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平成29年度第1回長崎原爆資料館運営審議会

更新日:2018年12月28日 ページID:032226

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成29年度第1回 長崎原爆資料館運営協議会

日時

平成29年11月13日(月曜日) 10時30分~

場所

・長崎原爆資料館地下2階 常設展示室
・長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

・展示室Cコーナーのミサイルの撤去について
・Dコーナーのビデオルーム1及び2の運用について
・被爆資料の紹介「雅子斃(たお)れず」

審議結果

1 開 会
2 常設展示室等内覧
3 議 事 
4 閉 会

議事内容
(1)常設展示室Cコーナーのミサイル模型の撤去について審議を諮った。
(2)Dコーナー(ビデオルーム1及び2)の上映内容の更新や活用方法について審議を諮った。
(3)被爆資料の紹介として「雅子斃(たお)れず」の説明を行った。

報告:会長・副会長の留任について
事務局から長崎原爆資料館条例第21条により、当資料館運営審議会の委員任期は、2年となっているが、委員の再任ができることから、引きつづき、会長と副会長は留任することを報告

【事務局】
後ほど、Cコーナーのミサイルの実物をご覧いただきたいと存じますが、今回、Cコーナーのミサイルを撤去したいと考えておりまして、理由につきましては、同模型につきましては、中にしっかりした鉄柱が入っており、少し重量のある展示物となっております。この模型を施設の天井部分からワイヤーで吊るしているところですけれども、経年の荷重負荷によって天井躯体部分にひずみを生じさせていることとか、あと天井がガラス天板になっておりまして、そこのゴムで接合しているシーリング(ゴム樹脂部)の部分の劣化を早めている可能性が出てきております。
今般、天井部分から雨水のしみだしとかが確認されていることとか、他の理由としまして若干これは平成8年の開館から取り付けられている模型でありまして、現行のミサイルの形状等とは実態が違いがあることからも、ミサイルの撤去を実施したいと考えております。Cコーナーのミサイル撤去につきましては以上の説明となっております。
続きまして、Dコーナーのビデオルーム1及び2の運用についてということでございます。
こちらにつきましては、原爆記録映画。ビデオルーム1とビデオルーム2というかたちでありますけれども、ビデオルーム1では原爆記録映画等の上映を行っておりまして、米国戦略爆撃調査団が撮影した原爆の被災記録を編集した「長崎原爆の記録」という映画や、若い世代へ被爆体験を継承するためのアニメーション「8月9日長崎」をエンドレスで流しております。
あと、ビデオルームにつきましては、「核兵器のもたらしたもの」「核実験と反核・平和」というドキュメントを流しております。こちらを有効活用するために、原爆資料館の見学内容の振り返り、まとめなどの被爆継承の空間としてさらに有効活用するため、2の検討項目のとおり、ビデオルーム1、2につきましては学習室としての利用、被爆体験講話や家族交流証言、朗読などを行う学習室としての活用。
2.上映するコンテンツの見直しということで、これまでテレビ等で放映されたドキュメンタリーや資料館においての展示物のふり返り映像、資料映像などを上映できるようにしたいと考えております。
また、ここをさらに有効活用するために、いま地下2階から昇ってくるかたちでの有料ゾーンの延長というかたちになっておりますけれども、ここを一部無料化、Dコーナーを無料ゾーンにして、映像観覧までを一般来場者へ開放して講話や交流証言、朗読などを体験できる場にしたいと考えております。以上が説明でございます。

【常設展示室内覧】

(1)展示室Cコーナーのミサイル模型の撤去について

【会長】
これまで再開前の会議で説明をいただいた他に、現場で説明をいただきましたので、これから(1)「展示室Cコーナーのミサイルの撤去」について委員の皆様からご意見・質問を伺いたいと思いますけれども、挙手の上、事務局の回答を必要とされる方は発言をされる前に質問または要望である旨をおっしゃっていただいたうえで、ご発言をお願いしたいと思いますが。ご意見・ご提言も含めて皆さまいかがでしょうか。

