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平成29年度第3回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2018年2月14日 ページID:030770

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成29年度第3回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成29年7月1日(土曜日) 10時00分~12時00分

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成29年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
今日は29年3回目の起草委員会になった。いよいよ、煮詰まってくる時期になったが、この会議と並行して核兵器禁止条約の交渉会議も進んでいるが、朝長委員には、長崎市を代表して会議に出席いただき、また、スピーチを始め、様々な活動を行っていただいた。この場をお借りして感謝申し上げたい。

そして、今回は3回目ということで、これまでの2回の議論を踏まえての案を提出させていただいているので、内容についてご議論を十分いただければと思う。また、禁止条約の会議は7月7日が最終日ということで、どういう形で決着するのか、その後の見通しをどういう風に見るのかといったような事が、現段階ではまだ確定していない部分もある。そういう意味で、今日の3回目の会議を踏まえて、特に禁止条約の部分を中心に、再度見直すことになる。その際には、委員の方々にまた力をお貸しいただきたい、時間を作っていただければと思っている。本日は非常に大事な会議となるので、忌憚のない、様々なご意見・アドバイスをいただきたいとお願いし、冒頭の挨拶としたい。

(素案朗読)

【委員】
前回の文章を読んで意見が出たのをすごく拾って下さり、感謝する。

私からは2点あり、先日、ちょうど委員と少しお話しする機会があり、13行目の北朝鮮という言葉を、今、まさに起こっていることだから入れた方がいいのかもしれないが、この文章を読み、平和宣言文というのは過去にも戻ることであり、1つの国だけを取り上げて名指しするのは違和感があるなと思い、こういう小さいことではあるが北朝鮮の人々がこれを聞いたときにいい気持ちはしないと思うので、ここを外せたらと思う。

戦争や争い事は細かい意見の食い違いから起こるので、名指しするのは嫌だということ、もう一つ52行目だが、「最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。」、まさにそうなのだが、これをネガティブな言葉ではなく、例えば「過去や歴史を見て関心を持つこと、こういうことが起きたということを未来へつなげていくこと、忘れないでいきます」という風に、プラスの言葉で書き表せないかなと思った。

原爆のときの描写がネガティブなので、他の未来につなげていく部分はポジティブな言葉で表現できたらと思った。

【委員】
私も核兵器禁止条約にフォーカスし、核兵器禁止条約そのものを読み返してみた。2つほど発言する。

1つは核兵器禁止条約、日本国憲法これは国連憲章の理念を受け継ぐものだと思っている。国内的な視点から国際的な視点も含むが、日本国憲法の行使というか、そういうことにもう少しはっきりと言及していただきたい。

もう1つは禁止条約の中の市民的良心という言葉に印象を強く受けた。これは被爆者という風に、サバイバーとは少し意味を強めた特定の意味を含めた言葉を使っているが、まさにこの市民的良心とはそういうものも含めた重要な言葉だろうと思う。そういうことで市民的良心の保障といった意味合いも盛り込んでいただければと思う。

具体的に私案を作ってみたが、28行目「そして憲法に平和主義を掲げる国として」を一旦削除させて独立させる、こういう風に考えた。さらに核兵器禁止条約と共に国連憲章の理念を体言する日本国憲法を世界に誇る先進的憲法として改めて世界に示すと同時に、これを無効化し、市民的良心の役割を阻害する特定秘密保護法、安保法制、共謀罪といった国内諸法制の見直しを図る、と考えてみた。

核兵器禁止条約の理念とも整合した内容になるのではないかと思っている。

【委員】
全体的にみて、最も私たちが願っていた文章が含まれているなと実感したが、宣言文の中に難しいところもあるので、子どもたちにもわかるように工夫していただきたい。

被爆体験講話で小学生、中学生、高校生に話をさせていただいているが、その中で核兵器によって家を崩壊され親兄弟が丸焦げにされ、自分が怪我をしながらも親兄弟を探しながら食べ物もなく、人が捨てたものを拾って食べたというと、何故、コンビニに買いに行かないのかと必ずおっしゃられる。それほど年数が経つと被爆者の気持ちと現在の若い方の気持ちの落差が大きくなっている。その当時はコンビニというものがなかった。

品物がないということが若い方にはわかりにくい。その部分を訴えたい。若い方にわかりやすくどこかに入れていただけたら、なるほど、そうだとわかっていただけると思う。全体を読むと私たちはまさにその通りだとわかるが、若い方がお読みになると少し難しいので、その点を工夫していただけたら、もっと素晴らしい宣言文になると思う。

【委員】
全体としては非常に皆さんの意見を反映していただき、しかもわかりやすい文章なので、非常によくできていると思う。私からは細かいところがいくつかあるが、まず、13行目、「1万5千発もの核兵器」は、実は1万4千900発なので、「1万5千発近くの核兵器」とちょっと正確にしていただきたい。それから、先ほどの委員の発言にあったが、13行目、北朝鮮の表現は私もちょっと違和感があり、これだと「いつか核兵器が使われるのではないか」が北朝鮮だけにかかってしまうので、「核をめぐる国際環境は厳しさを増しており」というような世界全体の情勢にした方がよい。それから、16~17行目「核兵器を持つ国が増えてしまった現実」とあるが、核兵器を持つ国は9か国になったが、それよりもやはり核兵器を取り巻く環境が厳しさを増し、核兵器に対する「脅威」が増してしまったという方が現実に近いと思う。数よりもテロを含めて核兵器を使う可能性が増している。それから、52行目、大変大事なところで、「世界中のすべての人々に呼びかけます。」の中に、「無関心」「忘れていくこと」とあるが、私は核兵器のカルチャーとして、見ざる、聞かざる、言わざるというのがあるが、核兵器をなくすためには、その逆をした方がよい。何が欠けているかというと、「行動しないこと」が含まれていない。それぞれ個人が行動することが大事だと思う。それから62行目、「長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の復興を応援します。」は非常によい表現だと思うが、何が足りないのか考えてみたら、「福島の復興」というと非常に表面的な感じがするので、福島の被災者に寄り添った表現がよい。被爆者と被災者の関係、人と人との関係をむしろ強調した方がよい。まちの復興だけではなく、「長崎の人たちは福島の人たちを応援しています」というような言葉がよい。最後の段落だが、冒頭に「ノーモア ヒバクシャ」があるが、長崎からなので、「長崎を最後の被爆地に」というメッセージを一番最後に入れたいと思う。65行目、「受け継ぐ人々と連携して、『長崎を最後の被爆地に』という思いのもとに核兵器廃絶と」という言葉を入れたらよいと思う。以上です。

