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2011/10/31 市長記者会見(定例)

更新日:2011年10月31日 ページID:023131

市長記者会見(定例)

平成23年10月31日(月曜日) 午後1時30分~2時09分

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発言内容については、わかりやすいように一部変更してある場合があります

1 市長発表

2 会見録

市長発表

市長の海外出張(ヨーロッパ)について

田上市長
では、まず、私の方から、11月6日から16日まで、3つの目的で、中村市議会議長とともにヨーロッパに出張いたしますので、その概要についてご説明をいたします。

まず、1つ目は、第8回平和市長会議理事会に出席するため、11月8日から10日にかけて、スペインのグラノラーズ市を訪問します。

平和市長会議の理事会は、4年に1回、総会開催の中間年に副会長都市で開催をしています。ことしの理事会では、平成25年度に、2年後ですね、広島で開催される予定の第8回総会に向けて「核兵器廃絶のための緊急行動」いわゆる「2020ビジョン」に基づくキャンペーンの展開の仕方や、総会の運営方針などについて審議する予定になっています。

なお、最終日となる10日には、核兵器廃絶の推進に関する決議文を採択し、核兵器廃絶に向けてのアピールをグラノラーズ市から発信することになっています。

次に、2つ目が、11月11日、スイスのジュネーブの国連欧州本部において、「核兵器のない世界に向けて」というタイトルの常設展のオープニングセレモニーを開催します。

このたびの常設展につきましては、核兵器廃絶に向けた世界的な気運が高まってくる中、ニューヨーク国連本部での常設原爆展に続き、広島市と共同で設置をするものです。

展示の内容につきましては、浦上天主堂の被爆した天使像を初め、広島市及び長崎市の被爆資料を10数点、及び壁面大の写真パネルを10点ほど展示したいと考えています。

ジュネーブでは、被爆体験講話者や高校生1万人署名活動をされている高校生たちとともに、平和アピール活動を行いたいと考えています。

きょうは、私の横に深堀繁美さんに同席をしていただいています。深堀さんは、浦上天主堂の信徒会の経済評議会の代表を務めておられまして、天主堂を訪れる修学旅行生たちに、ご自身の被爆体験を語りながら、戦争の愚かさ、平和の尊さを伝えていらっしゃいます。後ほど、ご質問いただければと思います。

次に、3つ目の目的としまして、11月12日から15日まで、オランダのライデン市を訪問します。ライデン市は、出島の商館医、シーボルトが帰国した後、日本に関する研究を行なったまちです。このライデン市にあるオランダ国立民族学博物館には、5,000点以上ものシーボルト・コレクションが保管されておりまして、出島の建物を復元する際には、これまでもこの博物館が所有している江戸時代につくられた模型を参考にするなど、大きな貢献をいただいてきています。

また、長崎大学が、このライデン大学と、平成10年に学術協定を締結し、毎年、学生の相互派遣を行なうとともに、平成21年には、かつてシーボルトが暮らしたシーボルトハウスの中に、長崎大学在ライデン国際交流室を設置しています。

こういったさまざまな交流のあるライデン市に対しまして、今年度、長崎市から市民友好都市提携を行ないたいという申し入れを行なっていましたところ、先日、提携について前向きに検討したいという意向が示されました。今回の訪問では、シーボルトと長崎に関係する施設の視察を行なうとともに、議長とともに、両市のさらなる交流の促進と、英国のアバディーン市、中国の中山市に次ぐ3番目の市民友好都市の提携につきまして、ライデン市の最終的な意思確認を行なってきたいと考えております。

以上が、私からの今回の海外出張についてのご説明です。

引き続きまして、深堀さん、お願いします。

深堀繁美氏
ただいま市長様より紹介いただきました深堀繁美です。ことしで80歳になりました。私は、被爆当時14歳で、大浦の神学校で生活しながら、三菱重工長崎造船所の飽の浦工場で動員されており、その工場で被爆しました。

私は、これまで、被爆体験を、子どもにも人にも語っておりませんでした。しかし、昨年、高見大司教らとともに、被爆マリア像を携えて、スペインに平和巡礼をし、人類史上初の無差別爆撃を受けたゲルニカでは、追悼式典に参加しました。そこで、空襲を受けた方と話す機会があり、そのとき、原爆の被爆の現状を後世に伝える必要性を感じ、被爆の体験を語り始めました。現在は、教会を訪れる修学旅行生に被爆体験をお話しております。被爆の実相、戦争の愚かさ、平和の大切さを伝えております。