【委員】
まず感想からでよろしゅうございますか。私の感想ですが、ミサイルについてはそういう構造上の問題もおありになるということで、かつミサイルは核を積んでいるタイプのミサイルではないという現実もございますので、撤去されることに私は賛成したいと思います。それが感想の一つなんですけれども。
もう一つはたまたま、この館に入るときに出島のプロジェクションマッピングの宣伝を見たんですけれども、あれを取ったときにすごく空白ができると思うんです。なので、下から廊下にプロジェクションマッピングで長崎の被爆の実態とかあるいは写真とかをうまく工夫して、あの広い壁を使った展示というか映像効果による情報提供といったものができる可能性はないのかなというふうに考えました。
最初入った一瞬のインパクトというのは大事かと思いますので、とりわけ若い人に来ていただこうとすると、そういう方法を本当は自分たちのお持ちになってる携帯と連携するようなシステムができると、その場で見たものが、お土産屋のように携帯に残ると。

【会長】
それを見て、発信すると。

【委員】
はい。あるいはそれを人に伝えるというふうなことができるといいのではないかなというのは今後のための意見でございます。

【事務局】
ただいま、委員のほうからご指摘ありましたように、まずこのミサイルにつきましては、トマホーク巡航ミサイルということで、現在はもういわゆる核弾頭を積んでは使われていないということで、もう退役したミサイルということで、理屈のうえからもあそこに展示してあるのはどうなのかなという議論ありましたので、そういった意味では撤去してもいいのかなと。
これは実を言うと被爆70周年のリニューアルのときにそういった議論もいたしました。後はやはり足場組むのにそれなりの費用もかかるものですから、あのなかには鉄の芯が入ってかなりの重さがあるらしい。実を言うとどのくらいの重さかというのは我々もまだ分からないという状況なんですが。
上のほうがかなり歪んでいるというかたちで今回ご提案させていただきました。その後どうするのかということに関しましては、今いただいたようなかたちで、核のミサイルかどうか分かりませんけれど、いろんな現状する情報提供というようなかたちが、やっぱり何らかのかたちで必要なのかなと思います。
ちょっと我々も具体的にどうしたものがいいのか、どういったやり方があるのかっていうのは予算も伴うもんですから、一定議論をさせていただいて、何らかのかたちでまたそれに補うかたちということを考えていきたいと思っていますので、ただいまご提案をいただいたなかで改めてその後にまたご議論をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

【委員】
その議論の前に、リニューアルをするときに、鳴り物入りで展示をしたわけです。両論あったと承知をしておりますが、世界にいまどれだけのそういう兵器があるのかというのを実物的なものを置く、またはそれを数字的に表すということ、これは数字は当然、いまの数字ではないんです。20年前の表示ですから、だから前あってなぜそこにいまのようなかたちのものを置かなければいけなかったのかという議論のところはもう一回調査をする中身のなかで整理をして、それから今後どうするかという問題については、いまの20年経った現実の時点に鑑みたかたちで必要なのか必要じゃないのか。もし必要とすればいまのような状態で展示をしないで、他にどのような展示の方法があるのかということも展示をする20年前の議論も、先駆者がそういう議論をしながらいまの場所に展示をしたという経過があるわけですから。それは無視されたくはない。もう恐らくここにはそのときに関わりをもったのは私だけしかおりませんので、そういうような立場で前の議論をもう一回掘り起こして整理をして、不要なものは不要。これは継続して新しい時代に沿ったかたちの展示の有り方に対しての一定の評価をするのか、しないのか。それもやはり研究をして欲しいというふうに思います。

【事務局】
いま委員からご指摘いただいたように、特にCコーナー、世界の核兵器の現状というのも毎年刻々と変わっております。
20年前の時点ではああいった状況ということで展示をしておりますし、一部トマホークの下のほうには核兵器の数というのは毎年分かりやすいようにということでこれはずっと調整はしておりますけれども、それ以外も含めてもう一つのビデオも、核実験のビデオもそうなんですけれども、やはりもう20年過ぎるとどんどんどんどん変わっていって、新しいものをどうするかという議論はずっとあると思いますので、いまのご指摘いただいて、幸いレクナのほうもできたかたちで、最新の情報というのが非常に我々も把握しやすいところになりましたので、そういっところもご相談させていただきながら、いま深堀委員がおっしゃられたようなところに関して、根本の部分をきちっと押さえながらまた調整をしていくということを考えたいと思います。ありがとうございます。

