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2011/05/25 市長記者会見(定例)

更新日:2011年5月25日 ページID:023078

市長記者会見(定例)

平成23年5月25日(水曜日) 午後2時01分~3時03分

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発言内容については、わかりやすいように一部変更してある場合があります

1 市長発表

2 会見録

市長発表

ネパール連邦民主共和国の訪問について

田上市長
では、まず、私の方から。このたび、「第1回ゴータマ・ブッダ国際平和賞」の授賞式に、秋葉忠利前広島市長とともに招待をされ、5月15日から20日までの日程で、ネパール連邦民主共和国を訪問いたしました。今回の訪問にあわせまして、非核特使のお二人、そして、長崎県宗教者懇話会の皆様、合計7名の方もネパールを訪問され、授賞式や原爆展において、ナガサキチームとして平和の交流にご協力をいただきましたことを、この場をお借りして、改めてお礼を申し上げたいと思います。

また、ネパールでは、国連アジア太平洋平和軍縮センターの木村泰次郎所長や長崎大学に以前留学しておられ、今は国立トリブバン大学で教鞭をとっておられるカドガ・K.C准教授ほか皆様にもお世話になりました。これもさまざまな形で長崎のご縁がネパールでもつながっていったということでありました。

ネパール訪問の概要について簡単にご報告をさせていただきます。

まず、5月17日に、ゴータマ・ブッダの生誕地ルンビニで、「第1回ゴータマ・ブッダ国際平和賞」の授賞式に参列をしました。

授賞式は、ルンビニ公園の一角に特設テントを設置した会場で行われました。このルンビニ公園というのは、ブッダの生誕地であることを示すアショカ王が建てたと言われる石柱などを中心として整備された公園です。

当日は、ブッダの生誕を祝う日ということもあり、猛暑の中、ルンビニ公園の会場周辺には多くの方々が訪れておられました。会場にも1,000人ほどが参列をされ、ラム・バラン・ヤダブ大統領から受賞メダルを授与していただきました。また、非核特使の井黒さんと井原さんには、式典の始まりを告げる「献灯」、灯りをささげると書く「献灯」の役でご協力をいただきました。

この平和賞は、平和や非暴力に貢献した個人や団体をたたえるもので、受賞理由として、「昨年のNPT再検討会議で主導的な役割を果たし、核兵器なき世界の実現に大きく貢献した」とされており、被爆者を初めとして、長崎・広島両市の市民が一体となってこれまで取り組んできたことが評価されたものと大変光栄に思っています。

授賞式では、ヤダブ大統領を初め、関係者や来賓のスピーチがあり、私も受賞記念講演として、今回の受賞に感謝を申し上げるとともに、核兵器の問題は人類全体の問題であり、被爆地との連携を深めて、恒久平和の実現と核兵器廃絶を目指しましょうと呼びかけさせていただきました。

翌18日には、カトマンズの国立トリブバン大学メモリアルホールで、「原爆写真パネル展」を開催し、長崎・広島の写真パネル20枚を展示しました。開会式では、原爆展を契機として、多くの皆様に、核兵器がもたらす非人道性への理解を深め、ともに核兵器廃絶への取り組みを求めるスピーチを行いました。

また、非核特使として長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長が、自身の体験を証言されるとともに、「長崎を最後の被爆地に!」と訴えられたことは、会場の人々の胸に特に印象深かったのではないかと思います。

ネパールでの原爆展の関心は高く、トゥラダール文化大臣を初め、トリブバン大学の副学長、あるいは水野駐ネパール日本大使にオープニングセレモニーに出席をしていただいたほか、学生や大学関係者、一般市民など500名以上の方々に原爆展を見ていただきました。

原爆展のオープニングの後、ヤダブ大統領を表敬訪問して、受賞の御礼を申し上げたほか、文化大臣、ジャラ・ナート・カナル首相への表敬訪問を行いました。

その夜には、旧王宮であるハヌマン・ドガ宮殿での首相主催レセプションにお招きをいただき、政府閣僚や政府関係者、外交団など多くの方々と懇談することができました。レセプション会場に向かう途中では、ネパールの伝統芸能が披露されるなど、盛大な、また、心のこもったレセプション、歓迎であり、ネパールの方々に厚くお礼を申し上げたいと思います。

このほか、トリブバン大学の教員や学生、メディア関係者との交流会を設けていただき、参加者と意見交換をすることができました。

以上が、今回のネパール訪問の概要のご報告です。今回の訪問では、平和賞の創設、盛大な授賞式の開催、大統領や首相など政府代表者との懇談など、ネパール政府の平和に対する並々ならぬ関心の高さをうかがい知ることができ、また、原爆展や講演会の開催などを通しまして、直接ネパールの人たちに、核兵器廃絶に向けた連帯を呼びかけることができました。

今回の訪問をきっかけにして、長崎市とネパールの方々との平和の交流を深めていきたいと考えております。

本日は、ネパールでともに活動してくださった井原東洋一様、井黒キヨミ様、前田敏博様、児玉保子様に同席をしていただいておりますので、一言ずつごあいさつをお願いしたいと思います。

