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平成30年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2018年11月2日 ページID:031960

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成30年度第1回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成30年5月12日(土曜日) 10時00分~16時00分

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成30年長崎平和宣言について

審議結果

 【事務局】
 議事に先立ち、本委員会の委員でありました土山秀夫氏と谷口稜曄氏が昨年お亡くなりになった。お二人のご冥福をお祈りし、この場で黙とうを捧げたい。

~(全員黙祷)~

【委員長】
 今年の平和宣言文起草委員会の委員をお引き受けいただいたこと、そして今日も大変お忙しい中お集まりいただいたことについて感謝申し上げたい。この1年間、核兵器を巡っては本当に様々な動きがあった。昨年7月に禁止条約や採択された後それを受けての平和宣言ということになって、そして先程黙祷を捧げたお二人が亡くなられた。それは長崎にとって改めて「被爆者のいない時代」が本当にやって来るということを実感させる出来事でもあった。そしてその後、平和賞をICANが受賞するという出来事があって、その後も北朝鮮を巡る問題、つい最近ではイランの核合意の問題。新聞の一面を核兵器に関するニュースが占めるということが非常に多くなっているという状況。そういう中での今年の平和宣言ということになるし、この後6月12日には米朝首脳会談があって、その動きもおそらく平和宣言に影響してくるという風に思う。2回目の起草委員会がその会談の直前になるため、2回目は大きな方向性を皆さんと議論することにして、その内容次第では3回目の起草委員会に大きな影響があるのではないかという風にも思っている。また、先日はNPT再検討会議の2回目の準備委員会に出席させていただいた。2020年の本会議までにどういう動きがあるのか十分に読めないような状況でもあったと思う。本当に核兵器を巡る状況というのは、世界中が注目しているテーマにもなっているかと思うので、そのタイミングで8月9日に何をどう発信するのかということについてもしっかりと、例年と同じく、あるいは例年以上にしっかりとメッセージを発信していく必要があると思っている。それから少し付け加えると、今年準備委員会に参加させていただいた中で、平和首長会議の理事会などもあって、その中で非常に話題になったことの一つが、ユースフォーラムという若手の皆さんの動きを報告してもらうことがあって、非常に内容があって、若い人たちの発想力と行動力とネットワークづくりの力をこれから生かすことが非常に重要だということを皆さん実感した。それは原点としての被爆者の言葉が思いとして伝わっていることでもあったと思う。これは非常に希望の持てる動きで、それを私たちがどう後押ししていって広げていくのか。これは国際情勢とはまた違う流れだけれども、確実に広がっている非常にいい流れだと感じた。こうした様々な観点が今回あるかと思うので、いろんなご意見を出していただき、特に今日は1回目なので、それぞれ自由に出していただいて、その中から、2回目に素案を提出する考え方を導きだしていけたらと思う。自由に活発な意見をいただければと思う。

【委員】
 ここ数年、呼びかけの部分を続けて入れていただいているので、そこは今年も入れていただければ。今年の宣言文を考えたところで、私から2つ述べたいことがある。

 1つ目は、昨年ノーベル平和賞を受賞したICANのフィン事務局長が授賞式で行った演説で、特に心に残った言葉。「被爆者たちはこの核兵器の物語の始まりを経験しました。私たち皆に課せられた課題は、彼らがこの物語をその目で見ることができるようにすることです。彼らは、自らの悲痛な過去を何度も繰り返し再現してきました。それによって私たちがより良い未来を作り出すことができるようにするためです。」というメッセージ。昨年度の宣言文にあった「最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンをとぎれさせることなく未来へつなぎましょう」という文章に加えて、フィン事務局長のメッセージを込めることができれば。特にこの、「被爆者の方たちが自分の目で、その終わりを見ることができる」というメッセージを、何らかの形で入れられたらと思う。核の物語の終わりを見てもらえるように、今よりも多くの人たちが核問題に向き合わなければいけないというメッセージを伝える文章を組み込めたらなと思っている。

 もう1つは、いろいろ悩んだが、平和活動をたくさんされている団体があるが、今年はやはり、ノーベル平和賞受賞候補になった「高校生平和大使」を宣言文に入れていただきたいなと思う。1998年から国連への派遣を始めて、20年間続いている功績が評価されたことはとてもすばらしいと思うし、その「高校生平和大使」という名が平和宣言文に残ることで、今まで派遣された高校生、そしてこれから参加する高校生たちにとって、「高校生平和大使」として活動することに、より意味を持つのかなと思っている。

【委員】
 一応3つ書かせていただいた。

 1つ目は、平和宣言が持つ意味と書いているが、もう話題になっている、核兵器禁止条約とICANのノーベル賞受賞、これがやはり長崎の平和の取組みと非常に共通するところがあるなということで、2点。「非人道性を明らかにしていく」点。それから、もう1つはやはり、「市民・被爆者の声に向き合ってきた」というところ。ここのところは、しっかり伝えていただければと思う。

 核兵器の「非人道性」の議論と憲法理念の尊重、ということを2つ目に挙げさせてもらった。1996年の伊藤市長の宣言以来、長崎市、長崎市長が世界に呼びかけるということが受け継がれてきている。「非人道性」を訴える核兵器禁止条約は国連憲章の目的の実現を謳っている。この国連憲章は、日本の憲法と共通する文言もあり、理念が非常に一致する部分がある。そういった意味でも、平和な社会、核兵器のない社会をつくるうえで、日本国憲法というものは非常に重視しなければならない。それに逆行するような国内法制、こういったものに対しては、やはりきちんと釘を刺しておく必要があるだろうと思う。その点も盛り込んでいただければ。

 それから3つ目は、話が出ていた「市民の力」。先ほど委員には平和大使のことに言及していただき、非常に感謝申し上げる。私は身内なものでなかなかはっきり出せなかったが、平和大使にしても様々な市民の活動力というのが長崎市の力という風に思っている。今年の2月に複数の市民団体が展示会を開いたが、それを見て力づけられたと言うか、こういった動きがあるんだということで長崎の市民の力というものを再認識した。そういったことも発信していただければと思う。それから、繰り返すが平和大使のことは、せっかくなので先ほど委員の言葉にあったように、言及していただければ幸いに思う。

【委員】
 私たちも一生懸命、被爆体験講話ということで、学生さんたちに、自分たちが苦しかったことを二度と味わってほしくないということで話をさせていただいているが、そんなことはもう知っているよとか、いいじゃないか核兵器を使っても、というような言葉が少し挙がってきている。そういう言葉が発するような時代になったのだという怖さを、皆様方は知識として知って、二度と戦争のない世界をつくっていくのは我々若い人の力であるということをしっかりと生徒さんたちに伝えていく役目が私たちにあるのではないかなと実感している。

 そうやって被爆体験講話の中には、涙を流しながら、「今日から僕はちゃんとしていきます。」と言う子どもたちはいる。そういう子どもたちを優先的に、被爆の実相の事実を的確に伝えて、二度と核兵器の犠牲にならないために、今こそ皆様方の英知を出し合って、すばらしい世界をつくっていくのだという強い意志を持って、いかなる理由があろうとも戦争はしない、日本は戦争を放棄しているのだからとういうことも発信していっていただけたらいいなという思いでいっぱい。

 それを被爆体験講話の中に入れさせていただいて、みんながそうだそうだと言ってくださるので、また、子どもたちながらに、中学生、高校生、小学生ですけれども、感情豊かな生徒さんたちだから、皆さん涙を流しながら、そんなにひどい兵器ならば直ちに核兵器廃絶の声を上げていかなければならないという事実をしっかりと把握しよう、と言ってくださる。やはり、多くの方々に自分たちが苦しんだこと、私は10歳で被爆しました、爆心地から800m離れたところで。妹も自殺してしまいましたから。こういうことが二度と起こらないようにするために、今こそ英知を出し合って、一人ひとりが多くの人々に原子爆弾、核兵器の悲惨さ、残酷さ、そして命の尊さを伝えていく役目があるのではないかなとそういう実感を持っている。これからも皆様とともに頑張っていこうと思っている。皆様方の力をよろしくお願いしたい。

【委員】
 核兵器のない世界を目指して被爆都市である長崎が、その立場の独自性から呼びかける重みというものは、大変重要な重みがあるものと考えている。最近特に、田上市長をはじめ専門家の皆さんの国際的なご活躍によって、そういった国際的な舞台での発言が非常に重みをなしてきているということは大変ありがたく、また重要なことであろうと思っている。

 ただ、国内でのこうした運動に関する従来のことを振り返ってみますと、どちらかというとボリュームの高さの方に中心がいって、内容的なものを伴わない声になりがちであったということが少しあるのではないかと、私は個人的にはそのように思っている。やはり、今後、国際的な舞台での発言が特に重みをなしていくこういった時代でもあるので、その重みを国際的な舞台で考えたときに、国内的にも、従来の単に声高に平和、反原爆といったことを言うだけでなく、もう少し内容のある、重みのある発言として呼びかけることができれば大変ありがたいのではないかと思っている。そういったことで、内容の伴った発言をぜひ宣言文の中に盛り込んでほしいという風に思う。