【委員】
小学校、中学校での平和教育という視点から少し感想を述べさせていただきたいと思います。
小学校における平和教育というのは大きく二つの視点で学習を進めています。一つは子供たちへの平和に関する資質を育てるという視点が一つあります。一方では、原爆や戦争などの実相を知ることを通して未来に生かすという視点があります。大きくはこの2点かなというふうに考えています。その意味で資料館の展示物から子どもたちが学べることは何かというと、一つは過去の悲惨な実情です。実態を知ることで、それが間違っていることを学ぶことです。
一方それだけで終わると子供たちの問題意識は持続しませんので、では現状はどうなのかという知識が必要になります。そのなかに矛盾点を見出して子供たちは問題意識を抱き、それを持続するということになります。持続ができなければ、大人になってもその意識を持ち続けることはかないませんと考えたときに、すみません。前置きが長くて申し訳ありません。
ミサイルがあそこにあるということは子供たちにとってはすごくインパクトがあります。「ああ、こんな物が、こんなにたくさんあるんだ」そこに矛盾を感じることになります。そうすると、だから是非残してくださいという意味ではないですよ。躯体上の問題があるのであればもうどうしようもないのですが、ですから例えば、いまのあの展示物というのはそういう意味で非常に大切なものだなというふうに感じています。であれば、別の物に変えるよりも実物に近い物ではなくても、例えば先ほどお話しがあったような映像でも良いのでそこにこんなに大きな物が核兵器を積んで、世界中にこれだけの数があるという、子供たちが字面で学ぶのではなくて、イメージとしてその矛盾を感じられるような展示物というのは非常に貴重だなというふうに感じています。もちろん、ミサイルそのものが実物とは違ったりとか、時代とともにその性能や機能が変わってくるっていうことは少なくとも小学生にはあまり、言葉がちょっとまずいかもしれませんが、あまり必要のないことなんです。イメージなので、実は子供たちの学習ってそういうイメージってとても大事だなというふうに思っています。

【事務局】
ただいまご質問ありましたように、原爆資料館の役割というのは一つには正確な知識を伝えていくと、後世に伝えていくというのも確かに大事なんですけど、直観的に子供さんたちにもある程度分かりやすいようなそういった展示っていうか、ある意味ではあれはオブジェだと思いますけど、そういった物もやはり必要なのかなと思っております。
それも含めまして、先ほど委員が言いましたようなかたちで、あそこをどうするか、あの空間どうするかということは、改めてまた議論をしてみたいと、考えてみたいと思います。ありがとうございます。

【委員】
あの現物が、いま材質が鉄なのか何か分かりませんけど、外形を見せるだけだったらいま軽いものがあるわけです材料が。例えばプラスチックとかいろいろ。そういうふうな物に変えるといまのものの50分の1、100分の1っていう重量になるんではなかろうかと思うんです。
そういうことで、いま校長先生言われたようにもし必要というかやはりあったほうが良いということであれば、そういう軽い材質を使って展示するというふうなことはいかがでしょうか。

【事務局】
はい。いまおっしゃられたように、あそこはやっぱり空からミサイルが迫ってくるというその逼迫感とか圧迫感とかこういったイメージっていうのが非常に強いと思います。
あとおっしゃられたように、軽い材質で何かないかという、あれがそもそもなんでなかに鉄の芯を入れたのか我々も今一つよく分からないところがあるんですけれども、重さも分からない状況ですけど。そういったことも含めまして映像なのか、何か別の説明をしようとするものなのかそういったことも含めて、やはり考えさせていただきたいと思います。ありがとうございます。

