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2011/10/19 市長記者会見(臨時)

更新日:2011年10月19日 ページID:023124

市長記者会見(臨時)

平成23年10月19日(水曜日) 午後0時13分~0時33分

【Youtube】www.youtube.com/watch(新しいウィンドウで開きます)

発言内容については、わかりやすいように一部変更してある場合があります。

1 市長発表

2 会見録

市長発表

カザフスタン共和国訪問報告について

田上市長
中山市での市民友好都市の提携に向けた交流事業に参加した後に、10月10日から15日まで、「核兵器のない世界を目指す国際フォーラム」に出席するため、中央アジアのカザフスタンを訪問いたしましたので、その概要についてご報告をいたします。

カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連時代の1949年以降、約40年間にわたって450回以上の核実験が行なわれました。周辺住民には正確な情報が伝えられないまま放射能汚染が繰り返され、100万人以上とも、あるいは150万人以上とも言われる人たちが被曝したと言われています。

その後、カザフスタンの人たちは、ソ連からの独立とほぼ同じ1991年に核実験場の閉鎖を決め、保有する核兵器を廃棄しました。

実験場の閉鎖からちょうど20年が経つのを記念して、今回、カザフスタンの首都アスタナで開催されました「核兵器のない世界を目指す国際フォーラム」に、被爆地を代表して出席をしてきました。

10月11日に、まず、フォーラム会場の独立宮殿におきまして、「ヒロシマ・ナガサキ写真パネル展」を開幕しました。その後、カザフスタン人文法科大学を訪れまして、非核特使、本村チヨ子さんの被爆体験講話が行なわれました。約300人以上の学生さんたちと、被爆体験の証言を通しまして積極的にコミュニケーションをとろうとする本村さんの姿は、カザフの若者の心に強い印象を残したと思います。そのことについては、後ほど、本村さんからお話をしていただきたいと思います。

そして、翌10月12日に、いよいよ「核兵器のない世界を目指す国際フォーラム」が開幕し、開会式に続きまして開催された「核兵器のない世界の実現」をテーマとした討論、分科会で発言の機会をいただきました。

私は、「核兵器の開発や維持に多くの経費と時間と科学技術を費やしてきたことで、安全が保障されるどころか、世界全体がかえって核兵器の危険と脅威にさらされている。この『現実』を直視すれば、『核兵器のない世界』の実現だけが、都市を核兵器の脅威から解放し、国際社会の永続的な安全を保障することと理解できるはず」だと訴えました。さらに、核保有国も非核保有国も「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「核兵器禁止条約(NWC)の締結に向けた多国間交渉の早期開始」など、「核兵器のない世界」の実現に向けた具体的な行動を起こすように要望しました。

10月13日には、フォーラムのプログラムの一つとして、セメイ市(旧セミパラチンスク市)、カザフ語でセメイ、ロシア語でセミパラチンスクというそうですけれども、を訪れました。

核実験のためにつくられた機密都市クルチャトフでは、核実験を紹介する展示室を見学しました。実験のスイッチや被爆した豚の頭や内臓の標本、実験結果の測定に使うさまざまな器具などが展示されていました。

ソ連最初の原爆実験、水爆実験が行なわれた核実験場につきましてもその後視察しました。ステップと呼ばれる見渡す限り広大な草原の中に、観測用のコンクリートの廃墟が点在し、ヘリコプターの着陸地点から約1キロメートル先には赤い旗が立てられた「爆心地」が見えました。この場所が450回以上に及ぶ核実験によって大きな犠牲を生み出した場所であることに強い衝撃を受けました。

また、フォーラムの締めくくりとして、セメイ市内の核実験犠牲者を悼むモニュメントのある公園で、約2万人もの住民の皆さんが集まり、実験場閉鎖20年を祝う集会が行なわれました。

私は、中央アジア5カ国を非核兵器地帯化する「セミパラチンスク条約」の発効に主導的な役割を果たし、そして、核実験場の閉鎖と核兵器の放棄という勇気ある道を選んだカザフスタンから、「核兵器のない世界」への道を目指し行動する人々の輪が世界に広がるように希望すると演説をしました。

今回のカザフスタン訪問では、特にセメイでは、「ナガサキ」という言葉を聞いて、集まったカザフの人たちの間から歓声が起きました。それは、長崎市や長崎県、長崎大学などで組織します「長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)」が、セミパラチンスクのような放射線汚染地域でヒバクシャ医療に取り組んでいることを、セメイの皆さんの多くが知っているからだと思います。被爆地の市長として、大変誇らしく思いました。