井原 東洋一氏
今回、非核特使として外務省から委嘱を受けまして、田上市長並びに秋葉前市長のゴータマ・ブッダ国際平和賞という、実は、第1回目のこれは授与式でしたけれども、5年に1回与えられるというふうに聞いておりますが、非常に多くの団体、個人がノミネートされておりまして、その中で厳格な審査をされた結果、満場一致でお2人が選ばれたということをお聞きしまして、選考経過をお聞きしまして、非常にうれしく思いました。「長崎を最後の被爆地に!」というふうに叫び続けてきました我々としましても、やはり世界を舞台に平和市長会議の重要な役割を担っておられるお2人が、創設されたそういう国際平和賞を受賞されたことを本当に喜んでいます。

同時に、開催されることになっておりました原爆展、これは翌18日に、トリブバン大学で行われたわけですけれど、そこのオープニングの中で、私も被爆者として、我々の思いと、それから、役割、そういうものを訴えました。

さらに、大統領表敬の際には、この帽子ですが、これは直に大統領からかぶせていただいたわけですけれども、公衆のときには必ずこれをかぶりなさいということでしたけれども、実は、同じように、これは何と言うんですか、レイですね、こういうものをかけていただきまして、また、女性は特別にこういうものをかけていただいて、そして、大統領からは、この感謝状をいただきました。その中身は読めなかったんですけれども、こういうふうに書かれておりまして、私と井黒、2人が直々に大統領からこういうものをいただきまして、持ち帰りました。

さらに、首相からも同じようにこの帽子をまたいただきまして、これも向こうでは礼式に沿ったものではないかなと思っております。

あそこは世界遺産のるつぼとも言えるところですけれども、特に、シャカの生誕地と言われておるルンビニにつきましては、非常に広大な整備計画がなされておりまして、その基本的な計画を丹下健三さんが担当されているそうでございまして、その中に、既にマヤ堂ができておりますが、計画に基づいて、いろいろな寺院とか宗教施設だけではなく、周辺の各種関連施設、ホテルなども計画の中に入れられて整備されているという状況でした。

非常にネパールの人々の平和に対する願いといいますか、そういうものが手に取るように、私たちにも伝わってまいりまして、非常に精神性の高い民族ではないかなというふうに実感してきたところです。かなり長崎を知っている人たちもいらっしゃいましたし、できれば、国同士ということよりも、長崎とネパールとの民間の交流もできるように、その接点をきちんと大切にできればというふうに思って帰ってきたところです。市長に同行させていただいて、一定の役割を被爆者として果たすことができたのではないかなというふうに、満足して帰っています。皆さん、本当にお世話になりました。

井黒 キヨミ氏
私は、子どもの時から、おシャカさんはインドの奥の大きな山のふもとでお生まれになったということを聞いて育ちましたけど、初めて訪れる機会を得まして、本当にこんな幸せなことはありませんでした。高山地帯と聞いておったものですから、酸素ボンベなんかどんなするとやろうかねと心配していました。でも、そんなとは全然関係なく、市長さんたちと一緒に行動できました。向こうの方たちもとても親切によく接してくれましたので、うれしいばかりでした。

原爆のことも、大学生たちに私の体験談を話したとき、もう戦争は絶対いやだと、おろかな戦争はしない、平和な国を築きましょうと、皆さん、一緒に頑張りましょうということを話してまいりました。大学生たちは真剣に話を聞いてくれました。本当によかったと思います。

前田 敏博氏
私は、長崎県宗教者懇話会の協力会員であり、釈尊鑽迎会、おシャカ様をお祭りする会にも入っております。それで、市長さんが今回、ゴータマ・ブッダ平和賞をいただかれるということで、これはぜひおシャカ様のお誕生日ですね、日本では4月8日となっておりますけど、東南アジアとかネパールあたりは5月17日がおシャカ様のお誕生日で、その日に平和賞受賞されたもんですから、ぜひ参加して、一緒に喜びを分かち合いたいなと思って参加しました。

そして、今、井原先生がおっしゃったように、向こうのネパールの方も、内戦が結構続いておりましたけど、その関係で、やっぱり平和については熱心に話す方がいらっしゃいまして、それと、「長崎を最後の被爆地に!」ということで、やっぱりこの平和に関しては皆さん一緒だと思います。ともにネパールの方々と日本の方々と一緒になって、国際核なき恒久平和といいますか、これを願いたいと思っております。

以上です。

児玉 保子氏
私は、光源寺の法務員をさせていただいております。今回参加させていただいたきっかけは、実は、光源寺の前住職、楠達也さんが、2月8日の長崎新聞に、市長さんが第1回ゴータマ・ブッダ国際平和賞の受賞式の出席を要請されたという新聞記事が載っておりまして、それを見られた前住職さんがもう絶対行きたいという願いを起こされまして、宗教会とか、私たちお寺の門徒にも声をかけて、行きましょうと言ってくださったんです。でも、ちょうど今、宗教会では、親鸞聖人の750回大遠忌とか、法然上人の800回大遠忌とか、そういうので、どこのお寺様も忙しくて、参加者がいなくて、もう自分一人でも行くという決意でおられたんです。ところが、直前になられてけがをされまして行けなくなったんですね。私はネパールに一度行ったことがありまして、仏跡参拝とか、インドにも行ったことがありますが、前住職さんは毎年仏跡に行っておられるんです。その念願というか、そういう気持ちが強かったのは、実は、昭和29年の4月に、故ネール首相から長崎市に、長崎原爆被爆者と、世界人類恒久平和のために、おシャカ様の骨の一部、仏舎利をいただいているんですね。その仏舎利が、前住職さんが長崎仏教会の連合会長、仏教会の会長をしておられて、その会長さんのお寺で代々保管されているわけなんですね。あと1年の任期があるわけですけれども、その任期の間に何とかこの仏舎利を皆さん、祈りの場にしたいという願いが強くて、ぜひとも参加したいという希望があられたわけです。それで、急遽けがをされまして行けなくなったものですから、私がかわりに参加させていただこうと思って参加した次第です。