【委員】
いまのミサイル撤去の件なんですけど、いずれこれを作り変えるとか、あれに類したものを展示はすべきじゃないかと私は思うんです。というのは、戦争のときに当時B29で運んでますよね。それがいまトマホークになり、いま宇宙からのミサイルになってきているわけですから、しかも核の力というか、爆発力がものすごく大きくなっていると、そういう核兵器の巨大化、深刻化、それから運搬手段の発達。こういうようなものが非常に危険な状況にあるんだというようなことを、ミサイルの形が三つか四つぐらいですか、そういったB29から始まって、宇宙から、上から落とす。しかも巨大なやつを落とすというような、そういうようなのが分かるような、ぱっと見て、それは模型で良いと思うのですが、地球儀みたいなものを作っといて、最初は距離も短かったけど、いまは地球の裏側まで行くようになっているというようなことが、子供たちにも分かるような、しかも破壊力が非常に大きくなっているということが分かるような、これは先の話しでしょうけど、そういうことを頭に置いていただければなというふうに感じました。要望です。


(2)Dコーナーのビデオルーム1及び2の運用について

【会長】
それでは、もう一つの「Dコーナーのビデオルーム1及び2の運用について」ですね、それについて皆さんのご意見・ご質問等を伺いたいと思います。質問、要望等、皆さんのご意見をいただきたいのですがいかがでしょうか。

【委員】
中身の提案がきちんと提案をされているわけではないので、いまの現場の有り方はいま説明を受けた。
しかし、いまから先これをどういうふうに変えていくんだという説明はいまから議論をするわけでしょう。
だから、やはりこれは時代に沿ったかたちで整理をすると。全てをやはりリニューアル化して、そして機材その他もそれに適切に整理をするのか、その学習的にする場所を提供するだけなのか、複合型の器具その他も入れたかたちで整理をするのかというね。
お金がかかる、お金がかかるという話しはやめたほうが僕は良いと。少なくとも被爆72年を終えて、75年、80年代に入る一つの祈念館の役目とする意味からすると、ある意味で20年経った状態であと20年先まで使える状況でどう衣変えをしていくか、これいま最初のミサイルの兵器の話しも一緒なんですけれども、やはりその時代その時代に変わった展示というのをやってきた。原子爆弾の模型その他も色も塗り替え、いろんなこともやってきた。
そういうふうなかたちからするならば、いまある施設がいま語り部の皆さん方、学習の皆さん方が二つあるものをどのように有効的に使える仕組みをするのかということを、まず素
案を作ってこの会に。だから、始めから原爆資料館の方針としての予算。だから予算があるのか、ないのかという議論は、これはしないで、どのくらいかければ、広島にも、日本の他の祈念館のなかでも、もう広島、長崎しかないわけですから、当然、代表する教育施設であったり、祈念施設であったりする立場からいくと、やはりここはきちんとお金がかかっても基本的にきちんとするというようなかたちをやらないと、行政がやることで「お金がかかるお金がなかったんですよ」ということはもう2度と言わないでほしいと思う。さっきの展示物の歪みもそうです。しかしそれを言うならば付帯施設である平和会館の問題だって私は言わざるを得なくなってくるので、やはりここは原爆資料館としての機能をどのようにしていくのか。複合的に全体的に見直しをして提言をするように準備をして欲しいと思いますが。
いまからやろうとすれば、当然、新年度の投資予算のヒアリングの時期にかかるわけですから、一定それを2年なり3年の時間をかけてやろうとするのか、単年度でやろうとするのかを含めたかたちでその方針を出して、また審議会にかけるというようなかたちを取られたほうがいいんではないですか。

【会長】
長期的に、資料館の有り方。予算は考えないでということなんですが、そこら辺について事務局いかがでしょう。

【事務局】
ただいまご指摘いただきましたように、この原爆資料館というのは、やはり時代が変わればずっと役割も変わってきますし、どう活用するかというのも変わってくると思います。
最近では被爆70周年の年に大規模な改修をいたしました。このビデオコーナーに関しましても、前は特にビデオコーナーのルームの2のほうなんですけど画面が手前に飛び出していたんです。最新の新しい映像機器を入れて奥に引っ込んで広くなったというような状況あります。
その後ずっと見ておりましたところ、やはり一階を見終わった方あそこの前をけっこうほとんど通り過ぎて行かれる方がほとんどでもったいないなってまず我々が思ったところがあるんです。もう少しここの場所にとどまって皆さんが見ていただくという意味で、まず少し活用の有り方を考えてみようかということが今回の提案でございます。
長期的に見て節目の年には、いま委員がおっしゃられたようにこれはもうきちっとしたかたちで、全体を含めてということでまたご提案をさせていただきたいと思います。ただ今回は活用を少し変えたなかでの様子をまた見た上でまたご報告をして大きな変更が必要であればきちっとしたかたちの計画を作ろうと思っています。以上でございます。