【委員】
 日本が戦争被爆国としての役割を果たさない方向に、だんだん進んできているのではないかと思う。特に安倍政権になってから、例えばアメリカの核の先制攻撃をしないという政策に対しても、それは困るということなど、本当に核兵器禁止のことが口先だけになっているのではないかと思う。そういう中で、この前トランプ政権が出した核体制の見直しについても、ソウソク(早速?)、日本の国が高く評価ということで、そういったことについては、私たちは本当に許せないと思っているので、その点も入れてほしいなと思っている。それから、72年経つわけですけれども、被爆者が求めている国家補償に基づく援護法の制定、それから被爆地域が、長崎は極端にいびつな形になっている。そういう中での被爆地の地域是正、このことについてはやはり被爆者に科学的な知見を求めるのではなくて、国がこの時点で、やはり政治的な解決しか被爆体験者を救うことはできない。そういった点も入れてほしいなと思う。

 それから、やはり核兵器禁止条約について日本政府が後ろ向きになっているということを批判していかなければならないのではないかと思う。それと72年の中で戦争、それから原爆被害の風化が段々進んできている。そういった点で特にこの被爆地と、他県の温度差というものが段々広がってきているのではないかなと。こういった点でもやはり、若い人たちについての教育をもっとしていくということが充実されることを望んでいる。

 それから、今憲法改正が新聞紙上で論議になってきているわけだが、日本が太平洋戦争、第二次世界大戦の中で、日本の国民それからアジアの人を殺していった、このことに立って今の日本国憲法はできている。特に9条はできているわけだが、その日本国憲法は国連憲章だとか世界人権宣言を本当に具体化したものだと思っているので、そういった憲法の改正に対しては、まだ憲法が生かされていないということがあると思うので、そういったことも入れてほしいなと思う。

【委員】
 まず私自身の意見を述べさせていただく前に、1つ皆様にお願いがある。私の紙を見ていただけたらと思うが、これまで4年間この起草委員会に出席してきた中でちょっと思っていたことがあって、それが誰のための、何のための平和宣言なのかということを、もう少し明確にさせたいなというのが、ずっとこの4年間思っていることでした。委員の顔ぶれの変化だとか、その年のホットトピックス次第で宣言文の内容とか、あるいはその聞き手の対象が大きく変わるなという風に感じていた。もちろん、その年々で出来事、世の中の流れとかイベントというのは大きく変わるものなので、多少のブレは仕方のないことだが、どうも多方面に気を配り過ぎて、被爆地が一体何を一番伝えたいのか、誰に伝えたいのかというのが正直不明瞭な宣言文になってしまったかなと思った年もあった。私自身が一番そうなりがちではあるが、特に、こういったことを盛り込んでほしいというような抽象概念、伝える対象が表に出ていない意見も存在することを踏まえると、今年度の初回、委員会を始めるにあたっては、委員の中でできるだけ共通の認識を持った状態で議論を進められるように、初めに皆様それぞれに、平和宣言を通して一番「誰に」「何を」伝えたいと思ってこのご意見を書かれたのか、ということを明言していただければ、私自身もそれぞれの方のお考えをより深く理解しやすく、幸いに存じる。一番の下っ端が勝手を申し上げるが、どうぞご理解いただけると幸せに存じる。なので、私の前に発言をされた5名の方々にも、ぜひ2順目として「誰に何を伝えたいと思って意見文を書かれたのか」というのを言っていただければ。

 それでは私の意見文に入らせていただく。私自身は、この意見文を「その他大勢の、活動していない世界市民に、自分事として捉えるきっかけをつくるものであってほしい」と思って書いた。

 昨年度の意見文で、私は“「統治機構としての国家」というものと、国民一人ひとりの集まった『くに』というのは、その意思が必ずしも一致しないのではないか。自国ファーストな国家の暴走が目立っていて、それがあたかも国民全体がそう思っているかのような錯覚が生じがちな今だからこそ、国家ではなく、あくまで『くに』に住む世界市民一人ひとりに呼びかけ、自覚を促すような平和宣言にしてもらいたい”と書いた。一年経ってみて、新しく経験を積んで、改めてより強くその必要性を感じている。というのは、この4月に1か月間実習でアメリカにいたのが、そのアメリカ滞在中に、国家と『くに』の意思は全く違うということを、実際に目の当たりにした。現地のアメリカ人の方とたくさんお話をする機会があったのだが、その方々はそれぞれ、暴走する国家元首の言動をとても恥じていらっしゃって、「あれがアメリカ国民の総意だとは、どうか思わないでほしい」と何度も言われた。しかし、その国家と市民の間のその大きなギャップをどうするのかと聞いたところ、「あれはすごく嫌だけど、自分が声を上げたところで特に何も変わらないので、特別何もしない。」あるいは「日々の生活を送るだけで手一杯だ。」といった回答が返ってきた。これは、その人の中に、「自分も平和な世界をつくるための大切な存在である、担い手である」という感覚がないこと、目の前の問題を自分事としては捉えていないことを示していると思う。私は2年前にアウシュビッツ収容所に行ったのだが、その時に「ホロコーストが起こったのは、ただ単にヒトラーが残虐で正気でない指導者であったからではなく、同じ時代に生きていたほとんどの市民が、世界で起きていることに対して無関心・無気力だったからだ」と聞いたので、それが思い出され、恐ろしくなった。

 心の中でいくら反対していても、声を上げない限りは、その問題を容認してしまっていることと同じになってしまう。世界中にまっすぐに意見を届けることのできるこの長崎市平和宣言には、一人ひとりの心の中に確実に芽生えている、国家レベルの問題に対する違和感や憤りに対する価値を認め、「あなたにできることはたくさんある」と、その小さな背中の一つひとつを後押しするような宣言文であってほしいと私は思う。また、「あなたにできることはたくさんある」と励ますだけでは、もしかしたらもう十分ではないのかもしれないなとも思うようにもなった。それは、今活動していない市民がほとんどというのは、それぞれが自分の生活に手いっぱいだからです。そういう手いっぱいな中で、自分に何ができるかと自分から探すかというと、そうではなく、「こういうことができる」という具体的な提案まで出さないと、きっと動くことはないだろうなと。私自身が今、自分の生活に手いっぱいな部分があって、あっぷあっぷなので、そう感じている。

 また、アメリカの友人らに、核問題についても同様に尋ねてみたが、「正直よく知らないし、遠くない未来に使われてしまいそうだけど、自分は関係ない、何ができるかよくわからない。」と答えられ、それ以上の話の展開を明らかに避けられたな、と感じたことも何度かあった。人は自分の知らないことについて語ることはできないし、余程の強い関心がない限り、その問題に対して縁遠くなりがちだと思う。私自身も今そのような状態になっていて、この場にこんな状態で来ていいものかと、内心ヒヤヒヤドキドキしている。

 しかし、核の時代に生きているのだから、関係ない人などいない。一人ひとりに学ぶ責任があって、伝える責任がある。昨今は核兵器禁止条約の採択、ICANのノーベル賞受賞、南北、米朝首脳会談だとか、これまで到底無理と思われていた、奇跡のようなことが次々に実現している。これらは、ぜひ平和宣言の中で触れられ、高く高く評価されるべきことではあるが、あまりに専門的な方向に話を展開してしまっては、専門知識のないほとんどの市民が聞く耳を閉ざしてしまうという、不本意な結果につながる可能性もある。「今、核兵器の問題には追い風が吹いている。市民が地道な活動を続けていた結果がこれなのだ。このように世界は変えていけるのだ。」というような、ポジティブな印象付けのできる触れ方であれば、とても理想的だと思う。

 また、亡き土山秀夫委員の活動指針であった「多くの人に理解されるものでなければ、核兵器廃絶には近づかない」という言葉を強くそうだなと今まで思ってきた。なので、この言葉に基づいた平和宣言を、皆様と一緒に作り上げることができれば、とても幸いに存じる。

【委員】
 誰に向かってという話でいうと、私の単純な理解では、長崎平和宣言は長崎市長が毎年内外に向かって、日本人に向かって、世界に向かって、毎年長崎市長が出している。そしてこの委員会はたぶんそれに対して被爆者であるとか市民であるとか、学識者の方々、今日もいらっしゃっているが、その人たちが、市長に向かって意見を言って、それがたまたま長崎の場合はかなり濃厚に反映されるという仕組みでやってきて、でも出すのは宣言するのは市長が宣言しているという仕組みなのかなと思っている。それで、各委員の皆さんとも誰に向かって言っているのか、誰のために言っているのか、主に誰に向かってというのはたぶんいろいろだと思う。私も今から自分の意見を申し上げるが、皆さんそれぞれなのだろうなという感じはしている。

 それで私はこれから三つのことを言わせてもらうのだが、いや4つぐらい言わせてもらうが、私は毎年言っているが、平和宣言文は、長崎原爆と過去の戦争の悲惨を忘れずに詳細に語って、後世に伝えていくという役目が1つまずあると思う。もう1つは現在の内外の情勢を見つめて、平和を実現するためにそして核兵器を廃絶するための被爆地長崎の立場をその年の情勢に従って出すという、この大きく2つの組み立てであろうと思っていて、その前者に対しては、今年もしっかり被爆の実相について市長に語っていただきたいと思っている。できれば今年は被爆の実相について冒頭に戻していただきたいなと。しつこいが、昨年も言ったが、そのような気持ちを持っている。たぶんこの部分は誰にという話となると、全世界に訴えていくというふうになっている。

