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福済寺の唐通事潁川(陳)家墓地


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ページID:0001272 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

福済寺の唐通事潁川(陳)家墓地

(ふくさいじのとうつうじえがわけぼち)

市指定史跡

福済寺の唐通事潁川(陳)家墓地

指定年月日 昭和53年8月1日

所在地 長崎市筑後町2番56号 福済寺墓地内

潁川家は陳冲一(ちんちゅういつ)を祖とする唐通事界屈指の名門で、福済寺第一の大檀越であった。
この墓地には、開祖陳沖一の墓碑・二代潁川藤左衛門(葉茂猷)夫妻・四代潁川藤左衛門夫妻・五代潁川藤左衛門夫妻の墓碑が現存する。
原爆の火災で全焼した福済寺は、近代的寺院として再建されたので、馬蹄形(ばていけい)の石壁に囲まれた中国風のこの潁川家墓地と、これに隣る唐僧墓地だけが、その昔、この福済寺が唐寺(とうでら)であったという面影を残している。
また、悟真寺には、陳沖一の子で、潁川家を創設した潁川藤左衛門(陳道隆)の墓が所在している(市指定史跡)。

備考

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路面電車・バス「長崎駅前」下車徒歩10分