今回、ジュネーブにおいても、被爆の実相を初め、浦上の歴史、世界平和の実現を訴えていきたいと思っております。
以上です。

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質疑応答

市長の海外出張(ヨーロッパ)について

記者(共同通信)
深堀さんにお伺いしたいんですけれども、今回、ジュネーブで被爆体験をお話しになると思うんですが、ジュネーブは、ジュネーブというかヨーロッパは特にキリスト教の文化が根づいている場所だと思うんですけれども、そこで被爆体験をお話しになるということで、特に何かお伝えしたいということはありますか。

深堀繁美氏
そうですね、特にということはないですけれども、やっぱり戦争の愚かさということを、私、伝えたいと思うんですね。結局、戦争というのは、人間が、そして、また、国自体が、自分の欲望、そのための戦いが多いんじゃないかと思うんです。だから、そのために一般の市民がたくさん亡くなるわけですね。それをなくなるように、少しでも役立てればと思っています。

記者(共同通信)
被爆体験を人前でお話しになられるようになったのは去年からということなんですか。

深堀繁美氏
はい、そうです。

記者(NBC)
深堀さん、ご自分の体験と、それから、ご家族の被爆体験を、かいつまんで教えていただいてよろしいですか。

深堀繁美氏
私は、造船所の飽の浦工場の兵器部というところにおったんです。そこは、魚雷艇に乗せる魚雷を発射する発射管の装置だったんです。小さい道具だったんですけれども、当時は、もう戦争の終わりごろで、日本も敗戦に近いときでしたので、魚雷艇で敵の軍艦に体当たりですね、結局玉砕をするその魚雷艇、3メートルぐらいの魚雷艇に積む魚雷発射管だったんです。その装置をしておりました。そして、まだちょうど昼前ですから、仕事をしていたときに、造船所ですから、火花とか音は案外高いんですけれども、そのときは特に音も大きかったし、本当に爆弾がすぐ近くに落ちたと思いました。それで、私たちは、爆弾が落ちたら、目と耳をすぐふさいで伏せるようにということを教えられていましたので、みんなすぐそんなにしました。しかし、天井のスレートがわらが落ちてくるので、当たるんですね。そして、怖さも、両方ありましたので、みんなと一緒に造船所の中にあるトンネルに逃げました。

家族は、兄弟4人、原爆で亡くなりました。母はもう早く亡くなっていたんですけれども、父は赤迫の兵器工場のトンネルの中におって助かっておりました。私は、神学校におりましたので、翌日、自宅の方に帰りました。しかし、天主堂がやられておるとは思いませんでした、原爆とは知りませんでしたので。しかし、途中で、教会の塔が見えなくなったときに、初めてその恐ろしさというんですか、そのすごさを知りました。それで、みんないないと思って、もうだめだと思いましたけれども、父が家のところに帰ってきておりまして、そして、父と出会いましたけれども、涙一滴流れませんでした。もう悲しみを通り越して、ただ呆然としていました。もうそれくらいですね。

記者(長崎新聞)
そのときおけががなかったのかどうかと、それと、これまで被爆体験を語ってこなかったのは、語る機会がなかったのか、それとも、話をしたくなかったのか、その辺のところを聞かせてください。

深堀繁美氏
飽の浦は3.4キロメートルあるんですね、爆心地から。それで、私たちは、さっきも言ったように、スレートがわらが落ちてくるのが当たるのが痛いのと、ただそれくらいしかありませんでしたし、翌日、あの瓦れきの中を歩いていきましたけれども、別にそういうけがなんかはしませんでしたけれども、ちょうど父と会ってから、お湯を沸かしてお湯を飲ませてもらったんですけれども、3日間下痢が続きました。それくらいでした。もう一つは何でしたっけ。

記者(長崎新聞)
もう一つは、これまで被爆体験を語ってこなかったのはどうしてですか。

深堀繁美氏
私も今、修学旅行生に話をしているんですけれども、今度の地震と大津波は、私たちはテレビで、ビデオで何回も見ることができます。そしたら、話をしても通じるわけですね。原爆は一回きりで、そのことを幾ら話しても多分わからない、話すことも難しいし、話してもわからないと思っていたんです。だから、子どもたちにも話すこともできませんでした。