実は本当に今回不思議なご縁をいただきまして、ネパールに行ったときに、日本人の経営するホテルのすぐそばに、日本山妙法寺というお寺がありまして、そこに早朝お参りに誘われましたが、行かれませんかと、どうですかと市長さんから声かけてくださいました。私、即、行きますと言って、お参りさせていただきました。5時半ぐらいですかね。自転車でお参りさせていただいたんですけど、その後、そこの住職様が、実は、1年に1度、お祭りの日だけに、仏舎利を皆さんにご開帳しておりますといって、懐中電灯を持ってこられて、仏舎利を見せてくださったんです。昭和の初めに長崎に仏舎利を持って行きましたとおっしゃったんですね。昭和何年でしょうかと言ったら、昭和29年4月ですとおっしゃった。まあその仏舎利を見せていただいたら、現在、光源寺で仏舎利が安置されてますが、その仏舎利と全く一致いたしまして、不思議なことだなと思いました。何か、インドは、ネパールでも、物質的には恵まれないと思われる面もありますけど、それは私たちの偏見だと思いまして、子どもさんたちの目というのは澄んでいて、物はなくても心は豊か、その与えられた場所で、すごく豊かに明るく生きていらっしゃるという姿を見せていただきました。

それと、私がもう一つ不思議なものをいただいたのは、実は、ネパールの、チベット仏教の方が日本に来られて、そして、浄土真宗のお坊さんになられて、そして、ネパールのカトマンズに、ネパール本願寺というのを開かれているんですね。そのお寺にも、私、個人的に行かせていただいてお参りさせていただいたんですね。それは、こういう写真なんですけれども、これはおシャカ様がお住まいになったお城の跡ですね。こちらが、ネパールの青年が、ネパール、カトマンズで本願寺を建てられたというところにお参りさせていただきました。そういう不思議な、不思議なご縁をいただきまして、今回、市長さんとご一緒できて、市長さんが受賞されるときに、長崎の私たちが行かせていただいて、長崎市民としてとてもうれしかったです。ありがとうございました。

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質疑応答

ネパール連邦民主共和国の訪問について

記者(NCC)
具体的には、ネパールの方々をお招きする予定とかは、特段、今後、交流するということですが。

田上市長
そうですね、ネパールからは毎年留学生の方たちも来られたりしているようですので、特に、先ほどちょっとお話ししたカドガ・K.Cさん、長大卒業されて、向こうで准教授をされている方の弟さんなんかもこちらに今いらっしゃるという状況もありますし、こちらでこういったもののご報告も含めて、何かネパールのことを少し知っていただくような、何かそういう機会というのも、また今回一緒にネパールに行った皆さんとも話しながら、設けてみたいというふうに思っています。ネパールのこともやっぱりほとんど知られていないというか、実際行ってみてわかることが非常に多かったという意味でも、報告を兼ねて、ネパールの紹介する機会を設けたいなと思っています。

記者(朝日新聞)
ネパールの方々というのは、長崎とか原爆のことについてどの程度の知識というものを。やっぱり原爆展でパネルとか見るというのは初めてだったんですか。その辺は。

田上市長
昨年、原爆展を、広島出身の女性の方を中心に開催されていて、今回それに引き続き、2年続けてという形なんですけど、もちろん展示の内容は違いますので、それと、今回はこういった賞の創設されたのを受けてという形で、広島・長崎がということですので、少し意味合いはまた違うかもしれませんけれども、基本的に、原爆が落ちたということ、広島・長崎ってことについてはご存じの方が多いんだろうというふうに思いますけど、やはり詳しいこととなるとご存じない方が多いと思いますし、その意味でも、今回、井原さん、井黒さん、行っていただいて、お話をしていただいたり会っていただいたりしたこと、特に、会われて、非常に喜ばれる方たちがたくさんいらっしゃいましたし、お声をかける方たちがいらっしゃったという様子を見るにつけても、やはり今回のは今回ので、また一つ、大きな知っていただくきっかけになったのではないかと思います。

井原 東洋一氏
広島の出身の方で、15年前に、女性の方ですけれども、単身、右も左もわからないというふうにおっしゃっていましたけれども、もう向こうにすっかり慣れておられて、先ほどの大学の日本語の講師をしておられるさかもとさんという方がいらして、2回原爆展を開いておられるんです。ただ、それは、本人が持っている写真、本人がおばあちゃんから受け継いでおられる写真で、広島のことだけです。長崎の原爆写真は全くなかったそうです。いろいろ努力されて、去年は大使公邸で原爆展を開くことができたということでした。今回、長崎を含む、広島と長崎の写真パネル約20枚でしたけれども、これはやはり衝撃的なことがあったのではないかと思いますね。ぜひそれを、長崎のものも自分たちで企画をして展示をしたいとおっしゃっていまして、私たち2人は、特に大学生との交流の場に呼ばれまして、再度、20数名の大学生が来ていましたけれども、これは、日本語が大体わかる大学生の皆さんでしたけれども、熱心に質問がありました。ぜひ、平和の担い手になってほしいということをこっちも訴えまして、長崎にも来ていただくように申し上げておきましたけれども、こういう芽が、広島だけでなくて、長崎も原爆被爆者だったんだということを理解していただいたんじゃないかなと思います。