【委員】
文章は平易に書かれていることを評価したい。先ほど委員が小学生にもわかるようにとおっしゃったが、これは確かに大事だと思うが、話す内容がなかなか難しいものがたくさんあり、そこの整合性を取っていかなければいけない。そこらへんは文書のプロにやっていただければと思う。それから、全体的にはよく書けていていいと思うが、ずっと流して読むと12~18行目のパラグラフ、核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えるところが前段のパラグラフから続いているが、その後に19行目からの、核兵器禁止条約を推進する国々に呼びかけるパラグラフがある。順序としては、核兵器禁止条約を推進する国がたくさんあり、さらに市民社会の代表のNGOが参加する、赤十字が参加する、いろんな団体が集合的に努力してこの核兵器禁止条約が出来上がってきているので、12~18行目のパラグラフの前にしたらいいのではないか。被爆者を入れて感謝の言葉を入れたらいいのではないか。そして、12~18行目と、25行目からの「日本政府に訴えます」というパラグラフは、続けると整合性が取れていいのではないかと思う。それから全体の流れとして、42~46行目の「世界各国のリーダーの皆さん、被爆地を訪れてください。」というパラグラフはその前段のパラグラフと、それから48行目のパラグラフは、「世界各国のリーダーの皆さん」のパラグラフで途切れているのではないかと思うので、42行目からと48行目からを入れ替えたらいいのではないか。その方が、整合性が取れるのではないかと思う。あとは細かい点がいろいろあるが、先ほど委員がおっしゃったことはかなり重大な部分を指摘していると思う。「北朝鮮による無謀な核開発」は日本側の捉え方であり、向こう側の立場で捉えると、アメリカの核兵器による威嚇に対する反応として自衛しているという思考もあると思う。そういうところがなく、第三者的に見ているところが感じられる。先ほど委員がおっしゃったように、核拡散がさらに進むというような表現がいいのではないか。それは日本政府に訴えるところとリンクしているところがある。やはり、日本が核の傘に入っていることで、なかなか核兵器禁止条約の議論に参加できない自縄自縛的なところが課題だと思う。我々長崎市民はその打開策として、北東アジア非核兵器地帯により、核から脱却することが大事ではないか。そういう主張に統一した方がよいのではないか。そこに憲法の問題が入ってくる。先ほど国際連合憲章の話が出てきたが、これと平和憲法が通じるところがある。そこを書かれていると大変すばらしいものになる。憲法については言及されているが、少し弱いと思う。「憲法に平和主義を掲げる国として」はあってもいいが、もう一言、「平和憲法の堅持」などがあっていいのではないか。これは一貫して平和宣言文で入れているので、この案は核兵器禁止条約が出来上がったという前提の話だが、これまで述べてきた非核三原則やそれらの堅持を入れてきたのだから、平和憲法の堅持は入れた方がよいのではないか。それから、48、49行目、被爆体験を国連で発言した際、被爆者が被った苦しみ、これが一番、国連の参加者に受け止められ、拍手が起こる。確かに苦しい体験をしてそれを語るのは相当辛いのだが、そこが表現されているので、一番感動した部分である。後は福島の部分が舌足らずなので、「長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島~」とあるが、長崎のことは知られているので、放射能の脅威を経験したまちを福島にかけて「長崎は、再び放射能の脅威を経験した福島の人々を応援します」という風にしたらよいのではないか。以上です。

【委員】
案を読ませていただいて感動した。委員の意見をよく入れてまとめていただいたと思うが、何点か意見を述べさせていただく。まず、13行目の北朝鮮であるが、あまり刺激的にならないよう、世界の情勢を踏まえたうえでの表現の方がいいのではないかと思う。20行目、委員も先ほどおっしゃったが、強い意志と勇気ある「行動に」と入れたほうがよいのではないだろうか。それから、25~31行目の間に「日本政府に訴えます」という中で、29行目に「政策の見直しを」という文言があるが、具体的にたとえば「人道性に訴える観点から」という言葉を加えたほうがよいのではないかと思う。48~54行目、ここは非常に大事なところで、具体的に1982年にローマ法王がおいでになって、被爆者の方々に言葉を残しているが、その後、被爆者の方が口を開いて語りはじめたという事実を聞いている。委員の意見の通りだと思う。それで自分でも文を考えたが、「人はあまりにもつらい経験をしたときに、その記憶を封印し語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。今、被爆者が心を開き、体の痛みに耐えながら体験を語っています。人類の一員として、私たちの未来を守るためにあの日の筆舌に尽くしがたい苦しみを伝えることが彼らの責任であると思っています」こういうふうに少し変えてみた。それから、先ほど「行動」を入れたほうがよいと委員がおっしゃったのはそれがよいと思う。

