ここから本文です。

学芸員コラム Vol.2「長崎学の祖 古賀十二郎」

更新日:2023年12月28日 ページID:041279

「古賀十二郎翁写真」(長崎歴史博物館所蔵)
「古賀十二郎翁写真」(長崎歴史文化博物館収蔵)

Vol.2 「長崎学の祖 古賀十二郎」

前回のコラムでは「長崎学ってなに?」というテーマのもと長崎学の範囲について触れましたが、皆さんはその長崎学の礎を築いた「古賀十二郎(こがじゅうじろう)」(明治12年(1879)~昭和29年(1954))という人物をご存知でしょうか?

彼は福岡藩の御用達を務めた裕福な商家「万屋(よろずや)」の12代目として本五島町(現:五島町)に生まれました。学生時代は家業である商業よりも対外交渉史に興味を持ち、明治31年(1898)には東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入学します。卒業後は長崎でケンペルやツュンベリー(江戸時代、出島に渡来した商館医)の著書の研究を行いますが、洋書の読める研究者が少なかった時代に外国語から長崎の歴史を紐解くといった十二郎の研究は高く評価され、長崎学に新たな分野をもたらすこととなりました。
この頃から徐々に頭角を現してきた十二郎は、本格的に研究者として活躍を始めます。まず、十二郎は県に公共図書館の必要性を説き、設置に向けて動きました。市内の紙くず屋から長崎奉行所の犯科帳145冊を発見すると、図書館に収蔵するために県に買い戻させるなど資料集めに奔走し、明治45年(1912)にはようやく新橋町(現:諏訪町)に県立長崎図書館が設置されました。

また大正8年(1919)には長崎市史編さん事業が始まり、十二郎は編さん主任として『長崎市史風俗編』を3年かけて完成させました。この本は長崎の年中行事、衣食住、習わしなどがまとめられた1000ページ以上の大作であり、明治期の評論家、内田魯庵(うちだろあん)からは『日本歌謡史』、『日本紋章学』にならぶ日本三大名著といわれるほどでした。

他にも「第一期長崎史談会」を組織、長崎に関する数々の名著を生み出すなど、活躍は多岐に渡り、こんにちまで長崎学研究を行っている私たちの基盤となっています。

「港あり 異国の船をここに招きて 自由なる町をひらきぬ
歴史と詩情のまち長崎 世界のナガサキ…」
-古賀十二郎のことばより

ことばの中にある「歴史と詩情のまち長崎 世界のナガサキ」を守るためにも、私たちは先人たちが教え説いてきた「長崎学」という学問を世の中に発信し、後世 へ語り継ぐ必要があると感じています。

次回のコラムでは先人たちが行なった長崎学の取り組みについて見ていきますので、どうぞお楽しみに。

(長崎市長崎学研究所 学芸員 下村 美夕紀)

お問い合わせ先

文化観光部 長崎学研究所 

電話番号:095-818-8388

ファックス番号:095-818-8377

住所:〒850-0007 長崎市立山1-1-1(長崎歴史文化博物館研究室)

アンケート

アンケート

より良いホームページにするために、ご意見をお聞かせください。コメントを書く

ページトップへ