田上市長
今回の写真展の資料は、ミニミニ原爆展で使っている20枚組みの資料なんですけれども、井原さんと先ほどお話の中で、妙法寺のさとう住職さんとのお話の中で、それを残していくということになって、向こうの方でまた、お寺の方で、いろんな形で展示をしてくださることになると思いますので、その意味でも、また知っていただく方は今後ふえてくるんではないかなと思います。

記者(NIB)
田上市長、すみません、ちょっと後先になってしまいましたが、今回、平和賞の方、受賞された率直なお気持ちというか、喜びのお気持ちと、実際にその場でスピーチもされていらっしゃると思うんですが、どのようなことを向こうで発信してこられたのか、その辺をお聞かせいただいてよろしいでしょうか。

田上市長
今、世界に向けてという意味でいうと、私たちが活動している柱の一つは、ネットワークを広げていく、まさに、国、核兵器保有国を含めた国を、包囲網をつくっていこうというのが大きな取り組みだというふうに思っています。昨年のNPT再検討会議でも、NGOとの連携、市民との連携、それから、国民との連携を深めることで、条約をつくるのはどうしても国の仕事になりますので、その国を動かしていくためにも、そうやってネットワークで包囲網をつくっていこうということで動いてきたわけですけれども、今回は、国が、2つの都市に、こういう活動を認めて賞をくださったということで、そことのネットワークがまた一つできたということの意義は非常に大きいと思います。これからも、今回は、特に、木村所長が、国連アジア太平洋平和軍縮センターの本部がカトマンズにあるということで、最初から最後までいろいろ一緒に活動してくださったり、それから、事前の準備も相当力を入れてしてくださいましたので、そういう意味では国連ともつながった活動ができたので、これは非常に有意義であったというふうに思います。
それから、スピーチでは、決して核兵器の問題というのは広島・長崎の問題でもなければ、遠い過去の問題でもない、今起きている私たち全体の問題なんだということを一つお伝えしたこと、核兵器がいかに非人道的であるか、今回、東日本大震災の件も皆さんご存じですので、そのことも例に出しながら、正しい放射線に対する知識を得ること、そして、核兵器がいかに非人道的であるかということを知っていただきたいということを強く申し上げました。
以上です。

記者(長崎新聞)
すみません、井原さん、被爆体験を話されたときに、大学生から具体的にどんな質問が出たのかというをお聞きしたいのですけれども。

井原 東洋一氏
まず、原爆といっても、広島と長崎の原爆は違いますよと、ウランとプルトニウムという違いがありますよということについてもよく知らなかったですね。その惨状について、やはり、書物は読んだことはあるのかもわかりませんけれども、やはり一発の原爆で、7万数千人の人、およそ15万人の人が死傷したということについても、本当に驚きの目になっていました。特に、北の方は中国、南、東西はインドに囲まれている、いずれも原爆を持っている国に囲まれている国だけに、やはり内心では、原爆というものについての潜在的な恐ろしさというものは持っていたと思うんですね。特に、次代を担っていく大学生ですから、知識レベルも高いわけで、一方的に聞くところが多かったんですけど、質問についてもびっくりしているような状況がありありとしていまして、写真展も若干見た後だったと思いますけれども、初めて聞く話みたいな、そういう印象でした。ぜひ一度長崎に、機会を見て留学でもしてくださいと、2、3人に声をかけたんですけど、待ってるよと声かけたんですけれども、もちろんなかなか容易なことではないと思いますが、やはり実際にもう少し原爆資料館などを見ていただければ、もっと反応といいますか、恐ろしさみたいなものは広がるのではないかと思いますが。

田上市長
実際には、今、なかなか日本には来にくいんじゃないかというお話があったんですけれども、内戦が12年ぐらい続いて、そこからまだ傷が完全に癒えていなくて、今も憲法をまだ制定できていないと、昨年の5月までが締め切りだったんだけれどもつくれなくて、ことしの5月まで伸ばしたけれども、またこれもつくれないんじゃないかという状況の中で、カトマンズとか、私たちが行った市でも、平和市長会議の話を、ぜひ加盟の呼びかけをしてほしいと大統領に申し上げたときも、実は、市長がまだいないんですという状況なんですね。ですから、そういう意味では、どうやって国を救っていこう、復興していくのかということに非常に熱心に取り組んでおられる。ですから、あちこちで表敬訪問のときも、やはり幹部の方たちからそういった質問が出たりするんですけれども、そういう国がこうやって、方向として平和の国を目指すんだということでこういう賞を創設された、そして、5年に1回とおっしゃってましたけども、こういった形でつながれる人たちに賞を広げていこうと活動しておられること自体が本当に敬意を表したいといいますか、そこからスタートをしようとしておられることはすばらしい活動だというふうに思いました。

