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平成28年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

更新日:2017年1月16日 ページID:029306

長崎市の附属機関について(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

平成28年度第2回 長崎市平和宣言文起草委員会

日時

平成28年6月11日(土曜日) 10時00分~

場所

長崎原爆資料館地下1階 平和学習室

議題

平成28年長崎平和宣言について

審議結果

【委員長】
今回は1回目の起草委員会でいただいたご意見を基に、初めて素案という形で案を作らせていただいたものをご提出させていただいている。これを基にまた第3回目に向けて修正を重ねていけるように、今日は非常に大事な議論になると思うので、忌憚のないご意見をいただければと思う。1回目の起草委員会の後にオバマ大統領の広島訪問があって、新しい状況が変わった中でどういうメッセージを発するのかといった部分もあるし、そういう意味では新しい議論、新しい思いというものを入れていければと思っている。今回の素案は、1回目の意見と、オバマ大統領の訪問を受けてという形で作らせていただいている。国連作業部会の話であったり、核兵器保有国と非保有国との対立であったり、あとはオバマ大統領の訪問をベースにした形で、これから長崎として何を訴えていったらいいのかというのも含めた素案になっている。おそらく2回目はかなり多くのご意見をいただけて、3回目は全く違うものになっているのかもしれないが、そういう意味では、3回目の中でもある意味一番重要な回になると思うので、様々なご意見をお寄せいただきたい。

(素案朗読)

【委員】
私からは二か所付け加えていただきたい箇所がある。一つは47行目の「国を超えた友人を作るなど、人と人との関わりの中で小さな信頼を積み重ねていくことはできます」というところ。「友達をつくる」ここはとても大切なところだが、もう少し重みのある言葉、例えば交流や中を深めるなどの友達、make friendsだけでなくもう少し一歩、二歩進んだところまでいかないと信頼は積み重ならないと思うのでそこを付け加えていただきたいと思う。もう一か所は、55~59行目のところ。このように核兵器廃絶の署名活動やフォーラム、朗読、平和コンサートなどもう動き出した方々がいて、この文章だとその方々がもっとやっていきましょうよと私は聞こえた。でも、活動している人たちだけではなく、田上市長が8月9日にこの宣言を読み上げている時に、たまたまテレビで観た方々がこの言葉を聞いて、例えば今度はあなたたちの番ですよ。この宣言文を聞いていることで、今まさに活動を起こしている人たちの活動内容を聞いて、あ、自分にもできそうだと思ったことをまずは自分ができるところからでいいから行動してみましょうよというような呼びかけが一つ入ると、また文章がよくなるかなと思った。

【委員】
私が1回目にお話ししたところが55~59行目に書かれているが、今委員がおっしゃったように、本当に今活動している人に言っているような感じを今言われたが、私がちょっと考えるには、56行目の「一歩踏み出した人たちがいます」とあるが、もう一歩ではなく、すでに活動している人たちがいて、「もう何年も前から活動をしている人たちがいます」としたほうがいいと思った。そして、内容の中で署名活動云々と挙げたのはいいと思う、具体的な例として。被爆体験の朗読劇とあり、たぶんこれは「永遠の会」のことを書かれているのかなと思うが、朗読劇は年に1回しかやっていなくてほとんどが朗読の活動なので、この朗読劇ではなく、ただの朗読としたほうがいいのではと思う。あと、せっかくなので長崎市がやっている、私も参加している家族・交流証言をここに入れていただきたいと思った。なので、56~57行目にいったところで、「人たちがいます」の後にでもいいので、「長崎市では被爆2世、3世などによる家族交流証言事業を始めました」という風にいれていただくか、「ほかに核兵器廃絶の署名活動云々、平和コンサートなど様々な表現方法で活動している人たちがいます」で、その後に呼びかけということで、「長崎のみなさん、被爆地長崎から平和の輪を広げていきましょう」みたいな文言を入れたら活動している人以外にも呼びかけになるのではないかと考えた。

あとは、言い回し的なところで何点か。最初の方で、2行目の「長崎の街は一瞬にして壊滅してしまいました」とあるが、壊滅の状態がわかりにくい。どういう風に壊滅したのか。私が考えるには、「灰色の街と化しました」とわかりやすく色で表現してみたらどうかと思った。あと今回、被爆者の放射能による後遺症のことが最初に述べられていないんだけれども、「貧困や差別」は放射能による後遺症云々で起きていると思うので、「かろうじて生き残った人々も放射能による後遺症や、それによる差別や貧困に苦しみました」と入れてみてはどうか。あと6行目、「もし今、核戦争が起きたら」というように投げかけたのはいいなと思ったが、その後の文がもう少しわかりやすく表現できないのかなと思う。どう変えたらいいのかまで思い浮かばなかったのだが、専門的な方々にわかりやすい表現を出していただけたらなと思う。あと、9~ 12行目で「被爆者の存在があったことからこそ」と今回入れていただけたので、ここはいいと思う。ただ「大きなうねり」が「うねり」でいいのかなとちょっと思ったりもした。それから、21行目に、「核兵器禁止の法的枠組みを交渉する場を設定するよう勧告することを強く求めます」と、委員長が読み上げている時に「する、する、する」と引っかかったので、「交渉の場を設定するよう」など、「する」を減らした方がいいと思う。あと、せっかく今年オバマ大統領が来られたということは歴史的にも注目されるところなので、29行目からのところは真ん中からではなく、前の方にもってこられないかなと。やはりこれは大きなことなので、これによって今核保有国の首脳の方々などに、だから来てくださいと繋がっていくのだけれども、前の方にオバマ大統領を前面に出せないかなと思った。

【委員】
私の方からは特に個別の文言などについてはない。基本的な考え方としては、この内容で大変すばらしいのではと思う。ただこの宣言文というのが、日本国民だけに対する呼びかけではなくて、世界の人々に対する呼びかけであることを考えた時に、もう少し文章全体を簡潔に圧縮した方が、呼びかける力としてでてくるのではないと。その辺もう少し全体の圧縮ができないかご検討いただけたらと思う。宣言一句についての意見は特にないので、基本的なことを問題として申し上げたい。あくまで世界の人々に対してということがあるので、これがもし日本国民だけに対する別の呼びかけもあってもいいのではないかと思う。歴史に「もし」が許されるのであればの話だが、あの時にもし、広島と長崎に原爆が落ちて悲劇的な体験がなくて、あの時の戦争が、もし両都市がああいった悲劇的な状況になることがなければ、もっと別の形での悲劇があったのではないかという気が私はするのだが、それを避けるためにも、私たちは大きな犠牲を払って日本民族の別の形の悲劇を救ったのではないかと、私は常日頃考える。それはなぜかと言うと二つある。一つは、アメリカが原子爆弾を開発することによって圧倒的な戦力を手に入れるわけだが、連合国5か国に対しても余燼の介入を許さない形によって。あの時はヤルタ会談などで日本の戦後の分割占領が具体的に彼らは考えていた。それがアメリカの単独占領となったのだが、もしあの時に長引いていたら、一つ目には沖縄のような地上戦が、別の形で悲惨な日本全土で繰り広げられていた可能性があるのではないかという風に思う。それからあと一つは、分割占領された場合に、北海道がソ連、青森から関西までがアメリカ、中国地方がイギリス、四国がオーストラリア、九州が中国といったところの分割占領をされる予定だったのが避けられたことによって、東西ドイツとか南北朝鮮のような民族の悲劇が、別の形で日本の民族にのしかかってきた可能性が非常に大きいわけだが、そういったことが避けられたのも、我々があのような悲劇的な経験によって避けることができたということで、日本の人々に対して、広島から声をあげる時には、そういったことも含めて我々は民族の悲劇をある意味で救ったのであると込めた形の説得力のある発言ができるのではないかと思う。これは、歴史に「もし」があればということで、原爆の肯定論ということでは全くなくて、私は被爆の悲惨さというものをより強烈にアピールするためにも、我々が訴える内容の中に含めてもいいのではないかと思う。

