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平成29年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2018年2月14日 ページID:030769

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成29年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成29年6月3日(土曜日) 10時00分~12時00分

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成29年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
本日は2回目の起草委員会になるが、1回目に様々なご意見をいただく中で、今回は最初の素案を示させていただいている。前回はたくさんの視点から、たくさんのキーワードを提供していただいた。今回の素案はそれらを網羅しているわけではなく、すべてを盛り込むことは難しかったのだが、大きく言うと、一つは核兵器禁止条約の動き、これが7月7日には成立しているという前提のもとで、これをどう次につなげていくか、これで終わりではなくて、大事な一里塚なので、これを活かしていこうという主旨での文案になっている。それから後半の部分が、今回確認しないといけないメッセージだが、いろいろなご意見を組み合わせたメッセージとなっていて、少し明確になっていないかもしれないが、今日2回目の委員会でご意見をいただいて、3回目の起草委員会のときにより強い、明確なメッセージを出せるような形にしていきたいと思っているので、ぜひ活発なご議論をいただければと思っている。今回2時間という時間になるので、何回も(発言が)回るということがなかなか難しいかもしれないので、ぜひ1回目(の発言)のときに感じられたことをしっかりご提示いただければと思う。

(素案朗読)

【委員】
前回は参加できずに申し訳ない。今日と来月2回だが、よろしくお願いしたい。私からは2点ある。去年式典でこの宣言文を聞いて、最初の始まりが72年前のことを冒頭で述べたことは、すごく私には、宣言文に入りやすかったので、今年も32行目から39行目のところを冒頭に持ってきてはどうかと思う。また、41行目と42行目のところを、世界の若者にも大切だが、やっぱりまずは長崎、日本の若者たちが動いたらどうかなと思い、それとここに具体案、いろんなことが社会で起こっているからまずは自分が行きやすいところからいってみては、という提案を入れるのはどうかなと思った。具体的に言えたらいいのだが、わからないので、そこはみなさんの提案を伺いたいと思う。以上2点です。

【委員】
今年の基本方針として、先ほどおっしゃったような核禁条約に絞っていくということで、それから平和首長会議出席者へのアピールという点、この点には賛成する。その分、市民とか若者の活動に対する言及が物足りなくなったのは残念だが。でも、このように絞り込むようなことが必要なのかなとちょっと思った。それで、前回出ていた抽象的、理性的表現と具体的、感情的表現をどうスムーズにつなげるのかという課題。そういったところも含めて、2、3、提案というか意見を述べさせていただく。全体の校正としては、1行目から27行目が、核兵器禁止条約の非参加国、参加国、日本政府への参加推進への呼びかけ。29行目から30行目が被爆の実相の訴え。41行目から43行目が若者への継承の呼びかけ。44行目から46行目が世界の指導者への被爆地見学への呼びかけ。47行目から50行目が市民活動への呼びかけ。51行目から後がまとめと宣言、というように構成されていると思う。この中で、委員からのご指摘があった29行目から30行目の被爆の実相の部分だが、具体的、感性的表現なので、ここが委員と意見が異なるが、これに禁止条約の前提である、破滅的な非人道的な結末といった抽象的文言を加えて、一体化させてはどうだろうかというのがある。一体化、連続性という点では、44行目から46行目の世界指導者への被爆地見学への呼びかけをその39行目の被爆の実相の後に持ってきたら、スムーズに続き、印象が強まるのではないかと考えた。さらに言えばここで、核兵器が人道に反する、恥ずべき兵器であるとか、使用した国の指導者は、人類史の汚点として永遠にその名前を刻まれるといった強い言葉を用いて認識の共有を図っていただければ、これは私見であるが、少しそういったインパクトの強い言葉を使ってもいいのではないかと感じた。これが一つ目。 

二つ目、ちょっと前後するが、4行目から7行目は、核兵器保有の近代化、ということとそれから北朝鮮の挑発という、世界が依然として核兵器の脅威に晒されている現状が、2点あげられている。この点については、このように並列関係でとらえることもできるが、因果関係としてもとらえることができるかと思う。つまり、北朝鮮の核兵器開発に象徴されるような核の拡散は、核保有国同士の分断の隙間をついて行われてきたんだというロジックである。そういうふうにとらえていくと、14行目の核保有国が禁止条約反対の理由として用いる核保有国と非核保有国との分断というロジックに対して、もともとあった核保有国同士の分断が、核拡散のリスクを高めてきた。保有国はこの状況を直視してほしい、というロジックで、対抗できるというふうに考えた。そういうことで、4行目から7行目の文言を、このような趣旨に変えて、因果関係として捉え直して、17行目の後に持ってきてはどうかと考えた。そうすると、15行目、16行目の確かな道筋、核軍縮を誠実に行うといった抽象的な文言がより具体的な文脈でつながっていくのではないかと考えた。大きな点としてはこの2点である。それから細かな点で、37行目の「蝕みました」という表現だが、このことは現在も続いているので、「そして今も蝕んでいます」といった、現在も続いている表現が入ったほうがいいのではないかと考えた。それから54行目の福島との連携のことだが、先日あった横浜でのいじめ自殺は、今年度のタームの出来事なので、ああいったことも視野に入れて、例えば「悲しいことに、被爆者の受けたいわれなき差別や苦しみが繰り返されようとしています」とか、何かそういった長崎の被爆者が受けた苦しみとのつながりをイメージしていけば、より、委員が指摘された唐突感はないのかなと考えた。以上です。

