないかと私自身が感じているので、当時と比べると今は、そういうふうに声を発する手段を持っているし、声に出すことができる人から声をあげることが大事だということを強調した方がいいのかなというふうに感じました。
「戦争はいやだ」と声をあげることが大事なのはそうですけども、「いやだ」というとちょっと受け身なような感じもするので、自分たちもやっぱりその、戦争に対して意見を述べてそれを反対することができると意識するとしたら、「したくない」といったような主体的な言葉の方が伝わるかなというふうに思いました。ただ、感情として「いやだ」という言葉の方がいい可能性もあるので、それは一つの意見です。
それから、52行目の「平和の文化を示す物語、エピソードは数多くあります」と書かれていますが、確かにその、一般の方が聞かれた時に、「物語やエピソード」というのが、どのようなものを指しているのか、ということは、ちょっと分かりにくいかというふうに感じました。
「平和の文化を示す物語、エピソード」も大切なのですけども、幸せな日常がある人に関しては、このことの感謝の気持ちや、信頼を広め、多様性を大切に、話し合いで解決しようとすること、そういったことの価値に重きを置くということ、感謝の気持ちを表すこと、そういった些細なことでもいいので、皆で、「戦争をやめたい」ということを発信していきましょう、ということを上手い形で、自分たちでもできる、仕方ということがあってもいいのかなと思いました。
「新しい方法にも挑戦しながら」という言葉はやはり、私も若い世代の方といろんな方向でチャレンジされているところを見ながら本当にリスペクトしているのですけども、やっぱり、すごく難しいことのように感じますので、「まずはできる身近なところからやっていきましょう」、と伝えるのがいいかなと感じました。
全体的にこの段落について、皆さんがお話されたような内容に私も納得しておりまして、この段落が多くの人に伝わるような言葉に変わっていくと、よりいいと感じています。以上です。 

【委員】
前回皆さんがお話したことをこうした一つの案にまとめて下さり、本当にありがとうございます。
最初からなのですけども、やはりその具体的なエピソードというのは、世界の方々の心に届くものではないかなと感じました。そしてその、エピソードというと53行目、「それを若者に、子どもたちに、伝え続けましょう」というところにかかっていくので、いいと思います。
細かく見ていきますと、40行目の「平和のシステム」という表現がありましたが、それに対してはちょっと違和感がありました。「システム」というと固い印象があったので、平和への揺るぎない決意、などの意味かなと感じましたので、例えば「平和の礎」「平和の土台」っていう言葉にするのがいいのかなというふうに感じました。
そして45行目、「YouTube」っていう表現があるのですけれども、さっき委員からありましたように、やはりインターネットを通じて私たちがリアルに今の状況を観ることができる時代だと思うのですけれど、自由に発信できる時代になってきて、ミックスメディアのYouTubeというだけではなくて、TikTokとかInstagramだったり、一人一人の声を発することができるような時代にもなっているので、それが世界の動きにも影響を与えるようになりましたので、YouTubeに限定せずに、「ソーシャルメディア」という表現にしてもいいのではないかなと思いました。
そして私も45行目から55行目の呼びかけの中で、平和の文化というものを伝えたいなと思っていたので、入れていただいて嬉しいです。特にやっぱり平和を考えた時に、世界の一人一人の市民が担い手になりますので、さきほど委員からもありましたけれども、「私たち」といった言葉を加えることによって、委員長の優しい声かけで、世界中に伝わりやすいのかなと。
その中でちょっと気になった点があったのですけれども、53行目に、「それを若者に、子どもたちに、伝え続けましょう」という文があるのですが、この通りだと、大人は知っているけど子どもは知らないので伝え続ける、と受けとる方もいらっしゃるかもしれません。
私はピーストークという、平和のことを考えたり、平和を伝える場を広げていく活動をしたりしています。その中で、前回お話した、デルノアさんの話、平和祈念式典の開催を許可した米国人がいたのだよ、という話をした時に、長崎に住んでいる大人も、結構知らない方が多かったのですね。それは研究者の方もそうですし、平和活動をずっとされている主婦の方々、そして報道機関の方の中にも知らない方がいらっしゃったので、子どもだけではなくて、皆で継承しましょう、という意味合いの言葉がいいかなと思います。ですから、「大人や子どもたちと皆で平和を学び、語り合いましょう」というような言葉でいかがでしょうか。
そして、「新しい方法」ということに関していくつか、さきほどおっしゃっていただきましたけれども、新しい方法例えばSDGsだったりいろんな活動を通じて、今まで長崎市内でもそう、動けなかった人、まあそういった大学生だとか、子育て中の方だったり、それぞれのやり方で挑戦していくっていう事例がどんどん増えてきているのを感じています。そういった新しい方法に挑戦しながら、というところはとてもいいなと思いました。
挑戦だけではなく、日常への感謝、そして、小学生に私も出張授業や、ピーストークの中で必ず言っていただくのが、日頃の感謝の大切さ、日常がこんなに大事なのだ、という感謝のことも多いし、やっぱり他者をどういうふうに思いやるか、そこまで私は教えていただいているなと思っているので、そういった大人子ども関係なく、「皆で一人一人が考えていくよ」っていうような、「伝え続けましょう」じゃなくて、盛り込むことができたら、と思います。
そして最後なのですけれども、「長崎を世界最後の被爆地に」という文は入っていないので、例えば61行目で「核兵器廃絶と世界~」というところを、その前に、「長崎が最後の被爆地であり続けるために、核兵器廃絶と世界~」と、その前に入れることによって、メッセージが強いものになるのではないかなと感じました。以上です。 