記者(共同通信)
賞金は、お2人で5万ドルだったと思うんですけど、それはどういうふうにされるご予定ですか。

田上市長
使い方ですか。いろいろ向こうでも秋葉さんともお話をしたんですけれども、まだ、これにということは決まっていないんですけれども、例えば、平和構築のための何か活動であったり、あるいは、ネパールにつながる活動であったり、何かそういった方法を考えたいというふうに思っています。

市長発表

長崎市包括ケアまちんなかラウンジの開設について

田上市長
まず、私の方から、「長崎市包括ケアまちんなかラウンジの開設」についてお話をさせていただきたいと思います。
長崎市では、医療と介護・福祉の相談窓口として、「長崎市包括ケアまちんなかラウンジ」を開設します。これは、従来、長崎市医師会の方で、国のがん対策のモデル事業として「長崎がん相談支援センター」を設置し、市民からの緩和ケアに関する相談ですとか、在宅医療に向けた支援などの活動を行ってこられました。この事業が平成22年度末で終了したため、平成23年度からは、長崎市が事業主体となり、がんや難病などによって療養を余儀なくされた患者の皆さんや、そのご家族の皆さんが安心してその療養の場を選択し、生活ができるように、これまで医師会が行ってきた「医療支援機能」に加えまして、新たに、介護・福祉の相談等の「包括的支援機能」をあわせ持つ総合相談窓口を設置するとともに、市民の皆さんに緩和ケアや在宅医療に関する普及啓発等の事業を実施しようとするもので、運営につきましては、長崎市医師会に委託をすることにしているものです。
設置場所は、江戸町センタービル2階です。相談業務につきましては、平成23年、ことしの6月6日月曜日の午前9時から開始をします。開設時間は、月曜日から金曜日までは午前9時から午後5時まで、土曜日は午前9時から正午までとなっています。
なお、6月14日の火曜日、午後1時30分から、開設記念式を行いたいと考えております。
詳細については、お配りしている資料をごらんいただければと思います。
私からは以上です。

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質疑応答

長崎市包括ケアまちんなかラウンジの開設について

記者(毎日新聞)
すみません、毎日新聞ですが、市長にお伺いしたいんですけれども、どうしてこの場所に、包括ケアができるようなラウンジをつくろうと思われたんでしょうか。

田上市長
この場所というところから先に話しますと、いわゆる皆さんが来やすいところにということで、中心部に置きたいというところから場所の選定を進めてきたんですけれども、その中で、実は当初予定していたところが、つい先日また新しいところに変わって、最終的にこの江戸町センタービルに確定をしたという状況です。皆さんがとにかく来やすい、交通、バス、電車、いろんな形で来やすいところ、あるいは仕事帰りですとか、来やすい形の場所を選んだということです。
なぜという部分でいいますと、先ほど申し上げました、長崎市医師会ががん対策のモデル事業として進めてきた事業というのは、緩和ケア、一つはがんの痛みを緩和する緩和ケアですね、今、非常に重要視されていますけども、それともう一つは、在宅医療ですね、実際は、がんになった方たちも自宅に帰りたい、自宅で過ごしたいという方たちが多いんだけども、いろんなことを考えると、なかなか自宅では無理だということであきらめておられる方たちがおられるということで、しかも、長崎は、その率が、自宅で亡くなられる方の率が低いということがあって、医師会の方でも取り組んでこられて、それが少しずつ高くなってきているという状況があるんですけれども、実際にがんになられて、ご本人であったり、ご家族の皆さんが、じゃどうすればいいんだろう、がんになって、自宅で急変したらどうすればいいんだろうとか、家族はどういうふうに対応すればいいんだろうと、お医者さんはどこにいらっしゃるんだろうとか、そういったこと、たくさん疑問があると思うんですね。そういったことをしっかり相談に乗ってくれて、お世話をしてくださるノウハウが、このモデル事業を通じて長崎にできてきましたので、これを、この時点で終わらせるということは、非常に長崎全体にとって大きなマイナスになるということで、これを何とか引き継ぎましょう、つなぎましょうということで、医師会と相談をさせていただいたという経緯があります。その中で、特に、今、カルテの共有であったりとか、電子カルテのような形で、いろんな形で、ネットワークで医療を進めていく、大きな病院からかかりつけのお医者さんまで、いろいろな形で情報を共有しながら患者さんを診ていくという仕組みとかも、長崎は非常に進んできていますので、そういった長崎が持っている医療資源、お医者さんもたくさんおられると、在宅に取り組んでおられるお医者さんもおられるという、そういう医療資源をしっかり生かした、長崎ならではの医療のあり方というのができるのではないかということで、今回、医師会の皆さんとのお話し合いの中でこのシステムをつくらせていただくということになりました。特に、医療と、このまた介護・福祉はつながっていますので、その意味でも、今回はそれをつなげる新しい試みをしようということで、包括支援機能もあわせ持って、そのことで総合相談窓口として、ワンストップで機能できるような場所にしようということです。
実際スタートしてみて、どんな形でどれくらい皆さんがいらっしゃるのか、あるいは、どういった形でした方が使いやすいのかとかいった、恐らく、いろんな、スタートしたときに課題がまた見つかると思いますので、そのときまた修正をかけながら、進化をさせていきたいというふうに思っています。