【委員】
私は全体的に見て、非常にいい文章になっているのではないかと。私が10歳の時に、被爆し、爆心地からすぐ近くだったので、親兄弟は真っ黒焦げの遺体の中からたくさん散乱しているところを、親は子を、子は親を探すのだが、皆同じように黒焦げから、誰が誰だかわからない状況の中を、一生懸命探したことを今この文章を読みながら胸がいっぱいになった。こうした気持ちは私たちでもう十分だ。二度と同じ苦しみを与えられないような世の中、社会にしていただきたいと思っている。そして、やっと生き残っても、ここに書いてあるように、何行かな。私ももう80過ぎてしまって、年とともに目がほとんど見えない。見えなくなる。放射線浴びているから仕方ないですよと言われるのだが、眼科に行っても目薬さしてもどうしても治らないというのが現実である。眼鏡をかけても見えない。一生懸命見るのが精いっぱい。腰の骨がぐじゃぐじゃになって折れてしまっているから、杖をつきながら、ちょいちょい、何もないのに足がもつれて倒れてしまう。その時立ち上がろうと思うのだけれども、なかなか立ち上がれない。こういう人たちが徐々に増えてきている。そういう人たちも徐々にこの世からいなくなっていく時代になった。こういうことが二度と起こらないようにするためには、我々は過去をしっかり知り、現代を見つめ、未来へと見極めていっていただき、そして戦争の愚かさ、核兵器の悲惨さ、残酷さを一人でも多くの人に伝えていっていただきたいなと。一生懸命若い人たちと話していると、食べるものがない、私たち食べるものがないからお骨とお骨の間にわずかな草が生えている。それを採って湯がいて、真っ青な灰汁がでるのだけれども、それを食べながら、私10歳、妹が8歳、そして男の子が一生懸命生きてきたが、妹、弟、12歳の時に自ら命を絶ってしまった。生きることに負けたんだ。こういうことにならないために、しっかりと私たちは命は地球より重いんだということを感じながら、平和な道を歩み続けて、平和とはなんだろう、人の痛みを分かる心をもっていただいて、素晴らしい人生を送っていただけたらいいなと思っている。二度と核兵器を地球に投下させないためには、何をすべきか、何をしなければならないのか、ということを皆で考えて、一つに合わせて、その言葉を世界に発信するならば、誰かの心に届けばきっとまだまだ核兵器廃絶の声が大きくあがって、二度と戦争のない核兵器廃絶の声があがるんではないかなと。妹、弟がせっかく生き残っても人間らしく生きることも、人間らしく死ぬこともできなかった人々も。列車に飛び込んで自ら命を絶った状況は、私たちで十分だ。10歳、8歳の子どもたちが生きようと頑張っても、生きることができなかったこの状況が、二度と起こらないようにしてほしい。この文章は素晴らしくできているので、また考えて、わかりやすくしていただけたらいいなと思う。そして二度と戦争のない、核兵器廃絶の声をあげ、日本から世界に向かって声をあげ、大きな声で手を合わせる、手を握りながら平和な道を歩み続ける。人の痛みを分かる心を持ち合って、素晴らしい世の中、地球を作っていっていただけたらいいなと思いながら、この文章を何度も読み返した。素晴らしい文章になっているので、分かりやすくていいなと思っている。これからも皆様とご協力のもとに、一生懸命、私も腰の骨がこう挫折してからヨロヨロと転ぼうとする、それを阻止するための努力が一つ増えてきてしまった。こういうことにならないために、皆様方、どうぞよろしくお願いしたい。二度と戦争はしない、戦争放棄。そして、核兵器廃絶の声をあげていっていただけたらいいな。父、母、姉、兄たちが一緒になろうと思っても、この原爆によってその希望もむなしく、黒焦げになってしまった。こういうことが二度と行われないようにしてほしいな。そのために皆様方のご協力よろしくお願いしたい。

【委員】
全般的に非常に完成された文章だと私も思った。特に核兵器禁止条約のところを焦点に当てて、歴史的転換期であることを強く訴えているメッセージは非常にいいかなと思う。そういう意味で、この順序で私はこれでいいと思うが、今ちょっと読んでいてもう一度思ったのは、29行目から31行目の平均年齢のお話はどちらかと言えば41行目に繋げた方がいいのかなと。32行目からの文章を最初に持ってきて、32行目から39行目を頭に持ってくる。頭というのはこのパラグラフの先に持ってきて、被爆者の年齢超えていることと、若者に伝えるということを繋げた方がいいのかなとちょっと読んでいて思った。ただ、全体のメッセージとしてはこれでいいかなと思う。核兵器禁止条約のところで、少しだけつけ加えさせていただきたいのは、まず1行目から3行目のところ、「被爆者の長年の願いが実を結び」はその通りだが、「被爆者の努力なしにはこの日を迎えることがなかったでしょう」というような、後ろで、51行目、50行目にその点が出てくるが、冒頭でやはり「核兵器禁止条約が実現したのは、被爆者の努力が不可欠であった」ということを最初に強調するのがいいのではないかなと思った。それから、12行目から19行目は最初に核兵器国と核の傘にある国が一緒に扱われているが、どこかで核の傘にある国というのを、書いていただいた方がいいのではと。例えば12行目に「核兵器禁止条約に参加している国の皆さん」というところを、まずは核兵器国に対して訴える。この「核不拡散条約で約束した核軍縮を誠実に行ってください」という文章を、主に核保有国に対してなので、ここをまず言うということと、後で日本政府のところで出てくるが、核の傘にある国も核抑止に依存している安全保障体制を脱するということを、そうでないと核兵器禁止条約に参加できないわけだから、そこのところも強調していただきたいというのが二番目である。ちょっと文字数が増えるかもしれないが、ここは核の傘にある国に対する要望というのをどこかで書いていただきたい。それから最後の福島の原爆事故のところ、委員が書かれているような文章で私はいいのではないかと思うが、私は前回、何人の方がご発言されたが、核の脅威というのが平和利用からももたらされるということを福島の原発事故が明らかにしたので、「平和利用であっても核の脅威をもたらすことを再認識させた福島の原発事故」というような、我々がなぜ今日ここでその話をするのかということを強調していただくのがいいのかなというふうに思った。
全般的に非常によくできている文章なので、文字数を増やすのはなかなか難しいだろうが、是非そういうところを強調していただければと思う。以上です。

【委員】
草案の作成に大変ご苦労なさったのではないかと思う。敬意を表したい。まず少しずつ順番を追って述べさせていただく。今委員もおっしゃったように、2行目のところ。「被爆者の長年の願い」を「積み重ねてきた努力」というような表現、「努力」を入れていただけるともっと分かりやすくなるかと思う。それから3行目からの続きで、8行目にある「足がかりとして」というところを繋げていって、核兵器のない世界は、3行から「ない世界へ向けて新しい歩みを始めることになります。」何かそういうような繋がりをもう少し前の方にもってくるのはいかがか。それから、12行から17行目、このあたりが二つの条約があるかと思うが、核兵器禁止条約とそれから核不拡散条約というのがあって、なかなか良く分からない者には大変難しい言葉になるので、それが非常に明確になるような表現の仕方にしていただくといいかと思う。というわけで、「ないがしろにするものでも」それから「分断するものでもありません」というここの「ないがしろにするものではない、分断するものではない」というところを少しまとめて、「それぞれが補完し合って、それを強化していくものである。」であと、そのあとに、「一筋の明かりが見えてきた道を確かなものとして」、「未来に、平和な社会の未来図を示してください。」という文案を考えた。それから次の16行目は「誠実に」というのか「着実に」というのか、「着実に実行してください」という言葉はいかがだろうか。それからあと、「リーダーシップを発揮する」を「協調してリーダーシップを発揮していただきたい」、「協調する」、「調和」と「協調」のような言葉を入れるのはいかがだろうか。それからその次の、順番は文頭に持ってくるか、今年の特徴として世界の動きを出すというのは、私はよろしいかと思う。あと37行目、「時限爆弾のように」という言葉が必要なのかなと思った。その前の34行目のところは、「街を火の海に包みました」その後には「放射能に汚染された灰色の街になった。」あと、「時限爆弾」は言葉として唐突な感じがした。私が一番深く考えたのは41行目から42行目の若者に向けてのところ。「世界の若者に呼びかけます。今、被爆者から人類が共有すべき戦争、それから被爆の体験と記憶、そして苦しみのうちに街の復興と人間の尊厳を回復してきた尊い遺産を継承してください。」固すぎるかと思ったが、そういうふうに考えてみた。それからあとは細かいことは、よろしいと思うが、最後に、58行目「志を同じくする人たちと」、せっかくそこに平和首長会議の出席者がいらっしゃるので、「平和首長会議の出席者と連携し」、あるいは「連帯し」、「力を尽くすことをここに宣言します。」というように、首長の皆さんを巻き込むのはいかがだろうか。というふうに考えた。以上です。