もう一つ、委員の意見に大変賛同するが、「長崎を最後の被爆地に」という言葉は、今年新聞等に言葉として出ており、とても素晴らしい言葉と思うのでぜひ入れていただきたい。それから40行目に戻って、「原爆は、大切な家族や友だちの命」とあるが、ここを具体的に、たとえば小学生から学徒動員で頑張ってきた13~15歳の本当に若い命が随分失われた。「家族や次の世代を担う若い命が失われた」に変えたらどうだろうか。以上です。

【委員】
前回欠席し大変失礼した。今回の案について3点ある。2回目に出ていなくて雰囲気や状況がわからないまま申し上げるが、まず憲法について申し上げたい。今、憲法をめぐる状況は危機的であると思っている。憲法のあり方の議論はひたすら国民に立脚するべきであり、総理がやりたい、やりたいというのは立憲主義からすると異常である。しかも既に地位が明確な自衛隊について言い募るというのは、改憲の目的が自衛隊の地位ではなく、1回目でも申し上げたが、より軍事戦略的に行動させようという意図を持っているのではないか、そういう安倍政権の意図があるのではないかと疑わざるを得ない。こういうことを危惧している国民が相当数いると思う。ここで平和憲法の重要性をもうちょっとちゃんと出してほしい。案では一言、核兵器禁止条約のところで出てくる。今年は田上市長が核兵器禁止条約に焦点を当てて書いていきたいということがよく表れている案であるが、2017年は核兵器禁止条約が相当重要だという認識は私もある。それについて被爆地からメッセージを発信していくことは結構なことだと思うが、核兵器禁止条約に対する日本政府の姿勢を批判するのは当然のこととして、その文章の中で核兵器禁止条約への政策を見直す根拠として、唯一の戦争被爆国として、憲法に平和主義を掲げることを列挙しているが、私としてはついでに書いているよう見える。ここなのかな、という違和感を持っている。憲法の問題はもうちょっときちんと、複数の委員がおっしゃったように、日本の平和と憲法という問題を直視したひとかたまりのメッセージとして出していただきたい。1回目に何人かの方が同趣旨の指摘をしていると思うが、それが案に反映されていない。もちろん市長が責任を持って発表する平和宣言なので、そこは承知の上で申し上げるが、もうちょっと委員の意見を反映したうえで案を作成してほしい。もう一つは原子力発電について。原子力発電は、福島に触れているが、応援はしていかなければならないのは当然として、国民の理解を得られないままに再稼働がはじまっている状況であること。福島以降の原発政策というのは、安全対策と周辺の防染対策の2つであろうと思うが、どちらもまだ国民に信用されていないと思う。そのことを厳しく指摘することは、被爆地から発信するメッセージとして、私はものすごくフィットすると思っている。原子力発電の再稼働に対して、冷静で厳しい指摘をしてほしい。最後3つ目だが、いままでの委員の話を聴いて若干迷っているが、長崎原爆の悲惨さ、現実を語ることは宣言文の重要な柱だと思っている。今年の文書構成は違うものが最初に入ってきているが、やっぱり冒頭がいいと思う。昨年別件で私が従来の平和宣言文を踏襲してほしいと田上市長に話をしたところ、必ずしも前例を踏襲するやり方ではないと言われた。まったくそれはその通りと思うが、これまでの積み重ねた経緯を思っている。2017年は積み重ねてきた平和宣言文の中の一つであるということを私は強く意識したい。長崎原爆の現実は冒頭にあった方がよいと思う。変えること自体を否定するのではないが、2017年の宣言文はそこのところがぼやけたな、後退したな、あるいは若干不出来であったな、と後世から評価されることを私は非常に恐れている。以上です。

【委員】
前回多くの委員の方から意見が出たが、総花的でフラットな感じがすると。その感じを変えていただいて特徴を出そうと。その点は大いに評価している。具体的には、6行目から7行目で核兵器禁止条約に向けた被爆者が長年積み重ねてきた努力が加えられており、これも評価している。また、25行から29行目までは「日本政府に訴えます。」そして日本政府というのを直接的な訴えに被爆者の心情にも十分配慮したものになっていると思う。小さいことだが、34行目の「11時2分、原子爆弾が落とされ」は落とされた時間と違っており、B-29が飛んできて落下傘が落とされるのはそのふわふわしだしたのはその前であるので、そこに時間的な違いがあって、正確には「原子爆弾の爆発、炸裂し」とすべきではないかなと前々から考える。これを11時2分を変えるのは、他にも問題も引っかかるとそう思っているので今度から作るのにそうしたらいいのではないかと思う。それから、43行目の「人間の形が見えないほど遠い原子雲の上からの視点ではなく」という表現。ちょっと子供たちには分かりにくいと思う。うまく伝わらないのではないかと考えている。それから最後に、委員がニューヨークの国連本部の演説で、被爆者と長崎市民が72年間長崎を最後の被爆地にと願いながら努力を続けてきた。それから、被爆者は後障害が出るという恐怖の中で生き続けた。それから被爆は、死ぬ前で人を苦しめることを指摘している。条約の賛成にためらっている国は被爆者の体験を今一度思い起こしてください、と訴えられた。そういう言葉が印象的に残った。できればこれに近い表現が今年の平和宣言に使えないものかと思っているので、使えたら使ってほしいと思う。以上です。