記者(共同通信)
当時は神学校の学生さんだったんですか。

深堀繁美氏
はい、それで、普通の中学校に通っていたんです。神父になるための学校ですね。

記者(共同通信)
中学校と別に神学校に通っていたんですね。造船所にはその中学校から動員される形で。

深堀繁美氏
そうです。学徒動員全部行ってましたから。

記者(長崎新聞)
中学校はどちらの中学校だったんですか。

深堀繁美氏
南山の前身の東陵中学校に行っていました。旧制中学です。

記者(共同通信)
当時は2年生だったんですか。

深堀繁美氏
3年生です。

記者(NHK)
今、去年話を始められるようになって、でも、話してこなかった理由は、子どもたちに話してもわからないんじゃないかと思ってたから今まで話さなかった。けど、それが変わったのは、そういう伝わったという体験があったのか、もう少し変わったところのきっかけの部分を聞かせていただけますか。

深堀繁美氏
ゲルニカに行ったときに、ゲルニカで、私たちに、無差別爆撃を受けた人が話をなさったのが、14歳の方だったんです、無差別爆撃を受けた方がですね。ちょうど私も14歳のときに原爆に遭いましたので、何かそれで、ちょっと話を通訳を通じてしたときに、ああやっぱり私も話さなきゃいけないのかなと思いましたね。

記者(NHK)
子どもたちに話しても、ちゃんと伝わるだろうと、そのときに。

深堀繁美氏
いや、伝わるということは考えませんでしたけれども、話をしなければやっぱり、もちろん話をしても伝わるかどうかわかりませんけれども、やっぱり話をしなければいけないのかなという気持ちになりました。

記者(長崎新聞)
今、1年間話されてみて、伝わっているという実感はありますか。

深堀繁美氏
いや、あまりありません。多分、通じにくいと思います。例えば、昔、結局、原爆前ですから、高い建物もないし、馬とか牛もたくさんおりましたから、馬とか牛がぱんぱん膨れ上がって、真っ黒くなって、ごろごろしていたと言っても、普通の人は感じないんじゃないかと思うんですね。

記者(共同通信)
深堀さん、ご兄弟を4人亡くされたということだったんですが、これは、構成というか、お兄さん、お姉さんだったですか。

深堀繁美氏
姉が2人と、弟と妹です。

記者(NBC)
ご自宅はどこだったんですか。

深堀繁美氏
浦上天主堂のすぐ裏です。

記者(西日本新聞)
何町になるんですか。

深堀繁美氏
本尾町です。

記者(共同通信)
ご家族で浦上教会の信徒さんだったんですか。

深堀繁美氏
もちろんそうです。

記者(西日本新聞)
ご兄弟は、ご自宅にいらっしゃったんですか。

深堀繁美氏
そうですね、父が焼いてましたから。

記者(NBC)
カトリック信徒として、神の存在ですよね、原爆が落とされたことについて、神をうらんだりというか、そういうやっぱり神の摂理というふうに考えてこられたのか。

深堀繁美氏
そうですね、結局は、戦争というのは国と国との戦争ですよね。私たちも、カトリックであっても、やっぱり日本のためにということで学徒動員にも行きましたし、そして、やっぱり私も本当は、年がもう1つ上だったら、幼年学校も受験したかったんです。年が足りなくてできませんでしたけど、そのときはカトリックとかそういう感覚は多分あまりありませんでした。

記者(共同通信)
今度、ジュネーブでは、今回、天使像とか、ほかの浦上天主堂の被爆資料も展示することになるんですけれども、国連の本部の職員の方とか、ヨーロッパの方々にそういうのを見て、どういうことを感じてほしいと思っていらっしゃいますか。

深堀繁美氏
そうですね、それは、やっぱり私は、もちろん被爆の実相もそうですけれども、浦上のその歴史ということを、今の若い人たちはあまり知らないんじゃないかと思うんですね。それも伝えたいなと思っています。

記者(共同通信)
それは、受難を受けてきたという。

深堀繁美氏
はい、そうです。

記者(長崎新聞)
被爆体験なんですけど、いつ、どこで、どんな集会で語るのかっていうのを、わかる方にお聞きしたいんですけど。

田上市長
一度は、国連の本部の、あれは中だったですかね。

被爆継承課長
国連の外です。国連の構内というのは入構がなかなか厳しいので、その近くの建物で、市長のスピーチとあわせまして、被爆体験講話をさせていただくことになっています。それが1つです。今、予定しているのは、もう1つは、その前に、ニヨンの高校で、高校生に対して体験講話をする予定です。2回は体験講話を実施する予定です。