【委員】
色々意見や要素を入れて全体的によくここまでまとめられた。市長、事務局の熱意というものを感じた。このままでも、いい宣言文と思って読んでいた。しかし、第1回目の案なので、何か総花的な感じがした。何かフラットで、インパクトに少し欠けているような印象を持った。もう少し全体の構成に起伏や強弱があってもいいのではないか。常日頃から、被爆体験者の方々と身近に接しているため、平和推進協会の理事長としては毎年強くお願いしているところだが、生身の人間の感性に訴える、ドロドロしたものをあまり感じることができなかった。もう少しちょっとその辺を訴える表現が欲しい。それから、具体的には2行目の「被爆者の長年の願いが実を結び」というのはこれまでも被爆者の取り組みの成果でもあるので、その点を大いに強調していただいたと感じている。また5行目の「核兵器を近代化する」の表現は一般的であり、その意味が分かりにくいのではないか。7行目の「使われる兵器」の不安感も大いに強調すべき内容だ。12行目の「核兵器禁止条約に参加しないすべての国」の表現は、日本政府に何かかなりご配慮なさったのではないか。もっとダイレクトに日本政府だけ単独で直言するぐらいの行数をとってもいいのではないか。あんまり言うといけないと思うが、長崎市民にしても国民にしてもどうして参加しないのかなということが理解できない。そういうことで日本政府に強調してもいいのではないかな、そう思う。それから32行目から39行目にかけての表現は、少し無機質感がしているような印象を持っている。原爆・被爆の非人道性の極みの兵器であることを実感できるような、また生身の人間の感性に訴えるような表現ができたらと思う。41行目から43行目の部分は、世界の若者に被爆実相の継承を訴えているが、その意義や役割に触れられていないように感じる。それから被爆者やボランティアの方々と協働して草の根的な活動を重ねてきた長崎平和推進協会の理事長としては、残された時間が少ないことをもっと強く訴えて欲しいと願っている。以上です。

【委員】
今回の案をもらうまで、どんな案になるのか関心があった。
やはり核兵器禁止条約が中心なのだなと思いながら原案を読んだが、さらっとしていて知らないことが多い市民の中には、上滑りのように読んでしまう人がいるのではないかと思った。
文中に若者への訴えはあるのだが、若者から自分の世代までの市民への訴えがいつも抜けている。ここは大きな力を持っているが、なかなか意思表明をしない部分があるので、このあたりをもう少し訴えてほしいし、委員の意見にもあったが、訴えが平易になっているので、どこにはどう訴えるといった強弱をつけた方がよい。
実相の表現についても被爆によって皮膚が垂れ下がったとか、もっと悲惨な状況であったと想像できるような表現にした方がよい。
今、日本国内では自分たちが思うように発言ができない状況になりつつあるのではとすごく不安を感じている国民が多く、また、自身も核兵器とは戦争があって生まれるものだと思っており、現在、戦争ができる世の中になってきているのではないか、それに対して意見することに締め付けがあるのではないかと感じている。
今年は世界のみならず日本国内でとんでもないことが起こるのではないかと感じている。
そのことに触れないのは平和宣言の意味をなさないのではないか、普通に暮らしている国民が政治の動きに不安を感じていることを訴えるべきだ。
宣言文の始まりは、核兵器禁止条約としているが、被爆の実相を述べるべきではないか。平和宣言は聞こう、読もうという入口がないと全体を読んでもらえない。核兵器禁止条約をよく理解していない人が核兵器禁止条約から読み始めなければならないことに違和感を覚えるので検討していただきたいし、核兵器禁止条約を冒頭に持ってくるなら説明を入れないと全体に向けた宣言文としてどうなのかと疑問に思う。
その他については、7行目の「使えない兵器」については「使ってはならない兵器」に改め「使ってはならない兵器」が使われているという意味の表現にした方がよい。
21行目の日本は唯一の戦争被爆国でありと書くのであれば、外国に求めるより先に核の傘に入っているというだけで禁止条約に参加しない日本政府に強くアピールする内容にすべきだ。22行目の守っていくものは堅持すべきもの、単に守るものではなく絶対守るものという強い表現にすべき。表現について各委員も述べておられるし、順番についても入れ替わるであろうが41行目からの「世界の若者に呼びかけます」について、他の委員も述べておられたが、若者と限定せず、日本国民の皆様へと言いたいくらいだが、世界の人々、特に若者へ呼びかけますと若者以外の人たちにも焦点をあてる内容がよい。
43行目の「無関心なこと、そして忘れていくことです。」という文言には文のつなぎが必要で、ここにあなたの意志が社会を変える力になるのです、とすべての世代に働きかけるような文章にしてほしい。
福島の件については、唐突感が否めない。福島と長崎がつながるには、「応援します」という表現では弱い。委員も述べられた、平和利用ということで正当化されてきたものが、平和利用によってこれだけ厳しい状況に置かれた、という文言はぜひ加えてほしい。
単に応援するのではなく、このようなことが二度と起こらないような応援の仕方が、被爆地長崎の意志であると思う。

【委員】
忙しい中、原案の作成に感謝する。まず市長に伺いたいのが、この宣言文を一番誰に届けたいと思ってお作りになったのかということを、読んでいてふと疑問に感じた。もし、この平和宣言文のコンセプトが、今年の核兵器禁止条約を称えて、その関係者に対して強くメッセージを届けたいというのであれば、この文章で十分すぎるぐらいの文章になっていると思うが、もしこの平和宣言が世界の大半を占める、特に活動はしていないけれど、戦争が起きた時や、核兵器が使用されたときに犠牲になる一般市民に届きたいという気持ちがおありであるのであれば、その一市民、一若者としての私の個人的な意見ですが、私に対して何のひっかかりもない、とても弱い文章で、正直残念な気持ちになった。正直に申し上げて申し訳ない。具体的に申し上げると、まず4行目から9行目、今の世界情勢の深刻な世界の脅威と、「北朝鮮の挑発的な行為が世界の脅威となり不安が広がっています」というふうに言葉では書いてあるが、どこか他人事感が抜けない。世界情勢の深刻さが伝わらないと私は感じた。今、世界大戦が終わって以降、一番向き合わなければならない緊迫した状況の中で、それがこの文章からは読み取れないと思った。委員もおっしゃっていたが、32行目から39行目、とても無機質な文章に思えた。これは見えた景色だけなので、実際ここには血まみれで火傷を負ってさ迷い歩く人々、乳飲み子を抱えて途方に暮れた母親、こういうことは実際に起こっていたことは事実だが、実際見たことのない私たちにとっては、事実の羅列だけになっていると思う。何の生々しさもなくて、自分への置き換えが全くできない。私たちはやはり自分の感性に訴えて、自分のことのように捉えないと、本当に私は生まれた時から平和で、自分の命の危険を感じることの全くない世の中を生きてきたので、私より上の方々が考えられるよりも、もっと具体的に生々しい提示がなければ、私たちには響かない。それをもう少し考えていただきたいなと思った。それから、41から43行目だが、若者への呼びかけを入れていただいているが、少ないなと感じた。とても今年の核兵器禁止条約がトピックなのはわかるが、何だかおまけのように感じた。どうして私たちが忘れてはいけないのか、どうして私たちが動かなければならないのか、それは32から39行目で起こったようなことが、これと同じことが、あるいはこれ以上のもっとひどい、今の核兵器の威力を考えるともっとひどいことが実際に起きてしまう。それに対して対処しないといけないのは、もう被爆者の方々ではなくて、私たちなんだということ。だから、私たちが動かなければならない。それなのに、今しなければならない切迫感が全く感じられなくて、なんていったらいいのか、すごく残念に感じた。色々入れなければならないコンセプトはたくさんあって、本当に難しいものではあるが、もう一度誰に対しての文書なのか、今しなければならないのは何なのか、ということを提示していただけるような文章にしていただきたい。以上です。