【委員】
この文章をいただいて、何回か読んで、すとんと入り口が入ってこなかった。というのを先ほど委員からも指摘があったが、私は平和宣言というのはその時代を表すものが必ず取りいれられるべきだと思うが、やっぱり永遠として守らなければならない内容もあるのではないかと思っている。そういう意味で、ちょっとその難しい表現が受ける感じからすると、出だしからその年のことだけがクローズアップされて、被爆者のところが弱くなってしまうのではないかなというのが一つ。あと、ずっと申し上げているが、憲法の問題。特に憲法の問題の拡大解釈で既成事実を作ってからいつのまにかそれを変更していって、憲法を変えていこうという動きがありありと見えてきている。そういう意味では憲法の平和主義という言い方ではとても私たち市民としては不安材料を持ち越してしまうと思う。先ほど委員からも出ていたが、私は文に対してこうこうということはできないが、やっぱりもう少し被爆地だから言えると思う。私たちはこれを願って72年間やっているわけだから、このことに関してはもう少し明確に強く日本政府に言ってほしいということ。それから、核兵器禁止条約、大変素晴らしいことだが、これに息を吹き込むという具体的な提案が弱いのではないかというのを少し感じる。それを実のある物にするためには、市民社会がもっともっと関わっていかないと。私たちは日本の国に住んでいるから、日本を変えられる。変えられないまま、海外に対して色々発信をしているが、もっともっとそういうことに対して提案をしていくべき。そして安倍総理になってから入れてきた非核三原則の法制化。私も申し上げてこなかったが、やっぱりこういうものは忘れないで、私たちは訴え続けるということを言い続けなければならないかなと大きな感想を持った。

その中で私が思ったのは、33行目から「私たちは決して忘れません。」この被爆者の心をやっぱりトップに持ってきていただきたいと思う。被爆者のそういう辛い思いがあったから、「ノーモア ヒバクシャ」という運動に発展してきたと思う。突然これが出てきたのではなく、厳しい被爆体験で苦しい思いをしてきて禁止条約につながったという、そういうところから言うと私は最初に、この出だしも非常に素晴らしいと思う。「私たちは決して忘れません。」いくつか意見が出ていますけれども、後半で「もっとも怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです」ということが言われている。それを忘れていくのが怖いのであれば、それは被爆者の方が決して忘れないでこれからもやるのだという決意につながるかなと思ったので、もし検討の余地があるのでは、こういうところももう少し考えていただけたらありがたいなと思う。それから日本政府に対するところも、28行目のところだが、「一日も早い参加を目指して」とあるが、私はやはり「一日も早く参加してください」と言い切るべきではないかなと思っている。世界から見て日本の立場がすごくおかしいと思われていることと、私たちは悠長に待っている場合ではないのかなと思う。それから48行目からのところ、どこに入れるか上からつないだ方がいいのか、ちょっとそこは工夫がいると思うが、51行目で「伝えようと決意しているからです」で終わっているが、私はここでやっぱり長崎の状況を少しいれた方がいいと思う。文章がすごく長くなっているので、できれば専門的な部分で割愛、まとめられて、すこし削っても、抽象的だが「長崎ではその思いを伝えるため、若者をはじめ様々な立場や年代の方々が工夫をこらして引き継いでいます。」というような、長崎の活動とかもっと具体的に入れられたらもっといいと思う。長崎の動きが見えないと、世界にそれを訴えるのはどうなのかなと思う。

それから53行目のところで「途切れさせることなくつないでいきましょう」ではなくて、「行くためにあなたにもきっとあるはずです」という問いかけだ。世界中の人々に呼びかけているので、すべての人にあなたにもできることがあるということを考えていただくような、そんな呼びかけができないかと。一市民として見た時に、やっぱり呼びかけ方は少し工夫していただかないと。ただ、しましょうだけでは我が事とは受け取りにくいのかなというふうに思っている。

それと、やはり、最後の「核廃絶と恒久平和の実現に力を尽くす」も、恒久平和が実現するその日まで力を尽くしますと長崎はその日まで活動が終わらないんだという強い訴えをしていかないと。特に私は、これは日本政府に対する決意でもあると思う。非常に揺らいで、不安がいっぱいある中で、明確に厳しく呼びかけていく。先ほども出たように、過去を振り返った時にあの時日本社会はそうだったということも踏まえて感じられる宣言文にしていけたらいいかなということで、ちょっと厳しいことばかりだったが、感じたことを発言させていただいた。

【委員】
読んでみると、1行目から32行目まで、平和宣言の半分が核兵器禁止条約について、占められている。田上市長が核兵器禁止条約に対してどれだけ強い思い入れがあるのかというのも感じた。しかし、ここで根本的な一市民の私の疑問があり、これは私の勉強不足が原因なのかもしれないが、核兵器禁止条約というのがどこまで期待できるのか。今まで発足以降、50年間核兵器の数は減ったが、そこまで進展していないNPTと比べてどれだけ画期的で、どこまで現在進行形で議論が起きている、どれだけ芳しい結果になるかということを専門家の委員の意見を聞きたいと思った。私自身は2014年、2015年とNPTの会議にいて、国際議論に片足を突っ込みましたが、この宣言文を聞く市民の殆どが私よりももっとNPTとは何ぞや、なおさら核兵器禁止条約がNPTとどう違うのか分からないと思う。もしよろしければ専門家の方々に核兵器禁止条約が本当に期待できるものなのか、画期的なものであればここまでの大きなスペースを割くことは有意義なことなのかもしれないが、もし、始まる前から悲観的に物事をとらえることはよくないと思うが、実際にNPTが進んでいない現状を身を持って知ってきたので、どうしても核兵器禁止条約の交渉に日本が参加してない現状について見過ごすことができないし、どうしてもそれに甘い期待を抱くことができない自分がいる。もし、率直な意見で、核兵器禁止条約がそこまですぐに期待できないのであれば、私は平和宣言というのは市民が何の干渉を受けずに、何の妨げ、批判もされずに、市民の率直な意見を世界に伝えることができる機会であると考えているので、もう少し他のことに割いてほしいと。もっと触れるべきことがあるのではないかと感じた。前回も、平和宣言というのは、誰に対して伝えたいものなのかということを疑問に思っていて、それぞれ委員の方にもどういう市民を対象に平和宣言を作るべきなのかとお考えいただいたいと思っている。もし、私は一市民としての意見だが、この文章をいただいて核兵器禁止条約の難しい話をされたら、世界の専門家がどこかでやっている小難しい話であって、自分には全く関係のないことだと、平和宣言を途中で聴くのをやめるのではないかと思った。少しでも近い、原子爆弾によって長崎に何が起きたのかというのを冒頭に置く必要があると思うし、ここまで大量のスペースを割く必要があるのかと疑問に思う。以上です。