記者(朝日新聞)
これは、基本的には、相談しにこちらに伺ってという形になるわけですよね。

田上市長
そうですね。

記者(朝日新聞)
対応するのはどなたになるんですか。何人、どんな態勢なんですか。医師なんですか。それとも、どんな方たちが何人で対応されるんですか。

地域保健課長
専門の方、看護師さんですとか、そういう専門の方が3人の体制で、実際に相談窓口で対応します。

記者(朝日新聞)
全員看護師なんですか、3人。

地域保健課長
今のところは、看護師が2人と社会福祉士1人ということで考えていますが、それ以外に、職種が途中変わってくるということはあると思います。とにかく、そういう専門的な方ということで考えています。

田上市長
実際、診察をするわけじゃないので。

記者(NIB)
すみません、ちょっと重複をするかもしれませんが、その新しい取り組みとして、選挙のときなども市民の皆さんにはお伝えしたかと思うんですけれども、こういう新しい取り組みをすることの意義といいますか、どういう役割を今後担ってほしいということは、どのようにその辺はお考えなんでしょうか。

田上市長
実際にどういうところに、今、暮らしの仕方がずっと変わっていく中で、例えば、一人暮らしが多くなったりですとか、あるいは、こうやって、実際にがんになって自宅で何とか最後まで過ごしたいと思っていらっしゃる方がいるんだけれども、実際にそれを受け入れる受け皿がなかなかなかったり、あるいは、あるんだけども、そことそういう方たちがつながってなかったりといったような、そういった課題を社会の中に見つけていって、それをどうやったら、どういう仕組みをつくったら解決できるだろうということで、仕組みをつくる、そして、新しい仕組みなので、最初からうまくいかないかもしれないけども、それをやってみるということに取り組むのが非常に今、大事な時代にきているというふうに思っています。その意味で、医師会の皆さんが、まさにその取っかかりの非常に大事な部分を、これまで3年間かけて取り組んでこられているんですね。そこでいろいろな財産が生まれて、実際に在宅の方たちの割合がふえたり、あるいは、お医者さんたちのノウハウも高まったり、ネットワークができてきたりしているという状況があって、それは、非常に長崎にとって財産であって、また、強みにもなってきているだろうと思うんですね。そういうものをしっかり、長崎が持っている資産、資源といいますか、強みを生かして、社会の問題を解決する仕組みをつくっていくということの一つの、これは事例だというふうに思っています。これから、そういう新しい仕組みであったりとか、何か課題を見つけるところから、今までやってきたやり方でずれてないんだろうかということを、課題を見つけるところからそうやって進めていくというやり方が非常に必要な時代になってきているという意味では、これは一つの事例になるのかなというふうに思っています。

記者(NCC)
すみません、在宅で亡くなる方の率が上がった、例えば、何%から何%まで上がったみたいなものがあるんですか。

地域保健課長
2008年から医師会の方ががん相談支援センターを立ち上げていますけれども、例えば、その前の年、2007年が、長崎での在宅での数字が8.9%というところが、2年後の2009年が10.1%まで上がっています。

記者(NCC)
これを設置することで、例えば、それを何%にまで上げたいみたいな、何か目標的なものとかがあるんでしょうか。

田上市長
そこは、非常にまた難しいところがあって、果たしてそれがずっと上がっていくのがいいのかどうかということも含めて、いろいろ医師会の先生方も、いろんな状況がありますので、試行錯誤しながら進めていただいています。単純に、それが目標どうこう。
どうなんですかね。先生方、そういう数字としては多分持ってないですね。ただ少しずつ上げていくという。

地域保健課長
はい、今のところ、具体的には上がっていないんですけれども、やはりこれをどんどん伸ばしていきたいというお考えで、医師会の先生方も考えておられます。

田上市長
もちろん、自宅じゃない方がいいと望まれる方もいらっしゃると思うんで、そこはどこが目標値なのかということは非常に難しいところですね。

記者(NCC)
上がって10.1%でも全国平均から見れば低いわけですかね。

地域保健課長
先ほど、2009年が、長崎が10.1%と申し上げましたが、そのときの全国的な平均としましては12.4%ということで、やはり若干まだ低いということですね。

記者(毎日新聞)
低いのは、長崎は斜面が多いという理由ですか。それとも、医療機関とか、受け入れる施設が少ないのが原因なんですか。

保健所長
もともとが、医療ベッド数というのが地域偏在がございまして、どちらかというと、長崎はベッド数が多い地域でございます。この全国平均をとりましたら、どうしても病院死というのがふえてくるんだろうと思います。もう一つ、考えられますのは、長崎というのは住宅事情が本当にあまりよくございません。その辺の兼ね合わせというのが推定されますけれども、本当の答えがどこにあるのかというのはよくわかりません。
もう一つ、この答えといいますのは、この数字と申しますのは、総務省に対して、この研究班が独自に調査した数字でございますので、今後とも出てくる数字じゃないわけなんですね。この辺がちょっと難しいのかなと、要するに、事業評価には使いにくい部分があるんじゃないのかなと考えています。