 一方で、後段、今年の、最近の情勢に従っているという話で言うと、私は3つの意見があり、これは3つとも委員の問題設定に従って言えば、日本政府に向かって私の意見を言う。1つ目は憲法について。政権というのは憲法に拘束されているはずで、それが立憲国家だけれども、そういう意味で、私は去年も一昨年もその前も言ったが、安倍政権の方向性に強い危惧を持っている。言い出すといろいろあるが、基本的なことだけ言うと、先ほども言ったが、憲法に拘束をされているはずの政府が、そのトップが、執念の如く、その憲法の改正を言い立てる。特に9条の改正を言う。このことに、強くこれはおかしい、間違っていると僕は思う。そこから考えると、目的ははっきりしないが、想像するに、改憲の目的は自衛隊の地位を、9条に関して言うと明確にすることではなくて、というよりは、やはりこれから先守防衛論を受けて、軍事戦略的な動きの準備がしたい、とそういう風な動きだと疑わざるを得ないと思っている。それで憲法に関する今の私の意見だが、こういうふうな政権の進め方を危惧している人であるとか、何となく危ない方に行っているんじゃないかなとというふうに、歯止めを失っているんじゃないかなと漠然に不安に思っている人がたくさんいると私は思っている。ここで憲法の平和主義の重要性とその道をひたすら歩んでいくという決意を、長崎平和宣言では今までも毎年盛り込んできているが、この憲法の平和主義の重要性、その道を歩んでいくということを今年は、特に憲法について強調して書いていただきたい、というのが1つ目の希望。

 2つ目は、今日専門家の皆さんがいらっしゃっているので、ぜひご意見を拝聴したいと思って来たが、朝鮮半島の非核化に関する情勢が本当に久しぶりに前向きに動きそうになっているということを、今私たちは見せられていて、その点について長崎平和宣言は長年北東アジア非核兵器地帯構想を掲げて、それを日本政府に訴えてきて、それは受け入れられていないが、それと非常に濃厚に重なるような情勢が今動き始めているということで、冒頭市長もおっしゃったが、この動きというのは今年の平和宣言文に何らかより良い形で投影をしていったほうがよいと思う。今日、核軍縮に関する専門の先生方がいらっしゃっているので、その方たちのお知恵で、お知恵でというと人に任せているようだが、そういう方たちのこれまでの視点とか情勢分析を生かした宣言文を練り上げていっていただきたいと希望している。

 最後にもう一つ、原子力発電について。福島の事故は核被害だが、今も全く終息していないという状況にあり、長崎平和宣言というのは、50年先とか、あるいは100年先からも振り返って検証される可能性のある、そういう時代へのメッセージであるというふうに私は思うので、原子力発電に対して非常に多くの国民が抱いている、不安とか疑問とか、そういうものをきちんとすくい上げたメッセージを記録するのが、核被害地である被爆地長崎の歴史に対する責任ではないかと考えている。先ほど委員が「核の時代をみんな生きている」とおっしゃって、全くその通りだと思う。それと同時に、私は、今福島事故を見た日本人が核被害というものが自分にも受け得るということを理解する時代を生きているんだとずっと思っている。その意味で、被爆地長崎ならではの原子力発電、あるいは再稼働に対する厳しい言及をしてほしいというのが私の希望である。

【委員】
 まず、市長が代表して宣言文をお読みになるので、それを少なくともテントの中に来てくださっている観客の観衆、市民とか、長崎市民全体とか、ひいては九州、日本、世界に全部届くように、わかりやすく、そういう宣言文にしていただきたいと思っている。振り返ってみると、去年はいろいろなんとなくいい方向に向かっているかなという気がしていた。7月の国連の核兵器禁止条約の採択に始まって、12月のICANのノーベル平和賞の受賞とかいうのは、委員長がおっしゃったとおりで、ただそういう話題があった反面、北朝鮮のミサイル実験とか、原爆の核兵器の開発とかそういうのもなんか恐ろしいようなこともあった。今年に入ってから、ピョンチャンオリンピックが原点だったと思うけれども、北朝鮮と韓国の仲直りと言ったらおかしいけれども、対話を持とうというような、喜ばしい南北首脳会談に発展してきて、6月には米朝の首脳会談が予定されていると。今日、決定したという記事を見たけれども、そういうことがあっている。ただ、シンガポールで開かれる、僕から見たら、北朝鮮の委員長にしても、トランプさんにしても、何か性格的に掴みきれないというか、二人で話し合ってどうなるのかな。話が合わなかったら自分は途中で帰るということをおっしゃるので、最後まで粘って、よい方に持っていこうという方向にぜひ日本政府としては、仲裁をすると。核保有国と非核保有国を仲裁してドッキングさせて平和な世界を作ろうと、そうするよと言っているのだから、もう少し積極的に、いろいろと意見も出てくるとは思うけれども、アメリカの方の意見をそのまま鵜呑みにしたような、総括したらそういう気がしている。非常に目まぐるしい、どっちに転ぶかわからないというような世界であるが、現実的には被爆者の平均年齢は81.1歳になっている。後を繋げていくのは若者であるので、継続して、各団体でずっと繋げていかないといけないなと思っている。第二世代、第三世代の人たちは、被爆者の思いを、原爆が落ちた時とそれからその後の生活をできるだけつぶさに体感していただいて、語っていただくようにしてほしいと。それから、私たちの、僕は小学1年の時に原爆に遭ったのだけれども、そういう経験を文学的にきれいに表現するのではなくて、もっとギトギトした表現で、人間と核兵器は共存出来ないことを強く、強調していただきたいと思っている。被爆都市だからこそ、それを主張して表現しても許されるのではないかと思っています。去年の宣言文を読んたけれども、広島と長崎を比べてみて、パーセンテージと言うか、理論的なことと。理論と感性が大事だと土山先生がおっしゃっていたのですが、長崎の方が理論が優先しておりまして、広島の方は全く始めから最後まで、感性が多いような気がしました。今年の平和宣言文のメッセージとして、そういう点をできるだけ被爆者のサイドに立って。平和推進協会そのものが被爆者の方と部屋が隣り合わせでいて、連絡を取ったり、話し合っているので、そういうところはよくわかっているつもりでいる。そういうことをどんどん発信していただきたいと。そういう宣言文にして欲しいと思っている。

【委員】
 私も長くここに座らせていただいていて、いつも思うのはやっぱり段々、今おっしゃられたように、どうしても世界情勢が変わると同時に、難しいこと、時代が進んで色んな状況が変わってくると理論的に解釈していかなければならないので、どうしても専門家の方の意見を私たちも聞いていかなければならないというのはあるが、私はやっぱり市長が発表される平和宣言文なので、市民目線がここから消えると、委員が言われた、一般の方たちが受け取る内容がなくなっていくのではないかと。難しいものだということで平和宣言そのものに、関心を示さなくなってしまうのではないかという思いがあって、本当に、いつまでやっているのだと思われるかもしれないが、やっぱり市民代表として意見を言わせていただきたいというのが、いつもここに座らせていただいている気持ち。誰にと言ったら私は、世界の我々と同じような生活している、地域で生活している一人ひとりの方に少しでもわかっていただいて、そして、国を変え、政策を変えるのは小さいけれども国民の一人ひとりの小さな力が大きなうねりとなった時に変わるのだと思うので。だから私はいつもそういう気持ちで、理論的は何もできないが、感性の部分で少しお役にたてるかなと思いながら毎年参加させていただいていて、途中でいろんな若い方とか、新しい方からご意見をいただくということは、とても大事なことだなということを改めて今日感じさせていただいた。

 私は率直に、順不同になっているかと思うけれども、この間の動きで感じたことをここに書かせていただいた。特に今回は、ICANのノーベル平和賞という、大きな力になったと思うけれども、これはやはり、投下から73年、被爆者の方達が、本当に心身ともにもう語りたくない、出かけたくもない。それでもそこを一歩踏み出して苦しみに耐えながらずっと頑張ってくださった。そしてそれを支える市民がいて、被爆者の話を聞いてそれを一緒に何とか変えていかなければならないという世界中の方々の思いが実ったのが、この受賞に繋がったのではないかということで、これは、被爆者の方だけでなく、市民としてもやっぱり喜び合う大きな出来事、やれば何とか変わっていくのだという大きな力になったのではないかなと思うので、これはぜひ取り上げていただきたいと思う。特に、これは昨年もありましたけれども、核兵器禁止条約のところは、良識ある非核保有国の努力で採択までもっていかれ、大きな希望に繋がったと思うけれども、それを発効させるためには、もっともっと市民社会が後押しをして、それを変えていかないと絵に描いた餅になるのではないかなと思っている。

 そのような中、日本は唯一の被爆国でありながら、議論にも参加せず、署名もしないという被爆者の思いを踏みにじるような、世界に恥ずべき行為を、今態度をとっていると思う。核保有国と非核保有国の橋渡しをするとあれだけ高々に言われたのであれば、まず何よりも早急に署名・批准をし、日本の被爆国としての態度を世界に示すべきだと思う。そして、核の傘に守られた安全保障から脱却するための議論、それは後からでもやっていけると思うので、そういう方向転換をしていただくことを強く求めていくべきではないかなと思っている。