【会長】
原爆資料館のありよう全体的なことについて委員からのご指摘だったと思うんですが、そのなかでもきょうはその一環としてDコーナーのビデオルームの運用についての提案があってるわけですけれども、この点については今日見学されて、説明を聞かれて、皆さんいかがでしょうか。

【委員】
隣の追悼平和祈念館の館長です。今日見せていただいて、もちろん資料館の運営協議会の中で考えることですから、いままでの議論でよろしいんですが、この最後のコーナーの使い方とか、そういう面につきまして、資料館は実相を知る場所。祈念館が祈る場所というそういうスタンスを一応持っていますので是非いろんな、なかでの朗読とか講話とかいろんなものが出てくると思うんですけれども、そのへんの調整を是非よろしく。
おかげさまで祈念館もそういう仕分けをきちんとしましたらやっぱり祈る場所としての子供の平和追悼集会もどんどんどんどん増えてきましたので、最近、目的が明確になってきましたので、なおさら今後も一体化で両館が使えるようなかたちで検討していただければと思います。

【会長】
いま委員から資料館と祈念館の住み分け、言ってみれば「学ぶと祈る」ということをおっしゃったんですけれども、やはり原爆資料館のほうは「物」祈念館のほうは「心」というような感じではなかろうかと思うんです。そういう意味で一層両館の連携の上でよろしくお願いしたいと思います。

【委員】
大変細かいところで恐縮なんですが、仮にビデオルームをそういう学習コーナーに使う場合、ちょっときょうの印象ではやっぱり周りを通る人が多くて、解放空間ですよね。あそこは構造を変えるようなこともしないとなかなか集中できないんではないかなという気がいたしました。
それともう一つは無料にした場合に、無料にするということは、学習室で使うときも無料にするという意味ですか。そこは質問なんですけれども。

【事務局】
無料がどこまでかというのは実を言うとぼんやりしているところがありまして、分かっている人であればあそこまで入って見れるというのはあるんですけど、今回皆さんの意識としては一階を昇りきったところで一段落ついたなという気持ちがあるみたいですから、その辺はちょっとはっきりはしてみたいと。当然、無料空間になりますので、そのなかでの活用を考えると、そういったかたちになると思います。以上です。

【委員】
はい。今のビデオルームを見ていて、ビデオルームのほうでこの入館された方々が、ビデオルーム1、2でこういうふうにエンドレスで上映をしていますという情報を最初のところでインフォメーションでもし得られるとすれば、そういった方々はこの1、2に立ち寄ってみようとされるかもしれないので、その時に平和学習空間として使うこと自体は良いと思うのですが、使っていてそのエンドレスのものが全く見れないというふうになると来られた方々が若干タイミングが良くなかったなとがっかりするかもしれないので、もし可能なのであればビデオルーム2の後ろ側のほうに小さいスクリーンとかで4体確かあったと思うのですが、そういったところで映像を見れるようにするとか、また別のところに使うとか、さっきの空間の使い方だと思うんですけれども、仕分けをしながら別の用途に使ってるときにはこちらで見れますというふうな住み分けができるともっと良いんじゃないかなというふうに感じました。以上です。