記者(毎日新聞)
新規事業でもともとこれってあったんですか。それとも、マニフェストになっていたんですか。

田上市長
あれにも載せていたと思いますけども、予算的には当初予算で上げています。

記者(長崎新聞)
事業費はどのくらいなんですか。

地域保健課長
3,610万9,000円です。

2010年オリンピック招致断念について

記者(NCC)
まず、広島のオリンピック招致断念なんですが、長崎市として今後、準備室とか設けられていたかと思うんですが、長崎市としての対応は、今後、断念を受けて、何かあるんですか。

田上市長
長崎市は準備室も設けてなくて、ちょうど1年ちょっと前に、長崎市は降りると、断念した時点から、特に担当ということはないんですけれども、この間、一昨年の秋に検討したいということで、広島と長崎で始めた事業であって、また、その中で、長崎市はもともと単独開催というのは考えてませんでしたので、ですから、長崎は降りて、広島が開催について引き続き検討するということになった時点で、応援団という立場になったわけですけども、実際検討会、先日も広島で最後の検討会がありましたけれども、200以上の自治体が応援団として検討委員、応援委員として参加をしてくれているという中で進んできた委員会ですので、そういう意味では、今回、こういった動きがあったということは、皆さんが平和に向けての思いがあって集まった自治体の皆さんですので、そのネットワークといいますか、あるいは、そういった動きについては、何らか次につながるような形にしたいというふうに思っています。その意味で、先日、広島で申し上げたんですけれども、平和市長会議であったり、あるいは、昨日長崎で総会がありました非核自治体宣言協議会への加入であったり、あるいはそこでの活動であったりということに、ぜひ今後活発に参加をしていただきたいということをお願いしてきました。

アメリカ合衆国新型の核性能実験について

記者(KTN)
お伺いしたいんですけれども、アメリカが新しいタイプの核実験を行ったことに対して、今日も平和団体が座り込みをしているんですけれども、改めて、市長の見解をお伺いしたいんですが。

田上市長
オバマ大統領が核兵器のない世界を目指すということをプラハで宣言されてから、核兵器のない世界というのをゴールにして、そこに近づこうという動きが幾つか具体的に出てきていて、その流れが少しずつ進んでいる中で、こういった核実験が起きるというのは、その流れに、ある意味では非常に竿をさすもので、それについてしっかり歩を進めるように、そういう逆行するようなことをしないでほしいということを、抗議文の中でもそういった思いを込めて申し上げたわけですけれども、特に、これが新しい核兵器の開発につながるといったような要素があるということであれば、さらにそれは被爆地としても当然容認することはできないものだというふうに思います。

記者(KTN)
日本政府が、特に、それに対して抗議をしていないことに対しては、被爆地の市長としてはどういうふうに思っておられますか。

田上市長
日本政府はこれまでも特にしていないと思いますけども、被爆地としてはそういったことをしっかり申し上げたいと思いますし、また、あわせて、いろんな県内の自治体も含めて、そういう声を発していることについては心強く思います。

福島原発の問題及びエネルギー政策の見直しについて

記者(KTN)
福島原発に関連したことで伺いたいんですけれども、第一原発の場合、30キロが避難区域に指定されているということで、九州の北部でいうと玄海原発がありますけれども、それが30キロとなった場合に佐世保も入ってくるということで、かなり態勢を見直さなければいけないというふうに今、なってきているんですが、それは、この話、被爆県、被爆地の市長として、そういうふうな今の現状というのは、どういうふうに考えてらっしゃいますか。かなり県北はやっぱり危機感を感じ始めて、そういう対応も見直していかないといけないというところまで来ているんですが。

田上市長
それについては、玄海に限らず、日本にある原子力発電所の近くにいらっしゃる皆さんは、あるいは10キロに入っていない、けど、30キロに入っているという地域の皆さんは特に共通に感じている部分だというふうにも思います。その意味では、どういった形で見直しをかけるのか、あるいは、住民の皆さんにそれをどういうふうに説明をしていくのかといったことは、ぜひしっかりとやっていただきたいというふうに思いますし、私たちの場合は、そういう意味でいうと、直接その圏内に入っているわけではないんですけれども、そういったことが起きた場合に、協力し合うといいますか、そういった態勢は常に周辺の自治体、今回の福島もそうですけれども、30キロには入ってないけれども、そういったところが実際に受け入れ先になっているという事例はたくさんありますので、そういう意味では、そういった協力関係といいますか、というのは想定しておく必要があるというふうに思っています。

記者(KTN)
広島の松井市長がいらっしゃったときに、松井市長は、エネルギー政策の見直しというのを国に訴えるという立場で、ここでも発言をされたんですけれども、田上市長は、改めて、それに対してはどういう見解でいらっしゃいますか。そのエネルギー政策の見直しも含めて、核の利用ということに関してはどういうふうに。

