第1章 おいたち
第2章 原子雲の下
第3章 被爆者救護
第4章 如己堂
第5章 この子を残して
第6章 如己愛人
終章
第1章 おいたち
第2章 原子雲の下
第3章 被爆者救護
第4章 如己堂
第5章 この子を残して
第6章 如己愛人
終章
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著作・出版
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第4章 如己堂
執筆中の永井
研究は本業、執筆は趣味と
いう博士。ベッドのまわり
は日用道具と原稿用紙、研
究書や筆、絵の具など手の
届く位置に置かれていた。
床に伏せた博士は、ベッドの中から原爆症の研究と執筆活動に入る。

昭和二十三年春、如己堂が完成した。一面焼け野原となり消えた町は麦畑に変わり、やがてバラックが建ちはじめ人々が浦上に定住し始めるころ、如己堂は浦上の人々や教会の援助により建てられた。

この小さな庵は聖書の一節

「己の如く人を愛せよ」という言葉により如己(にょこ)堂とされた。

このわずか二畳の部屋の中から博士は次々と名作を生み出し、浦上の人々をはげまし続けた。
「ロザリオの鎖」「この子を残して」「生命の河」「長崎の鐘」などの小説や随筆のほかに、絵画、和歌、短歌など次々に発表した。
「この子を残して」は映画化、「長崎の鐘」はレコード化され、戦後の名曲として今に歌い継がれている。
如己堂完成時の姿
数々の名作を生んだ
如己堂完成時の姿

現在の如己堂
現在の如己堂

執筆原稿とスクラップブック
博士が執筆した原稿と
スクラップブック
(永井記念館蔵)

初版本
ガラスケースに
収められた初版本
(永井記念館)

「私の寝ている如己堂は、二畳一間の家である。私の寝台の横に畳が一枚敷いてあるだけ、そこが誠一とカヤノの住居である。」

「神の御栄のために私はうれしくこの家に入った。故里遠く、旅に病むものにとって、この浦上の里人が皆己のごとくに私を愛してくださるのがありがたく、この家を如己堂と名づけ、絶えず感謝の祈りをささげている。」


(永井 隆著「この子を残して」より)

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