 先ほどから言っております、朝鮮半島の非核化の問題、詳しいことはよくわからないが、まだまだ流れはそういう方向でも、不透明なところがたくさんあると思う。そして時間もかかるのだろうと思うけれども、分断された韓国と北朝鮮の統一民族の方が、融和政策へ舵を切っているというのは、同じアジアの人間として平和な社会に変わっていくことは喜びあいたい、そうなっていってほしいと願っている。これはいち市民レベルでいうと、嬉しい出来事かなと思った。こういうのは取り込んでいけるかどうかはわからないが、こういうのにも目を向けながら私たちはこれからの交流をしていくべきではないかと思う。このような中で、日本の果たすべき役割はどうなのか。特に、今アメリカでは圧力で北朝鮮との対話も成功しているということもあるので、日本も拉致問題もあるから、やはり圧力は継続すべきだという声もあるのですが、それだけでは何の解決もしないし、先ほど出たように、崩れるときは早いと思うので。なので、やっぱり圧力ではなくて、対話による知恵を結集していただく。そして日本にはその役割を果たしていただくことを日本に求めたいなと思う。

 そして、先ほども出ましたし、言葉でうまく表すことができないが、憲法9条への自衛隊を明記することには絶対反対としたいと思う。これは解釈の幅を広げる、これまでもいろんな形で解釈の幅を広げてきているけれども、今の自衛隊の方の立場を明確にするのだということでだが、だったらここで変えなくても、明確になっているはずなので。そういう中で、なぜ憲法の中にそれを加えないといけないのかということについては、私はしっかり懸念を示すべきだと思うし、反対すべきだと思っている。憲法ももっともっと勉強していけば、一文見直しが必要な部分もあるのかもしれないが、こういう部分について、早急に、国民の議論もなしにやることに対しては、私は異論を唱えたいと思っている。

 それから、ここは私たちが一緒にやるべきことだと思うけれども、日本の国内の皆さん、そして世界の皆さんに、被爆地長崎市民から、市長が読み上げられるので、市民からという形で訴えていけたらいいなと思う。先ほど被爆の実相という、私もこれは言葉として出していませんけれども、大事な声だと思う。被爆者の耳に声を傾けてくださいというところで、少し実相が表現できればといいなと思う。被爆者の生の声を聞けるのは、本当に申し訳ないが、長い時間いつまでも聞けるような、のんびりした考え方ではだめだと思う。今、限られた時間の中でしっかり生の声を聞いて、そして核の抑止力で世界の平和が守れるかどうか、それを市民として、世界の人と一緒に考えていきたいなと思う。被爆の惨状、それから被爆者のその後の人生を知った時に、核兵器が人道上、絶対許されるものではない、非人道的なものなのだということ。非人道性という言葉だけでは、とても重いのだけれども、そういう被爆者の体験から核兵器が人道上許されるものではないということを一緒に考えましょうというような呼びかけを市民の立場からしていくと、少し伝わっていくのではないかなと思った。

 それから長崎では被爆の実相を継承するため、今、特に継承問題、市の方でも頑張っていろいろやられているけれども、もう待ったなしの状態になっていると思うので、長崎で様々な取り組みをしていることを、世界各国にもっと細かく、宣言文の中では全部できないとは思うけれども、高校生平和大使とか、代表的なものは書けるかもしれませんけれども。細かいことをもっと国を越えて知らせて、それを実現するために、長崎市民は、そういう方たちに役立つことを望んでいます、一緒に頑張って行きましょうというような市民レベルの訴えもこの中に入れていただけたらありがたいなと思う。

 先ほども出たけれども、私は福島の皆さんにもやはり心を寄せるべきではないかなと思っている。原子力発電所の事故から7年経っているけれども、放射能被害は全く今解決されていない。福島の人々の心身、生活に深く影響を及ぼし続けている。人間の技術で開発していながら、人間が何も制御できないというのは原発事故の後の状況を見ればよくわかる。お金をかけて知恵を絞っても、何も制御することができない。そのことに関しては、何年経とうと、日本がこれだけまた再稼働が進んでいる中で、それが中止されるまで、私たちは一緒に考え、行動して、戦っていきますということを福島の方にしっかり伝えることで、日本国内のいろんな方にも、原子力問題について考えていただけるのではないかということを考えたので、いろいろわかりにくい面もあったけれども、私の考えたことを発表させていただいた。

【委員】
 委員のご要望に応えるということだが、どなたに対して言っているか、やはり、長崎市民、被爆者の方も含めて、それから世界の人々、あなたが言った「くに」といったところ。その中には人々を代表する政府があり、それも含める。これは日本国内も同様で、日本の市民に対しても、そして政府に対してもというところになるかと思う。

 今日は皆さんの意見に非常に賛成するところが多くて、私はそこには言及しないでおく。今新たな核廃絶のステージが始まっている。そこに書いているように、「人類史における核時代が始まってから73年が経ちました。幸いにも核兵器は広島・長崎のあと二度と使用されることなく経過し、今や国際規範となっています。」この国際的な規範ということは、漠然とした言葉だが、はっきり言えば核兵器の使用を具体的に考える政治指導者はいないというところに来ているかと思う。これが今までの長崎の平和宣言文の力であったし、その基盤に被爆者の被爆体験があったのではないか。これが73年間の最大の成果だったと思う。そこに昨年、画期的な核兵器禁止条約が成立して、署名、批准が進められている。一番最近の状況ではICANのベアトリスさんの情報では、40数か国が署名を届け出ていますので、批准も時間はかかるが、2、3年を過ぎると50を超えてくると思う。もっとも100以上になってほしいと思う。「被爆地はこの条約が核なき世界への新たなステップになると受け止めています。」ということを述べたほうがいいのではないか。「しかし残念ながら、全ての核保有国とその同盟国である日本などの核の傘に依存する国々は、禁止条約が核抑止政策を否定し、国際安全保障を損なうものとして加盟を拒否し続けています。」ここに分断が生じているというのが、核廃絶の第2ステージの現実だと思う。「核兵器の非人道性が国際法として正式に認められた今、これらの国々は核兵器を用い続ける核抑止政策から脱却してください。」日本政府に対してもそうだが、日本政府には署名・加盟してくださいと言い続ける必要がある。「国際安全保障の悪化した現状を政治的対話により安定させてください。」これが、米国等の核兵器国も日本などの核の傘国も理由に挙げている第一が、「国際安全保障の悪化」という言葉が使われるが、これにより核抑止政策を続けている。すなわち核を利用していくという状況から脱却できないということ。だから、安全保障を米朝会談や南北会談のように、南北会談は成功したように思いますが、米朝会談はまだわからないが、安定させていかないといけない。この努力が非常に重要だということ。それなしには核抑止論、核抑止政策から脱却できない。「人類の生存が保障される明るい希望のもてる未来を、世界の次世代の人々に与えてください。」

 次が日本政府に対する要望だが、「核軍縮のリーダーシップを取り戻してください。」唯一の被爆国として。外務大臣の設置した賢人会議による核抑止依存国と非核兵器国および市民社会の間の分断を克服するための方策の提言が4月末に開催されたジュネーブのNPT検討会議準備会議で、河野太郎外務大臣がこの提言を8割方踏襲して日本政府の意見発表を行った。これは議長報告にも取り入れられたと聞いている。核兵器国の核政策と軍備の透明性を確保し、真摯な対話によって信頼を醸成し、分断された両方のグループの共通基盤を確立していくというのが簡単に言うとその内容。これは支持できる内容ではないかと思う。加盟を訴えていくというのは大事だが、それに対して非常に抵抗する政府をどう変えていくかというのは、今読み上げた内容を少し詳しく分析しないといけない。そこには核抑止論は長期的に見たら危険だという考え方も述べている。それから、核兵器の役割を低減させるということも述べてある。まあ、日本政府が今やっていないことをいっぱい書いてある。それをさせるという。日本政府はまだ何も行動はしていない。言葉で発表しただけなので、具体的な行動を求めていかないといけない。その延長線上には核兵器禁止条約で進めていかなければいけない。いろんなステップがあるが、ここは重なっていく。そうすると楽観的すぎるとおっしゃるかもしれないが、ある時期で日本も核兵器禁止条約に加盟できる条件が整っていくという風に考えてこういう文書を作っている。そのためには行動で示していかないといけない。例えば、核抑止論を克服するための国際会議を被爆地広島、長崎で開催してもらう。そこに核兵器国も非核兵器国も代表が集まり、市民社会の代表も集まって議論していく。NPT条約の枠組みの延長線上でやっていくことを主張したらどうかなと思っている。核禁条約とNPT条約をよくよく見ると、NPT条約にはない禁止項目を核禁条約でしっかり議論して、相互補完体制をとなる。ICANもそのように主張している。この補完体制をどうつくっていくかが、実現的な核軍縮の進展には非常に重要じゃないかと思う。この分断を克服していく道筋を示してほしいということ。全ての国が禁止条約に加盟できるようなるものと信じたい。この時に市民社会は非常に重要で、加盟を拒否する核兵器国や日本のような同盟国の市民が核抑止政策を支持している背景がある。そこが一番難しい。多くの市民が核兵器禁止条約を歓迎していることを我々は知っている。核兵器国の中にもたくさんいる。そういう市民が広がっていかないといけない。「長崎市民と被爆者は核兵器国の全ての市民に訴えます。」これまでも何回か訴えたことはあるが、今これが非常に重要になってきている。被爆者になお元気を出していただいて一緒に訴えていかないといけない。核なき世界への運動の主導権を核兵器国の市民が握ってその政府を動かして、核なき世界が近づいてくる。オバマさんが言ったができなかった。アメリカ市民がそれだけの広がりを持って核なき世界を訴えていないということ。これは、ロシア、中国、全ての核兵器国について考えるとまだまだ低いレベルのものにしかなっていない。これは今始まっている第2ステージの最大の問題と思っている。だから、若い人たちの教育も非常に大事である。教育は大事とよく言うが、日本政府もよく言うが、教育の方針や中身が大事である。方針や中身は今述べたようなことだと思う。日本政府はよく言っているが、政治家や、特に核兵器国の市民の皆さんに被爆地を訪れてもらいたい。「ともに被爆者の声を聞きましょう。皆さんと被爆地市民の交流は、今はまだ細い流れですが、次第に太い流れとなって、核時代の終焉をもたらすでしょう。」これは自分の心情を書いているが、今度の平和宣言文のごく一部にしか当てはまらないと思う。やはり、平和宣言文なので、憲法9条、平和憲法を貫くというメッセージは特に今年は大事になってくるし、それから、市民社会の力をもう一回再確認してこれが世界を動かすと。今、核兵器国や日本政府が核禁条約に加盟しないという態度を動かすということは、並大抵のことではできない。加盟してくださいとお願いしていくだけではとてもできない。賢人会議の議論の中でもつくづく毎回そう感じる。それを突破していく方策を賢人会議の仲間たちが議論した。本当に真剣に。その中で我々が議論しているような、北東アジア非核地帯とかそういう単語を使っては議論していないが、核兵器がない地帯をつくっていくのは、核兵器の役割を減じていくうえで重要なこと。それをやってくれたらすごい展開になるが、そういうものがたくさん入っているということで、あえて支持したいと。本当は、私は賢人会議のメンバーになりたくなかった。あえて日本政府を動かすためには懐に飛び込まなければならんだろうと思って飛び込んだ。そういうことでこういうまとめになっている。