【委員】
素案を読ませていただいて、最初に感じた感想を述べさていただきます。まず、出だしのところですが、渡辺千恵子さんの文章はとてもいいと思いますが、こういう時期だから、例年どおりの実相ではなくて、もう少し強い表現で入った方がいいのではないかということも考えておりました。
ただ、皆さんのご意見を聞いて、こういうことも必要なのかなと思ったのですが、なかなかこのままだと私たちみたいに渡辺さんをある程度知っている人間はすぐ分かるのですが、これを世界に発信したときに、66年前というところから入るのが、分かりやすいのか、それよりも1945年の原爆によって、こういうふうになられた渡辺千恵子さんが訴えられたという、原水爆禁止世界大会という言葉がなければ、渡辺さんのことが伝えられないということではないと思いますので、直接原爆投下と関係のある表現が頭に入ってきた方が全体に訴える力があるのではないかと思いました。
また、今も戦争がどんどん行われているわけで、こういうことがむしろ最初に入ってこの年の世界の情勢がどうだったのかということがみんなにインパクトを与えられる文章として頭に入ってきてもいいのかなというのが私のひとつの案として考えておりました。
あとは、自分が関わっていることで感じたことは、これまで核兵器のことが全面に出て、今まで戦争という言葉はあまり宣言文の中でなかったと思います。ただ、私たちが日常的にお話をすると、「戦争はいやだよね」という日常会話はできますよね。だけど、「核兵器はいらないよね」、ということよりも非常にハードルが低くなって、申し訳ありませんが、見て、聞いて、自分事として捉えるには、今の戦争が考えるきっかけを作っていると思います。
その反面もあると思うので、今回、戦争について考えて、戦争という言葉を使っていただいたのは、我々一市民が受け取る宣言文としては、非常にこれからを考えるきっかけになったとありがたく思います。
自分の家族、親、子ども、孫が戦争によってどういう状況になっていくのだということは、体験のないものにとっては、非常に力強い宣言の中に取り入れていただいた言葉になるのではないかと思います。
それからさきほどご意見が出ておりましたが、私も36行目からと、45行目からについて、36行目について、むしろ「世界の皆さんに一緒に頑張りましょう」といって、日本政府に強く訴えるのはどうかと思いました。そして、34-35行目は「すべきです」と強い口調で言っていますが、日本政府に対しては、「してください」とかお願い調が多いので、ここはもう少し、国民として強く訴えてもよいのかなと思いました。
それから、非核三原則もこのところ言葉としてよく出ておりますので、これを入れていただいたのもよかったと思います。
それから、42行目、「平和の理念を掲げる憲法を持つ国」とあるのですが、今憲法を変えようとしている人は特に9条に固執して、自衛隊の明記とかいろいろなことを言っていらっしゃるので、私は、この前に、「戦争を放棄するという平和の理念」という、平和の理念はそれだけではないと思うのですが、やっぱり戦争を放棄するというのが、日本国憲法の一番誇るべきところと思いますので、この文言をぜひ取り入れていただけたらと思います。そのことで、我々、日頃考えない人間も日本にはこういう憲法があって、だから私たちも幸せでいられるのだということをお互いに共有する材料になるのではないかと思いました。
それから、48行目、「普通の人たちが」のところは、普通ということが私もピンときませんでした。さきほど、「私たち普通の人間が」といったご意見があったので、それを付け加えていただければより身近に感じるのかなと思いました。
それから52行目と、54行目のところは、さきほどからもご意見が出ておりますし、文章の文字数によると思いますが、もう少し膨らませて、長崎から発信できるものを具体的に書き込めたらもっともっと共感してもらえるのではないかと思いました。
それと、若者や子どもたちのところですが、大人も知らないことがいっぱいあります。大人がやっぱりあまり意識しないできたから、若者も子どももそれを意識しないで育ってきたということもあると思います。
親がしっかりそれを把握すれば子どもにも受け継がれていったのでしょうけれども、戦後、私自身も含めて、そういうことを日常的にあまり生活の中に落とし込んでなかったまま今きていますから、その反省の意味も込めて、「世代を超えてみんなでやっていきましょう」という表現にしたほうが、より強く、幅広くなるのではないかと思います。以上です。 

