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山田方谷

更新日:2015年2月24日 ページID:026662

  「尊敬する歴史上の人物は?」と聞かれることがたまにあります。そんなとき、私はよく山田方谷の名を挙げます。ホッとトーク
 山田方谷は、その偉大さほどには知られていませんが、今から二百年ほど前に今の岡山県高た か梁はし市(備中松山藩)に生まれ、幕末の難しい時代に藩政を見事に立て直した人です。  
新作オブジェもお楽しみに! 方谷は貧しい家に育ち、若い時に父母を亡くすという不幸を乗り越えながら、学問への志を持ち続け、藩校である「有終館」の学頭(校長)になりました。その後、藩主の板倉勝靜に請われて藩の財政を受け持つようになり、それを成功させると、やがて藩全体の舵取り役を務めるようになります。そして方谷のもとで、「貧乏板倉」と呼ばれた藩は見事に立ち直り、安定していきました。
 藩主の板倉勝靜は徳川幕府の老中ですから、戊ぼ 辰しんの役のとき松山藩は幕府側、つまり賊軍でした。そのため官軍は松山藩を攻めようとしますが、方谷の指示のもと、松山藩は戦火にまみれることもなく、明治への移行を迎えることができました。
 その後、方谷は、新政府からの仕事の誘いを断り、学問の道に戻り、多くの若者達を育て、一生を終えました。
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 方谷が江戸で学んでいるころ、同じ塾に佐久間象山がいました。2人は夜中まで議論をしていたそうで、塾生が「うるさくて仕方ない」と訴えると、あの二人の議論は面白いぞ、と師の佐藤一斎は止めることもなかったそうです。
 方谷と象山は、塾の中では「竜虎」と呼ばれ一目置かれたライバル同士だったようですが、塾頭を務めたのは方谷でした。人をまとめる力や人間的な魅力では、6歳年上の方谷に分があったのだろうと思います。
 もし方谷が今、生きていたら、あるいは江戸時代にタイムスリップできるなら、ぜひ会ってみたいと思います。同じ空気を吸いながら、人物全体に接し、いろいろな話を聞いてみたい、話してみたいと思います。業績もさることながら、人間的な大きさこそが方谷の魅力で、それに触れてみたい気がします。
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 長崎には多くの歴史上の人物が訪れました。残念ながら山田方谷は来ていませんが、大河ドラマ「花燃ゆ」の登場人物も、多くがこのまちを舞台に活躍しました。長崎にいると、そういう人物たちと少しだけ近くなれる気がします。どんな気持ちで長崎での時間を過ごしたのだろうか、と想像力が動き出します。
 長崎は出会いのまち。人、文化、学術、産業、宗教…いろいろなものがこのまちで出会い、新しい発展を見せていきました。世界遺産候補の産業革命遺産や教会群も、まさに西洋と東洋の出会いが生み出した世界でも稀有な物語です。
 そして、それは決して過去の話ではありません。未来の長崎も世界との出会いの舞台でありたいものです。

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