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更新日:2015年6月26日 ページID:027183

ホッとトーク 先日、中東の国カタールのかたと話をする機会がありました。その日は雨だったので、自然に気候の話になり、カタールの雨について質問すると、年に1回か2回、それも少し空気を湿らせる程度に降るだけということでした。「それでは雨も貴重な日本体験ですね」と言って笑い合いました。
 6月から7月にかけて長崎は梅雨を迎えます。日本人は雨という自然とともに暮らしてきました。これからもそれは変わりません。
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 雨といえば、忘れられない思い出がいくつかあります。
 一つは学生時代のことです。福岡から鳥取まで自転車旅行をして、今日は最終日という日に強い雨が降りました。ペダルを漕いでいると、雨粒が顔に痛いほど強く当たります。視界が悪く路面も滑りやすくなるので、自然に自転車のスピードは落ち、夕方には福岡に到着する予定だったのに、夜になりました。暗くなり、一段とスピードが落ちる中、夜中になんとか無事に下宿にたどり着きました。
 この体験をした後、自分の中で変化したことがあります。雨が降る日に室内にいると、深い安心感を覚えるようになったことです。濡れる窓に目をやりながら、雨の日に濡れずにいられることに不思議な幸福感のようなものを感じるようになりました。今は随分薄らぎましたが、その時の感覚は今もよく覚えています。
 もう一つは昭和57年7月23日のことです。大水害が起きたこの日、私は市役所広報課の新米職員として、飯香浦と太田尾地区に残る「飾りそうめん」という行事の取材に出かけていました。雨が降り出し、ふだんとは違う雨脚の強さに驚きながらも取材を進めていましたが、やがて湿気でテレビカメラが動かなくなり、仲間のスタッフがカメラを取替えに一旦職場に戻ることになりました。その間、飯香浦の地蔵堂の中で待ちましたが、なかなか帰ってこないので、電話をかけると、市内中心部がひどいことになっていて戻れないという報告でした。近所の家にお邪魔して電話を借りていたのですが、話している途中でその電話も切れてしまいました。結局その夜は地蔵堂の中で明かし、翌日、土砂で寸断された道をたどり、歩いて市役所に戻りました。あの時の雨は、それまでもそれからも見たことのないほど大粒でした。
 大水害は299人の犠牲者を生みました。体験した一人ひとりにとって忘れられない記憶であると同時に、忘れてはならない長崎の記憶でもあります。  
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  今年も7月がやってきました。被爆者歌う会「ひまわり」の合唱
 大水害以降、治水ダムを増やしたり、河川や急傾斜地を改修するなど施設面の整備が随分進みました。でも施設だけでは守れません。家族でいざという時の行動を確認しておいたり、早めに避難したりするといった“ふだんの備え”がとても大切です。
 自分の命は自分で守る、地域の安全は地域で守る、という強い意識こそが命綱なのです。もう一度、いざという時の行動をしっかり確認し、大雨や台風に備えておいてください。

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