【委員】
最初の1行目から11行目のところで渡辺千恵子さんのお話があると思いますが、やはり長崎からの発信ということで被爆者の方の具体的な話をいれることはとてもいいと思うのですが、やはりその次に今の世界情勢の話になって、66年前の長崎での話から、今の世界の話に飛んでしまうことが少し分かりにくいかなと思ったので、「全身全霊で警告する魂の叫びが」の後に、「今を生きる私たち、そして世界がその叫びに答えることができているのでしょうか」という問いかけがあったらいいのかなと思いました。
次のところは、他の委員も言われていましたが、19行目の「一人のリーダー」というところは、今だとロシアのプーチン大統領のことだと思ったのですが、確かにプーチン大統領の責任もあると思いますが、それに賛同している人もいるし、ロシアが核兵器を持つことを許した人たちもいるわけで、もちろん全員の責任というのも違うとは思いますが、でも一人のリーダーというよりは「私たち人間の誤った判断」といった誰にでもそういったことが起こりうるといった表現にした方がいいのではないかと思いました。
27行目からNPTについてで、34行目ですが、「核兵器を使わないことを明確に示すべきです」はもちろん核兵器を使わないこと明確にしてほしいところはあるのですが、それに加えて、核軍縮の義務があるというところで、持っている核兵器を減らして最終的になくしてもらうということを言ってもいいのではないかと思いました。
次も他の委員の方と重なりますが、45行目のところ、「テレビやYouTube」で自分が読み取った意味としては、国境を越えてリアルタイムで見ることができ、伝わっていくということがあると思うのでそっちを強調した方がいいのではないかと思いました。
次に48行目の「普通の人々」は意味としてすごく分かるのですが、戦争をするということを決めた人たちよりも民間人の人たちが被害を受けるということはすごく分かるのですが、普通という表現の仕方が引っ掛かりました。他の委員も私たちと言われていましたが、その表現がいいのかなと思いました。だからこそ、普通の人たちが「戦争はいやだ」とか、「ダメだ」というふうになんというか受動的ではなくて、能動的に声をあげることが大事ということも強調したらいいのかなと思いました。
最後に52行目のところから、もちろんそれは若者や子どもたちに伝え続けていかなければならないという継承の部分で大事だと思いますが、そこで大人が伝えて終わりとなってしまっては意味がないと思うので、伝え続けていった上で、「いっしょに考えていきましょう」とすれば、みんなでやっていこうということが強調されるのではないかと思いました。54行目に「若い世代と力を合わせて」と書いていただいているのでくどいかもしれませんが、そういった表現がいいのではないかと思いました。以上です。 