田上市長
エネルギー政策の見直しに関しては、本当にさまざまな要素を勘案する必要がある。例えば、今回、原子力発電所については、例えば、コストが安かったり、あるいは環境にいいと言われていた部分が、今回の事故一つで、コスト的に非常に莫大なコストがかかったり、あるいは、環境についても汚染する部分が出てきたりということで、それが本当にそうなのかということが出てきていますよね。それから、例えば、安全を制御するために万全の方策がとられていたのかといったことについてもいろんな疑問が出てくるかもしれない。そういったことも含めて、あるいは、これが、例えば、今、総理も核エネルギー政策の見直しを言われていますけれども、原発の割合を減らしていこうという形になったときに、では、それがどれぐらいのどういうスケジュールで減らしていくのか。そのときに、どういった間、電力を賄っていくのか、あるいは、その間の産業が必要なエネルギーをどうやって賄っていくのか、あるいは、私たちの生活にそれがどれくらい影響してくるのかといったことなどを、全体を見ていく中でエネルギー政策をつくって行く必要がある。私が、先日申し上げたかったのは、そういったことを、やはり国民的な議論といいますか、国民も一緒にそれを理解して議論する中で、次の社会、こういう形で私たちは電力を賄っていく社会をつくろうということに参画をしていけると思うんですね。だれかが決めてくれてということではなくて、そういう意味で、今回、エネルギーについて、あるいは、私たちが暮らす社会のこれからのあり様といいますか、そういったことについて考える機会にしなければならないと思いますし、もちろんエネルギー政策自体は、これは国の仕事であることに論を待たないわけですけれども、それだけではなくて、社会全体で考えていく契機にしなければならないというふうに思います。

記者(KTN)
国が見直しと言っていることに対しては、そうだというふうなことですか。

田上市長
そうです。

政務調査費に係る住民監査請求の見解及び国家公務員給与削減の影響について

記者(時事通信)
すみません、時事通信なんですが、2点お伺いします。
3月末に監査委員が、政務調査費の問題で、5月末までに返還を請求しなさいという話があったかと思います。もうすぐ5月末ですが、その点についてお伺いしたいと思います。
それと、もう1件、国が公務員の給料を10、8、5というようなことで、段階的に削減をしますと、連合系とはもう交渉がほぼ妥結しました。それに追随するような可能性が、長崎市役所はあるかどうか、その2点について教えてください。

田上市長
政務調査費については、5月31日までにと、先ほどのお話なんですけれども、基本的に、今、政務調査費についての考え方そのものが、時代の変化の中で変わってきていますよということが監査委員から指摘されたというふうに思っています。それは受け入れざるを得ないというふうに思っていますし、その中で、実際には平成18年に包括外部監査で一たん指摘があって、そこで政務調査費の運用マニュアルをつくって、それに基づいて議会でもずっと運用するようにということで努力はされてきたと思うんですね。ただ、そのマニュアルも含めた政務調査費全体に対する考え方そのものが変わってきているよというふうなことが、今回の指摘だと思います。その意味で、また全体を見直すときに来ているというふうに思っていますし、今回の場合については、議会の方でも自主的な返納をというような考え方を示されている議員さんもいらっしゃいますので、その状況を待って、5月31日に、返還命令というんですかね、を出すことになるというふうに思っています。

公務員給与の件については、これはもともと民主党マニフェストの、人件費2割削減というところからスタートして、今回、東日本の大震災を受けてという形で、流れが進んできた形ですので、その意味では、国の財政も含めたあり方という中での今回の一つの対応だというふうに思っています。地方は地方で、行革を進めることはもちろんですし、それから、被災地への支援についても、地方として何ができるかということを考えながら取り組んでいるということで、これは2つつながっている流れではない、ですから、すぐ同じ流れで、国と地方も同じだということではないというふうに思っています。ただ、今回、国の方の流れがどういうふうになっていくのかということについては、私たちも注視をしていきたいというふうに思っています。

「第1回ゴータマ・ブッダ国際平和賞」の賞金の取り扱いについて

記者(朝日新聞)
先ほどの質問でもあったんですが、例の賞金の件なんですけど、先ほどは、平和構築だとか、ネパールにつながる活動にと、まだそんなに決まっているもんじゃないという話でしたが、もう少しお話しいただけると、どの程度で、いつごろまでとか、もう少しさっき言った内容を何か説明いただけることがあれば。

田上市長
あまり言うと確定的な形になったりとか、あるいは、何か期待みたいなものになったりするとあまりよくないなというふうに思っているんですけど、いずれにしても、個人でいただいたというものではありませんので、もともとの趣旨に沿った形、例えば、ネパールの分についても、一つの案として、今回、これが決定でもないし、これから、全く白紙という中での単なるアイデアというふうに思ってお聞きいただくとありがたいんですけれども、例えば、まだ学校に行けていない子どもたちがたくさんおられて、長崎からも実はライオンズクラブなんかが支援をして、先ほど申し上げたカドガさんという長大出身の方の出身地に小学校をつくったりしておられるんですね。広島が、その後中学校をつくる応援をしたりしているんですけれども、学校が足りないという状況というのはあちこちにあるようですので、そういったものをつくる何か手助けにならないかとか、教育というのは、長崎が常に言っているように、平和の基礎になる、平和につながるものですので、その意味でも、そういった使い方もあるのかなというふうに思っていますけども、最終的には、もう少しいろんなアイデアを出す中で決定していきたいというふうに思っています。

記者(朝日新聞)
それは、秋葉さんと一緒に何かやる、それとも、別に。

田上市長
そこも、ネパールで話したときには、最終的なところまで、結論まで行かなかったので、一緒になるかもしれないし、別々になるかもしれないです。

記者(朝日新聞)
いずれにしろ、何らかの、個人でもらったわけではないので、何らかの形でという。

田上市長
そうですね、平和につながる形のものに使うことになるというふうに思います。

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