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(めがねばし)
指定年月日 昭和35年2月9日
所在地 長崎市魚の町と諏訪町の間
興福寺2代住持唐僧黙子如定(もくすにょじょう)が寛永11年(1634)に架けたと、古来伝承されているが、寛文3年(1663)全市の大火で興福寺一山全焼の災に遭い、市中の諸文書と共に証すべき記録が滅失しているので、一部に異説もある。黙子如定が直接技術指導したのか、募財勧進のみを担当し工人技師が別にいたかも不詳。またこの橋が、正保4年(1647)の大洪水に崩流し、翌慶安元年(1648)重修されたとの旧記があり、この重修が修復か新架かにも説が分かれているが、わが国アーチ構造の草分けであることには変わりがなく、以後、石橋技術の規範とされて全国から注目された。
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