(3)被爆資料の紹介「雅子斃(たお)れず」

【事務局】
このほど、私どものほうに寄贈された新着の資料を皆さんにご覧いただこうと思って持ってきております。
毎年、原爆資料館のほうには被爆者にまつわる資料等々ご寄贈いただいているところですけども、特に今年いただいたものとして原爆の被災をされた少女の体験記というふうなことで『雅子斃れず』というものがございました。
これは原爆を大橋の兵器工場で受けた14歳の少女が、その体験をその年に綴り始めたというふうなもので、原爆の手記としてはかなり初期の段階で作られたものです。初期の段階で作られて、当然当時ですので手書きの原稿がスタートになりますけれども、石田雅子様、いまは苗字が変わられて柳川雅子様ってなっておりますけれども、この『雅子斃れず』の直筆原稿他、たくさん資料をいただいています。
件数で申し上げますと、だいたいこの件数としては338件の資料が含まれております。こちらにいまご覧いただこうと思って持ってきておりますのは代表的なもので、実は8箱ぐらいに分けて、箱のなかにたくさんございまして、これから資料館としても中身をよく精査していこうと考えているところです。
原爆の当初の手記として一番最初にできたものとしては永井先生が書かれたご本とかもございますけれども、科学者の視点での永井先生の手記、それから一般の少女としての子どもが書いたものとしてはかなりレベルが高いものです。石田雅子さんから寄贈いただいたときに私ども中身が実は良く分からない状態でこちらのほうにその大量の資料をいただいてきて、時間をかけながら少しずつ見ていったなかで、なかに非常に貴重な資料が含まれております。
原爆資料の手記ということでは追悼祈念館のほうに様々な方々が、「原爆のときこうだったんだよ」というような手記を寄せておられますけども、『雅子斃れず』の特徴といたしましては、その手記をはじめとして当時の日本、占領下にございましたので、GHQのなかでの情報局、こちらが日本国内での情報がどういうふうに報道されるのかというのを一定検閲という言葉が適切だと思うんですけど、検閲局を作りまして情報統制を行ったというふうなものと関連して、『雅子斃れず』はその情報統制のなかでいったん発行が止められた、出版できなくなった。その後、情報統制のなかでどういうふうにこれが批判的な手記ではないんだよということを石田雅子さんのお父さん様の石田壽様はじめ、関連の方々、ご友人方々にいろいろな感想をいただきながら最終的に発行にこぎつけていったと、検閲下でようやく発行できたという出版物としての全体像が分かる資料として私どもは捉えております。
そちらに、ちょっと失礼します。後でお近くでご覧いただければいいんですけれども、その青い台の上に置いてます資料は当時の検閲局から出された検閲文書です。「こういうふうな内容については出版してはいけません報道してはいけません」というふうないわゆるプレスコードと言われるものです。私どももプレスコードの実物というのを見ることができたのは実は初めてで、米国のほうの公文書館とかにはデジタルデータとしてプレスコードというものは残っているんですけれども、実は裏表になっていて、表側に英文でこういうふうな内容は報道しないようにというふうな箇条書きで書いてあって、裏面がありました。裏面のほうには日本語でその内容が訳されたものが書かれてるというふうな、非常に貴重な物を入手することができて、かつ一連、その出版物として発行されるまでの一連の物。それからご友人皆様に、石田壽さん、お父様は裁判官されておりましたので長崎でも文化人として色々貢献された方で、その左側のそちらから3番目ぐらいの台の上に載せてあります。筆字で書かれたものは当時浦上教会の山口司教に感想文として書いていただいたもののお返事の文章でございます。そういうふうに「これは当時のアメリカを批判するものではないよ。そういうふうな憎しみを込めたものではないよ」というふうな感想文をいただいて、出版にこぎつけたり、それから永井先生直筆のお手紙もその額に入っております。そちらでも同じような感想が寄せられていますし、こちらの三つの額は永井先生が石田様に送られた、ご自分が書かれた色紙というかたちになっていますけれども、茅野さんの絵であるとか、当時の季節の果物とかを書いて送られていますので、永井家と石田家のつながりというものの深さもこういうふうな物から垣間見ることができます。
向こうにありますのが、『雅子斃れず』実は長崎で発行されたもの、東京で発行されたものと数冊ございます。そのなかで直筆で当時の草稿原稿があったり、それからもう少しこっちには表紙絵。実際に出版されたものの表紙絵が残っていたりということで、出版にまつわるものとしてはかなり様々な深い資料が残っていまして、一式今回いただきましたのでこの場でちょっとご紹介させていただきます。後でゆっくりご覧いただければそのときまたご説明もさせていただきます。

【会長】
ありがとうございました。以上で予定された議事は終わりですが、何か事務局から連絡等ございますか。特にございません。ありませんね。はい。
それでは以上をもちまして平成29年度長崎原爆資料館運営審議会を閉会したいと思います。本日は議事進行へのご協力誠にありがとうございました。

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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