【委員】
あくまでも個人的な印象だが、正直文章をいただいて読んだ時、あるいは今日、先ほど委員長が読み上げた時に、正直とてもマクロでぼんやりとした、長いなという印象を受けてしまった。今年は国連作業部会だとかオバマ大統領が来たりして、すごくトピックが多いので、盛り沢山なのはわかるのだが、分散してしまっているという印象を受けた。個人的には平和宣言は、先ほど委員もおっしゃっていたが、対象は世界の人。そしてその世界の人というのはほとんどがこういう平和活動だとか核兵器に特別関心を持たずに過ごしていらっしゃる方々。そういう方々の心に何か引っかかりをつけるようなそういう文章にしないといけないなと考えている。

47行目から、市民の方々に対してのフォーカスがされているが、市民社会に訴えかけるその目的は何なのか、もう一度考えるべきだという気がした。47~49行目は、国や人種を越えて相手をリスペクトするという平和の基盤というのはできていて、不可欠な問題でいいのだが、やはりぼんやりとしている。55~57行目に関しては、もうすでに活動されている方を労うという意味にはなっているが、それ以外のほとんどの、こうした活動に対して関心を持っていない層がこれを聞いた時には、もうこういうことをやってくださっている方が多いのだから自分はやらなくていいのではないかと、逃げ道を作ってしまっているような、そんな文章になってしまっているかなと、もったいないなと思った。私はオバマ大統領のスピーチの中で一番よかったのが、家族の愛について、具体的な文章は覚えていないが、母親に抱きしめられた時の気持ちとか、子どもの笑顔を見たときとかそういったところの内容の文章が好きだった。そこはやはり、核兵器とか平和に特別関心を持たない人にも、みんなが共通して持っている経験だと思うので、一人一人に、特に関心を持たない人の心に訴えかける文章をもう少し考えてもらいたいなと思った。

【委員】
ちょっと辛口になるが、いくつか申し上げる。先ほどの委員とちょっと似ているかもしれないが、読んだときに、あまり具体性がない、抽象的な文章が多いなという感じをすごく持った。

個別にちょっといくつか思ったことがあるが、5~7行目のところで、「もし今、核戦争が起きたら」という部分で、私は核兵器に反対するのは食糧不足による飢餓状態を招くからではないという風に思っている。核兵器というのは究極の兵器だからこれを廃絶すべきであって、屁理屈かもしれないが、威力が少なかったら認めるのかという、そういうことではないと思う。要するに、すべての兵器をなくす第一歩として核兵器廃絶というのがあるという、そういう位置付けであるので、ここのところには違和感を覚えた。

それから、国連を通じての活動にいろいろ提言が書いてあるが、要するに、昨年からNPTとかパグウォッシュとかいろいろ続けている中で、平行線が続いている。続いている中で、今回も対話に望んでほしいとか、要するに平行線の状態のままで何を言ってもなんとなく私は無力感を感じていて、平行線を打破するためには一体具体的に何をしていくべきなのか、何を求めていくのかまで踏み込めないかなと。それが23行目に書いてある「日本政府はリーダーシップを発揮してください」と一言で終わっているが、具体的にどういうリーダーシップを発揮すべきなのか。核兵器保有国一国一国に対して、じゃあどうすれば核兵器がない世界をつくるのか問いただしていくとか、日本政府が具体的にどういう役割を担ってほしいか、方法論の提案としてひとつ具体的に書けないかなと感じた。

それから、その次の北朝鮮のことは、北朝鮮の核開発に歯止めをかける意味での北東アジア非核兵器地帯ということが書いてあるが、この地帯をもし作ろうと思ったら北朝鮮の参加が必要不可欠なわけなので、北朝鮮に向かって、核兵器保有宣言みたいなものを出したことに対して、非難するのか、核兵器をただちに放棄することを要求するのかということを発するべきだと思った。

細かいところだが、その後のオバマさんのところは非常によい感じで書いてあると思うが、34行目以下、ここは体言止めが続いているが、こういう表現は文体として美しいがためにかえって力がないと読んでいて感じた。

その後、日本人、我々がどうするか、長崎市民がどうするかというところに移っていくが、昨年被爆70年を迎えて、今年は71年目になるが、今日本はどういう現状にあるのかということを、一回ちゃんと踏まえるべきかと。つまり、被爆だけじゃなくて太平洋戦争というものの事実自体が風化しつつあるという現状がある中で、我々がどうしていくべきかということ。この視点に立ったほうがいいと思う。まず現状認識をしっかり踏み込んだうえで、先ほどから何人かおっしゃられているけれども、「一歩踏み出した人たちがいます」と書いてあるが、現状は踏み出していない人達が圧倒的に多い。その人達に向かって発するべきだと思っている。原爆展みたいに、被爆体験を聞くことは決して快いものではなくて、できれば避けて通りたいと思っている人が大多数だと思うので、そういう人達に向かって、今こういうことをやっているんだと。故意ではなくて、そう思っている人達と一緒に何を始めようかと、いうことを何か提言できないかと。ここに、平和のコンサートと書いてあるんですが、具体的にコンサートという言葉を入れるのは別だが、まずはコンサートから始めようとか、一緒に参加してもらうためにはどういう方法論がいいのか一緒に考えようなのか、ハードルを下げた形の呼びかけというものをできないかと思っている。

最後の、66行目「恒久平和の実現に向けて努力し続けていくことをここに宣言する」と書いてあるが、宣言なのでもっと強くてもいいのかなと。「核兵器廃絶と恒久平和をいつの日か必ず実現することをここに宣言する」くらいの言い切りのほうがいいかなと思った。

【委員】
二点ご意見を言わせていただく。

私は今回のオバマ大統領の広島訪問は、いい意味でも悪い意味でもイベントだったという風に受け止めている。直後の、長崎の被爆者の方で非常に有力な識者のコメントで、大統領のレガシーづくりに終わってしまった、という談話があったけれども、私はそれに同感をしている。前向きな意味ももちろんあったと思うが、一方で、要するに何を残してくれたのかが私にはわからなかった。