記者(朝日新聞)
ニヨンの高校訪問のときのこの11日がまず実施されて、あともう1個が。

被爆継承課長
まず、午前中にそこで体験講話をお伝えしまして、そして、昼からの集会でもう一度、体験講話をさせていただきます。

記者(朝日新聞)
オープニング記念集会ですね。

記者(長崎新聞)
集会というのは、現地の民間団体の方がお世話をしてくださるんですか。

被爆継承課長
そうですね。

記者(長崎新聞)
わかりました。

記者(NHK)
改めてお2人にお聞きしたいんですが、常設展ということで行かれるに当たって、常設展が今、行なわれる意味というか、考えられるところの常設展の意義づけというのと、意気込みをもう一度、お2人それぞれ改めて伺いたいんですが。

田上市長
じゃあ私の方から。今回展示される国連欧州本部は、これまでNPTの再検討会議の準備会議等が開かれてきた会場でもありますので、これから開かれる可能性もあるという意味では、まさにそういう交渉の現場になる場所でもあります。ということは、そこに、交渉の当事者になる人たちが訪れる、あるいは集まる場所でもあります。その意味では、今、核兵器のない世界に向けた流れができつつある中で、具体的な交渉が必要な時期に来ていますので、そういった当事者の皆さんにしっかりこの展示を見ていただいて、天使像を初めとした広島、長崎の現実に思いをはせていただく中で、ぜひその視点、人間がどういうことになるのかという人間の視点ですね、人間をどういうふうな目に遭わせるのかという視点を持って議論をしていただきたい、交渉をしていただきたいというふうに思っています。その意味では、今回の記念集会のスピーチもそうなんですけども、オープニングのときにも、その国連で当事者になる皆さんへの呼びかけもぜひしたいというふうに思っています。

それから、もう1つ、国連欧州本部の前に、ニヨンを訪れて、UNIのジェニングス書記長であったり、あるいはニヨンの高校にも訪問させていただくんですけども、これは、昨年来ていただいたUNIの世界大会、まさに開催をしていただいた機関でして、また、そのときに、その世界大会のときにニヨンの高校生と市長さんが訪れてくださっています。その意味では、旧交を温めるという意味もあるんですけれども、もう1つ、UNIというのは世界的なネットワークを持った機関ですので、そういった機関とのネットワークをしっかりさらに強めてくる機会にもしたいというふうに思っています。
私からは以上です。

記者(NHK)
深堀さんも改めていかがですか。

深堀繁美氏
そうですね、私はやっぱり、天使像を持っていきますけれども、あの天使像も84体あったんですけれども、現在はもう24、25体ぐらいしか残っていません。だから、やっぱりそういう、昔の、私たちの先祖が30年かかってつくり上げた天主堂がこんなして破壊されて、そして、それをどういうふうに伝えていくかということはとても難しいんですけれども、それに対する私の考えをまた申し述べたいと思っております。

田上市長
深堀さんは、昨年、ゲルニカにも高見大司教と一緒に行かれていますので、そういう、ずっと浦上天主堂にかかわってこられたということもありますので、そういう意味では、深堀さんが行かれて、特に、今回の展示の中でも、浦上天主堂の天使像が一番思いを伝えてくれる、メッセージを発してくれる存在だというふうに思っていますので、それを深堀さんに持っていっていただくのは非常に大きな意味があるし、伝わり方が違うというふうに思っています。

平和公園エスカレーター工事現場の防空壕の保存について

記者(NBC)
平和公園の下の防空壕ですけれども、これについての保存については、かなり被災資料協議会の保存の声が強かったんですけれども、これについては、市長、どういうふうにお考えですか。

田上市長
そうですねえ、10月26日だったと思いますけれども、原子爆弾被災資料協議会でご議論いただいたときには、やはり、特に場所が多くの人たちが平和公園に出入りする場所ということもあって、平和学習のために役立ててほしいというご意見が非常に多かったというふうに聞いています。また、もう1つは、ほかにも、あそこだけではなくて、平和公園の周辺には防空壕たくさんあるということもあって、エスカレーターの工事とも調整しながら、残せるものだけ残す方法というのも考えた方がいいんじゃないかというご意見もあったというふうにお聞きしています。場所が場所、本当に、あそこ、たくさんの方が出入りする場所ですので、そういったご意見を参考にしながら、今、具体的な方法について検討しているところです。伺ったご意見とあわせて、1つは、平和公園の軸線といいますか、祈念像から平和の泉を通って、ずっとあの階段も含めて導入していく、平和公園につながっていくそういうラインを、あそこはつくっている部分でもあるんですね。そういう意味合いの部分であったり、あるいは、景観といいますか、階段を上るときの景観の問題であったり、そういった問題も考慮しないといけないと思いますし、それとあわせて、先ほどもお話しした、平和学習に使うということを考えたときに、非常にいい場所、今度は少し広場みたいな形にもなりますので、いい場所であるということもありますので、どういった形でそれが共存といいますか、できるのかということについて、今、具体的に検討を進めています。そういった形、そういった方向の中で一致点を見出すような努力をしたいというように思っています。