【委員】
 最初に委員のご質問に答えたいと思うが、私はやはり今まで、すでに何人かがおっしゃっていたが、平和宣言は長崎市長が宣言されるので、長崎市民が世界の市民に訴えるのが一番だと思う。ただ、その中であえて言うならば、特に国を守るために核兵器が必要と思っている人たちに訴えたい。これはもちろん日本の政府、日本の国民も含むが。その方々に、まずは被爆の実相、きのこ雲の下で何が起きたのかということを常に訴え続ける。もう一つは、核兵器をなくすために何をすべきか。毎年、毎年の目標、あるいは提言を含めていくという。これは当然国際情勢の分析も入るけれども、ただ分析するだけではなくて、日本や市民が何ができることを入れていきたい、というのが私からの希望。

 そういう意味で、今日ここに3つ書かせていただいたが、皆さんの話を伺ってさらにまた3つ、6つになりました。

 1つ目は、皆さんご指摘のとおり、今年やはりなんと言っても、南北対話と米朝対話、そして北東アジアの非核化ということが大きなテーマになると思う。板門店宣言の中身を読むと、非常に歴史的な意義が深い。映像ももちろん印象的だったが、私は世界の北東アジアの歴史の転換期になると思っている。実際に韓国の方々ともこの間ちょっと話してきたが、非常に北朝鮮側もコミットしているし、わかりませんが、千載一遇のチャンスであって、このチャンスを逃すとまた未来もなかなかチャンスがやってこないという非常に強い意志を持っておられるので、ぜひともこのチャンスを捉えるべきだというメッセージを伝えていただきたい。日本は何をしているのかということも言っていただきたきたくて、日本も北朝鮮との国交回復を目指した対話をすべきだと私は思う。目的はもちろん非核化だけではなく、朝鮮半島を含めた北東アジア全体の平和なのだから、そのために行動を起こすということ。米朝会談の成果をもちろん見ないといけないが、今のところ対話を続けていけそうだ。今回だけで結論が出るわけではないが、大事なことは物別れになって別れてしまわないことなので、対話が続くことになれば、北東アジア非核兵器地帯の実現が見えてくると。

 実際に今回のNPT準備委員会でも朝鮮半島の非核兵器地帯というのはかなり現実に見えてきているので、南北朝鮮が非核兵器地帯をつくれれば、それに日本が加わればいいわけなので、私は本当にこれは千載一遇のチャンスだと思っている。

 2番目は、これも皆さん既にご指摘のことだが、核兵器禁止条約と核兵器保有国と核の傘の国へのメッセージ。非常に危機的な状況にあるのは、今回の準備委員会での印象は、溝は残念ながら埋まるどころか、逆に深まってしまったということ。核兵器国は本当に禁止条約をないものにしたいぐらいの感じで準備委員会にも対応している。従って我々としては、もちろん批准国を増やしていくことは大事なのだが、特に核抑止に依存しない安全保障政策への転換を図ることを訴えるということで、ここで書かせていただいたのは、実際に核の傘の中にある国の中で、既に核兵器禁止条約の是非を検討している国があるということ。これをせめて今年日本にもぜひ行っていただきたいと。それから禁止条約に参加できなくても、日本にできることはいくつもあるということも言っていただきたい。先ほど国際会議の開催というのを、私は非常にいいアイデアと思った。実は今回の準備委員会の中で、ダリル・キンボールさんが提案していたのだが、「核軍縮サミット」というのを開いたらどうだと。これは核兵器国と非核兵器国を招待していろいろ議論する。これはNPTで実質的な議論が今進んでいないので、「核セキュリティサミット」の成功を習って、国の首相レベル、トップレベルの方々が核軍縮について議論する場。これはまさに、広島、長崎がホストするにふさわしいテーマでないかと思う。

 3番目はちょっと専門的になるが、ぜひ私としては今回入れていただきたいなと思うのは、核兵器をなくすためには核物質もなくさなければならないということを一言入れていただきたい。実は核兵器は減っているけれども、核物質は増えているという現状があるので、ここをぜひ言っていただきたい。ここは実は日本政府の役割が重要であるということ。それから委員がちょっとおっしゃっていたが、原子力発電、原子力平和利用との関係もでできているので、ここも新しい視点としてぜひ訴えていただきたい。

 あと3つ、申し訳ないが。準備委員会で新しく私が感じたこととして3つある。1つは、ジェンダー、女性の役割。核軍縮、平和における女性の役割が今回ハイライトされた。私はこれは非常に重要だなと思って。この委員会、3分の1ぐらいが女性、3分の1以上女性なのだが、核軍縮の会議に行っても、それからいろんな専門家会議に行っても、女性の数がまだ少ない。これをぜひ増やしていかなければならいなと思った。これが1つ。

 もう1つは、若者の話が出たが、準備委員会でもユース・デレゲーション、ユースフォーラムの話が本会議場でも強調されて。これは若者の役割という言葉だけではなくて、平和教育、教育の問題をどうするか。これも非常に重要なテーマなのでぜひ扱っていただきたい。

 最後に3つ目は、ベアトリス・フィンさんが日本に来られた時に、おっしゃったことで私が印象的だったことは、「首相がボスではない、市民がボスだ」という言葉。これをやはり皆さん、私もその時言われてはっとしたのだが、若い人たちが特に。首相が右と言っていたらなんとなく従わなければならないというカルチャーがあるのではないかという指摘があって、実はそうではないと。首相の首を動かすのは市民の方々だという発言があったので、これをぜひ入れていただきたいなと。

【委員】
 私はこの10年間ぐらい学校教育というか、長崎市内外の小中学校に出前講座として平和学習に携わっている。平和宣言文起草委員会の話をいただいて、私に何ができるだろうかと考えた時に、これまで出前講座で子どもたちと関わって感じたことを少し提言できれば意義があるのかなと考えて、参加させていただいた。委員が言われていた、誰に向かっての提言文かという前に、私はここにどういう存在としているのだろうかという風に感じていくことも大切かなと思っている。長崎市長の言葉から、全世界へ向けたメッセージであるとともに、やっぱり私たちはメッセージを込める者として、私たち個々人が、誰の立場としてメッセージに加わることができるのかということを、本質にきちんと持っていないといけないのかなという風に思った。この話をいただいて、過去10数年の起草文を読ませていただくと、だいたい同じようなパターンで作られていて、最初、原爆の被害のことがあって、その年のいろんな世界情勢のことがあって、ここ数年は福島の問題のことに触れて心を共にしていきます、という言葉で送っている、何か定型文みたいな形で締めくくられている。すごく短い文の中で、どういう言葉を埋めるのだろうと思った。その中で今年の宣言文で明記するものとしては、シリアに対しての米軍があった時に、また世界が戦争に近づいているのではないかという非常に危機感として感じている中での、南北朝鮮の非核化を目指した話し合いが行われた。これに関してはすごく未来が見えた気がしたので、明るい意味でもこれは明記してもらいたいと思った。ただ、このところの政治的なことを見ている中で、私が一番感じるのは、この政治的なことを見て、子どもたちがどう感じているのか。私たちが残していかなければいけないことは、歴史に残る中できちんと検証なされるべきことが残っていくべきだと思っていて、文書偽装問題とかがあって、これでは真の歴史が残っていない、できない時代が今来ているということにとても危惧を感じた。今、私たちが生きている中で子どもたち、次世代に残すべきは正しい歴史を残していくこと、というのをきちんと守っていかなければいけない。その基本的になることを日本国民である私たちをはじめ、政府も守ってほしいなと感じている。その中で、人間として間違いは必ず起こすものだから、大人としても間違ったことは、間違ったと謝ることができる、誤りをきちんと正せるということもきちんと子どもたちに見せていくべきではないかな、と思った。国会とかそういうものを見ていく中で、子どもたちがどう感じていくのだろうというのを感じた。正しい歴史を残し、大人が大人としてきちんと謝ることができる、正すことができるということを、大人側から言ってほしいと思った。