【委員】
私も、全体に網羅的によくまとめて私どもの考え方を集約していただいていると思っている。したがってできるだけ重複を避けて(発言しよう)と思う。そういうことで、最初に基本的なこととして申し上げておきたいのは、私はこの宣言文を誰に対して差し出したいのかということ。今、委員からもその他の委員の方々からも触れられたが、「世界の若者に呼びかけます」という文言があるが、これは私はむしろ宣言文の趣旨からして、「地上のすべての人たちに訴えます」というような形で、すべての世界中の人々に対して、ということをやはり明確に、我々の呼びかけの基本的なスタンスであることを文書の中に明記すべきではないかと思っている。それから、何人のかたもこれは触れられたが、福島の原発事故との問題だが、これは、人類の殺傷兵器として使った核兵器による惨禍と、平和利用の一環として起こった事故による惨禍、これを混同しないようにしないと、人類に多大な恩恵をもたらすであろうこの核エネルギーの平和利用、これに対する姿勢を腰を引かせるような形になってはいけないので、その問題とこの問題は全く別であるということと、私は福島の問題というのは、「福島を応援します」というのは何かちょっと非常に唐突な感じがしないでもない。私は12歳の時に原爆の惨禍をまさにこの目でまさに地獄絵というべき状況を見ている。そういったものが人類の殺傷兵器として使われた核兵器の結果があのような惨禍をもたらした。しかし、福島の問題というのは、人類に恩恵をもたらすべく努力をしていく中で発生した事故だ。それを同一視するような、あるいは意図的にそういった置き方をして、多数の賛同を得ようとするような勢力も無きにしも非ず、というような感じだが、そういうものと一線を画した形で、核エネルギーの平和利用、それに対しては正確な理解をしながら取り組むことに腰を引いてはならない、そうあってしかるべきだと思うので、その問題とは違った形でここの表現はもう少し長崎は福島を応援するというような単純な言葉とは違ってもう少し表現の内容を推敲した結果の文章にすべきではないか。
あと、色々あるが、皆さんと重複することが多くあったので省略させていただくが、全体として非常に素晴らしい原案として提示されている。作成された市長はじめ事務局の皆さんに心から感謝申し上げたい。以上です。

【委員】
今回この素案をまず読んでみて、すごく内容的にあまりいろんなことを盛り込まずに、流れ的にいい感じでできているなと感じた。しかし、インパクトがやはり、何人かがおっしゃっていたが、ひっかかるものがない、というかすっと流れて行ってきれいに終わってしまっているというような感じだ。委員もおっしゃっていたが、やはり被爆の実相をまず持ってこないと、どうしてこういう、核兵器禁止条約に結びついていくのかという流れがないと、いきなり核兵器禁止条約ときても、やはり一般の市民は何のことというふうになる。だから、やはり被爆の実相があって、その後被爆者の方々が、二度と私たちみたいな被爆者を作らないようにということで被爆者運動を始めて、それが一般の市民の人たちにも少しずつ広がって、この核兵器禁止条約につながっていっていると思うので、その流れはやはり崩さない方がいいのではないのかと感じた。41行目から「世界の若者に呼びかけます」という文言があるが、いつも、他の方もおっしゃっているが、いつも若者にばかり呼びかけをして、若者にすごく負担をかけている。ヒバクシャ国際署名を月に1回、ハマクロス前で(街頭署名を)行っているが、署名をされる方というのは、やはり年配の方が多い。私たちがやっていて思うのは、小さいお子さんを連れているお母さん方が何で署名をしてくれないのだろう。これからの世界を担う子供たちを育てているお母さん方がちゃんとこれからの世界のことを考えてくれているのかなと、すごく疑問に思った。実際、私も子供が高校生と中学生なので、実際この活動を始めたというのがやはり子供たち、自分の子供が大きくなった時にまた核兵器が使われて、子供たちが、父たち被爆者が経験したことをこの子たちが経験するのは避けたいという思いで、こういう活動を始めたので、若者だけではなく、そういう子供たちを育てている親たち、一般市民にまずはそこにこういう継承を考えて欲しい。そういう文言をここに入れられないかなと。こういうのを入れた方がいいというのが言えないのだが、そこを付け加えて欲しいと感じた。
今、国際署名の話をしたが、被爆者が最後の署名活動として頑張って、いろんな方々や団体が賛同しているわけだから、是非49行目に「一人一人の声は小さくても、連携すれば大きくなり」というふうにあるので、そのあたりに何とか国際署名のことも入れていただけないかなと思う。私たちも国際署名の活動をしているが、なかなか署名が増えていかないというのは、まずは、身近にいる長崎市民から、皆さんの気持ちを込めて署名をしていただきたいと思うので、まずは長崎市がそうやって賛同してやっているんだということを入れていただけると、きっと署名もたくさん集まって、国連に大きい声となって訴えられると思うので、是非どこかにいれていただきたい。あと、文章的なもので、「てにをは」でおかしい部分が何か所かあるが、多分内容が変わってくると思うので、それは割愛させていただく。以上です。

