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米沢と長崎

更新日:2014年3月1日 ページID:025172

ホッとトーク

 2月上旬に山形県米沢市を訪れる機会がありました。
 米沢駅を降りると、まちは一面の銀世界。「上杉雪灯篭まつり」というイベントの準備が進められていました。雪を固めて石灯籠やぼんぼりの形に削ったり、雪像をつくったりしている人たちを見て、ちょうど同じ時期に行なわれていた長崎ランタンフェスティバルを思い出しました。 37回目を迎える「上杉雪灯篭まつり」も、市民が生んだまつりなのです。戦没者の鎮魂への思いが込められているという話を聞きながら、思いを込めたまつりに共通する温かさを感じました。gazou1
 まちを歩くと、屋根の雪下ろしや道路の雪かきなどをしている人たちがいて、雪の降らない長崎ではわからない大変さも感じました。米沢では雪は“日常”です。でも長崎では雪は“非日常”。長崎では坂が“日常”で、米沢では“非日常”。同じ日本でもさまざまな暮らしのありようがあります。ずっと以前、北海道の旭川を訪れたときに「九州からみると、よくあんな雪深い所に住んでいるなと思うでしょうね。でも北海道から見ると、よくあんな台風が来る所に住んでいるなと思うんですよ」という冗談とも本気ともつかない話を聞いて、妙に納得しながら笑い合ったことを思い出しました。
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 米沢では、仕事の合間に訪れたいと思っていた場所が二つありました。
 その一つは北山原(ほくさんばら) 殉教地。江戸時代のはじめに多くのキリシタンが殉教した場所です。 
 2008年に長崎で「ペトロ岐部(きべ)と187殉教者」の列福式がありました。列福式は、カトリック教会において信者を「聖人」に次ぐ「福者」の位に列する儀式で、通常はバチカンで行われます。それが長崎で行われたのですが、そのとき列せられた信者の中に米沢の殉教者53人が含まれていました。最初は領主にかくまわれ、やむなく処刑されることになった後も米沢の人々に敬意を払われていた、という史話を聴きながら、長崎の26聖人とつながるものを感じました。
 もう一つは西蓮寺(さ いれんじ)というお寺です。ここには江戸時代の末期、シーボルトが国外追放になった「シーボルト事件」が起きたときに、罪に連座して米沢に送られた吉雄忠次郎(よ しおちゅうじろう)の墓があります。忠次郎はオランダ通詞としてシーボルトの通訳を務めていたために罪に問われたのです。gazou2
 彼はオランダ語だけでなく英語にも通じたとても優秀な人だったようです。吉雄忠次郎という長崎の先人が、米沢でどんな日々を送ったのかははっきりとわかっていませんが、忠次郎の墓碑には「還到院誘誉性善居士(げ んとういんゆうよしょうぜんこじ)」と刻まれていました。これは後になって刻まれたのだそうですが、蘭学が盛んだったといわれる米沢で、敬意を払われ、穏やかな時間を少しでも持てていたのではないか、と希望のようなものを感じさせてくれる文字でした。
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 長崎は歴史の中で、実に多くのまちと縁を結んできたまちです。改めてそんなことを思いながら、安部三十郎米沢市長さんと上杉神社を歩いていると、娘さんが長崎の青山町に住んでいるという男性から声を掛けられました。縁は今も健在のようです。

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