 いろんな方が教育問題とかでこれからの内容はということをお話しされているが、子どもたちは教育をすれば本当にスポンジのように吸収していく中で、きちんと教育さえすれば、たくさん知識として残っていくと思う。福島の問題に対しても、先日5月7日に小学5年生の平和学習をさせていただいた中で、最後の質問の中で、「原爆の行方不明者は何人ですか。」という質問を受けた。私はその時行方不明が何人なんて考えたことがなかったなと思った。それは、被爆者にとって行方不明者はありえない話なので。「死亡者数がわかったりわからなかったりという中での行方不明者数というのは数えることができないから、その数字は答えることができないのよ。」と言ったが、その「行方不明者は何人ですか。」という言葉の中には、きっとその子の中では福島の原発で亡くなった数、行方不明者数という言葉がきちんと残っていたからその質問が出てきたのだと思った。だから子どもというのは思ったよりもいろんな知識を吸収して理解していくということができるので、本当にきちんとした教育がなされれば、これからの未来を担っていく子どもたちが育っていくのかな、と思った。この起草文もそうなのだが、このところの南北朝鮮の話にしても、日本がどう乗っかって何かをもらってこようという依存性が高いな、という風にとても思う。その中でこの起草文でもそうだが、もちろん世界情勢を見極めるのは大切だが、じゃあ、「長崎市民として長崎市はこういうことをします。」ということを宣言する文書が中にあってもいいのではないかと思う。だから、依存するため、理解するためだけの宣言文ではなくて、じゃあ、長崎市民としては何をすべきか、子どもたちにこういうことをします、とか、長崎市民が行動を起こす、という言葉を込められたら、それが一歩踏み出すことの手本になるという意味もこの中に込めてほしいと思った。いろいろ長く書いているが、このところ一番気になるのが被爆者の被害の表現の中で、一瞬で人が消えたというお話をされる方がとても多くて、原爆では一瞬で人が蒸発するということはありえなくて、いかに一瞬で消えたら楽だったろう、ということを被爆者の方がよく言われる。ですから表現にしたって情緒的であったり、インパクトがある言葉を使って原爆を伝えるということには気を付けるべきで、正しい知識をみんなで、言葉で伝えていく必要があるということ。一瞬で灰になったとか、一瞬で人が消えたとか、そういう一つの言葉を使うにしても検証が必要になっている時代が来ているのではないかと思う。一瞬で消えるはずはない、という例を後につけさせていただいた。

【委員】
 昨年の起草委員会で皆さんから意見が出たと思うけれども、「起草文を毎年全部変えなくてもいいのではないか」という意見が出たと思う。私もその意見に賛成で、ここ例年、同じ内容ということがあったと思うが、世界各国のリーダーへの被爆地訪問のお願いとか、日本政府に対しての「核兵器禁止条約」参加の訴え、そして日本政府へ被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を求める。この3つは昨年同様、入れる方がいいのではないかと思っている。

 それから去年、私は被爆者の方々と一緒に活動しているが、すごく感じたことが、この起草委員会でもご一緒した土山先生や、一緒に活動してきた谷口稜曄さんが亡くなったことがすごく私にとってはショックなことで、被爆者というのはいつかいなくなるというのは頭のどこかで思っていても、ずっと先頭を切って平和活動をされていると私はずっと思っていたのだけれども、そのお二人が亡くなったことを、本当に去年実感として感じて、本当に被爆者はいなくなる時代がやってくるのだと実感した時に、私たちはそれを引き続いで何ができるのだろうかと思った時に、すごく不安になった。今までのんびり構えて平和活動してきたところがあって、本当に急いでやらないといけないのだ、という焦りと不安を感じたということがあった。それで、ここにも書いているのだけれども、今年の平和宣言文の中に、ぜひ長年平和活動をやってこられた土山先生や、谷口稜曄さんが残されたメッセージを入れてみてはどうかと感じた。ちょうど2013年には山口仙ニさんがお亡くなりになって、その時には「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」という言葉が入ったので、それと同じようにぜひこの宣言文というのは後世にも残るものだし、世界にも発信する言葉でもあるので、ぜひお二人の言葉をどこかにいれていただきたいなと思う。

 ここに、私がお二人のメッセージで残したらいいのではないかというのを書き上げているけれども、これ以外にも皆さんはもっと言葉を入れた方がいいのではないかなと思うのかも知れないが、私がここに挙げているのを読んでみたいと思う。このお二人のメッセージは、私が活動している追悼平和祈念館の「永遠の会」が9日に必ず「9日朗読会」というのをやっていて、お亡くなりになった後に、その朗読会でお二人のメッセージを取り上げて、読んだ部分から抜粋してここに載せた。

 土山秀夫さんのメッセージ。

 「あなた方が核兵器を保有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである。私たちはあなた方指導者が、真に「核兵器のない世界」の実現に向けて直ちに第一歩を踏み出されるよう、ここ被爆地ナガサキから地球市民の名において強く求める。」

これは、「核兵器廃絶─地球市民集会ナガサキ」の長崎アピール2010からもってきました。

 次に、谷口稜曄さんのメッセージ。

 「核兵器と人類は共存できないのです。私が歩んできたような、こんな苦しみは、もう私たちだけで沢山です。世界のすべての人々が平和に豊かに生きて欲しい。そのために皆で最大の力を出し合って、核のない世界をつくりましょう。人間が人間として生きて行くためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。」

これは、ピーター・タウンゼンド氏が書かれた『ナガサキの郵便配達』から持ってきた。

 このお二人のメッセージが被爆者の思いの全てだと思う。ぜひ後世に残していきたいと思う。

 3つ目は、先ほども申したように、被爆者の方々と一緒に今活動しているけれども、本当に被爆者の方が高齢化していて、被爆者の各地域の団体が解散しているような状態。なるべく被爆者の方々が今後も参加していけるように、被爆二世などがサポートして再結成した会もある。被爆二世がサポートしているといっても、私たちも現在現役で仕事をしている方や、私みたいに子育て真最中の主婦もいるし、なかなか思いはあっても細かいところまでサポートができないという状態。委員の方々からも意見があったけれども、市民力というのがすごく大事だと思う。多くの市民の方に一緒に参加をしていただいて、これからの被爆者運動も継続できるように、訴えていったらいいのではないかと思う。実際に市民の活動としては、私のように「家族証言者」として全国各地に被爆者である父の体験を語ったり、あと「永遠の会」のようにたくさん被爆者の方が残された被爆体験記を読むことによって、子供たちの平和教育の一つとしてお役に立てていると思っている。ぜひそれは引き続きやっていきたいと思うので、高校生平和大使など一般市民が関わることが必要になってきているということも、どこに載せていただけたらなと思う。

 このように、被爆者の方々が今まで一生懸命作ってくださった道を皆で歩んでいけるように、最初に委員に言わないといけなかったけれども、私の立場からすると、一般市民の方、それは日本の市民だけでなく世界の市民の方々に訴えるような宣言文にしていきたいなと思っている。

【委員】
 委員の問題提起に答えないといけないけれども、2つの側面が私にとってはある。1つは、私はもう80歳だが、同世代で同じような問題を抱えている人とのコミュニケーションというものが私の時代では本当に同じようなことを若い時考えていたことをはっきり記憶しているけれども、議論をできた同世代だとか、そういう問題を抱えている人がその当時は社会を変えるという問題意識だったけれども、例えば一人ひとりがどうやってこの平和の問題に関われば、究極的な目的に達するんだということを、それは並大抵なことではできない。一人ひとりが変わらないといけないという事を絶えず原点にしているけれども、それをどうやって実現しようかという事は結構同世代の中で議論をした。今そこで書かれていることをまさに考えて議論したなという事を思い出す。その時、例えば、今だとSNSというようなコミュニケーション手段があって、そういう繋がり方ってあると思う。時代ごとにそういう問題の解決の仕方というのが変遷しているだろうなという風に思う。時代を超えた問題を提起されていることがまず大きな問題意識としてある。それで、そのことについてどうするかということは非常にその時代の感じ方やコミュニケーションの仕方というのに依存しながら、それぞれの人が発見していくのではないかという事で、戻すけれども、若い世代の委員に頑張ってほしいというのが1つの側面。