【委員】
冒頭の部分をどうするかということを正直悩んだ。それで、ご提案の趣旨はよく分かるし、核兵器禁止条約ということを、今年だからトップに持ってくるというロジックも非常に明確だと思って賛成だが、一方、一般の人たちがどの程度、これが冒頭にあるということにピンとくるんだろうかということを考えると、ちょっと判断に迷った。そこを決めないと先に進めないというところもあって、とりあえず、以下の意見は現在の選択でいく、ということで述べたい。これでもいいというのはちょっと変だが、これでも十分、ひとつのパターンというふうに思っている。その上で、割と大きいところで、日本政府に対する訴えをどこかでシャープに言うべきではないか。特に、核兵器禁止条約をハイライトするとすれば、誰もが感じていることで、唯一の戦争被爆国と言いながら、ほかの国のリーダーに広島・長崎を訪れるよう言いながら、禁止条約に賛成できないのかというのは、被爆地ならずとも、ほとんどの日本人が考える、ある種、落胆、憤り、両方入り混じった感情だと思う。日本政府へのメッセージは、そのことをもっとはっきり言った方がいいと思う。それといくつか意見が出ていたが、憲法を巡る危機感というか、平和憲法がどんどんと蔑ろになっていって、戦争に加担するという状況に対する危機感というものがある。だから日本政府に何か言うのならば、この2つがうまく結びつくような文脈が必要な気がする。それで、一つの提案としては、最初の11行目から20行目までは、禁止条約を巡る推進している人たちと、反対、不参加の人たちに対するメッセージで、それはそれでシャープに切って、それで被爆の実相を語るところに行って、それは32行目からということになるが、その被爆の実相と戦争体験というのを、これまでも感じるのだが、あまり重ねた表現というのがないのだが、今日の委員の話をお聞きしても、被爆直後の被爆の体験そのものと、その直後の戦後の何もない中で被爆者が過ごした時間というのは、一体とした経験としてあると思う。だから、被爆体験と戦争体験は、広島・長崎からの声としては、分離できないと思う。だから、戦後の中で、いかに大変だったかを一行、そこを有機的に語れば、「戦争はもう御免だ」、「二度と核兵器は使われてはならない」という2つのメッセージが有機的に一つで表現できるような気がするので、31行目から37行目のところに、戦争体験と被爆体験を一つにするような文言を加えたらどうだろうかと思う。その最後のところで、38行目39行目も入ってもいいのだが、その後に、日本政府に訴えます。ということを非常にはっきり言って、戦争が二度とあってはならない、平和憲法を守って絶対に日本は戦争をしないということと、その被爆体験の中で、核兵器禁止条約に日本政府は参加できていないということについての落胆、非難の言葉を述べて、それで日本政府の役割をそこで述べると。核の傘から出ないとやはり貢献できないので、そのメッセージを、21行目から27行目に述べられているようなことをそこで述べる流れにすれば、今の戦争をしてはならないというメッセージと一緒に禁止条約も話をつなげられるのではないかと思う。そこは、前で一度切れてからの話なのだが、不自然ではなくなるのではないかと思った。で、日本政府に訴えますがあって、世界の人たちに訴えますがあって、リーダーの皆さんという流れのつくり方ができるのではないかという提案である。大きなところはそこなのだが、あと表現的に、いろいろ考えた方がいいと思ったところは、委員が書いていることも多くはその通りだと思うので、そこは省略するが、禁止条約が「核兵器のない世界への切符を手にする」という部分が、ちょっと違和感がある。やはり、土台というか、一つの基礎をつくるというような感じではないかと思う。細かい話になるが、核兵器は15,000発を切ったので、以上ではなくて、15,000発もの、ということになると思う。その次の文章の「使われる兵器になるという不安」という文章が、今の書き方だと、北朝鮮の挑発的な核開発からの因果関係からそこに流れているような文章になっていて、それは事の一面すぎるかなと思う。今、アメリカとロシアの間の緊張も非常に露骨に核兵器に使う、使わないというか、そういう危険な状況になっているということも、世界的な危機感の部分だと思うので、そこは、北朝鮮問題をクローズアップするとしても、表現は、例えば、北朝鮮の核開発も加わり、使われる兵器になるという不安が広がっているというようにして、少なくとも、そのつながりを考慮した方がいいと思う。8行目9行目は、どこかで削っていかないといけないとすれば、なくてもいいかなと思う。核兵器禁止条約に参加していないというのは、交渉の最終日を経て、言葉を選ぼうというものだろうが、それを経ても、条約に参加している、していないという状況にはなくて、条約の成文ができて、参加する・しないというのはそれからしばらく経たないと、8月9日の状況では、あまり言えないことだと思う。だから、ここは、交渉に参加していないという言い方になるのかなと、8月9日時点の言い方としては。それからそこの言い方は、先ほど委員からも話があったが、保有国と核の傘に依存する国々という風に言っていいのではないか。交渉に参加しない国々というのであれば、クローズアップするのに、核保有国と核の傘に依存する国々と言った方が分かりやすいかもしれないと思った。それから、15行目で、今の話とつながるのだが、「核兵器禁止条約に参加し」という、交渉に参加しなかった核保有国と核の傘に依存する国々の次のアクションで何を求めるかと考えたときに、この条約に参加しという形に呼びかけるのではないんじゃないかなという感じがしている。ここはいろんな人のご意見を聞きたいところだが、おそらく、禁止条約ができて、それから、核兵器国が核兵器を放棄するという決断をするということに至るプロセスというのは禁止条約に参加する・しないというのは、結果の話であって、そういう意味では後にくる話であって、彼らが禁止条約ができたということを踏まえて、まず、やらないといけないことは、自分たちの核兵器をどうなくすかということ、あるいは、核の依存を断ち切るかということに向けての行動であって、条約に参加するというのはその結果であり、残念ながら、次のステップである。呼びかける方としては、参加をせよという呼びかけにはならないのではないかと思う。それに類することではあるが、ちょっと細かくなるので、そんなところだ。それから、54行目55行目の福島の問題に触れる触れ方は、ちょっと現状では唐突すぎるという、いろんな方の意見に賛同する。もうちょっとロジックをきっちりとすべきだと思う。