【委員】
この宣言文の本年の委員会、2回もあって、多くの委員から出た意見がかなり反映されている。大変感謝申し上げる。これまでに皆様からすでにご意見がたくさん出ているのでかなり私と同じこともあるので、できるだけ重複を割けたいと思う。その前に今もちょうど出たが、この提言というものが国際的な提言で世界の各国に訴えるものであるので、具体的に何か国語に翻訳され、どのような形で各国に伝達されていくのかということをちょっとお聞かせいただけたら、私どももなるほどという形で宣言文の意味を理解できるのではないかと思う。

冒頭にも申し上げたとおり、なるべく重複は避けて2、3申し上げたい、お願い申し上げたいと思う。この提言というものは、皆さんが一段高い所から言うという形ではなくて、できるだけ皆さんと一緒に手を取り合ってやりましょうということで提言がなされるものだというふうに私は考えている。そういった意味で、23行目にあるように、「核兵器を持つ国々を巻き込む努力をあきらめることなく続けてください。私たちは全力で後押しします。」となっているが、「続けてください」と一段上から物を言うという形ではなくて、「一緒に取組みましょう」という表現にしたほうがより訴える力があるのではないかと思う。それから、冒頭に申しあげたように、これを訴える相手国が国際的な幅広い形で訴えられるということであれば、62行目の「放射能の脅威を経験したまちとして、福島の復興を応援します」という風に書いてある。ここで「福島の復興を応援します」と直接的、簡略な形で書かれているが、多くの外国の方々というのは福島の復興をということで聞いたときに、どのような受け取り方をするのか。ほとんどの方がよくわからないと思う。だから、「皆さんと共に手を取り合って走りましょう」という、先ほど申し上げた基本的なスタンス、こういうこともあるが、福島の復興の前にもう少し装飾する言葉として、「原発事故によって甚大な被害を被った福島の復興を」という形で装飾語を入れないと、このまま「福島の復興を」では、唐突な形では世界に向けた提言書ということではちょっと訴える力が弱くなりのではないか、という感じがする。以上です。

【委員】
今回の素案を読み、1回目、2回目の皆さんの意見が盛り込まれていて、すごく考えられた文章だなと感じた。私が最初の時に、今回の宣言文に是非入れていただきたいというのは、やはり被爆者の方々がこれまで長年活動してきてそのスローガンとして「二度と被爆者をつくらない」、そのことを前面に被爆者の思いを前面に打ち出してくださいと申し上げ、今回の素案で冒頭に「ノーモア ヒバクシャ」と来たところが私がすごく意見を言ったところが反映されているかなと少し嬉しくなったが、色んな委員の方々からも原爆の実相を冒頭に入れた方がいいのではないかとおっしゃるのを聞いていて、確かにそれもそうだなと思いつつ「ノーモア ヒバクシャ」が冒頭に来たというは、日本だけでなく世界の人々にもこれを言いたいのだな、この宣言文は、ととらえられるのではないかなと。これはちょっとこのままいかしていいのではないかと思った。それから、これも1回目に言ったことだが、ちょうど委員からも出ていたが、被爆者の方々が、長年体の痛みや、個々の痛みに耐えながらも語ってきてくださっているということに対して、だからこそ、未来に担っていく私たちはこういう活動をしていると、具体的に長崎での活動内容というのをやはり入れたほうが、長崎の宣言文、広島とちがって長崎ではこういうことをやっている。被爆者だけでなく、色んな人たちも継承して頑張っていることを入れていただきたいなと思った。

それから、何人からの委員からも出た、長崎を最後の被爆地にという言葉は入れた方がいい。なぜかというと、この間、世界的に長崎が被爆地であることをアピールし活動しているある方の講演を聞いたが、世界に行ってみて、広島が被爆地であることは結構知られているが、長崎も被爆地なのかと結構聞かれるとのことで、だから、長崎は被爆地であることをもっとアピールすべきだとおっしゃっていた。「長崎を最後の被爆地に」という言葉を入れた方が、アピールできるのではないかと感じた。以上です。