そこで32行目、「大統領の被爆地訪問は、実際に自らの目で見て、自らの耳で聞き、自らの心で感じることの大切さを改めて私たちに示してくれました」というところが、要するに体験は大切だと思うが、そこで文章の意味が終わっていると受け止められる。長崎平和宣言を聞く側、受け止める側からすると、ここで止められると戸惑うというか、「で」というところなんじゃないかなと文章を読んで感じた。しかも、最後「示してくれました」と言われてしまうと、なんかこう、そんな意図はないと思うのだが、あたかも教えていただいたみたいな印象を、読み方によっては感謝しているかのような印象を受けた。みなさんそういう印象ではないかもしれないけど、僕は、こう終わっちゃうのかなという気が、この文章に関しては、正直に言えば違和感を持った。そこで、結局体験は大切なので、体験を大統領にしていただいたうえで、だから行動してくださいとか、具体策を示してくださいとか、前段である現在の国連の作業部会の議論に正面から向き合ってくださいとか、要求というかメッセージがあってしかるべきではないかという風に私は思う。訪問が全体として歓迎されたというのはわかるし、私も歓迎されるべき出来事だったなと感じているが、そうであっても、凄惨な被害者がたくさん出て、今もいらっしゃる以上、ここは投下国であって、現在も保有しているアメリカの大統領に向かっては、被爆地としてやっぱり何かもうちょっとメッセージを、力強い言葉を述べていただきたいという風に思った。そして、その前段で核兵器禁止の議論に十何行か割いてある部分は、大事なことではあるが、若干長いかな、コンパクトにできるかなという気もするので、しかも、この長崎の訴えに対して、米国がどう答えているかというと、まったく答えていないわけで。この二つ、大統領が広島に来て、非常に重要な出来事だったということと、国連が今行われていること、核軍縮の全体の流れのなかでは無関係な話ではない、両者関連した話だと思う。しかも、国連の動きにはアメリカは全く無反応、というのが現状なので、この文をもうちょっとコンパクトにして、そのうえで大統領の広島訪問と何らかの形で絡ませるのがいいのではなかろうかというのが一点目。

二点目は、44行目の「核兵器の非人道性を最もよく知る日本は、これまで日本国憲法の平和の理念に基づき、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。この信頼の道をこれからも歩み続けなければなりません」いい文章だと思うが、結論はいいが、なぜこれを、昨年も一昨年も今年も、長崎平和宣言の中で述べなければならないのかという点が、私からみれば、この文章では言い足りてないような印象を持っている。前回も申し上げたが、一昨年政府が解釈改憲を行って、その法的具体化として、昨年、安全保障関連法をつくって、そして今年施行されて、そういう風に状況は動いてはいるが、その状況に対して、立憲主義のあり方はじめ、大きな疑問が差し向けられているという状況は、一切変わってないと私は思っている。一昨年も昨年も今年も今も、一切変わってないという風に思っている。昨年の平和宣言の中で、この部分は、「日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後わが国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です」というのが書かれているが、これはまさにその通りで、今年もこの趣旨を踏襲して、この点をはっきりと書きこんでいただきたいと思う。加えて、「現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます」と、昨年述べている。違いは、その法律がもうできてしまったという違い。ただ、法律ができたことで、先ほどの「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念」というのは継続している。昨年市長が表明された不安と懸念というのは、今も継続している。それが今の状況だと思うので、今年もこの点を、全く同じ文章というわけにはいかないと思うが、ぜひ踏襲をして、もうちょっと具体的に、憲法と安全保障関連法、それに対する言及を具体的に行っていただきたいという風に思う。私が言ったことはいずれも昨年出ている主旨なので、長崎平和宣言にとってはさほどデリケートな文章ではないと思う。だから今年も言えると私は思う。その点、強い危機感を表明していただきたいということ。以上が文案に対する二点の私の意見。

もう一つ、文案に対する意見ではないが、今日、被爆者団体の御二方とも欠席されている。それで、この席上、委員は今日も被爆者の方何人もご出席されていて、それぞれの方のご意見は非常に貴重で、長崎平和宣言というのは今日ご出席されている被爆者はじめ、そういう方たちの声が一番基本になっていく話なので、今日発言されている被爆者の方のご意見というのは敬意を持って大切に聞いていかなければならないと思っている。そこで、従来被爆者団体の方たちのご意見というのは、その中でも最も重視されてきて、最も基本になってきたはず。出席しなくても、意見は文書で表明できるが、この場で発言をしてもらわないとよくないと思う。健康上の理由で出席できないというのも全くしょうがないことなので、その方たちに意見を言いたいのではなくて、この会議として、被爆者団体の方が、ちゃんとここで、発言ができないという状況を、やっぱり修正すべきだと思う。このまま3回目も御二方とも来ることができないで起草委員会が終わるということであれば、非常に由々しきことだという風に思う。この点は委員長に何らかご検討いただけないかなという気持ちを持っている。

【委員】
第1回目の多種多様な意見や要素をよくまとめてあると思うが、どこか総花的と言うか、教科書的な感じがした。フラットでインパクトに欠けるというか、どこに主眼を置くかというなか、わかりにくいと、決めにくいという感じがした。もう少し、全体の構成に起伏があったり、強弱があったりしてもいいんじゃないかなと思っている。

それから、毎年言っていることだが、生身の人間の感性に訴えるどろどろしたものを、あまり感じることができないということを痛感した。で、理論と感性とのバランスというのは、感性の面で過度に表現しすぎると逆効果があると思うが、もう少し感性に訴える表現も欲しいと思った。特に、1~7行目にかけての表現は、定型化されていて、無機質化しているような、毎年なんか同じような、似たような書き出しから始まっているようで、もう少し核兵器が非人道的の極みであることを実感できるような、また、生身の人間の感性に訴えるような表現ができたらいいなと思って読んだ。

それから、9~12行、34~36行、43~59行の部分は、被爆継承の意義や市民社会の役割に触れられていると思うが、ここは非常にわかりやすいと思った。被爆者やボランティアの方々と協働して、草の根的な活動を重ねてきた平和推進協会の理事長として、協会活動とその意義を凝縮してあるようで、大いに共感を持つところ。で、平和推進協会の理事長としては、事務局のすぐ隣が被爆体験講話者の部屋になっていて、いろんな会議があったらそれを見聞きしているので、ある程度そこの理事長なので、どういう話だったというのを聞いているけれども、二人ともご病気で出られなかったと、意見を反映させるようにということで、私はそこらへんが足らなくて申し訳ない。

【委員】
これをいただいて読ませていただいて、まず先に、ちょっと厳しい感想になるかもしれないが、感想を述べさせていただいて、少し私が考えることを申し上げたいと思う。

何人かの方から出たが、これを読んだ時に何を訴えたいのか、長崎がどうしたいのか、我々は傍観者ではなくて、主体的な、この被爆地に住んでいる宣言としては、非常に弱いなということを、申し訳ないのですが感じた。やっぱり私はこの宣言の主役は被爆者であり、そして、まして日本政府であり日本人であるべきだという風に思っている。で、今回特にオバマ大統領がいらっしゃったことはとても素晴らしい出来事だという評価を私はしているけれども、そのオバマ大統領の訪問が中心になって、ちょっと我々の気持ちがこう、置かれてしまうというのは変な表現だが、全体が弱まってきているのではないかなと、ここで引用するのはよいと思うが、主役は誰なのか、誰が何を言いたいのかが弱いと。全体的に世界の動きが中心に、いろんな条約のことだとか、海外の交流とかがそういうことがあるが、世界の動きの中で日本政府がどうしようとしているのか、被爆国の政府として本当に核兵器廃絶のために力を尽くしているのかということは、やっぱりこの中でよく検証をして、そのことを訴えていかないと。なんか外国にオバマ大統領来てよかった、帰ってください、じゃあ日本の政府は本当にリーダーシップをとらなければならないことで及び腰になって、そのことを我々が許していて、国外に向けて核廃絶を訴えるというのは、私はちょっと筋が違うのかなという風にしている。