【委員】
素案をいただいて最初に読んだときに、ちょっと流れが掴めませんでした。やはり、最初の素案は皆さんの一回目の意見をなんとか取り入れて作っていただいているので、流れまではなかなか難しいのかなと重々分かっていますけれども、流れ的に一つひとつの段落で終わっている気がします。申し訳ないですが、なんとなく私は、心の中に、記憶に残らなかったです。
最初に渡辺千恵子さんの話がありますが、ここ数年、宣言文の冒頭には被爆者の言葉を引用しています。それはすごく大事なことと思っているのですが、なぜ今、渡辺千恵子さんなのかなとちょっと疑問に思いました。
やはり最初の一声はすごくインパクトを持って始めることがすごく大事で、聞いている人たちを引き付けるとても重要な部分だと思います。そう考えると、「今から66年前の・・・」とくるとやはり弱い気がします。渡辺千恵子さんを最初の部分に入れるとすると今の冒頭よりも、原爆投下から11年後とかに変えた方がいいのではないかと思いました。
これは、今後自分たちのような被爆者をつくらないでくださいという渡辺千恵子さんをはじめ多くの被爆者の声だと思います。だからこそ、ここに持ってきたのであればここからやはり核兵器禁止条約に繋がっていくわけです。
せっかく去年核兵器禁止条約が発効し、核兵器廃絶の一歩が進んだと見えたところで、戦争が起こってしまっているわけですので、ぜひ、この渡辺千恵子さんから移るところで、まず私が考えたのは9行目で終わるのですけど、委員がおっしゃったように、「二度と私をつくらないでください」と、した方がよいと思いました。
続いて、「このように身をさらけ出し、どんなことがあっても核兵器を二度と使ってはならないと訴え続けてきた被爆者の思いが実を結び、昨年1月に核兵器禁止条約が発効されました」として、核兵器禁止条約に、日本が批准をしないことに繋げていいのかどうか。とにかく、ここで核兵器禁止条約に繋がっていっているという流れを持たせたいと思いました。
あとは、全体的に、戦争で核兵器を使うかもしれない危機的状況にあるという危機感がちょっと伝わってきませんでした。なので、他の委員もおっしゃっていたように、17行目の“今ここある危機”というのを全面に出すべきではないかと思いました。
それから、だいたい皆さんおっしゃっていますが、言葉で気になるところは、47行目の「普通の人々」のところで、普通ではない人々はどういう人なのだろうと思ってしまうので普通の人々というよりも民間人とか一般市民とか私たち民間人、一般市民という言い方をした方が、分かりやすいと思いました。
そして45から55行目のところは、今回大事な部分だと思います。もう少し膨らましてもいいのかなと思いました。ここ数年、継承の問題をあげているので、54-55行目のところは、若い人たちに継承していく部分ですのでここも新しい方法を具体的にあげてもいいと思いました。やはり、「長崎を最後に被爆地に」という言葉はここ数年入れてきているので、やはりそこが私たち長崎からの一番の思いと思うのでどこかに入れていただけたらなというふうに思いました。以上です。 