【委員】
前回も申し上げたが、冒頭の作り方に関してだが、気にしながら、いただいた新しい原稿を読んで、8・9(被爆の実相)が冒頭にないことのマイナスは何かとしばらく考えたが、途中からこれが入り、そこから発生している訴えがきちんと残っているので、私は結論的にはこの作り方でいいのではないかと自分なりに整理した。後で述べるが、憲法のところは、代案がないまま、ちょっと引っかかったまま残っている。それは後で説明する。その前に、できるだけすっきりさせたいという趣旨の修正の提案を先にしたいと思う。8~9行目だが、「核兵器は必要だ、などいくつかの」のうち、「いくつか」はいらないのではないか。12~14行目は、「核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。」というよりも、全体の状況として語った方がよくて、10行目に持って行った方がいいのではないか。そうすることによって、核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴える内容がすぐに15行目からに来るということですっきりすると思う。状況として、今も15,000発近くあるということ、北朝鮮問題も特記しないというのはそっちのほうがいいと思う。そういう状況を述べて、条約をいかにして今後進めるかが課題として残っていることを11行目で言って、三つの主体に呼びかけるという作り方になると思う。16行目だが、今のままの表現では、事実と異なる気がするので、「核兵器の効果を唱えれば唱えるほど、核兵器を持つ国が増えてきた」とあるが、現実にそういう格好で増えた国は一つか二つであって、むしろ、そこは考え方が問題だというふうに言い換えて、例えば、「核兵器の効果を唱えることによって、新しく核兵器を持つ国を生み出してしまった現実を直視し」とする方が事実に即している。17行目で「核兵器による威嚇で国を守る」というのを「核兵器によって国を守る」とすっきり言った方が分かりやすい。それから、20行目で「感謝」という言葉を入れた方がいいのではないかという委員の意見だったが、私もそう思う。それと関連するが、「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと、私たちの主観として伝えるという表現の方が、核兵器禁止条約についてフレームをしていくという受け取りにならない方がいいと思う。自分たちとしてはそういう意味合いがあるという表現の方がいいのではないかと思った。その場合、「ヒバクシャの苦しみや努力に言及したこの条約を私たちは『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたいと思います。」22行目にある、「人類の未来を照らす灯になるはずです。」という文言はいらないと思うので、そこは切ってしまって、「条約をより実効あるものに」と訴える。23~24行目の「私たちは全力で後押しします」というのは、先ほどどなたかが言われたように、ちょっと自分の位置がはっきりしないので、「私たちも同じ努力を続けます」とか、ようするに、ともに歩む立場でものを言った方がいいのではないかと思う。後の議論と少しつながるのだが、先ほどの委員の意見とも関係するが、この宣言文は、禁止条約の成果を非常に喜びとして受けとめて、しかしそれは、まだまだゴールではない。道半ばにも達してないかもしれないが、非常にイモーショナルな瞬間であるということを言いつつ、その後に課題がたくさんあることも同時に言っている。その課題の、ではこの先何をすればいいのかということについて具体的な訴えがないので、そこが弱く映っているのではないかという感じがした。何かより実効あるものにするというための提案が入ればそれはその方がいいと思うが、長崎との関係とか、どういうことを入れればいいのかということがあるので、私なりの意見はあるが、とりあえずは、そこは触れないで、先に進みたいと思うが、それで、26行目からのパラグラフに関しては、最後の部分で、「北東アジア非核兵器地帯構想の検討を求める」ということは、「政策の見直しを進めてください」のすぐあとに持ってきた方がすっきりすると思った。「核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指して、政策の見直しを進めてください。具体的方策の一つとして、あらためて『北東アジア非核兵器地帯』構想の検討を求めます。」で、「日本の参加を国際社会は待っています」。この表現は、私は非常にいいと思っていて、核兵器禁止条約で、日本を切り捨てるというよりも、日本を動かさないと残された課題は前に進まないという多くの人が思っていると私は感じている。だから、「日本の参加を国際社会は待っています」という表現は、適切な表現だと思う。次のページの43行目の「人間の形が見えないほど遠い原子雲の上からの視点ではなく」の「人間の形が見えないほど」という形容詞はいらないのではないかと思う。45行目は、「もし自分の家族がそこにいたら」として、「原子雲の下」を繰り返さなくてもいいのではないかと思う。それから、46行目の「一人一人の人間の尊厳を、そして人類の未来を守るために全力を尽くしてください。」という言葉は、なくてもいいのではないかと思った。福島のところは、やはり福島が何かということについての形容詞が必要だと思った。これまでいろいろな意見が出ていたので表現があると思うが、例えば、「放射能によって壊された社会からの復興に取り組む福島の人々を応援します」とか、やっぱり今見ていて、世界が壊されているという意味の大きさを繰り返し感じていると思うが、そういうことが分かるような福島の表現にした方がいいと思う。戻って、憲法の問題なのだが、確かに今の状態だと、憲法の問題がついでに言われているという印象が否めない。しかし、代案を考えようとすると、ちょっとパラグラフを起こさないと、また、この流れの中で言えるのだろうかと思う。入れようとしたらどこに入れるかと代案を考えようとするとなかなか難しい。委員の気持ちはよく分かったのだが、どこに入れるかというと、私はいい案が出てこなかった。ただ、皆さんの議論で出てくるかもしれないので、少し意見を言いたいが、立憲主義という立場から憲法の問題を平和宣言に入れるのはかなり難しいと思う。捉え方一つのポイントに違いないなと思うが、平和宣言の流れの中で取り入れるのは難しいと率直に思う。モンゴルの会議で、RECNAが主催をした会議がごく最近あって、そこで私は北東アジア非核兵器地帯と日本国憲法というテーマで発題をした。その時のポイントは、日本国憲法というのも70年経って北東アジアの平和と安定、今は決して平和でも安定でもないが、現状を安定化させようとする非常に重要な要素になっている。それは2年前、2015年の9月に参議院の安保法制が通過したときに中国と韓国がどういう風に反応したか、その時の両国の反応を紹介して、彼らはやはり日本が戦後歩んできた体制がここですっかりと変わろうとしている、そういうことを意味している、かつてない転換が起きようとしている、そういう認識を示している。日本の多くの人も感じていること。もしその方向に進んだとすると、やはり中国、韓国、北朝鮮との関係を含めて地域が不安定化していって、アジアの人たちと共生をしながら平和を築いていくというそういう状況が、基本的な仕組み要素になっているものを日本が壊そうとしている、そういうことを意味するのであって、したがって、共生のための安全の仕組みを作るということこそ、今憲法を変えようとする力に対して私たちが言わないといけないこと。その具体的な方策として、非核兵器地帯をつくるということはそういう意味があるということを非核地帯と憲法という関係で主張した。言うとしたらその文脈で長崎から発する平和宣言としていけるのかなと思うが、どういうふうにこの流れのなかで入れるのか、ちょっとまだ代案を作れなかった。まだチャンスがあるので、現状のままで憲法を守ることの意味ということを積極的に訴えることができれば、もうちょっといい宣言文になるかなと。