記者(朝日新聞)
何らかの形で残すという理解でよろしいですか。

田上市長
今の工事をそのまま続けるとしても、3つのうちの1つは残るんですよね。それを、例えば、1つじゃなくて2つ残す、あるいは3つ残すという方法というのをちょっと今、検討をしているところです。もう1つは、向こうの方にも、奥の方にもありますよね。そういったものも含めて、平和学習に使うために、何か工夫できないかといったような視点も含めて、もうちょっと具体的な方法を、工事の時期との関係などもありますので、そういったものも含めながら、総合的に検討しているところです。

記者(NBC)
みどりの課あたりの説明を聞くと、今のエスカレーターをそのまま延ばしてくると、2つはつぶれるという、この前もそういうご説明だったんですけれども、今の検討の範囲の中には、やっぱり1つだけつぶして、あと2つは残すということも含めて検討ということですかね。

田上市長
そうですね、いろんな方法、例えば、今の方法の中で2つ残せるんじゃないかとかいうようなことも含めて、これまで検討していない方法も含めて、具体的に多分お話をしないとというか、具体的に検討しないとわからない部分もありますので、まだ見つかってちょっと時間がないということもあって、検討していない案もあるのではないかと思いますので、具体的に検討してみたいと思っています。

記者(共同通信)
エレベーターの工期もあると思うんですけれども、いつごろまでにその結論というのは。

田上市長
それはもう、急いで今、作業をやっていますので、工期はできるだけおくらせないようにしたいと思っていますけれども、その工事の仕方自体によってそれは大きく変わってくると思っています。特に、今回の工事は、1つは、高齢者の皆さんの利用に供するという意味合いがあったり、あるいは、できるだけそういう機会に、皆さんがたくさん訪れる機会にかからないようにということも配慮しないといけないと思いますので、工期はできるだけおくらせないようにしたいと思いますけれども、それも工事の内容自体で相当変わってくると思っています。

記者(NBC)
やっぱり被爆遺構の保存については、長崎市はこれまで非常に消極的でしたよね、前の市長さんたちのとき、被爆校舎、ほとんど壊しましたよね、ほとんどというか、城山の被爆校舎だけですよね、残しているのは。やっぱり今回のことも非常に重要だと思うのは、行政が、行政の敷地にあるものを残さないと、民間に対して、保存してくださいということを言えないんですよね。そういう意味では、やはり行政としての工夫というか、それが非常に求められるのではないかという気がしています。やはり世界に向かって核兵器廃絶を訴えることも必要ですけど、50年後、100年後に、長崎から何が発信できるかというときに、被爆者は高齢化して、50年もすれば亡くなっちゃうわけですよ。そのときに何をもって伝えるかといったら、物しかないんですよね。そういう物をきちんと残していってほしいというふうに思いますので、田上市長さんのご英断を。

田上市長
ご意見として承っておきます。

日印原子力協定の交渉再開について

記者(長崎新聞)
すみません、ちょっと話はまた変わるんですけど、日本とインドの原子力協定、締結に向けた交渉が開始されるというふうなことで、日印の外相会談が29日に合意されたんですけれども、これについて、去年、平和宣言とかで反対を言ってきた経緯もあるということで、改めてご見解をお聞きしたいんですけれども。

田上市長
去年の平和宣言もですけれども、その前に、広島市長とともに、外務省、官邸にも抗議に伺った経緯があります。NPTが今、核兵器の廃絶に向けての1つの大きな形、仕組みをつくっていくよすがになっているといいますか、わけですけれども、そこをなし崩しにする、NPTがなし崩しになるということは絶対避けないといけない、核兵器禁止条約などがまだまだ全然形になっていない状況ですので、そういう意味では、NPTと完全に逆行する、NPTに入らなくても平和利用ができると、そういう形に参画するということですので、これについては、理屈が絶対に合わないというふうに思っていますので、そのことについては、広島も同じだと思いますけれども、反対のスタンスは変わりません。