【委員】
多数の意見を反映したかたちでまとめられたこの原案ですが、私は読んで素直に心の中に入ってまいりまして、なかなか良い流れになっているかなと思っております。
ただ、渡辺千恵子さんが最初に出てこられてですね、これ渡辺さんを知っている人はサッと理解できるところなのですけど、世界中の人たちで、今から新しい世代が生まれてきますから、そういう人たちにとって、この記述から原爆のことを受け止めていくのはなかなか大変かなと。やっぱり何行か第二発目による原爆の死者数とか生存者数で、そのうちの一人の渡辺さんがこうだったといかないと、なかなか難しいかなと思いますね。それから原爆から11年後というのも大事かなと思いますね。
渡辺さんもそうなのですけれども、原爆の障害で亡くなっていくのが現在も続いているということで、核の非人道性の最たる部分がそこにありますので、行数を減らせるところは減らして、今言ったところを増やすというかたちで第一段を充実させていただければと思います。
それから、これも非常に細かいところですけれども、16行目にプーチンさんの核兵器の使用を示唆する威嚇ですね、「威嚇」という言葉がここに入った方がいいということと、それからそれを聞いた本当に世界中のほとんどの人が戦慄化したと思います。
だから「世界に戦慄を走らせました」というのも、どうなのですかね、戦慄というのはかなり自分の感覚的なものだから、「世界に戦慄が走りました」、「世界の人々に戦慄が走りました」という自動詞的な使い方の方がいいかなと思います。
それから18行目ですね。ここも非常に大事なところなのですが、今回のプーチンさんのことも考えるとやっぱり本当に核兵器を使う指導者が出てきた場合は、その人が意図的に使うわけですから、ある限り意図的に使われるといった言葉が先頭に入った方がいいのではないかと。
その後に、機械的なエラーとか操作ミス、テロ行為、これは後の方だと思います。その意図的に使われることを、今回のプーチンさんの言葉が思わせたというところが今年の非常に大きな世界的なもしかしたら核の三発目が使われるかもしれないという戦慄が走ったわけで、そこが大事だと思います。
それから、28行目からの禁止条約第1回締約国会議がウィーンでどう展開されるのかというのがまだ全く分かりませんけども、禁止条約がプーチンさんの判断に規範的な影響が及んでいないというか、あるいは逆に言えば、真っ向から対抗している感じもするので、そういう文章がここにどういうふうに入ってくるのかというのが重要なところかと思います。
そして先ほどどなたかおっしゃったように、NPTはやはり核軍縮という核軍拡を防ぐというので、分かりやすいようにここに持つ国が増えることを防ぐと書いてあるのですけれども、核軍縮は落とせないのではないかなと思いました。
それから、後は、かなり私はすんなり心に入ってきたのですけれども、もう一つスッキリと整理されていないのが、この戦争の文化と平和の文化のところなのですけれども、2つを対立的に書くのは分かりやすくはあるのでしょうけれど、実際はある市民社会が戦争も生むし、そこからまた平和を生むということが、現実の戦争の政治じゃないかなと思うのですね。
戦争の定義も、政治的に解決できない問題を武力、暴力で解決するという定義もあるくらいですからね、同じ社会が戦争を生むときもあるし平和を生むときもあるというところを、二項対立で論じていいのかというのに、ちょっと僕は疑問を感じているのですよね。
そこがもう少し対案を出せないのが問題なのですけれども、皆さんにもぜひ考えていただきたいと思うのですけれども、プーチンさんがなぜウクライナ侵攻をしたかということは、ロシアの国という市民社会を含めての将来の平和が、NATOとかと対立しながらも戦争をしないで済むようなということも考えた挙句に、彼の判断は侵攻ということになっているわけですね。
それで解決しようとなっているわけですから。文化という言葉で表している概念が分けられないというのが現実かなと思うのですよね。そこをもう少し考察しながら分かりやすく改訂できないかなと思います。
それから、先ほどの平和の文化を示す物語やエピソードというのは、書き手にとってはイメージされているものがあるのでしょうけれども、これを初めて読んだ人は、戦前の日本の軍国主義の時のこととか考えると、市民社会がむしろ軍部を引っ張っていくようなところもありましたよね。
そういうエピソードとか多数あるわけですけども。温床という言葉が、善の温床というのはあんまり使われないということもありますしね。そこら辺が、この3行のところはもうちょっとじっくり考えてみて、まだ時間はありますので書けないかなと思っているのですけど。すみません、対案を準備できる時間がなかったので申し訳ないです。
それから黒い雨のところの文章がちょっと分かりづらいかなと。「黒い雨を体験した人たちの広島と変わらない救済を求めます」。これは長崎の被爆体験者の救済というのが一回出てきたうえに黒い雨を体験した人たちの広島と変わらない救済ということなのですね。そうすると、体験者の中に2つの体験をしている人としてない人が出てくるかたちになるので、こういう書き方で黒い雨を体験した人たちが救済されたらいいと求めることになってしまいますので、それで果たして長崎の問題は解決するのかなと思うのですよね。黒い雨を体験した人たちは、確か長崎は少ないと思うのですよね。
そういうところがあるので、広島で黒い雨を体験した人たちが救済されたのと同じように、長崎の体験者の残留放射能とかですね、そういう被爆を根拠にして同じように救済を求めると。今度の救済の裁判の判断は、黒い雨による被爆がどのくらいの線量かというのを問わずに判断されていますので、黒い雨で原爆の影響を受けたのは間違いないのだと、しかしその線量がある線量を超えてないのでだめだとこれまで言ってきたのをとっぱらって認めたところに裁判の大きな意義があるわけで、この57、58行目はちょっと改訂が必要だと思います。以上です。 