それと、今回はそれほどでもないが、この間、若者がすごくクローズアップされました。確かにみなさんいらして、国外にも出て、活発な交流・行動力もあると思うが、私はやっぱり、日本の人口の大多数を占める、被爆者と若者をつなぐ戦後世代。まあ私は終戦直後の生まれだから、それから下の若者につながる、そこの世代の人たちに対する呼びかけが、この間やっぱりずっと弱いと思う。今の育児・託児所問題なんかで頑張っているのは、本当に赤ちゃんを連れたお母さん方である。やっぱり心に響いたり、自分がそれを感じたりすると、行動力はすごく持っている。そういう方たちも、もう少しクローズアップして入れてほしい。要するに、70歳以下の人たち、体験はないけれども今の若者を育ててくれた人たちがいつもここの陰に隠れている。そこが少し何かできないのかなという感じがしている。やっぱり長崎が何を求めて、そして自分たちの決意をどうこの中に入れるのかというのは、さっき出ていたメリハリのところで、もう少し必要なのかなというのと、訴える相手を明確にしないと、誰に何を言っているのかわからないという。今回すごく中身が濃いので、全部入れることは無理なのだが、やっぱり言い続けることは回を重ねようと、この間、非核三原則というのはずっと論議の中で入れられてきた。これはこのところちょっと弱まっているが、やっぱりいつの間にか日本に核が持ち込まれて、下手するとそれが何か影響を及ぼすみたいなことを含めて、やっぱり営々として訴え続けなければならないこともあるのではないかなというのが、読ませていただいた感想。

自分で書かなくて、文章を書く大変さがわかるので申し訳ないと思うが、私が感じたことを少し申し上げたい。

まず、他の委員からも出たが、5~6行目に行くところで、もし今核戦争が起きたら、飢餓状態、私はこれにすごく違和感があった。核兵器というのは飢餓とかそういう問題とは遥かにかけ離れた、厳しいものだという風に捉える。文章を簡単に私が考えて申し上げるが、こういうものが入れられたらと思った。「もし今、この非人道的核兵器が使用されたならば、人間の尊厳も命も、そして地球環境も、一瞬にして破壊してしまいます」というような、そのぐらい強いことで核兵器の威力と非人道性を私は頭で伝えてもいいのかなという風に思った。それと11行目のところで「言葉に出すこともためらわれるような」という引用があっているが、表現はこれでいいのかどうか。私はちょっと「ためらわれる」ということには、少し内向するところがあるのかなと。これは、まあ専門の方がいらっしゃるので、その表現はこれでよければこれでいいと思う。それくらい出しにくいという意味で取るならそれでもいいと思うが、ちょっとこれが気になった。それから、23~24行目、「リーダーシップを発揮してください」そして、北朝鮮に入っているが、私はここで、日本政府に少し求めたいということを入れたいと思っている。「発揮してください」の後に、この場所がいいのかどうかちょっと悩むところだが、「これまで日本国民が守り続けた平和憲法が、今変えられようとしているのではないかと不安がより大きくなっています」と。私は自分が大きくなっている。その、憲法自体が変わってしまうと、もうどうしようもないということ。それが大きくなって、「そして、今こそこれを守り、平和の理念を国の内外に発信してください。そして、相互理解と対話による真の平和を構築するために、力を尽くすことで、再び被爆者を生み出さないために役割を果たしてください」とか、「発揮してください」という、ここでやっぱり日本政府には、少し強く求めていかないと、という感じがした。それと、33~34行目にかけて、34~36行目までのところが、ちょっと私は違和感を持った。オバマ大統領は広島にいて、その後クスノキのことになると、長崎にポンと飛ぶが、私はこの3行はむしろ、説明を営々とするよりは、オバマ大統領が感じたであろうという評価をするのであれば、ここからすぐに37行目から3行この後につけると、オバマ大統領が感じたように、あなた方も来て感じてくださいということにつながるのかなという風に感じた。

その後41行からずっと続くところは、日本国憲法の平和理念のことなんかが前段で入れたので、ここは少し工夫をして、言っている中身はこの通りだと思うが、少し文章のあり方を変えなければいけないのかなと思うけれども、ここはちょっと私も案がない。47~50行目のところの信頼関係をというのも、日本政府に求めた中に入っているので、これは私たち市民の役割としてやることだとすれば、繰り返しになるが、入ってもいいかなと思った。それから、55行目のところは、私は主に日本国内の日本人としてこういうことをもっともっと関心を持ってやっていきましょうということではないかなという風に捉えたので、それであれば、「日本国民のみなさん」なのか、「日本のみなさん」なのか、そういう呼びかけで、日本国内のまず動きとして特定してもいいのかなと思った。57行目のところに、ずっと核兵器の署名とかいろいろ羅列してあるが、私はこれが全部いるのかなというのがちょっと疑問に思ったので、ここで57行目「一歩踏み出した人たちがいます。表現はさまざまですが、こういう事もあります」というのをいくつか挙げてもいいのかなと。そして、「それぞれのやり方で、平和の輪を広げていきましょう」となっているが、まあ、表現は様々だが、こういうことなど「あなたには何ができますか」という問いかけをしてもいいのかなと。いつもこうしましょう、ああしましょうということが多いのだけども、こういうことの中であなたは何ができますか、そして、「平和を守るのは私たち一人ひとりの行動です」という風に結んでいくと、ああ、自分ができることが何かあるかな、という風に、今やってない人たちにも呼びかけになるのかなと。特に継承が言われるときは、私は、「今年はあなただったら何ができますか、何をしようと思いますか」ということを問いかけて、少し引き込んでいくというのも必要かな、という風に感じた。

【委員】
実はオバマ大統領の広島訪問をちょうどインターネットを通して見ていた。そのスピーチの中で「私が生きている間は、核兵器廃絶はできないであろう」と言って、私はえっと思って聞いていた。後で原稿を見ていたけれどもどこにあるのかと思って、そのあともずっと考え続けていた。そのあと実は、プラハ宣言の文章を読ませていただいたたところ、最初の方にもうプラハでも同じことをおっしゃっているということに気がついた。同じ言葉をおっしゃったということは、大統領自身どういう風に考えておられるのだろうかということをこのところずっと考えていた。それを考えながら原稿をいただいて読ませていただいたけれども、確かに訪問の様子を見ながら、一番大切なことは、やはり広島も長崎も大統領あるいは首脳を後押しする大きな力を、私たちもう一回結集しなければいけないのではないかということを随分考えていた。そういうことを考えながらの意見を少し述べさせていただく。

みなさんもおっしゃっているように、今年起こっている、そして非常に重要なことが網羅させており、そういう意味ではいい文章になっているかと思うけれども、メリハリがない部分もあるし、どこを大切にするべきなのか、あるいはどこを長崎の特徴を出すのかというのをもう少し整理したらいいのではないかと思う。だから、ある文章は、世界の首脳に向けて、それから世界の市民に向けて、それから国内は特に日本政府に向けて、それからじゃあ私たちはどうすればいいのかという風に、少しポイントを整理し直しながら構築した方がいいのではないかという意見を持っている。

