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長崎原爆遺跡

更新日:2021年10月28日 ページID:030558

長崎原爆遺跡

(ながさきげんばくいせき)

国指定史跡

指定年月日 平成28年10月3日

所在地 長崎市松山町、城山町 本尾町、坂本1丁目

昭和20年(1945)8月9日長崎に投下された原子爆弾の被害を伝える遺跡である。爆心地、被爆校舎である旧城山(しろやま)国民学校校舎、崖下の小川に滑落した浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)旧鐘楼、爆風により傾いた旧長崎医科大学門柱、爆風で一本柱となった山王神社(さんのうじんじゃ)二の鳥居からなる。
爆心地
爆心地は原爆がさく裂した空中点の直下にあたる。原子爆弾はこの地のこの地の上空約500メートルで炸裂し、長崎市街は南北約5キロメートル、東西約2キロメートルの範囲で全壊または全焼した。爆心地は、昭和23年(1948)に初代平和宣言の舞台となり、その後爆心地公園となっており、公園内には原爆による破壊力を示す遺構として被爆当時の地層が残されている。
旧城山国民学校校舎
旧城山国民学校校舎は、爆心地から西へ約500メートルの位置にある。鉄筋コンクリートの建物で、原爆により大きく破壊された。被爆校舎として保存された階段等が内装を設置するため軀体コンクリートに埋め込まれていた木煉瓦が原爆により焼損したまま残っている。
浦上天主堂旧鐘楼
浦上天主堂旧鐘楼は爆心地から北東へ約500メートルの位置にある。大正14年(1925)完成の天主堂の双塔の上にあったもので、原爆の日の夜、天主堂北側の崖下の小川まで滑落したものと考えられている。原爆により天主堂はわずかな堂壁を残して倒壊し、現在、旧鐘楼は原爆で生じた瓦礫に埋まっている。
長崎医科大学門柱
旧長崎医科大学門柱は爆心地の南東約700メートルの位置にある。二本の石製の門柱のうち、正面向かって左側の門柱は爆風により9センチメートルずれ、傾いたまま立っている。
山王神社二の鳥居
山王神社二の鳥居は、爆心地から南東約800メートルに位置する山王神社二の鳥居である。被爆の際に、爆心地方向の柱は爆風によって倒れたが、反対側の柱は一本柱になったまま自立している。鳥居手前の階段や灯籠の下部の石材も被爆当時のままである。
※長崎原爆資料館HP(国指定史跡長崎原爆遺跡のページ) http://nagasakipeace.jp/japanese/abm/insti/5.html
備考
爆心地 バス 「松山町」・路面電車「平和公園」下車 徒歩1分
旧城山国民学校校舎バス 「松山町」・路面電車「平和公園」 下車 徒歩10分、バス「市民プール前」下車 徒歩3分
浦上天主堂旧鐘楼 バス「浦上天主堂前」「カトリックセンター前」下車 徒歩1分、路面電車「平和公園」下車 徒歩8分
旧長崎医科大学門柱 バス「医学部前」下車 徒歩5分、「浜口町」下車 徒歩10分、路面電車「原爆資料館」下車 徒歩10分
山王神社二の鳥居 バス「坂本町」下車 徒歩3分、路面電車「大学病院」下車 徒歩6分
※各遺跡をクリックすると地図検索します(新しいウィンドウで開きます)

お問い合わせ先

文化観光部 文化財課 

電話番号:095-829-1193

ファックス番号:095-829-1219

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(14階)

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