【委員】
読んだ時の感想ですけど、わりと淡々と素直にさらっと読めたということですけど、逆に少し盛り上がりや焦点がはっきりしないなという印象を持ちました。
最初に委員長が読まれるのを聞きながら、印象が良かったのかどうなのかということを考えたのですけど、委員長の読み方が上手いのですよね。それで、メリハリがあると思い直しました。
一番の強調点は、私は第二文節が今の時期に人々に伝わるのではないかなと思ったのですけど、そこのところの表現をもう少し工夫することが可能かなと思いました。
具体的に言うと、17行目から20行目にわたるところで、今核兵器が使われるかもしれないという危機感がリアルに多くの人に生まれたということだと思うのですけど、その今というのがもう少し戦火を交えている中で、核保有国が核兵器の使用の可能性を匂わせているということで、戦火が交わっている現場の感じと使用の危機ということが、今の表現よりも伝わるような書き方がないのかなと、聞きながら思いました。
それから、ちょっと大きいところではですね、33行目からのNPT再検討会議における核保有国の責任ということが、今回の再検討会議ではっきりと表明されないといけないと思うのですけど、ここに書かれている中身、中身というのは使うな、使わせないということを、今回は戦争の中で使いそうだというのもあるので、そこに焦点を絞って書いたというのはいいと思うのですけど。
その前に、核保有国というのが戦争の中で初めて顔を合わせるわけですよね、禁止条約の場にはそういう人たちは登場しなくて、多国間会議がありますけれども、NPTの場っていうのは、とにかく特殊、戦争中で対立している核保有国が一堂に会するというすごく際どいミーティングになるわけです。その時に、中身の前に、つまりこの場が対立を再現するような場であってはいけないということを一度先に言った方がいいのではないかなというふうに思いました。
例えばですけど、「大きな責任を負っています。会議を戦争の対立を繰り返す場にしてはなりません。相手の意見を聞き、交渉し、譲歩する場にしてください。そして、最終文書の中で使わない」というふうに、最初にとにかくそういう場にするということを前提として言う必要があるかなと思いました。これが割と大きい点でした。
あとはほとんどどなたかが言われたことなのですけれど、繰り返して言いますと、21行目の「核兵器によって平和を保とうとする考え方」という表現を、北朝鮮などの核兵器を持っている国は、もうちょっと素直に核兵器によって国を守ろうとする考えという方が適しているかなというふうに思います。
それから30行目、これは何人かの方がすでにおっしゃったことですけど、NPTは核軍縮を進める条約でもあるので、その両方を入れていただきたいと思います。
31行目の「条約で決めたことが実行できず」というのは、「実行されず」ではないかなと。
それから46行目の平和の文化のところは、先ほど委員がおっしゃったように軽易な言葉だけども抽象的なので、この文章は全体としてもうちょっと練る必要があるかなという印象があるのですけど、とりあえず細かな言葉として、46行目の「幸せの日常」というのはちょっと安易な言葉かなという感じがします。「日常が、いのちが、奪われる」にして、幸せなという形容詞は要らないと思いました。
それから48行目の「戦争はいやだ」という表現がちょっと引っかかりました。やはり「いやだ」という感情ではなくて、もうちょっと主体的な言葉がいいのではないかなと。「だめだ」とか「するな」とか。
それから最後の59行目からの4行というのは一つの文章で、これは切った方がきちんと伝わると思います。哀悼の意を表するという部分と。つながりというのは非常にあいまいな表現なので、例えば、「福島の人たちと力を合わせます」とか、つながりということをもう少し具体的に表現した方がいいかなと思います。
あと、先ほどどなたかがおっしゃいましたけど、「長崎を最後の被爆地に」という言葉は繰り返して何度も出てきていいフレーズじゃないかなと思いました。以上です。 

【委員長】
ありがとうございました。今皆さんから全員にお話をお伺いしたところですけども、全体的に話をお伺いする中では全体の構成自体というよりも、文言や、あるいは趣旨をもう少し伝わるように伝えた方がいい、正確に伝えた方がいいというようなご意見が非常に多かったかなというふうに思います。
この冒頭の部分で、渡辺さんのエピソードを引用しながら、二度と使ってはならないという長崎からのメッセージを伝えつつ、次のパラグラフで「なくすしかない」ということも伝えていく、そういう全体のストーリーがはっきり伝わるようにするという意見が多かったと思います。
特に45行目からは多くのアドバイスをいただきました。まだ粗々の感じで素案を提示させていただいている部分がありますので、さらに練っていきたいと思います。
行数自体は、なかなか今後締約国会議の分が入ってくることを考えると、増やすのは厳しいと思いますので、そういうところも考えながら、全体にわたって見直していきたいと思います。
今日もボコボコにしていただきましたので、具体的な提案もたくさんいただきましたので、そういうものを入れていく中で、かなりよくなっていくのではないかという印象を持ちました。
3回目は成案に近い形の案を出せるのではないかと思っておりますので、せっかくの機会ですので、ほかの委員の皆様の意見を聞きながら、この部分は付け加えたい、先ほどは言い足りなかったというところがありましたらお聞かせいただきたいと思います。 

【委員】
39行目の「戦争のシステム」と「平和のシステム」について、システムというのがなかなか馴染まないというか、システムというのは、一定できているものに我々が利用するような形があるので、先ほどもちょっとご意見出ておりましたけれども、表現のあり方がもう少し、すみません私も代案が何も無くて、受けた時に、理解するのがとても難しいなと思いましたので、何か工夫ができれば、お願いしたいと思います。以上です。 