それから委員の質問で、私の印象だと多くの人は核兵器禁止条約ができるということが非常に画期的で意味を持っていると率直に思うのではないかと。それは市民社会の共通の歴史の瞬間における感動として、平和宣言は共有したほうがいいのではないかと思った。今ニューヨークで交渉している人たちの通信を読んでいるが、皆さんハイになっている。ものすごく大きな歴史的な瞬間をニューヨークで迎えようとしている。国際社会はこれまで核兵器だけが禁止できていない。生物も化学兵器も禁止されているのに、最もむごい兵器を禁止ということを国際的な、法的な禁止ができてこなかったので、やっとその禁止ということが、法的な、共通なものになるという興奮というのが非常に大きいと思う。現場の高揚感みたいなものが、より冷めてみると、あの人たちだけが興奮しているとみる人もいるだろうと思うし、見えるかもしれないけれども、私たちは核兵器のない世界を作ろうとして一生懸命やってきた中で、この瞬間というのはハイテンションになっていていい、そういう瞬間だと思う。ただそのメッセージだけではだめだということも分かっていて、やってきた人は皆分かっていて、興奮を共有しながら次をどう出すかということに心ある人は心を砕いていると思う。

私たちも禁止条約案が出る前に、その先をどうするかを見据えた条約案、枠組み条約案を先につながると思い提案したが、そういう案はやや複雑になる。たぶん推進する人たちは禁止するというシンプルなやり方で行こうという選択をしたのだと思う。でも今、第2案が出てきているが、だんだん複雑になってきている。それは条約ができた後、核兵器がなくなっていくことを踏まえて、次につながる仕組みを条約の中に少しでも埋め込んでいきたいという推進側の議論が当然出てきて、前文も倍の長さになっている。ある意味では複雑化している。今後核兵器が減って0になって二度と作られないという状況になるにはどうするのか、そういうことがすごく問われている。そのことは委員がおっしゃるとおりで、冷めた見方もある。ただ繰り返しになるが、歴史的な条約であると思うし、そのことに平和宣言文で触れることは大事なことではないかと思う。具体的に次に何をするかということについて、私はここに入れやすい言葉として日本政府はまず核の傘から出ないといけない。非核地帯の創設は共通のもの、中国、韓国を巻き込んだものになるので、そこだ、とピンポイントで言えるが、国際的には私はやっぱりアメリカとロシアに責任を持ってもらい、二国間でこの兵器をなくすリーダーシップを発揮せよ、というのが現実的な次の一歩だと思う。アメリカとロシアで90何パーセント核弾頭を持っているという責任がある。自国のことだけでなく人類に対する責任を放棄している、ということをいってアメリカとロシアを促す、ということがシンプルな次の一手かなと思う。

【委員長】
委員の皆さん、ご意見ありがとうございました。委員からの質問で、どのようにして宣言を発信しているかという点だが、現在10カ国語に翻訳をしている。市のホームページでも紹介しており、発表した月はアクセス数が大幅に伸びる。その他、日本政府や国会議員、駐日大使等にも送付をしている。また、本日お集まりいただいているマスコミの皆さんを通じて、日本や海外にも宣言を伝えていただいている。委員からの意見にあった、核兵器禁止条約をどのように捉えて宣言するのかについては、先ほど委員からも発言があったが、別の委員からも意見をいただきたい。

【委員】
NPTをとりまく状況は限界に来ているというのが、ここ数年私が感じている印象である。そのような流れと、被爆者の想いが形にようやくなったという意味で核兵器禁止条約をめぐる動きは大変意義があると感じている。そもそも、核兵器の禁止については、国連発足時に初めて決議されたことである。そういう意味で、条約が形になりつつあるということはとても意義がある。よって、今年の平和宣言の中で、条約に関して大きく取り上げることに私は賛成である。同時に、歴史的瞬間を迎えている今こそ、国際社会として今後どのように取り組んでいくのかを皆で考えていかなければならないと思っている。政府でなく市民社会が世界に訴えかけてここまでの状況を作ることができた。その意義が大きいので、今後どうするかについても、市民社会と政府が一緒に考えていかねばならない。

