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二つの巨星

更新日:2017年9月27日 ページID:030311

ホッとトーク 長崎の核兵器廃絶運動を長い間引っ張ってきてくれた二人のリーダーが、この夏、相次いで亡くなられました。長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄さんと長崎大学元学長の土山秀夫さんです。
 谷口さんは16歳の時、郵便配達をしている途中で被爆し、背中一面に大やけどを負いました。それから1年9カ月の間、うつ伏せのまま治療を受け続ける日々。故谷口さんそれは、谷口さんが何度も「もう殺してくれ」と叫んだほど苦しいものでした。入院生活は3年7カ月に及びました。社会復帰後はいち早く被災者の会に参加され、被爆者の援護を訴え、被爆の実相を伝え、核兵器の廃絶を求め続けてきました。平成18年からは長崎原爆被災者協議会の会長として先頭に立って、国内外で核兵器の廃絶を訴え続けてこられました。
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 土山さんは、昭和20年8月9日には長崎医科大学の学生でした。偶然その日は長崎にいなかったために直接被爆からは逃れることができましたが、翌日、長崎に戻り入市被爆しました。土山秀夫さん同居していた兄とその家族を失いましたが、医者の卵として、必死で被爆者の救護に当たりました。戦後は長崎大学で病理学を研究し、昭和63年には第10代長崎大学学長に就任。平和宣言文の起草委員を25年にわたり務め、「地球市民集会ナガサキ」を実行委員長として4度成功に導きました。平成22年には長崎市の名誉市民になりました。
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 二人が長崎に残した足跡と功績は、とてもこの狭い紙面では書ききれません。
 二人には、長崎の被爆者で平和活動のリーダー、という以外にも共通点がありました。平和を求める思いの強さ。大きな声を出すことはなく、穏やかなお人柄。それでいて決して信念を曲げることのない強さ。それは永井隆博士や秋月辰一郎さんにも共通する、長崎の平和活動のあり方そのものだと思います。
 長崎は「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」に加えて、「ピース・フロム・ナガサキ」という言葉を生み出したまちです。
 「平和は長崎から」。
 まず長崎が平和のまちになる、という、穏やかで、強い言葉です。
 二人はまさに「ピース・フロム・ナガサキ」を体現して見せてくれた人たちでした。
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 長崎は二人の大切な人をなくしました。「被爆者のいる時代」の終わりが近づいているのを強く感じます。それは「被爆者のいない時代」の始まりが近づいているということでもあります。
 被爆者がいる間にやっておかなければならないことは何か。被爆者がいなくなる時代に備えて準備しておかなければならないことは何か。さまざまな模索はすでに始まっています。
 「ピース・フロム・ナガサキ」。そのバトンを引き継ぐのは残された私たちです。

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