それからあと、文体的に表現とかいろいろとどういう風にした方がいいのかなと思いながら読ませていただいたので、そこの部分を少し述べさせていただく。

2行目のところに、大事なとこは長崎のまちは一瞬にして破滅した。これは受け身の形で破壊されたから、自滅したのではなくてこれははっきりと「原子爆弾の投下によって破壊された」という表現にしないといけないのではないかと思う。前にも委員がおっしゃっていた、「放射能障害による貧困とか差別に苦しみました」というところはどうしても入れなければならないのではないかと思う。細かいところだけれども、これは書き言葉でもなく、ただ読む言葉でもない、「演説」なので、文体は大変重要ではないかと思う。そのパラグラフの始め方のインパクトはきちっとおかなければいけないと思い、9行目の「これを避けるために」のこれは何という風になるので、例えば、「この恐ろしい核戦争を避けるために」とか、インパクトのある言葉を出していく必要がある。11行目は、先ほど委員が言っていたように、ここは少し書き換えるとすれば、「言葉にすることもためらわれる苦難の記憶を」という風に、私は直してみた。体験を語り続けるのではなく、語り伝えていくという言葉も必要ではないか。17行目のあたりから、「核兵器の高性能化」は、これは隠れた重要な出来事ではないかと思う。より高性能化しようとしていることはもうニュースにもなっているし、大変懸念されることなので、「高性能~将来に渡ってまで」を全部インパクトに短くしていった方がいいのではないかと思う。19行目の今月開催されている「場所」を入れなければ、歴史的に後で振り返った時にわからなくなるので、開催地を入れることが大切ではないかと思う。23行目は前の委員がおっしゃっていたが、もっと短く簡潔にしていった方がいい。「日本政府は」というより、スピーチのインパクトとして、「日本政府に求めます」とか強い表現で訴えるのはどうか。具体的にここも大事なところをきちっともう少し入れ込む必要があるかと思う。ここの北東アジア非核兵器地帯というのは、長崎プロセスとも言われているように、長崎の非常にある意味固有の計画であり、研究も進んでいるので、このあたりは重要な長崎の動きとして取り入れてもいいのではないかと思う。別のパラグラフをあててもいいかと思うくらい重要だと思う。

33、34行目のここのつながりに、私も非常に違和感があった。なので、そこを37行目に続けていくということ。38行目も文体的に「事実を知ってください。事実を知ること、」と言葉が2つ重なっていますので、ありきたりではあるが、「原子雲の下で起こったことを見てください、感じてください」と、そのあと「事実を知ること」とつなげるとか、文体を強くしてもいいのではないかと思う。44行目の非人道性ということは、「最も」と「よく」は言葉のうえでも重なっているから、「よく知っている」あるいは「訴え続けている」というようなことに直すのも一応提案させていただく。信頼の道をということも、「信頼を構築する道とか築く道をこれからも歩み続けていく」とか。47行目あたりも、ここもすっきり、「国を越えて人との交わりを作る中で」とか。52行目も、非常に簡単だが、「文化や考え方の違いを受け入れる教育をしています」とか。55行目は、大変細かいことで申し訳ないが、「直接聞けなくなる」というのは軽い話し言葉になるので、「聞くことができなくなる」とか。55~59行目にかけても、みなさんのご意見に賛同するが、表現の方法とか、それぞれの立場で平和の輪を広げていく努力。長崎の努力というものを受け入れた形で、それを広げていく。もっと世代を越えて広げていく努力をしていることと、これからもそこの中に招いていくという言葉をいれると、もっと「ああ私も参加しよう」ということになるのではないかと思う。

【委員】
今回のたたき台に対しては、他の委員が述べられたのと一緒で、万遍なく触れているけれども、やや平安かなということ。この平和宣言を作成するやり方、プロセスが第1回目でみなさんの意見を聞いて、第2回目にたたき台を提示してということで、これが最終版だという迫力を欠く原因になっているのではないかと思う。ある意味で、市長も最終案だぞということで最初から書かれるのもいいのではないかと、今日の文を読むと思う。まあ、第2回目は委員の意見を聞くということで、こういう風にならざるをえない。平安な文章の羅列というのは言い過ぎだけれども、そういう風になっているのではないかと思う。

私がこのたたき台を読んで感じたことは、1~7行目に関しては、核兵器の爆発の脅威が依然としてあるということ。核戦争がこの飢餓状態に陥るという文章は、だからどうなんだと、結論がないように思う。人類滅亡の可能性を示唆するわけで、そういうインパクトのある言葉が入ってこないといけないのではないかと。オバマ大統領は広島で、冒頭「空から死が降ってきた」とか言った。そういったキーワードがいるのではないかと思う。まだここはもう少し練り直す必要があると思う。

9~27行目まで、国際社会の核廃絶に向かう議論の現状は大事なところだと思うが、ここで一番核廃絶上問題なのが、対立しているということ。核抑止力に依存する国々と、非核保有国あるいは市民社会の代表のNGOが、平行路線になっているところは指摘されているけれども、これを日本政府に対してもどう克服していくか。それに対する具体的な要望や提案があればいいが、ここはオバマ大統領も広島所感で指摘したように、科学の力で核兵器を人類が作った。しかしこれをコントロールする術とか倫理の問題でもあるし、それを越えて廃絶していくプロセスというのを、今国連作業部会が行われているが、「英知」がいるのだろうと思う。オバマ大統領もそれを言った。大統領自身の所感で、彼は具体的には言っていないけれども、プラハ演説で2009年に核なき世界を訴え、ノーベル平和賞を受賞した。辞退せず、受賞した。その後、二期目の今8年目に入っている時期に何もやっていないではないかというバッシングというのは非常に大きなものがあって、もう一つは国内の情勢があると思う。諸々の状況を大統領として受け止めて最大限言えることを言ったと思う。それは、大統領として核兵器廃絶への具体的な手順を示して踏んでいきたいけれども、なかなかそう踏めない。核兵器は製造も貯蔵もしているけれども、人類はそれをなくすと。核なき世界というコンセンサスは多分できあがっていると思うが、それを具体的に進める術を自分も発揮できない、というところの悩みを「英知がもう一つ発達しない」、「人類の全員の問題」だと、それを彼は言っていたという風に思う。ここで人類の英知を振り絞らなければならない、その現場がジュネーブの会議だと思う。2回ずっと傍聴して、つくづくそう感じた。日本政府の発言も何回も聞いたが、やはり核抑止論に立って、核兵器を利用したいということであるから、ほとんど核保有国と変わらない状況で代弁している。そういう状況で、じゃあ直ちに核兵器禁止条約を作る、その一歩前の話し合いの場をつくるという提案を、非核兵器保有国とかNGOはもうすでにやっているけれども、その間の橋になる、そういう発言がなかなか日本政府外交団からは出てこない。そこに現状の問題がある。それを、英知を発揮してほしいということを明確にここは述べたがいいのではないかと思う。核なき世界のコンセンサスは確立しているにも関わらず、その実現のために今国のすべての指導者は全力を注がないといけない時だと思う。そういうのが入るべきだと思う。それから、オバマ大統領の広島訪問は、半分評価して、なかなか次のステップを示さなかったということで罰点をつけているけれども、彼の悩みは先ほど言ったところで、わかりましたという感じだから、長崎も訪問して、「長崎を最後の被爆地にしよう」というような、少し前向きなメッセージを次は発するようなことを要望したらどうかと思う。37行目で核保有国のみなさんとあるので、「オバマ大統領、長崎にも来てください」というようなこともあればどうかと思う。70年間核廃絶のプロセスを人類は確立できなかったという反省に立って、71年目には、こうしようじゃないかとか、先ほど言った英知を結集しようとか、そういうことを述べた方がよい。2045年まであと30年あるから、100年目だけれども、そういうところを被爆地から世界に対する要望というものを明確にした方がいい。