【委員】
若い世代からの疑問点や意見が出て、今日は良い協議の場になっていると感じている。10年ほど前までは、被爆者が行ってきた活動が、結果に結びつかない、自分たちのやってきたことに意味があるのだろうか等のいらだちが、起草委員会の場でも発言されていた。それがようやく現在はアフリカや南アメリカのような非核地帯の誕生等、実を結び始めている。その一方で1970年代からあるNPT体制については、委員が発言したような疑問を感じるのも理解できる。オバマ元大統領が、核兵器なき世界を目指し、努力したが、アメリカ国内の核兵器産業を抜本的に見直すことはできなかった。そのような現実を見据えた場合、世界を動かしていくためには法律を決めるしか方法はない。国際的な条約でルールを決めようと動きはじめたこと、これは大きな前進である。委員が悲観的にこのことを捉えるという気持ちも自分は理解できる。日本や核兵器保有国が加入しない条約に、はたして世界を動かす力があるのかと疑問に思ったこともあった。ニューヨーク国連本部で交渉会議が始まったときも、別の会議場にいたアメリカの国連大使がNATO加盟国の要人に対し、核兵器禁止条約交渉会議の開催に対して冷ややかな発言をしていたのも聞いた。今後は、アメリカとロシアが力をあわせて核体制への依存を解消していかなければならない。核なき世界が理想であるということはどの国も理解しているのならば、ルールを決めてその実現に向けて進んでいこうという高揚感に満ちたムードで話し合いがなされた。しかし、自分自身はその高揚感を感じることはできなかった。条約が採択された後のステップを考えると、大変なプロセスであり楽観的ではいられない。オバマ元大統領ですら実現できなかったことに取り組もうとしている。アメリカやロシアの核兵器ビジネスは相当な規模である。これに代わる経済の仕組みを人類の知恵で考えていかなければならない。条約が採択された後は、どうやって核保有国を加入させていくのかというステップに移行していかねばならない。核兵器禁止条約が採択されただけでは意味をなさない。だが、条約が今後の突破口になる可能性はある。

【委員】
核兵器禁止条約の交渉会議の模様はテレビで視聴しただけだったので、現場の高揚感を感じることはできなかった。私が感じた違和感は、宣言が核兵器禁止条約を良いものとして評価することだけで終わってしまっていることだ。次に何に取り組んでいくのか具体的に提案されていれば、宣言の中で大きく取り上げることに違和感は感じない。また、市民が何をすべきかということに触れてあるという点を評価するという意見もあったが、自分はそのようには感じなかった。具体的にどのくだりでそのように感じたのか。

【委員】
核兵器禁止条約は被爆者が取り組んできた長年の努力が、市民社会や赤十字、その他NGOを動かし、国を動かした結果である。ただ、宣言の中に明示はされていないので、どこかでもっと具体的に書いたほうがいいかもしれない。19行目の文章の後に、「被爆者と一緒になって核兵器禁止条約の推進に協力した全ての人々に感謝します。」といった文章を追加すると、より分かりやすいかもしれない。我々のように、これまでの流れを知る人間はわざわざ書かなくてもわかることなのかもしれないが、万人に分かりやすくするためには必要。

【委員長】
誰に対しての平和宣言なのかということについてだが、核兵器のない世界の実現のためには、国連、政府、市民社会、NGO、そして子どもたち、平和首長会議に参加するさまざまな戦争の惨劇を知る諸外国等それぞれが、力を合わせて取り組んでいかなければならない。よって、誰か特定の団体等に呼びかける宣言ではない。そこに宣言の難しさがある。できるだけわかりやすく、中学生でも理解ができるような宣言にしなければならないと考えている。市外、県外だけでなく諸外国等の皆さんも平和宣言を読んでくださっているので、委員の皆さんも、平和宣言が誰に向けたものであるべきだという考えがあればお聞かせいただきたい。

【委員】
平和宣言は、日本政府や世界に向けたものであるということは当然だが、長崎市民、特にNGOや平和活動に取り組んでいない人にも伝わるものであってほしいと考えている。例えば、原爆資料館を見学してトラウマになってしまい、もう資料館に行きたくないという子どももいると聞く。例えば、そういった一度平和を考えることに抵抗を持ってしまった人たちに対しても、平和への想いを浸透させる努力を続けていかなければならないと思う。

【委員】
ごく一般の、平和活動に関心を持っていない人にできるだけ関心を持ってもらうような発信を心がけるべきではないか。私たちも全国組織の活動の中で、県外の方に長崎で平和を学んでもらう活動を行っているが、そのような場に平和宣言文を教材として持ち込んで、どのような思いをもとにこの宣言が作られたのか明らかにしてみたい。宣言には長崎の思いが網羅されていると思う。県外の方に被爆地長崎の想いを伝える情報発信のための資料としても活用し、相手(受け手)から感想や印象を伺って更に改善点等を見つけ、見直していくことも大切だと思う。

【委員】
宣言の用語解説がメインになってしまっている印象を受ける。解説も1.小中学生向けの平易な内容解説と、2.専門用語のみの解説、といった2パターン用意するよう工夫してみてはどうだろうか。工夫次第では、良い学習教材になり得ると思う。

【委員長】
平和宣言の永遠の課題であり最も頭を悩ませるのは、有識者や専門家と、ごく一般の方という性質の異なる相手に訴える内容の宣言を作らなければならないという点だ。若い世代の委員の意見を聞くことによって、思い込んでいる部分を見直すきっかけになっている。表現の仕方や言いまわしを良く考えないと、内容が伝わりにくくなってしまうと感じている。今日も活発な御議論をいただき、ありがとうございました。起草委員会は3回目の今回で一区切りとなるが、今日いただいたご意見をもとに、更に修正させていただきたい。7月7日の条約採択の状況を踏まえて、前半についてどのような書き方が適切なのかを考えたい。

【事務局】
7月2日にベルナード観光通り商店街にて、第9回平和首長会議総会応援メッセージ募集イベントを開催する。お時間のある方は是非会場でメッセージの記入をお願いしたい。
ご意見をいただいた平和宣言文は、完成次第委員の皆さんにお送りする。本日はどうもありがとうございました。

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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