【委員長】
ありがとうございます。この部分は「戦争のシステム」「平和のシステム」と言う部分があってその後に「戦争の文化」「平和の文化」という言葉があって、そういうシステムをきちんとつくっていくことこそがまさしく為政者の責任であって、そして文化をつくっていくことが私たちの責任なのだという、対になったような構成になっているのですけど、どういう表現があり得るのかということを考えてみたいと思いますが、なかなか難しい部分がありますね。他にありますか。 

【委員】
渡辺千恵子さんのことをお話したのは、私が高校1年生のときにパッと見て、その後、渡辺さんのことが書かれた本を色々読ませていただきました。その中に渡辺千恵子さんが書かれていたのですけど、戦後、女性はみんな高いハイヒールを履くことに憧れていましたが、渡辺さんはヒールの音を聞くと慌てて耳をふさいでいました。渡辺さんは下半身不随で歩けないからヒールは履けませんでした。だから私は渡辺さんの思いがあります。
それから「あたらしい憲法のはなし」。これ文部省が出しているのですよ。日本は戦争をしなくていいのだというそういう気持ちがあって。それから明日、渡辺千恵子さんの「平和への旅」の組曲の発表会もあって、それを聞かせていただくのも楽しみです。 

【委員長】
渡辺千恵子さんの話は前回委員から教えていただいたエピソードですけれども、渡辺千恵子さんのことをご存じない方にも、できるだけこの表現だけで、これまでもそうで、そういう方のことを世界の人が詳しく知っているわけではないのですけど、言葉や情景を思い浮かべていただくことで、逆に興味をもってこれから調べていただくようなことが起きれば、望ましいことだと思いますし、前回直接お聞きしながら、その場で聴き終えた感動のようなものがあったと思います。
そういう意味では少し説明を付け加える必要があるのかもしれないですけれども、エピソードとしては非常に強いもので、伝わるエピソードになると思います。起草委員会方式のこれがまた非常にいいところだと思いますので、これはいい提案だったなと思います。他にも何かありますか。 

【委員】
戦争と平和と言う言葉がかなりキーワードになっていますよね。45行目以降、戦争は基本的にダメであって戦争がないという平和、戦争がなければ核兵器は使われないというのは念頭にあってそれは大事だと思いますが、その使われ方と39~41行目に、システムと言う言葉は別にして、ここで戦争と平和という言葉が出てきていますが、これは非核三原則と言う言葉が冒頭にありますように核に限った使われ方ですよね。少し使われ方が行ったり来たりしたかなという印象があります。
とりわけ非核兵器地帯は通常戦力を増やすことは全然平気になるかもしれません。そうするとこれが平和のシステムと言っていいのかという反論があるかもしれません。核兵器の被害に遭わないという意味では、軍縮にプラスになるかもしれませんが、それが通常戦力にどんどん置き換わってどうなるのかわかりません。そういう反論もあるかもしれませんので、戦争と平和の使い方と核その他の争いの関係は、注意深くした方がいいかなと思います。 

【委員長】
わかりました。ありがとうございます。この部分は今回のウクライナの出来事を受けてだからこそ、核兵器を持とう、使おうという方向に進む議論が一方にあって、そうではなくてだから持ってはならないのだという被爆地の思いがあって、そのどちらに進むのかということが凄く大事な部分で、ここを私たちは明確にどちらに進みましょうということを伝えたいということが一つあります。
もう一つ市民社会に向けた部分についても、市民社会そのものがどちらの文化も伝えていく可能性があります。そのときに私たちは明確にどちらを選んで伝えていきましょうという、そういう全体を貫いていく思いがあって、どうしても同じことが起きたときに、同じことを見ているのに逆方向に進んでいくということが起きていて、それを私たちはどちらを選択するということを、被爆地の思いとして明確に伝えるというのが、こういう言葉の使い方になっています。適切でないという言葉もいただいていますけど、どういった形で伝えることが可能なのか今回整理できるかはわかりませんが、考えていく必要がありますが、選択をするということはすごく重要なことだと思っています。
これは色んなところに言えると思います。世の中でコミュニティを薄くして、繋がりを切っていこうという動きがある一方で、繋がりこそ大事なのだということを選んで、そちらの動きを強めていこうという両方の動きがあります。
どちらを選ぶかはすごく大事な選択であって、色んな場面で同時に起きている中で、一つのメッセージ・主張ができるのではないか、被爆地は常になくそう、なくすしかないと言い続けている。それも選択であって、皆さんとともに選択をしましょうということを言い続けるということに繋がっていると思います。どういう言葉でそれが伝えられるのかということについては、これからも考え続ける必要があることを改めて感じています。ありがとうございました。ほかに何かありませんか。 

