第1章 おいたち
第2章 原子雲の下
第3章 被爆者救護
第4章 如己堂
第5章 この子を残して
第6章 如己愛人
終章
第1章 おいたち
第2章 原子雲の下
第3章 被爆者救護
第4章 如己堂
第5章 この子を残して
第6章 如己愛人
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第2章 原子雲の下
太平洋戦争も激しくなり、永井一家も親子離ればなれの暮らしが続く。そして敗戦の時が近づく昭和20年(1945)6月、不調を訴えた博士に余命3年の診断がくだされた。浴び続けたラジウムの放射線に博士の五体は白血病に犯されていた。

しかし、悲劇はこれに止まらず、更にもっと恐ろしい悲劇が襲った。蝉時雨の暑い真夏の1945年8月9日11時2分、世界が真っ白い光りにつつまれ、すさまじい爆風と共に超高熱が走った。米軍機から長崎に原爆が落とされたのである。

博士はこのとき、爆心地からわずか700mしか離れていない長崎医科大学の研究室にいた。あいつぐ空襲で負傷した患者であふれた教室で、自らの白血病と闘いながら診察中の被爆だった。

廃虚の浦上天主堂

被爆した聖ヨハネ像
廃虚の浦上天主堂と
被爆した聖ヨハネ像

昭和23年の浦上原子野風景
昭和23年の浦上原子野風景、
正面は廃虚の浦上天主堂

母緑の墓に祈る誠一と茅乃
母緑の墓に祈る誠一と茅乃

「そこへ不意に落ちてきたのが原子爆弾であった。ピカッと光ったのをラジウム室で私は見た。その瞬間、私の現在が吹き飛ばされたばかりでなく、過去も吹き飛ばされ、未来も壊されてしまった。
見ている目の前でわが愛する学生もろとも一団の炎となった。
わが亡きあとの子供を頼んでおいた妻は、バケツに軽い骨となってわがやの焼け跡から拾わねばならなかった。台所で死んでいた。私自身は慢性の原子病の上にさらに原子爆弾による急性原子病が加わり、右半身の負傷とともに、予定より早く廃人となりはててしまった。」

(永井 隆著「この子を残して」より)

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