 そういうことを前提にして私自身という事で考えると、割とプラグマティックにいつも起草委員として今年何を入れてもらいたいということを考えると、核兵器廃絶のために実際に自分が接している人たちが、この平和宣言を読んだ時に、どういう風に使えるか。それから、その人自身が新しいインパクトを受けるか。それから、その人が思い至らなかったところに思い至るか、というようなことが、私が顔の見えるというか、実際に廃絶運動にかかわっている人を想定しながらそういう風に考えて、今年はこういうことを言いたいという風に、問題提起しているという、割と現実的で実際的なことがある。具体的に言うと、例えば後で述べるが、今年核兵器禁止条約ができたけれども、署名批准のスピードってそんなに速くない、非常にスロー。でもまずそこで頑張ってほしいのは、採択するときに122の国が賛成投票した。その国の外交官など積極的にこのことを考えている人たちが、長崎宣言を読むと早く批准を急いだ方がいいと、それぞれ国の中で、多くの人が無関心である。けれども、外交官が政治家を説得する。議員を説得するというようなことで頑張ってくれる人がいるわけですよ。そういう人が、長崎宣言という形で被爆地のメッセージを受けた時に、その人はこれはこういう風に使えるときっと思うだろうな、というようなメッセージをこの中に込めたい。それは日本の議員に対してということになるし、NGOなど市民運動をやっている人たちがどういう局面で今年はどういうメッセージを受けると、より彼らに訴えるときに役に立つだろうというように、いろんな人たちの顔を見ながらそのメッセージができるだけこれに込められて欲しいという風に考えているので、そういう意味では、最初は先程組み立て方は何人かの委員がおっしゃったとおりの事だと思うけれども、もう少し私はプラグマティックに考えているという事を1つわかっていただければ。

 私が今年の起草委員会の中で考えてほしいという事が4点ピックアップして私の意見として書いた。それを少し捕捉しながら話をしたいと思うが、1つは禁止条約が批准プロセスに入っているという事。これが昨年の宣言でできて、私たちの思いが力になったという事が述べられたと思う。で、先程委員の話にもあったが、これが批准される。そして発行される、50の国の批准が必要だけれども、それが発効するという事は一段とこの条約に込められている核兵器の非人道性ということについての国際的な認識が強まるという事になると思うので、批准を急いでほしいというメッセージをぜひ入れたいと思う。1つの国が批准をするという時には、まず署名があって批准というプロセスに入るが、それぞれの国で核兵器の非人道性についての議論がされていくわけで、1つひとつのプロセスが被爆者への訴えが世界へ定着していくプロセスだと思うので、被爆地のメッセージとして、その1つひとつに思いを寄せていると。批准ということに注意を注いでいるというメッセージが被爆地の言葉としてストレートに出るのがいいかなというのが第1点。

 第2点は、警告というか、今の時代について。これはちょっとあまり多くの人からは出なかったが、かなりやばい状況も同時に出ていると。それは主として、米国の政権交代に引き金が引かれているが、それはトランプの個人的なことではなくて、その背後にある、先進国の中でいろんな社会的な差別、階層の分岐というものが進行していって、そういう状況についてトランプ現象というのが1つの表れとして出ているという側面がある。その一つの側面として、軍事に依存するという事が非常にストレートに共感を呼ぶような、そういう層が見えてきているという事だと思う。核兵器に関しても、トランプ政権はこれまでも一派の傾向として低威力の兵器はなくしていく。そして、大国間のある種の力のバランスの兵器に単純化していって、それでそれを廃絶に向かわせるというような大きく言えばそういう流れがあったと思うが、もう一度そのあらゆる規模の低威力の核兵器も含めて核兵器の価値を再認識をするということをトランプ政権の核体制の見直しというのが今年の2月にでちゃった。最近これについてアメリカの議会で、議論されて、結局予算がついた。先日低威力核弾頭の開発費が承認された。実際これが実行されていくと、ロシアもそれに反発する格好で新しいことを始めるということで、核兵器の世界の流れに別の潮目が見えてきたというのが、今年捉えないといけない状況なのかなと思う。そのことの悲観と、そうあってはならないというメッセージがやはり平和宣言に入っていた方がいいのではないかと思う。そこに書いているが、NPT再検討会議の中で、国連事務次長の冒頭の演説にも、「この感覚が得られています。核兵器が必要で有用だというレトリックが生まれ始めている」と。ニュージーランドの軍縮大使は、「核兵器の軍縮の約束は何の値打もないようなきわめて厄介な兆しだ」と演説で述べていて、実に厄介な状況が生まれているので、これは敏感にやはりこれに対して、被爆地として反応するということは必要なのではないかと思う。

 第3点は、橋渡し論というのが、変な風に日本政府がゆがめてしまっているのではないかという事を危惧している。昨年宣言を読み返してみて、私たちも日本政府に橋渡しの役割というものを重視していた。それは、核兵器をよしとする人たちと、そうではない人たちの間を日本政府が橋渡しをするという趣旨だったが、今でも大きく言えばそういう趣旨で使えばいいと思うが、禁止条約ができた時に、日本政府は、禁止条約は分裂をさせている、と。核兵器廃絶世論に分裂をもたらしているという議論をやり始めた。それは非常になんというかゆがんだ見方であって、核兵器禁止条約がなぜ生まれてきたかというと、これはこれまでNPT再検討会議で何度も何度も核兵器のない世界を実現するために、何をしないといけないかという事は全会一致で合意してきたにも関わらず、言葉ばかりが繰り返されているという印象が続いたから。1つでも明確な法的な規制というものが、作られる必要があるという意見の中で、まずは禁止という大枠で、化学兵器とか生物兵器で行われているレベルでの大きな禁止を核兵器についても合意しようという事で出てきたのであって、あくまでも意見の対立というのは禁止条約の前にあって、それの橋渡しがうまくできなかった結果、禁止条約という形をまずとったと。なので、禁止条約によってなにかより分裂が深まったという事ではなくて、問題は具体的な方策に関して言えば元に戻ったという事、まだ同じ問題が続いているという事だと思う。橋渡しという事が禁止条約を軸に賛成反対というニュアンスで使うというのは、あまり生産的ではない。そういう風に使われがちな日本政府のメッセージがそこにはあるということで、少し私は面倒なことになっているなという印象を持っている。ここで言いたいことは、ともかく約束したことを守るという普通の市民感覚の事が、もう一度優しい言葉でというのか、今日の会でもいい言葉が出てきているなという風に思うが、誠実に守るというようなことを市民感覚でもう一度日本政府を含め、核兵器を持っている国々にそれを求めるという趣旨が、今年の平和宣言にはあってほしいなという風に思う。

 最後は朝鮮半島問題。日本がこれにどう関わるかというと後でお話をする必要があると思うが、とりあえずは、ものすごく希望の持てる状況が生まれているということで、平和宣言のこれまでの訴えから言うと、先ほど委員が言った、まさに北東アジアの非核化という事について具体的な展望が出てきたので、すごく勇気づけられているし、ぜひともこのチャンスをものにしたいという強いメッセージが発せられたらいいなという風に思う。ただそれは本当に簡単なことではないという風にも思っている。これまで北朝鮮は、なぜ核兵器を持つかという事について、我々は合意できないことだが、非常に首尾一貫した主張をしてきた。それは、我々が受けている核の脅威、体制が転覆させられるかもしれないという恐怖、そういうものが、核兵器を持つことによって、その恐怖から守られることができるという、そういう論理をずっと一貫して持ってきて、証明してきていた。1回目核実験を行った2006年には予告をして行っている。もちろん国際社会がずっとそれをやめろという事を言っていたにも関わらず、第1回目の核実験を行う時に、これからやるという声明を出したけれども、今言ったような主旨が書いてあって、今日まで繰り返して言っている。今回その核兵器を完全に廃棄するというには本気だという風に思っている。しかし、段階的かつ同時行動的に安心を得る、最初から言っていた自分たちの国に対する安心を得るという条件が達成できなければ完全廃棄はしないだろうという風に思う。それは相当時間がかかるという風に私自身は思っているが、アメリカは今のところ報道では一括解決して何かできそうだという風に思っているような節がある。しかし、私が間違っているかもしれないけれども甘くはないと思う。交渉には相当時間がかかるのではないかという風に思う。そう考えた時に達成するために日本政府に果たしてほしい役割というのが、時間をかけてこの好機を捕まえ続けるという事。粘り強く朝鮮半島の非核化と、それは平和に直結する同時並行して議論されることだと思う。平和に時間をかけてこの好機を絶対に壊さない、手放さないという役割を日本政府に果たしてほしいという事だろうと思っている。そう考えた時、なお日本の市民がこの問題に接するときにものすごいハンディーキャップを背負っている。日本がこの問題に影響力を発揮しようとすると、日本と北朝鮮の関係が正常化されるという事について日本からのメッセージはどうしても必要になる。なので、北朝鮮側から日本がどう見えているかという事が、欠かせない日本の市民が持たないといけない視点だと思う。それはやはり植民地支配と戦争の後で分断を続けてきたその大元の原因を日本が作ったということを日本の市民としてはその歴史認識を問われるわけで、それはすごくないがしろにされてきたことだと思う。そういう時にすぐ前提となる日本の市民のほとんどが学校で習わないことになってしまっている歴史問題というものをどうやって踏まえつつ、このチャンスを逃がさないために日本として関わっていくかという事が問われているので、そういう意味で平和に関わってきた人々がここですごく役割を果たさなければならないという風に思う。長崎宣言に戻った時にその辺がどこまでどういう風にして触れることができるのかと考えるけれども、日本が朝鮮の分断に対して一端の責任を持っているという認識がにじみ出ていないと、この平和宣言としての説得力がそれはすごく減るのではないかと思う。とりわけ国際社会で見られると思うので、そういうことが平和宣言を発している私たちの中にあるのだということについての葛藤が現時点においてどうしようとするかを含めてこのメッセージには含まれているというのか必要ではないかと思う。