記者(長崎新聞)
何か具体的に抗議をされるとか、そういう行動というのはない。

田上市長
まだ今のところ。

記者(長崎新聞)
それと、インドに関してはNPT未加入ということなんですけど、それ以外の国も視野に入れて、野田政権は、今、原発輸出を加速させていると思うんですけど、未加盟国に対しては、どういう対応をされていくのかという。

田上市長
インドも含めたという。

記者(長崎新聞)
インドはNPT未加盟ですよね。加盟国であればという、加盟国に対する日本からの原子力技術の援助という部分では、市長としてはどういう対応をとっていかれるんですか。

田上市長
その問題は非常に難しい問題だというふうに思っています。NPTそのものは、それを1つの権利として認めているという中での条約ですので、その中での動きというふうになるんだろうと思います。そういったものについて、今後、どういった国際的なルールをつくっていくのかということは、これは潘基文事務総長も話しされていることですけれども、今後に残された、国際的な中でどういうルールをというのは、課題だというふうに思っています。

「原発があること自体が潜在的な核抑止力になる」との論調について

記者(朝日新聞)
いいですか。今の問題ともちょっと絡むとは思うんですが、きょう、午前中も、被爆者団体の方が危惧しているというふうにおっしゃったんですが、一部、原発問題に今、絡めて、原発を持っていること自体が、潜在的な核抑止力になるんだと、要は、プルトニウムを日本が原発に絡めて持っていることが、外交的には核抑止力につながっているんだから、原発を持つべきなんだというような論調というのが一部に出てきているんですけども、今、言ったように、長崎市としては、今、核兵器廃絶のための大きな枠組みというのはNPT体制、それを長崎市としても推進をこれまでしてきて、当然、完全ではないにしても、長崎市としても、核廃絶、そのためにNPT体制を推進してきたにもかかわらず、一方で、原発というものを持っていること自体が核抑止力につながっているんだよというような、そういう論調があることに対して、長崎市としては、もしくは田上市長として、推進する立場として、多分、そういうお立場というか、考えで、潜在的な核抑止力になるからNPT体制を推進してきたとはとても思えないんですけれども、その辺のそういう論調について、ぜひ、被爆地長崎市としては、どういう考えを持っているからNPT体制を推進してきたのか、もしくは、そういう考えがあることについて、どういうふうにお考えになっていらっしゃるのかということを、ぜひ、市長の口からお話を伺いたいんですけれども。

田上市長
基本的にその考え方はおかしいと思います。1つは、そもそも長崎としては、抑止力という考え方そのものが、これまで唱えられてくる中で、核兵器を持つ国々がふえてきている、数もふえてきたという歴史があります。その意味で、核の抑止力ということが、本当に機能しているといいますか、本当にそれが安全になっていく道なのかということについては、もう既に違うというのが現実に出ているというふうに思います。ですから、抑止力という考え方そのものが違うというふうに思いますし、もう1つは、日本は、核兵器のない世界を目指す、まさに被爆国としてリーダーになっていかないといけない、それは、核兵器を持つ考え、あるいは、核に頼った国の安全ということは、スタンスはとらないということを明確に言って、そのことで国際的な軍縮のリーダーの役目を務めてほしい、務めなければならないという立ち位置といいますか、そういう存在だというふうに思っています。その意味でも、先ほどのお話の考え方はおかしいというふうに思っています。そういった中で、具体的にどういうふうな形でやっていくのかという中で、例えば、北東アジアの非核兵器地帯という知恵が1つ生まれてきていて、それを具体的にどういうふうにすれば実現できるだろうといったことを、ぜひ検討してほしいということを、これまでも長崎市としては、平和宣言でも訴えてきましたし、それが基本的なスタンスだというふうに思っています。

記者(朝日新聞)
当然、NPT体制推進というのは、そんな考えで推進しているというわけではないわけですね。

田上市長
そうです、それはもちろんそうです。NPTそのものも、過渡的な仕組みであって、核兵器禁止条約というところに行く段階で、核兵器を持つ国がふえないようにという、これは苦しいけれども、1つの知恵なんだろうというふうに思うんですね。それがないと、現実的により危険になってしまうということで、今、そこを、それを1つの道具として使いながら、次のステップを探しているという状況だというふうに思っています。

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