41~53行目。ここも非常に大事で、国に対する部分も含んでいるわけだけれども、ここで、44行目の「日本国憲法の平和の理念に基づき、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。この信頼の道をこれからも歩み続けなければなりません」と、これはその通りだと思って、この数年間起草委員会がずっと続けてきた主張でもある。しかし今の日本の状況を考えると、本当に言いたいのはこの言葉なのか。その言葉のもう少し深い意味は、日本の今の政治状況を言うと、集団的自衛権の行使を可能とする法案が通っているので、武力によって、核抑止力で平和をつくろうという考え方が根本にある。これは、核の傘に入って平和を保とうとするのと呼応するものとなっている。「核抑止力に頼った平和」なのか、「信頼による平和」なのかということをここで述べていると思う。だからもう少し具体的な、ちょっと専門用語になってくるけれども、そういうのを入れないと、日本国民あるいは世界の人々というのは、この言葉の意味が、現実の日本の今の社会の課題として浮かびあがってこないように思う。そういう意味で入れた。特に、「信頼」という言葉を取り上げたというのは、非常によいのではないか。こういう信頼醸成というのが、やはりオバマ大統領も言っているが、次のパラダイムシフトを生んでいくことにつながるのではないかと思う。そこから人類の英知が出てくるのではないかと思う。そういう意味で信頼関係を築く、49行目のところは非常によい文章じゃないかと思った。その時に、「『長崎の鐘』の著者の永井隆博士はそれを、おのれのごとく人を愛するという言葉で『如己愛人』という言葉で表しました」とかそういう言葉があってもいいのでは。

あとは、核廃絶運動の特に若い人たちを中心にするところの、次世代の人々という風な具体的な言葉が入ってきた方がよいのではないかと。次世代の人々が核の脅威から解放されることを願ってとかそういう言葉が出ると、メリハリが出るのでは。

平安な文章から作り上げるというのが、今の委員会のやり方がだと思うので、次回はぐっと迫力のある文章が出てくることを期待する。

委員】
私自身も関わったが、長崎原爆遺跡をやっぱり触れていただきたいなと。特に今年は被爆71年目、ちょうど29行目のところにあるが、この一連の言葉の後に、71年目の行事として、原爆遺跡を取り上げてくると。これは国も関心を示していて、聞くところによると答申も出るという。初めて、原爆落下中心地、原爆公園を含めたところを長崎原爆遺跡と認定するという形でやってくれる。これが非常に重要なのは、今まで遺跡という形でやってみたら、土地に痕跡が示されることにだけにこだわっていた。ところが人類社会という形で見たら、これは水もあるし空気もある。もちろん空海も含めた形でやるべきであるというところから、今まで外されていた原爆落下中心地公園を今回遺跡として認定するという事態は、今まで日本の中で考えていなかった考え。これはもちろん、やがて海も含めた形で出島も出てくるのだと思うし、そういう形で歩んでいくのだと思う。非常にそういう面では、今後原爆で残された物を新たな見方をするという国自体が示したことなので、ぜひこのあたりを触れていただきたい。しかも今回の場合においては、比較するわけではないが、広島の場合、ドームはモニュメント化している。ただし、今回の長崎の原爆遺跡というものは、いくつかの複合によって、いわゆる点ではなく面的な広がりによって眺めてくださいと。そして今後何をやるかというと、そういう面的な広がりで眺めながら長崎の発展に同化して歩んできたという形ものをきちんと出してくださいと。ただ単一でこれがこうなのだと、いわゆるカメラ目線だけではなくて、そういう全てのもので見ていきなさいと。そういうような形で、一つの残されたものに対する考え方が変わってきているのではないかと。だから、これは71年目の画期的なことであるので、触れていただきたい。

それと個々についてはみなさんと同じで、いろいろな指摘があったけれども、私自身も、6行目の食糧生産というのには、えっと思ったけれども、これが一番ややこしいのは多分大きいもので、先ほど誰かからも指摘されたが、例えば人類社会の危機に直面し、例えば例を挙げるならばこういうこともありますよというつながりだったら、何とか文章的にもつながりがいいのではないかという気がする。それから小さいことでは4番の、「人々も貧困や差別に苦しみました」とありますが、貧困と差別ではどちらが先の方がいいのかなと。私に言わせたら差別が先で貧困が後だが。たいしたことではないけれども。それから11番も、先ほど言われたが、「言葉に出すのもためらわれるような」を「言葉に尽くされぬような」というような形で。17番もよくわからなかったが、「更新」とはなんだろうと。これを使うなら「改変」とかの方がもっといい。

それから19番に至って、「喫緊の課題です」。「喫緊」という言葉は、現在は使わない。ほとんど使った例がない。これは「早急に解決すべき重要な課題です」というような形で、誰が読んでもわかりやすい形にやっていただけたらどうかと。同じように33~34番のところが、ここも先ほど指摘があったけれども、広島のことがあって、ぱっと長崎のことが来て、えっと思うけれども後になってわかる。これは「長崎でも」ということを先に言っておくとか。それから、「生命の力強さを証明するかのごとく」と、本当に木がそうなのかわからないので、「でありましょうか」という形でもってきて、「示してくれています」という形での文章の前後の書き方をやっていった方がよい。

これはもちろんお書きになった方々の個性も十分出ているし、局部的にちょこちょこという話ではないけれども、最初にも申し上げたように、長崎の原爆遺跡だけは何とか中に入れていただきたい。

【委員】
全体的な印象は皆さんがおっしゃったことで、私もほぼ同感だが、やはりメリハリがないという印象を受けた。大きくは2つハイライトがあるのかなと思っている。一つは9~27行目までの、法的禁止という問題を前へ進ませたいという非常に強い私たちの願い。それから、今開かれている会議への激励というかメッセージという部分だと思う。それが一つ目のハイライトだろうと思う。もう一つのハイライトは41~53行目の、不信のサイクルから信頼のサイクルというところで、もっと根源的な部分で戦争を廃棄する、それが核兵器を経験した我々の言葉として語られるという、そういう部分。この二つがハイライトされるべきだろうと思っているが、その時に、先ほどから話が出ているけれども、訴えの熟成というか切実さ、今そのことにすごく強い感情をもっていて、よってこういうことをぜひしてほしいというクリアなメッセージが、それぞれのハイライトで出てくるべきではないかと思う。

