文・宮川密義


1.「長崎のよかおなご」
(昭和30年=1955、西岡水朗・作詞、竹岡信幸・作曲、胡 美芳・歌)



長崎出身の作詞家・西岡水朗(にしおかすいろう)(バックナンバー6「古きよき時代を歌う」参照)が長崎言葉を挟みながらコミカルに展開した“長崎美人”の歌。
「あねしゃま」は年上の女性を尊敬して呼ぶときの言葉で、年上でなくてもその人柄が尊敬に値するときにも使うし、その昔、芸者屋の女将もそう呼んでいたようです。長崎らしい上品な表現です。
ここで歌われる女性は“シュロ”“南国育ち”“恋には一途”“熱い情け”〜と大変情熱的なイメージ。しかも、デートの時に食べた?ちゃんぽんの味を思い出し、“すまんばってん恋には一途…”という、おおらかな気質の女性でもあるようです。
なお、西岡水朗はこのレコードの発売半年前の昭和30年4月23日に病気のため他界しました。この作品を作詞した時期は分かりませんが、結果的に遺作となってしまいました。



胡 美芳
(LP表紙から)




2.「長崎の女(ひと)
(昭和38年=1963、たなかゆきを・作詞、林 伊佐緒・作曲、春日八郎・歌)



橋幸夫らの“青春歌謡”を皮切りに“カワイコチャン・ブーム”が全盛を極め、正統派演歌が鳴りを潜めていた昭和38年6月、突然、「長崎の女」が躍り出ました。
春日八郎にとっては、34年の「山の吊橋」以来4年ぶりの大ヒットでしたが、曲調はそれまでの春日演歌とは趣を異にした、流れるような美しいメロディーでした。
蘇鉄の白い花、それに続く赤い実から情熱的な女性を連想させ、一方でサファイア色の瞳とささやくような鐘の音に、エキゾチックな長崎女性のイメージです。
この歌以後、「○○の女」というタイトルの歌が続出していきます。
長崎ものでは「長崎の女(ひと)」(ブルーエコーズ=昭和39年)、「長崎の乙女」(大賀義雄=43年)、「長崎の女の子」(坂本スミ子=43年)、「長崎の女(おんな)」(志ま明子=46年)、「長崎の白いレースの女の子」(相良直美=46年)などがあります。



「長崎の女」のジャケット表紙


3.「女の思案橋」
(昭和49年=1974年、江崎みずほ・作詞、出島ひろし・補作詞、矢野憲一郎・作曲、矢野憲一郎とアローナイツ・歌)



作詞の江崎みずほさんは本名・朋子さん。当時、長崎市の丸山入り口で美容院を経営していました。
店には場所がら、ネオン街で働く女性たちが出がけに髪のセットに訪れます。そのひととき、夜の職場の苦楽を語り合っていました。
それらの話には様々な人生模様が読み取ることができました。江崎さんは聞くとはなしに聞いた話を帰宅してノートにメモ、それを詞にまとめました。
作品は当時、市内のクラブで活躍中の矢野憲一郎とアローナイツのリーダー、矢野憲一郎さんに渡り、矢野さんが「女の思案橋」(バックナンバー24「思案橋の歌」参照)のタイトルを付けて作曲、レコードになりました。
ネオン街で働く女性の、悲喜こもごもの人生が織り込まれていて話題になりましたが、ヒットにはつながりませんでした。


「女の思案橋」のジャケット表紙


4.「銅座の女(ひと)
(昭和58年=1983、金子忠勝・作詞、中山治美・作曲、久保たかし・歌)



「銅座(どうざ)」という地名は、享保9年(1724)に浜町裏手の海を埋め立てて鋳銅所が設けられ、元文3年(1738)に廃止された後、この埋立地を「銅座跡」と呼んだことによります。
明治元年(1868)7月に東西二つの銅座町ができ、同年10月には一つの銅座町になりましたが、昭和41年(1966)の町界町名変更で現在の銅座町と西浜町、本石灰町に分割されました。
電車通りにはビルが建ち並び、船大工町、籠町に面した通りは戦後、歓楽街となりました。
特に近くの丸山・寄合町の遊郭が消えたころから飲み屋が多くなり、夜の街は本石灰町や籠町、船大工町も含めて“銅座かいわい”と呼ぶようになりました。
この歌は長崎市内の理容師・金子忠勝さんが作詞し、音楽家・中山治美さんが作曲、“カラオケ床屋さん”で人気の理容師・久保たかしさんが吹き込みました。
酒場で働く女性が客の1人に恋をして、じっと待ち続けるひたむきな姿を描いています。


「銅座の女」のジャケット表紙


ネオン輝く夜の銅座かいわい


5.「長崎オッペシャン」
(昭和56年=1981、出島ひろし・作詞、深町一朗・作曲、新城 守、愛原洋子・歌)




最近はあまり聞かれなくなりましたが、長崎方言には他の都市にはない独特の表現がありました。“おっぴしゃん”とか“おっぺしゃん”もその一つで、“美人ではないが可愛げのある女性”の意味で使われていました。
男性に対しては“ひょーげもん”(ひょうきん者)とか“とんぴんかん”(軽率に騒ぐ人)の呼び方があり、いずれも親しみを込めた言葉です。
この歌は“おっぺしゃん”と“とんぴんかん”の憎めないカップルのロマンスをコミカルに表現したものです。
当時は民踊がブームになり、踊りのためのレコード製作も盛んでした。祭りや盆踊りで気軽に踊れるには身近で親しめるテーマがよく、作詞、作曲、振り付けとも地元の人に依頼するものが多くみられました。
この歌の中の長崎言葉、どこまでお分かりになりますか?


「ペーロンばやし」とカップリングされた
「長崎オッペシャン」の表紙


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