【委員長】
いま、一通りご意見をお伺いした。冒頭に、一巡で2時間過ぎるかと思ったが、今回は早めに一巡した。途中で委員からお話があった、他の皆さんからも、平和宣言のあり方についてのお話もあったが、少しそのお話をさせていただくと、平和宣言の立ち位置というのは、基本的には、被爆地からのメッセージであるということと同時に、もう一つは、市民社会の声を届けるという側面も持っている。しかし、被爆地からだけのメッセージだと感じると同時に、私たちと同じ市民社会の一人として、あるいは人類の一人として、繋がれるという、そういうものだと思っている。では、誰に対するメッセージなのかというときに、これは一言でいえば世界の人たちへのメッセージということ、実際には、具体的にどうなのかと言えば、あるメッセージは国連へのメッセージかもしれないし、インドへの、あるいは核兵器保有国へのメッセージかもしれないし、核兵器を持っていない国へのメッセージかもしれない。そういう国々へのメッセージという部分もある。それから、もちろん日本政府へのメッセージもある、市民社会、それから市民社会のみなさんへのメッセージもある。市民社会というとこれまた広いので、例えば、世代でいえば、戦争を体験された皆さんから、今生まれてくる、まだ生まれてない人たちへのメッセージという世代の広さがあり、国々といっても、日本の市民社会への、あるいは、一番狭ければ長崎市民への、あるいは、広ければ、いろんな国々で暮らしている市民社会の皆さんへの呼びかけというメッセージもある。平和宣言のそういう内容を考えていくと、あるいは、専門家の皆さんへの呼びかけもある。平和宣言自体はすごく広くて、立ち位置は一つだが、誰へのメッセージというのはすごく広くて、それを、毎年、いろんな方面への、としていくと、毎年同じようなメッセージになってしまい、限られた時間と字数の中で作るという意味では、あまりいい方法ではないということで、その年年の状況を踏まえ、どこの部分を強調するのか、ベースの部分はどうするのか、誰に届けるのか、今年はこれを強調しようということを考えながら、皆さんと一緒に作っていくものだと思っている。そういう中で、毎年変化があって、例えば、近年でいうと、今年の大きなテーマのひとつは、被爆者の皆さんがいる時代が終わりに近づいているということ、それはイコール、いない時代の始まりが近づいていること、それは、いる間にしなければならないことがあるのではないか、あるいは、いない時代に備えて、いま準備しなければならないことがあるのではないかという時代認識のなかで、若い人たちへのメッセージが近年少し多くなっているという状況がある。これは、そういう時代のとらえ方からすると、平和宣言がそこにスポットを当てていくというのは当然と思う。あるいは、福島の原発事故があったときには、これを契機に、原発のことだけども、そういう放射能を放つ核兵器を人が住んでいるところの上に故意に落とすというのはどういう行為なのかということをもう一度考えてもらうという風にしたり、その時々に、どこを強調するのかを議論し、選んでしないと、実は、すべての人に毎年同じことを言っていると、すべての人に伝わらなくなるということだろうと思う。そういう意味では、今年の核兵器禁止条約というのは、今年しか、ある意味発することができないメッセージかなと、それは長年望んできた被爆者の願いが、形になろうとしていることもあって、今年述べなくてはならないことのひとつ。それをどう伝えるのかが難しく、皆さんから様々な意見があったと思う。もうひとつ、それだけではなくて、時代認識のとらえ方もいろいろあるので、先ほど若者の分も含めて、もっと伝えなければいけないこともあるのではないか、この中でご議論していただいて盛り込んでいくという形になると思うが、1回目の御意見を踏まえて、なるべく強調しなければいけないことを中心に組み立てようと、少し整理するなかで、十分整理できていない草案になっている気はする。今日の御意見をいただくなかで、これが次の3回目の委員会で、もっとしっかりと、誰に何を伝えたいのかということがわかるような形の文章に仕上げていかないといけないと思うので、今日もひとつの案に対してもいろんな感じ方・考え方があって、特に世代に関しては、以前と違って、非常に原体験がさまざまな、違う皆さんが同じ社会に生きているという時代になっていると思う。以前は、割と濃淡はあっても単一の色で、先輩が後輩に教えていく社会だったと思う。いまは、原体験が違うので、そもそも言葉が通じなかったりする、常識であったことが常識でなかったり、パソコンが生まれたころから家庭にある人とガリ版から始まった世代とは違っていたり、表現をどう伝えて行くのか難しい時代でもあるので、そういったことを専門家の皆さんと市民の皆さん、まったく専門ではない皆さん、高齢の皆さんと若い皆さん、外国の皆さんと日本の皆さんであったり、あるいは、後で読むひととその場で聞く人と、本当にこう、平和宣言の中には様々なことを考えないといけない要素があって、毎年皆さんのお知恵がないとできないというものであるが、そういう意味では、今日の件をできるだけ加えながら、メリハリのある、というご意見もあったが、仕上げていきたいと思う。そうでないと、毎年同じメッセージでは、それも違うと思うので、今年ならではのメッセージを持った平和宣言に仕上げていきたい。
いまも、ひとつのテーマについて異なったご意見もあったりするが、ぜひ、もう少し時間があるので、今一巡したなかで、文章は3回目に変わるが、そのときのご指摘が参考になって、3回目の草案を作るときに気を付けることになったりもするので、できれば、感じられたことについては、教えていただければと思う。

【委員】
委員に、難しかったら答えていただかなくていいが、先ほどの意見で、32行目から37行目までの表現について、「無機質」ということをおっしゃって、それは僕のセンスだと、なかなか努力して、無機質にならない表現をされた結果がこれかというのがあって、だけど、無機質だ、という風に言われた世代の人の感覚をもうちょっと説明してもらって、例えばどういうところがそう思うかというところを。難しかったら、後で立ち話でもいいが。

【委員】
すみません、無機質という言葉が私の言いたいことを表しているのかわからないが、私よりも上の世代のかたは、実際に被爆者ではなくても、物がない時代とか、本当に戦争のなかを生き抜いてこられたかた、あるいは、親世代がそのようなかたで、ずっと昔からそういう話を聞いていて、自分自身は経験していないにしろ、親世代はこんな風に苦労をしていたとか、こんな戦争で生きるか死ぬか、明日は死んでいるかもしれない、今日はなんとか生きてこれたとか、そういう話を聞いている方々だと、この文章は、聞いていて、すっと入ってくると思うが、いかんせん、私は生まれてから、戦争というのはテレビの中で見るものでしかなくて、シリアの内戦であるとか、テロの映像というのを見ても、やっぱり、どこか他人事というか、自分の身には降りかかることがないようにしか思えないので、こういうものを聞いていても、実際にそうなのかもしれないが、過去の、本当に切り離された、今の生きている私とはまったく違うものだとしか思えない。だから、私は去年、もしかしたら覚えてくださっているかたもいらっしゃるかもしれないが、自分により置き換えた文章にしていただきたいと言った。実際に自分の親が殺されてとか、そういったことを考えることは難しいと思うが、昔の方々にも自分の大切なひとに対して思うのと同じような感情を昔の人は抱いていて、うまく言えないが、誰か大切な人を思う気持ち、誰か自分の大切な人を失ったときの悲しい気持ちというのは、世代があってもなくても関係ない、世代間のギャップはないものだと思うので、どうしても、戦争体験をしていない人としている人が同じ経験をすることはできないが、実際に共通に持っている、愛とか、誰かを大切に思う気持ち、誰か大切な人を守りたいという気持ち、その共通点を、そこを拠点にして、うまく言えない、すみません、伝わっているかどうかちょっと。(委員「さっきより伝わりました」)本当か。(伝わっているか)怪しい、ちょっと。
だから、その事実を並べられたところで、どうしても、自分に起こりうる、身に振りかかることとは思えなくて、例えば、(35行目)「血まみれでひどいやけどを負い、さ迷い歩く人々」。この方々はどう考えていたのか。もしかしたら、自分の肉親を捜して歩いていたのかもしれないし、その方々との思い出を思い返してやっていたのかもしれない。もし、自分がこの場にいたら、どんな気持ちになるか。そういう感情・感性に訴えかけないと、そこが唯一の世代間のギャップを埋める視点だと、私は思う。だから、ここには全く、感情・感性が見えてなくて、自分への置き換えができないなと。生々しさがないなという風に思い、無機質という言葉に置き換えてしまいました。もう少しいい表現ができたら良かった。