【委員】
先ほどお話しがあったように、戦争と文化という部分と、文化という言葉をどうとらえるのかというのがとても大事な部分になると思いますけれども、49と50行目で一つの文で並列にするというのがもしかしたら危険かもしれないと思ったのが、文化の定義を調べてみたのですが。
文化は人間の創造力の基盤となる想像力を育て、他者に共感する心、他人を尊重し考えの異なる人々と共生する資質を生むという理想の実現を目指した精神活動と定義されているので、それを戦争の文化として一つにまとめるのがいいのかどうか、委員の皆さんとお話しし、考えていくことが必要だと思います。ただそれを考えたときに、文化という言葉には違いを乗り越えて互いに共生するという意味でいうと、平和の文化という単語は私たちが伝えたい部分につながるのではないかと感じました。 

【委員】
今日の原案のことではないのですけど、今ウクライナの戦争というか、特別軍事作戦のテレビをみていて感じるのが自衛隊出身の方が解説で登場されていて、その場ではおっしゃらないのですが、そういう人たちが別の座談会などで核の共有、国内に核を持っておいた方がいいよという議論が堂々とされている。これは今年になってから顕著な状況だと思いますね。
そこに核兵器のない世界を言っている岸田政権下では議論はあまりしないわけですが、ウクライナの被害は日本にも同じように及んでくるかもしれないという前提で頻繁に語られていることは私たちも意識しなければならないことだと思います。だから改訂されるときに核の共有のところは少し言及したほうがいいかなと思います。そのために申し上げました。 

【委員】
美辞麗句に拘らないで、人々の心の琴線に触れるような訴えをするべきで、こういった提言書の文案からすれば、これは、私は大変素晴らしいものであると考えます。したがって、こういった自己顕示欲の道具として使うというようなことのない、本当に人々の心に訴えるものとして、私は、これは素晴らしいものではないかというふうに思います。大変結構でございます。 

【委員】
皆さんがおっしゃるのを聞いていて思ったのですけれど、小学生の時に、いろいろ原爆のこととかを学んでいく中で本当に核戦争が起こったらどうしようとずっと思っていました。
その時に社会の授業で、非核三原則とか、憲法九条とかを学んで、すごくほっとしたのを覚えていて、やっぱりそういったことを学んで、日本はこういう憲法を作っているのだなって思えたのを、今変えていこうとしたりだとか、過去のことを普通に正当化したりするようなコメントが出てきている状況が本当に恐ろしいなと思っていまして、39行目から43行目の「非核三原則と、平和の理念を掲げる憲法を持つ」ということを言及されていて、「それを持つ国として先導してください」と伝えているのですけれども。
そもそも、それを変えた方がいいっていう方たちにとっては、だからそれを変えた方がいいっていう議論にすり替えられてしまうのではないかという気がしていて、であれば、それを、その価値を、改めて考え直して、「平和のシステム」づくりをしていきましょう、とか、持たないことに私たちが賛同しています、とかを伝えた方がいいのかなと感じました。国の仕組みとして、というよりも、その価値を改めて考え直して、というのがいいのかなと感じました。以上です。 

【委員】
今、憲法の問題が出ましたけれども、例えば、1945年以前の日本は本当に戦争を繰返した国であった訳です。それが、1945年を境にして、少なくとも77年は日本人が戦争で死ぬことはなかったし、相手を殺しもしなかった。これはやはりあの、太平洋戦争の反省、それから広島、沖縄、長崎、そういう犠牲の上に立って戦争放棄の憲法ができたと思うのです。だから本当に私たちはこの憲法前文と九条によって、私たちが守られてきたと。
今、その憲法を変えて、また日本が戦争のできるような国にしていこうという動きが非常に強まっている。そういった点でやはり憲法の問題というのは非常に重要な時期にきているのではないかということを私は思っています。以上です。 

【委員長】
ありがとうございました。他にありませんか。なければ本日も活発なご意見をいただきましてありがとうございました。これで2回目の起草委員会を終了して、また次回に向けて文案を練っていきたいと思っています。本日もありがとうございました。

以上

お問い合わせ先

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電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

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