 ここには、ちょっと書かなかったことだが、若い人たちに対する強い期待とメッセージというのは本当に、先ほど何人の方々が言われたことで、私は書かなかったけれども、やはり非常に欠くことのできない重要なポイントではないかなと思っている。その部分は何か具体的なアクションというのか、どういうことに関わるということがそういう若者の動き方として提案になりうるのではないかなという、その提案ような側面が含まれた方がいいと思うのだけれども、ちょっと私にはその力はなくて、この議論の中でそのようなものが一つでも出てくればありがたいかなと思っている。

【委員長】
 委員からの質問に前半の委員5名に答えていただいてよいか。

【委員】
 昨年も委員から問題提起していただいたので、私も誰に向けてかと考えた。昨年は長崎市長が長崎市民と一緒に考えて、世界の皆さんの国なりリーダーなり一人ひとりの市民に対して送るものだと答えて、私も同じ意見だなと感じている。今回私がここに書いたのは、一市民の方に伝わる文章に少しでも協力できたらなという思いで書いている。私がここの中で平和活動について浅いと思う。大学に入るために長崎に来て4年くらいになるが、友達に長崎にいることで平和について問われたことがきっかけで向き合おうと思って、ペースは遅いが、自分の時間が許す限りやってきているつもり。他の委員の方が第1回目もほかの委員の方の意見を聞くと私が知らないことばかりで、昨年委員をしないかと言われて悩んだ。私みたいに知識がない者がいていいのかと断りたくなった。しかし、ここで断ったら無関心に繋がるのかなと思って受けさせてもらった。でもやはり今年も重荷だと。特に今、学校生活に追われて自分が活動できていないことに少し引け目を感じていて、ここで発言していいのかという思いがあったが、昨年の委員会の写真が新聞に載って、いつも話さない同級生に「起草委員やっているの?」ということで、その子達の平和の意見を聞けたというのがあるので、今年も嫌がらず自分なりの意見を言おうと思ってここにいる。

【委員】
 レポートに戻っていただいて、まずどういう立ち位置かというのが1つ目のテーマである。平和の作り手としての長崎市民という事で、長崎市長は私たち市民が選挙で選んだ代表なので、そういう意味では市民の意見を市長が述べるということで考えている。誰にというのは内容によるかと思う。2番目の1番最後に改憲論理という事だが、こういったことは何をという事で考えてば、政権とか政治に直接かかわる方たち。しかしその背景には、我々市民社会の作り手というのが言えるかと思う。それから、3つ目のところで市民社会の長崎モデルと書いているけれども、今私は、高校生署名活動の支援スタッフもしている。直接かかわっているスタッフは数名いるが、それぞれ出身母体が違う。私は教育現場の人間として頑張っているけれども、そういう風に市民一人ひとりが多様な役割を果たしながら平和を作ることに関わっていくということがある。そういった姿を述べていくということ。何をというのはそういうことになる。それを世界の市民に。核保有国の人口を足してみたら残念ながら世界人口の半分近くになるという事がわかった。その中には民主的な社会として公開されていない国もあるので、どれだけの市民にという事になるかと思うが、それでも、世界の市民に訴えていけたらと考える。

【委員】
 皆様の素晴らしい言葉を受けて、1日に3、4回も子どもに被爆体験講話を話させていただいているけれども、皆さんに素晴らしい人生を歩んでいかれることを祈って、時間を有効に使って努力をしていただきたいと思う。

【委員】
 今年くらいから1つ、ぜひ平和宣言というものが国内にはもちろん世界にも大きな反響が返ってくるような平和宣言になってほしいなと。従来を振り返ってみると、むなしいエコーが返ってきたり、返ってくるならいいけど、跳ね返ってこないという気もしないので、今年は、世界的な動きにつながってほしいと感じた次第である。

【委員】
 被爆者を二度と作らないという事をずっと運動してきた。このことが通っていく。1つは国際的な情勢な中で、平和を脅かす人たち対しては批判をすると同時に、世界の市民に対しては、一緒にやりましょうという呼びかけの内容が重要だと思う。そういった見方でやっていったらと思う。

【委員】
 ありがとうございました。市民に届けたいという声が多く印象的だったが、ただ一見市民に届けたいとまとまっていたように見えても、ある委員は実際に活動されている顔の見える人たち、何人かの委員は高校生平和大使に触れたいという事で、これはすでに活動している人達に対してのアプローチ。私自身は活動している人というよりもその他大勢の人達に対して届けたいという意味で意見を書いたので、市民と一口に言ってまとまっているようでそこにはアプローチの方向が全く違うと思うので、そこにはまだまだすり合わせが必要かなと思った。

【委員長】
 今の話だけれども、私からも一つお話しさせていただきたいのは、1つは基本的に、平和宣言は長崎市長が市民の代表として述べるものであって、ただ市長が勝手に作ればいいではないかというものではなく、たくさんのご意見をお聞きしてそしてそれを参考にしながら作っていくというプロセスは非常に大事だという事で、毎回皆さんから頂いた意見はかなり平和宣言に反映されていると思うし、そういったつくり方を長崎市の場合はしていくという事が一つの考え方。

 その中の中身で一番中核になるのは核兵器のない世界の実現をするためのメッセージになるかと思う。おそらくいろんなまちで平和宣言を作ることは必要だと思うし、作ってもらいたいと思うが、その中でもうやはり被爆地からのメッセージの中核になるのは、核兵器のない世界実現のためのメッセージであると思う。併せて、そのベースになる平和な世界の実現のためのメッセージというのもあると思う。そういう中で、核兵器のない世界をどうやって実現するのかという時に、それは誰かがしてくれるものではなくて、世界に住む全ての人々がある意味関係しているわけで、その中に政府の人達の役割、市民社会の役割、活動をしている方々の役割、みなさんそれぞれ役割があると思う。平和宣言は大きな目的のメッセージとして、政府にはこういうことをしてほしい、市民社会にはこういうことをやっていきましょうという仲間への呼びかけ、政府でもその時々の状況によって、核兵器を持っていない国々の皆さんと呼ぶこともあるし、市民社会でも特に昨今のように、若い世代の皆さんという呼びかけをすることもある。誰でも全員もが関係している人たちだと思うので、どこを選んでどういうメッセージを発するのかというのは、起草委員会の中でご意見をいただきながら決めていくものでもあるし、実際そういうことを意識しながらやってきたので、長崎市の平和宣言の中には文章の中に、例えば非核兵器保有国の政府の皆さんに訴えますだとか、市民社会の皆さんに呼びかけますだとかそういう事を明記してお話しする部分が多く、それが長崎市の1つのパターンになっていると思うけれどもそういう意味では混在してわからなくならないようにというように、いろいろな意見を聞きながら確立した1つのやり方だと思っている。そういう意味では、宣言のいろんな言い方はこれまでの積み重ねの中で少しずつ形が見えてきた。ただ、起草委員会の方式で少し気を付けないといけないのは、定型文化してしまうという部分があって、いつものパターンという事になってしまうと、インパクトやメッセージ性というものがすごく弱くなってしまうという事もあるので、そういう意味では、今年だとどこに重点をおいて伝えるのかという部分についてもいろんな意見を伺いながらいろいろ工夫を重ねながら、という事もあります。それから、専門性についても様々なご意見がありました。これも非常に難しい問題で、政府の皆さんに対するメッセージというものも、現実に、今年は何を言うんだろうというのが注目されていたり、条約を作るのはあくまで政府なので、皆さんを動かしていくということで非常に具体的な大事な部分であったりします。そういう少し専門的な話もしないといけないが、しかし、できるだけわかりやすくしようという事で、知恵を出していただいて、専門的な内容もかなりわかりやすい表現になってきているのではないかと思う。今までのいろんな意見や知恵は平和宣言に蓄積されてきて、平和宣言の形が決まってきている。しかしそれが1パターンにならないようにということも気を付けていかなければならない部分だと思う。もう1つは、委員からできるだけ影響力のあるようにとお話があったが、平和宣言文だけでなく、いろんな動きと連動する形の中で長崎の平和宣言に耳を傾けていただくというのも大事だと思う。ノーベル賞委員会の皆さんがICANに平和賞をくださったのも後押しという意味合いが大きいと思いますし、また今回バチカンに行ってぜひローマ法王に被爆地からメッセージというのをお願いしたのも、そういうメッセージを発信していただくことで長崎のメッセージというものにまた1つ力をいただくという面もある。そういう意味では、いろんな動きと連動する中で、平和宣言の力、意味合いというのも強くしていく、そういう努力も必要だと思う。委員が述べた問題意識というのはある意味共有している中でどうやってそれを実現していくのかということについて、これまでもいろいろな議論をしながら方向付けをしている部分もあるので、いい質問をしていただいて皆さんも真摯に答えていただいた非常に意味のある議論でもあったと思う。これからも皆さんといろんな議論、意見を交わしながら今年の平和宣言を作っていけたらと思う。

【事務局】
 第2回の起草委員会を6月9日(土)午前10時から、第3回を7月7日(土)午前10時から、この平和学習室において開催する予定にしている。次回は、本日委員の皆様からいただいたご意見を集約し、叩き台として文案を作成し、さらに議論をお願いしたいと考えている。

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