第1ハイライトに関しては、今ジュネーブで開催されている国連作業部会が、8月冒頭に一度あって、それで8月9日が終わってからまた下旬にある。これから開かれる会議になるが、そういう中でこの長崎宣言が出るという局面で、8月の最初の半日だったか、短い1回目の会議というのが、ほぼ我々は手が付けられないというか、宣言ができあがっているけれども、何らかの進展があるというような、そういう難しい状況があると思う。ただ、その結果を越えて、我々が言いたいことは言えるのではないかと思うが、この会議を開くこと自体が非常に大きな一歩前進だった。非常に苦労してこの会議が設定されたと。2009年にオバマ大統領が誕生したおかげで、核軍縮に関して一定の前進があって、意気揚々とした1、2年があったが、その先具体的にどう進めるかがほとんど手詰まりになった。2010年にその手詰まりを越えようということで、3カ国がこの公開作業部会的なことを開こうとした。それを2010年国連総会で決議として一応出した。ところが、支持が非常に少なく、非同盟諸国とか、純粋に核兵器に強い反対を持っている国々を含めて、そういう会議を開くと、NPT再検討会議がかすんでしまうと。それから、ジュネーブ軍縮会議という核軍縮を交渉する場として国連がかねてより設定していたものがあるから、それを捨てて別の会議をつくるということに対して躊躇があったので、提案はしたけれども、結局採決に回されなかった。これを否決されるということで、否決はまずいということで提案されなかった。それがやっとそういう国々も今のNPTプロセスではほとんど進まないと、2014年のNPT再検討準備委員会で2015年NPT再検討会議に向けてしたけれども、ほとんど具体的な提案はできなかった。そして国連総会でこういう作業部会を提案するということに一歩進んだのだけれども、その提案は一回限りの会議で、それで一回やった作業部会も終わってしまった。で、今回2016年に開かれる作業部会でやっと核軍縮のことを、NGOを含めて、本格的にどういうプロセスで法的な禁止ができるかという議題を掲げる会議を開くことができた。法的禁止を議論する場ができたということ自体が、今停滞している状況を打破するものすごく大きな第一歩。そこが先ほどから出ているように、今またしても具体的な提案が出せないで終わってしまうかもしれないという対立構造があると。で、ここに書かれている、その核兵器の抑止力に依存する国と、核兵器禁止を推進する国との対立の場になっているということ。残念ながら日本政府は、その法的禁止を推進しない側で一生懸命頑張っているというのが現状。頑張っている理由というのは、保有国が参加していないところで何かを進めるということが更に大きな亀裂を生むという、一理ある議論なのだが、一方で、先ほど来の歴史的な経過を考えると、ここで法的な禁止についての議論が始まらなかったら、また永遠とそういう場が実現する見込みがないというか、そういう状況に立たされるので、非常に大事な会議。長崎の視点からすれば、やはりあってはならない兵器で、非人道性というのが具体的に数年間議論されて、それでこの兵器をどうするんだという議論になっている中で、やはり禁止に向かった議論をする国家の場、国が交渉するために集まる場というのを実現してほしいと。今を逃したらまた糸口が見えなくなるという危機感と切実さをやはり長崎から発してほしい。それはこの会議に対してどの案がいいという話ではない。とにかく、法的に核兵器禁止を話し合うような場を設定する。それをこの秋の国連総会でそういう場をつくるということを決議、採択する、そこに進んでほしいというメッセージが必要ではないかと思う。そのことが、核兵器国とか日本とかという国々を阻害するということではなく、その人たちに引っ掛かりを作りながら、その場をどうやって作るかというのが、先ほど委員もおっしゃっている「英知」だと思う。そこの英知がまだ見えてなくて、私はその英知を出せるのはNGOだと思って、日本政府がとても出せるとは思えない。だけれども、そういう局面を英知が必要だと。分岐ではなく、連帯をしながら禁止の場を話し合うという、英知を我々は求めると。とにかく具体的に秋の国連総会でそういう場をつくることが決まるということを望むというようなことが、現時点でやはり長崎から出てくるのが非常に大事かなと思っている。

そのことと、23~27行目の書き方と関係するが、15行目での対立構図を書いているが、ここでは、核兵器保有国と非保有国の橋渡しという対立の構図をずらしている。で、現在の対立は、客観的にとにかく核の傘に頼っている国も保有国とほとんど同じ立場で、禁止条約を求める非保有国がある。対立の構造は、核兵器に依存しながら安全保障を考えるか、それはだめだというかというそういう対立である。日本政府は一方についてしまっているので、ブリッジの役割は論理的にはできない。だけれども、私たちは日本政府に対して、そういう役割を果たしてほしいということは言い続けたいという風に思うわけで、長崎の声としてもそうだと思うので、ここでのつなぐという言い方は保持したうえで、やはり、すぐ後で、「そのためには核兵器に依存しない日本になることが必要です」ということを、すぐに強く言った方がいいと思う。北朝鮮問題はそうなれないという大きな理由になっているわけだから、ここで、北朝鮮問題を、「北東アジアではこういう問題が現に起こっていて、我々はそれに非常に危機感を覚えている」ということをいれるというのは、自然な流れで入ると思うので、核兵器抑止力に頼らない道があるということを我々はずっと言い続けてきたということで、非核兵器地帯の話がここでできると思う。それが第1ハイライトで、現状ここを突破したいというメッセージを入れたい。

第2ハイライトは、これは先ほどどなたか言われたように、日本の現状で戦争に関与するかもしれないという、それに近いリスキーなアクションをいろいろ取り始めているという現実があるわけで、現実と、なぜ今信頼ということに戻るかという、現実から発した接点というのが具体的に述べられる必要があるのではないかと思った。それはこれまで述べてきた表現の繰り返しでもいいのではないか。そのうえで、信頼をキーワードにしているので、私は日本国憲法の言葉をそのまま引用した方がいいと思う。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べているわけだから、それを述べた日本国憲法のこの信頼の道を続けていくべきだということになるのではないかと。日本国憲法の引用というのは多分世界の人にもう一度読んでもらう価値のある部分ではないかと思う。

で、ハイライトのメリハリに関してはそういうことで、言葉上の問題はたくさんいろんなことを言われたことに私も同感のところがたくさんあった。6行目の気候変動がいきなり出てくるのも違和感があるし、もっと基本的な核兵器の特性がまず語られるべきではないかと思った。構造上の問題だけれども、29~39行目はオバマ大統領の広島訪問と、被爆地に接することと学ぶことを首脳に求めるということは、この最初の文節の後に持ってきた方がいいのではないかという風に思った。それで、それが前にあれば、この第1のハイライトの現状の突破のところで、被爆地を見ることによって、首脳たちがこの場をこの今の局面について新しいメッセージを出すということを求めるという、秋の国連総会に向けた、被爆地を見た結果をオバマ訪問の成果みたいなのを求めることを一言出せるのではないかという感じがする。それから、24行目は、多分文脈的には、核実験の方が先ではないかと。弾道ミサイルが回数は多いが、極端に言えば、核兵器がなければ弾道ミサイルはどうってことないというか、これは語弊があるが、大量破壊兵器を乗せるから問題なのであって、順序としてはミサイルよりも核は先かなと思う。少し戻るが5行目の核弾頭の数は来週月曜にRECNAが記者会見をして今年の数字を出すと思うが、「15,350」。それから、52行目は、この事実を伝えるというのはその前に子どもたちにという日本語があるので、子どもたちに事実を伝えるとつながってしまう。言いたいことは子どもたちに心を育みというところにつながっていると思うので、そこの文章を変えた方がいいかと思った。63行目、被爆地域の拡大はもうわかっている人はわかっているんだけども、被爆地域の拡大だけでは、おかしい、日本語としては。対象地域とは、なんか言葉が必要ではないかと思う。41行目とか43行目は、不信感の「感」は、いるかなと。信頼と不信でいいのではないかと思う。

【委員長】
活発かつ真剣な意見をいただいた。「メリハリが足りない」を20回ぐらいただいた。3回目に向けて非常に大きな材料となる。意見を聞いた中でいくつか話をしたい。

一つは核兵器に関しては絶対悪であり、何があっても、どういう状況であっても使用してはいけないということが長崎のコンセンサスであり基本であること。

それから、先ほど委員が述べられた、被爆者である二人の委員が今回も欠席であることへの危惧だが、ある意味現実を示していると思っている。1目回は入院と重なり、今回も入院や体調不良で欠席となってしまった。3回目は是非出席できることを願っている。一方でこのような状況が10年後、20年後には起草委員会を被爆体験のない方だけで議論していくと言う状況に段々となっていく。今年は被爆者の方がいる状況なので、病状によるが1回目も2人から意見をいただいており、まだカバーできると考えている。来年に向けては、今後どういった形に移行していくのか、委員の皆さんの意見も聞きながら検討していきたい。