と同時に、カザフスタンとも連携して、核兵器の恐ろしさを世界に伝え、一日も早く核兵器のない世界を実現させなければならないという思いを新たにいたしました。

以上が、私からの今回のカザフスタン訪問についての説明です。

引き続いて、本村さん、お願いいたします。

本村チヨ子氏
大方は市長の報告にあったとおりなんですが、私は、被爆者として一番印象に残っているのは、ソ連時代の核実験のその実験場、先ほど、市長は草原と表現されましたけれども、私にとっては、全くの荒野ですね、荒野の中にそのころの遺物とか、残骸とか、それが点々としているんですね。それが非常に印象に残っております。

田上市長
学生さんにお話しされた印象は。

本村チヨ子氏
学生さん、300人以上でしたか、最初はですね、人文科学科の学生さんだった、その人たちにあいさつを申し上げて、長崎の被爆者ですと、72歳になりますと、自己紹介をしました。そうしたら、一斉に「おおっ」という何とも言えない歓声というんですか、思わず漏らした1人では「おっ」という感じですけど、300人も集まると「おおっ」という感じなんですね。はっ、この反応は何なんだと、そこで思わず、私は被爆者としてこれまで実体験を持っている、それこそ被爆の実相と実体験、これを話すのが私の役目なんだと、そして、カザフスタンに赴くために、私は3つ大事なことがあると、自分で決めていました。被爆したときの現実。そのとき、6歳のときの記憶。それと、これまで72年間被爆者として生きてきた経緯。それから、カザフスタンの子どもたちが、皆さん、表情が明るいんですね、その青年たちも明るい表情をしておられました。その明るい表情ということは平和の象徴だと、私は思うんですね。その明るい表情と子どもたちの笑顔が絶えることがないような平和の実現、それを訴えるのが私の役目だと思っていましたので、それは、私の中では、拙いながらも、私ながらに一生懸命努めてきたと思っております。

田上市長
今、私の報告の中でも漏れていたんですけど、最終日に、もう一つ、アルマティという旧首都にある国立カザフスタン民族大学という、カザフスタンでは一番だというとても有名な大学ですけれども、そこの政治を専攻している学生さんたちの前でも、追加してお話をさせていただきました。そこでも大変、若い人たちの反応がよくてというか、後で先生から聞いたお話だと、そうやって時々外から来た皆さんからお話を聞く機会があるけれども、そういう人たちと違って、あまりおもしろくないのが多いんだけれども、きょうのは、体験を自分の言葉で語ってくださって、とても印象が強いお話でしたという、ありがとうございましたということを若い人たちが口々に言われていたということをお聞きしまして、あれもすごくいい機会になったと思います。

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質疑応答

カザフスタン共和国訪問報告について

記者(共同通信)
すみません、共同通信ですけど、市長は、大統領にはお会いになったんですかね。

田上市長
フォーラムの全体集会のオープニングに出席されたんですけど、みんな着席した後に参加されて、その後、退席されたので、直接お話をするという時間はありませんでした。

記者(共同通信)
何かスピーチとかされるのを聞かれたんですか。

田上市長
そうですね。その中で、恐らく報道にあった、廃棄するときのいろんなプレッシャーのお話とかがされたと思います。

記者(共同通信)
大統領が、90年代に、核実験場を閉鎖するというのを決められたと思うんですけれども、これから核兵器廃絶をしていく中でヒントになる部分もあると思うんですけど、核廃絶をするときにどういうことが必要だというふうに、今回、カザフスタンに行かれて、思われましたでしょうか。

田上市長
一つは、実相をまだ知っておられない方がすごく多いというのが実情、それは常に感じていることですけれども、今回、逆に、セミパラチンスクのことについても私たちが詳しく知らないということについても、改めて、本村さんとも話をしながら、カザフスタンで移動したんですけれども、そういう意味で、セミパラチンスクに展示している展示コーナーがあるんですね。そういう実験のことを知らせて、先ほどちょっと報告しましたけど、その展示室の担当の方とお話をする中で、ここに広島、長崎のコーナーがつくれないかというお話がありまして、それはもうぜひこちらも資料を送りますという話をしたんですけれども、逆に、こちらにも向こうの資料も送っていただいて、お互いに発信し合うということができると思いますので、これから、そういう具体的な、どういう形で何をするのかという協議をさせていただきたいということで、お話をしました。このことについては、在カザフスタンの日本大使館、それから、在日のカザフスタン大使館の両大使にもお話をして、それは非常にいいことですということで、自分たちも協力をしてくださるということですので、大使館のご協力もいただきながら、ぜひ資料の交換を今後やってみたいというように思っています。