【委員】
共感を誘う部分、ということか。

【委員長】
去年の平和宣言のなかに、委員が起草委員会のなかで言ってくださったことをヒントに、こういう表現がある。「若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。」という表現は、まさしく、先ほど話してくれたように、去年もそういう意味では、伝わる言葉を使ってほしいという意見であって、去年の平和宣言に盛り込んだ、多分、平和宣言の表現としては非常に新しい表現でもあったんじゃないかなと思うが、確かに、この表現の部分に引っかかった世代の皆さんであったり、そういう方もいらっしゃるというのは、反響でも聞いている。そういう意味では、平和宣言も、時代が変わっていくなかで、表現を少しずつ工夫していかないといけないということだと思うし、先ほど原体験が違う社会になっているというのも思う。それから伝え方というのも、いろんな方法で伝えないといけない、演劇であったり歌であったり、いろんな伝え方があるので、そういうものも工夫していかないといけない。まさしく、「被爆者がいない時代」が来たときに、何も伝わらない、体験を書いたものがあるが、伝わらないという形になったりするといけないので、今のお話はすごく大事な、私たちに共通の考えなければならないテーマを提示してもらったと考えている。
委員はその意味では、若い皆さんと接しているが、今の意見を聞かれていかがか。

【委員】
子どもたちの感性は鋭い。言葉で伝える難しさはある。宣言文のように対象が多様に分かれている場合は特に対象が絞りにくい。宣言文に関しては、不易と流行がある。一昨年、高校生の平和活動に焦点をあてていただいた。去年は市民活動の朗読の会。毎年焦点を変えながら作成していることは存じている。私の周りでも今年の宣言文はどうなるかよく話題になる。ずっと関心を持っている方は非常に多い。一方でその時だけの宣言文を聴くという方もいる。その年、その年の焦点が変わる流行があるのが一つ。また、やはり不易の方は、外せないことはいくつもあって、高校生は自分たちの観点で核兵器禁止条約に日本が参加しないのはおかしいと、自分の声をあげている。確かに文言として高校生の活動を取り上げていくのは大事だが、高校生や若い人たちと一緒になって、核兵器禁止条約について、どういうことが本当のサポートとなるのか。活動を取り上げて賞揚することも大事だが、次の世代に大人がどう実績、成果を残せるのかが大事だ。私は核兵器禁止条約に期待している。そのことを周知させていくことが次の世代によりよいものを残していく道だと思っている。今度の平和首長会議総会にも多くの高校生が参加する。様々な形で高校生の活動をサポートしつつ大人としてできることをやっていきたい。答えになっていないかもしれないが。今年は宣言文に核兵器禁止条約を取り上げてもいいと私は思っている。それから、23行目は核兵器国に追随するのではなく、といった条件づけの文言が必要かなと思う。

【委員長】
委員、若い世代への伝え方について、若い世代として感じることがあれば教えてほしい。

【委員】
昨年、委員が入れたほうがよいといったコメントがあったから、若い世代に伝わったのかなという思いがある。今回の案を読んだときに、委員がおっしゃるとおり薄いな、届かないなという思いがあった。ただ、冒頭でも核兵器禁止条約に集中しているので、前回、私が出席できなかったので、その流れになったのかな、ここはあまり濃くしないという方向になったのかなと思って、今日来た。皆さんの話を聴いたところ、やっぱりここはもうちょっと強めてほしいと感じている。32~39行目は事実として残し、それとは別に41~43行目に若い世代も含め、一般市民が日常で感じられること、それが平和につながって大きくなれば核兵器廃絶につながることになる。日常で感じられることを入れ込めたら、今、関心がない人たちも、この宣言文が考えるきっかけになるのではないか。

【委員長】
32~39行目については、例年よりも少し行数が多くなっている。長崎の式典の場合、「平和への誓い」で被爆者が直接、実相を話すということがあり、これは広島にはない、一つの特徴でもある。そういう意味では、実相をしっかり伝えていける部分があり、少しそれが、平和宣言文に影響しているところがある。今回皆様のご意見を踏まえながら、少し行数を増やしている状況になる。そういうところも含めて、最近、行数が増え全体が長すぎるという意見もあるので、3回目に向けてはいただいた意見を整理して全体が冗長にならないようしていきたい。世代によって伝わりやすい言葉、伝わりにくい表現などは大事な要素だが、皆さんで感じたご意見があれば、発言していただきたい。

【委員】
被爆の実相の部分は絶対に欠かせない。無機質に感じるという意見が複数あるが、表現の仕方で変わると思う。被爆地長崎からの宣言なので、受け身、被害を受けたものとして表現してはどうか。例えば、33行目「原爆の凄まじい熱線と爆風により、建物はなぎ倒され、街は火の海に包まれました。」と書かれていれば印象が変わってくる。書いている内容はこれ以上盛り込めるものはないと思う。表現の仕方を変えることにより、全然違うものになる。「亡くなっている赤ちゃんを抱きかかえたまま歩いている母親」「血まみれでひどいやけどを負い、家族を探してさ迷い歩く人々」や「会いたい人にとにかく会いたくてさ迷っている人々」など。ただ、さ迷っているだけではなく少し表現を変えるだけで無機質ではなくなるのではないかと感じる。私も家族証言として様々な学校をまわっているが、父が家族を亡くしていくという話をすると、戦争というのは、とにかく自分の大切な家族を亡くすものだから絶対やってはいけないという感想が必ず出てくる。子どもたちも自分たちのこととして置き換えて、ちゃんと聴いてくれていると感じているので、表現だと思う。とにかく身近な家族、大切なものを亡くすものが戦争だということを子どもがわかるので、たいていの人は感じていただけると思う。表現を変えることで実相の部分は大分変わってくるのではないか。

【委員】
乳飲み子を抱えてという部分だが、私は亡くなった子どもを抱いたお母さんがうつろな目でいらっしゃるもの写真がすごく印象に残っている。乳飲み子が亡くなったことを受け入れられないお母さんの姿が見えるように「死んだ子どもを抱きかかえる母親」とかの表現ではどうか。また、目に見えない放射線の部分は、「72年間の苦痛から解放されない生活が今も続いている」というような表現がここにあると、今日までということにつながるのではないかと感じる。その瞬間にあったこともだが、その後の暮らしにはとても悲惨なものがあるが、それが文章上ここには出しにくいという面があるが、72年続いているということを入れてはどうか。また、出だしの部分に、核兵器禁止条約を持ってくるのであれば、2行目「被爆から72年を経て被爆者の長年の努力が実を結び、核兵器禁止条約が多数の国々の賛成を得て採択されました」など、被爆者の長年の努力を冒頭に持ってくると、入口として感じが変わるのではないか。検討いただければと思う。