それから、オバマ大統領の長崎訪問については、先日大使館に出向いてオバマ大統領とケネディ大使あて要請文を渡してきた。今後も新しい動きで長崎からのメッセージを発信することにもなるので、要請を続けていきたい。

今年の平和宣言について、昨年が被爆70年で大きな区切りであり、様々な世代の方に意見をいただきながら宣言をつくった。今年の71年目はむしろ70年目に劣らない非常に大事な宣言になると考えている。71年目に何を大事にしてどこを原点として、これからどういう人たちと進めるべきかを込めたメッセージになればと思う。1回目と今回、複数の委員から、そもそも関心のない方にも伝え、つながらないとこれからもっと前には進めないとの意見は非常に重いテーマで、私たちに与えられた宿題でもある。そういう意味では、71年目にこれからどうするのかしっかり考え直してみるべきであり、原点を知る、原点に帰るという意味で、まず事実を知ることから始めるということを宣言に盛り込みたい。

また、国へ要望するだけでなく、市民社会でできることがあることをしっかり探していく。それは信頼のサイクルの話であり、その中で関心がなかった方も参加できるというメッセージを出すことも大事と思う。それから、具体的に71年目の核兵器を巡る状況を委員にお話しいただいたが、これも今年言わなければいけないことの大切な部分となる。先ほどの委員の意見にある二つの柱や、その他の委員のご意見を参考に、ハイライトを2~3個整理し、3回目の案を皆さんにお示ししたい。3回目は実際に読みあげるものに近いものをつくりたいと思っているが、追加の意見やがあればお聞きしたい。

【委員】
委員の意見にもあったが、全体的に総花的であり、訴える力、迫力に欠ける。その端的なものとして、61行目、東日本大震災について唐突な形で記載がある。宣言文はあくまで核兵器廃絶に絞って訴えることが大切だと思うが、やはり必要なのか。

【委員長】
東日本大震災は5年前、震災が起きて以降取り上げている。東北3県が大きな被害を受ける中で、福島が放射能による被害を受けたことで風評被害を含めて苦しんでいる状況が長崎の過去の状況に重なる部分がある。福島を中心に応援しようという意味で、今も市職員派遣や長崎大学がサテライトを設置、長崎市民の募金など応援が続いており、宣言文にも記載している。また、福島の方からも宣言文に記載していることについて感謝の気持ちをいただいている。忘れられるということが一番辛いなかで、宣言文にあることが力になっているとの話も聞いた。まだ十分復興しているとはいえない状況であり、今年も盛り込みたい思いで素案に記載している。

【委員】
熊本の震災はどうなのかとの話が出てこないとも限らない。放射能の被害という、東日本大震災を宣言文に取り上げる必然性に触れておく必要があると思う。

【委員長】
何年も続けて取り上げる部分について、その意味を忘れがちであったり、自分たちの思い込みや感覚で表現したりすることもあるので、気をつけたい。3回目の修正に反映させたい。

【委員】
委員の皆さんの意見を聞いて、38~39行目、「事実を知ること、それこそが、核兵器廃絶へのスタートなのです」とあるが、事実を知り、関心を持って行動を起こすことがスタートだと思う。まず、知る。そして関心を持ったままでは何も起こらない。行動を起こすことが始まりであるということを、改めて強調してほしいと感じた。また、オバマ大統領の広島訪問は、よいきっかけになったと思う。黒人で初めての大統領であり、「YES WE CAN」などの行動に若者はすごく興味を持っている。広島訪問も若者が彼のスピーチを、関心を持って聞いている。宣言文ではオバマ大統領の行動を書くのではなく、少しでも平和に関心を持った若者に、「では、71年目にあなたができることは何ですか、このきっかけを行動に起こす原動にしてください」と呼びかける文があればよいと思う。

【委員長】
オバマ大統領の広島訪問に立ち合い、長崎から中学生2人、高校生3人、大学生3人も行き、中学生は握手をしてもらって幸運だったと思っている。そこで感じたことは、広島訪問をどう評価するかだけでなく、これを私たちがどのように将来に結びつけるかである。オバマ大統領に求めるだけでなく、被爆地もこれを契機に何ができるか、どう活用してくか問われている。未来に繋げる英知が被爆地にも必要と思う。宣言文もその方向の言葉にできないか、3回目に向けて参考にしたいと思う。

【委員】
オバマ大統領の広島訪問は、大統領自身の決断が大きいと思うが、その背景には、スミソニアン博物館の展示問題から20年経ち、アメリカ市民の核兵器について、特に若い世代の考え方が廃絶を支持する方へ変わったことがある。現状の核兵器をどうするかはまた別の考えがあるかもしれないが。その状況がアメリカ国内の壁を取り払った。日本側も被爆者が謝罪を求める声はあるが、ルース大使やケネディ大使の被爆地訪問実績により反発がないと判断した。そのような動きにより大統領の広島訪問が実現した。そういう意味では、日米両国の和解という言葉は適当ではないかもしれないが、関係が成熟してきたと思う。市民がどう考えているかという力は結構大きいと思うし、今回の原動力になったのではないか。そういう意味では、ジュネーブの会議では外交官からではなく、NGOから非常に重要な市民社会の英知が出てくるのではないか。市民社会を鼓舞するような内容が盛り込めたらよいと思う。

【委員長】
市民社会の力は昨年の平和宣言でも取り上げており、これから被爆地が取り上げるテーマとしては一番大きなものの一つだと思っている。今回の広島訪問では、世界はオバマ大統領の様子やパフォーマンスと同時に広島も見ていた。広島がしっかりと迎え、交流をし、心と心が交わったことを世界に表現できたことがこれから次につながっていくことであり、両国の共同作業となったと思う。長崎を訪れる際にもそのような迎え方をして、それがしっかりと世界に伝わっていくようにしていきたい。市民社会に向けたメッセージを長崎の平和宣言の一つの方向性として持ち続けることは非常に大事なことと思っている。

【委員】
オバマ大統領が大統領になる直前にシカゴ理工大学で原爆展を見ている。純心大学へはその大学から2年に一度訪問があり交流している。原爆展を海外、特にアメリカの大学などの教育界で実施することは市民活動の一つとして大変すばらしいことだと思う。

【委員長】
実際にアメリカを含む海外での原爆展や被爆者証言、あるいは被爆地に来てもらい話をして事実を知った方は、思いを共有できるように変わっていく。ところが事実を知らない方は変わっていないという現実があり、そのことが全ての原点になっている。オバマ大統領の訪問の意義はいろいろあるが、知るということにつなげるという訪問意義があって、今回の素案になったと思う。知るという意味では、外交官や首脳の皆さんも知らない方が実際多いのかもしれないと思う。ケリー国務長官が被爆の実相に驚いたことに驚いたという意見もあった。知るという原点については、被爆地からしっかりと言わないといけないし、大事なメッセージになっていくと思う。

本日の委員会を終了する。

【事務局】
次回の起草委員会は7月2日(土曜日)午前10時から開催する。

お問い合わせ先

総務部 行政体制整備室 

電話番号:095-829-1124

ファックス番号:095-829-1410

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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