それから、もう一つ、やはりもう今の段階でオバマ大統領のプラハ演説以来、核兵器のない世界に向けてというステップを実際に動き始めているという段階だと思いますので、やはり具体的に条約を批准したり、あるいは新しくつくったりということが必要になってきますので、CTBTの批准であったり、あるいはNPTをどうやって実効のあるものにしていくか、軍縮も進めていくかということであったり、あるいは次の核兵器禁止条約をこれからどうやってつくっていくのかという、そういう条約を整備していく、実効のあるものにしていくプロセスがこれから非常に重要になるというふうに思っています。

記者(時事通信)
すみません、時事通信なんですけれども、恐らく、核保有国も含めて20数カ国集まって、何らかの形で共同声明か何かを採択すると伺ったんですが、何かその中で、実効性のあるものというのは含まれていたんでしょうか。

田上市長
まだ、実は日本文に翻訳した部分をしっかり見てないのですけれども、その中にも盛り込まれていて、あと、分科会、私が出席した中でもお話があっていたのは、教育の話が非常に論議をされていまして、川口元外務大臣もそのことについて意見を求められて、発言をされていましたけれども、非核教育、あるいは軍縮教育については、長崎も実績を持っているまちですし、それから、ことし、延期になりましたけども、国際会議が開かれるという計画もありましたので、その意味では、各国が関心あるテーマだということで、ぜひ長崎で国際会議も開催をしていただきたいと思いますし、私たちも貢献できる分野だということを、改めて思いを新たにしました。

記者(共同通信)
本村さんは、現地ですごい反応がよかったということですけれども、本村さんのお話のどういった部分が、現地の学生に好印象を与えたというか、反応を受けられたと思いますか。

本村チヨ子氏
好印象と言えるかどうかわかりませんけど、私は6歳で被爆してますので、その6歳の私をかばって、祖母が命を落としたと、そこのところが非常に向こうが一番胸を打たれた部分ではなかったかと思います。

田上市長
もう一つ、学生さんたちの感想としてあったのが、そういうとても辛い体験をされた本村さんが明るく振る舞われて、そして、核兵器をなくしていきましょうということを皆さんに呼びかけたんですね。その前向きな姿勢がとても感動しましたということを、学生さんたちが言っていたということを、向こうの言葉なので、先生が日本語に訳して、話をしてくれました。

本村チヨ子氏
もう一言いいですか。その学生さんたちが非常に親しんでくださったんですね。皆さん、握手を求めてくださったんです。皆さんと握手をした。私は、市民レベルの対話が大事といつも言っているんですけれども、このとき、このカザフスタンばかりは、平和に向けての大きなうねりというものを実感してまいりました。

記者(共同通信)
学生さんとか市民レベルで、核廃絶に対する理解というのが得られているなというのを実感されたんですか。

本村チヨ子氏
はい、実感しました。これは笑い話なんですけど、いいでしょうか。向こうの人は体格がいいんですね、関取と言ってもいいぐらいの体格のいいご婦人に抱きかかえられたんです。抱きかかえられたのはうれしかったんです。相撲で言えばつり出しというんですか、そういう形になりました。足が浮いたんですね。そのとき、思わず、私のこの右のあばら骨がずきっと音をたてたんです。それがいまだに、大きい、息ができないぐらいの痛みを感じているんです。でも、あの歓迎に対して、あばら骨の1本や2本くれてやると、現地に置いてきたというような、今も痛みに対しての喜びといったらおかしいですかね、そういう感じを持っております。湿布を大きく貼ってるんですけども、そういう親しみを込めた歓迎のあらわし方というか、感激しました。

記者(NIB)
本村さん、その荒野になっている実験場を見られたのが一番印象的だったと、見られた率直なご感想としてはどうですか。

本村チヨ子氏
こんなことは二度とね、こういう実験場は残さなきゃいけない、でも、人は忘れてはいけない、きっとあの地区の人たちは、私のように痛みを抱えていくんだろうなと思うと、ちょっとうるうるしてきまして、みっともない顔になってしまいました。どうしても被爆後の長崎がダブってまいりまして、長崎は今、これだけの復興をしておりますけど、その現状そのまま残しているという、そして、住民は人っ子一人いない、あちこちに兵士の姿が見えるんですね。その方たちの無表情、本当に自分の被爆直後の、あわれだった幼い6歳の自分がよみがえりまして、ちょっとみっともない顔になってしまいました。

記者(NIB)
それは、長崎はこうして復興したけれども、ああいう場所を後世に残して伝えていくことも大事だということですか。

本村チヨ子氏
大事だと思います。長崎はもう狭い土地ですので残せませんでしたけれども、ああいう形で、今はどなたも立ち入ることができない、とにかく人っ子一人いないんですね。もうそれこそ、草原ではなくて、荒野です。残していくことも大事だと思いました。

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