【委員】
委員の意見を伺い、私も学生と話していて、いくら文章や説明をしてもピンとこないということがどうしてもあるので、核実験の実際の映像をみせたところ、急に恐ろしくなったという人たちが多くいる。意外と今の人達は知らない。まずは、核兵器と通常兵器がいかに違うかということをもう少し書いた方がいいのではないか。非人道性という言葉ももうひとつピンと来ていない感じがあるので、核兵器がいかに非人道的な兵器かということについての表現が難しいとは思うが入れたほうがよい。もうひとつは、戦争の危機というものを感じていない。戦争が近づいているかもしれないという危機感を書いた方がよい。委員の意見にもあったが、北朝鮮の問題だけではなく、核を持っている国はひょっとしたら使うかもしれない。今、核兵器を扱う人たちの中で核兵器を使った場合の脅威がわかっていないまま持っている可能性がある。そこのところのメッセージが強く出てもいいと思う。それから近代化については、巨額の投資はもちろん、一番問題なのは2080年まで核兵器が残るということと、使いやすい、限定的でも使える兵器について特にトランプ政権がいっているので、この2つは絶対に許してはならないということをぜひ言っていただきたい。

【委員】
僕は平和宣言をここ何年かやってきている。全世界に対して宣言を行ってきたということだが、単に宣言をするということで自己満足で終わるのではなく、どのような形で世界からのレスポンスがあっているのかということを我々は知りたいし、その成果が具体的に世界で起こってくることを期待したいと思う。単に宣言を繰り返すだけではワンウェイボイスで虚しい。できれば今年あたり日本の大使館等を含めて広島、長崎の声を世界の人達がどう受け止めて、それがどういう形にレスポンスがいこうとしているのか、平和宣言文の具体的な効果というものを我々も確かめたい。その辺について何かお考えがあるか。それから原爆の悲惨さについて母親が背中に背負った子どもはまさにそうだと思うが、それは原爆に限ったことではない。私も終戦の前後にグラマンやロッキードといったアメリカの戦闘機が地上に対して機銃掃射を繰り返すことがあった。当時長崎駅のホームで列車の発車前にロッキードの戦闘機が機銃掃射し、かなりの人が亡くなった。一人の母親が危機迫る中から逃げ出して、ほっとしたところで背中に背負った子どもを見ると子どもが死んでおり、母親は発狂状態で駅前の広場で泣き叫んでいた。私は機銃掃射のだいぶ後に、たまたま行き合わせて目撃した。原爆の悲惨さは単に原爆だけではなく、戦争というものによって作られるものだということを十分考えさせられる出来事であったと思う。

【委員長】
平和宣言文だけではなく、実際に長崎からの発信によってどのように核兵器のない世界へ向けて活動しているのか、動きをつくっているのか、ということだが、ひとつは今回の核兵器禁止条約の動きは平和宣言文の中にも含まれており、もしくは被爆者の運動が形になっていったという大きな流れだと思う。そういう意味では被爆者の活動が大きな流れとなったということがいえる。委員をはじめ、被爆者が語ってくれたことが伝わり、それが少しずつ広がって多くの国々が動いてくれたと思っている。もうひとつは被爆者の方が少なくなっている中で、いる時代の終わり、いない時代の始まりという時代認識でいうと、若い皆さんの活動が確実に20年、30年前と比べると、増えてきている。しかも複数の委員のように新しいやり方での活動が出てきている。これもすごく大きな変化であり、今年のゴールデン・ウィークにウィーンであったNPT再検討会議準備委員会に出席したが、5年前同じ会議がウィーンであった際には、長崎側で一番違うのは、RECNAが4月にできたばかりだった。5年経ってみると、ユース代表団が5期生になっており、若い人達が自分たちで本当に考えており、寝る時間も惜しんで様々な人たちに会っている様子を見ると、本当にたくましいと思う。こういう時代にやっておかなければいけないことがある中で、長崎では時代認識をしっかり共有する中で活動が少しずつ生まれてきている。それから、これもRECNAの存在が大きいと思うが、2年前にパグウォッシュ会議が開かれ、世界の科学者が長崎に来た。去年は国連軍縮会議が、今年は4月に国際赤十字が長崎で大会を開いてくれ、核兵器禁止条約の議長を務めるホワイト氏が来て被爆地を見てくれた。国際会議も少しずつ増えてきており、被爆者の皆さんがずっと一番強い力で伝えてきてくれたものがこれから頼れない時代が来るという中で、どのように発信していくか、多くの人とつながっていくのか。そういう中で新しい活動が少しずつ、まいた種が少しずつ芽を出してきているという状況がある。本当に実感として思うが、日本の中でもあちこちの都市で話をすると温度差がある。広島、長崎だけが言っていると逆に浮いてしまう、伝わらなくなくなってしまう。広島、長崎以外のまちが一緒に同じメッセージを発するときに初めて、これは人ごとではない、ということが伝わる。長崎だけではなかったということが伝わるということを経験している。そういう意味では仲間をたくさんつくることは大事なことで、皆さんと一緒にメッセージを発信していかないと、被爆者がいない時代に伝える力が格段に弱くなってしまう。平和首長会議総会が8月に開かれるが、そういった機会も生かしながら、仲間を増やしながら、伝え方もいろいろ工夫しながらやっていくことがすごく大事である。今日の委員をはじめ皆様のご意見はこれからの長崎の取り組みや平和宣言文を考えるためのいい時間、いい議論をしてくれたと思う。最後に委員の皆さんから、これだけは言いたいということがあればお願いしたい。

【委員】
ご専門の先生がたにお伺いしたいが、今度の(核兵器禁止条約の制定)会議のまとめに「ヒバクシャ」という言葉が入るという風なニュースになっていた。ということを踏まえ、実を言うと、長年の願いと、積み重ねられた努力という言葉を入れたいな、というのがあった。というわけで、若い皆さんの仰っている、「若い人たちに呼びかけます」というのは、これは私たちも含めて一般市民に向けられた言葉だと思う。もう一つ考えないといけないのは、被爆者の皆さんが、苦しみの中から復興してきたという事実ということも、少し、言葉として、事実、非常に何もないところから復興してきた。言葉が入るということは、そこにある意味、表現が悪いかもしれないが「ヒバクシャ」が世界に市民権を得たのではないかと考えた。そこに、非常に大きな、復興と人間の尊厳の回復に向けての努力があったということが、若者に伝える言葉として、トータルに考えられないかなと考えていた。大変難しい言葉ですが、被爆の実相を伝える、その中での苦しみと、それを本当に毎日乗り越えて70年経ってきて、世界に向けてもアピールできるようになってきて、ヒバクシャという言葉も条約に盛り込まれる、その努力に対して深く敬意を払いたいと思っている。盛り込むかどうかは、難しいところだと思うが。プロセスを大切にしていただければと思う。

【委員】
(ヒバクシャの文言は)前文に入っている。「市民社会」も入っている。随分、幅広い表現だと。

【委員長】
今日も第2回目の起草委員会、活発な御議論をいただき、ありがとうございました。今日いただいたご意見をもとに、また、素案を修正させていただき、第3回の起草委員会につなげたいと思う。事務局から連絡事項をお願いします。

【事務局】
次回の起草委員会は7月1日土曜日、10時から、この会場で予定している。
最後の会合となるので、本日、ご協議いただいた内容を反映させた平和宣言文(案)をもとに、再度、皆様からのご意見をいただきたい。

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電話番号:095-829-1124

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