皆さんは観光名所を訪れた時、当然写真を撮りますよね。
『シャッターチャンス@長崎』では、「長崎の観光名所はこの角度で撮るのがベスト!」という「ベストポジション」をご紹介しています。
また、長崎の街は数々の映画の舞台にもなっています。「あの映画のあのシーンはここで撮影された」という場所を見つけ、時にはその現場の「ベストポジション」もご紹介。
長崎の旅の記念になる最高の一枚を撮るためにぜひぜひお役立てください。



第11回目は、映画『長崎ぶらぶら節』のロケ地、梅園身代り天満宮です。


この作品の原作は、第122回直木賞を受賞したなかにし礼の『長崎ぶらぶら節』。実在する人物と実話を元に、明治から昭和にかけての長崎が描かれたこの珠玉の物語は、平成12年(2000)に映画化され、次いでドラマ化もされました。

物語の中で花街・丸山の人気芸者だった愛八と、長崎学の第一人者・古賀十二郎は長崎に古くから伝わる歌を探す旅に出掛け、究極の歌『ぶらぶら節』に出会います。しかし、この2人の歌探しの旅には切ない大人の恋が秘められていました。旅を続けるうちに愛八は十二郎に惹かれていきますが、既婚者だった十二郎は愛八の気持ちを知りつつも一線を引いてしまうのです。この悲恋に満ちた切ない女心に、時代を越え多くの人々の共感を呼びました。

キャストは丸山芸者・愛八に吉永小百合、そして古賀十二郎に渡哲也。他に高島礼子、長崎出身の原田知世も芸者役で出演しました。

梅園身代り天満宮は、実際に愛八もよく参拝に訪れたゆかりのお宮。昭和40年頃まで丸山の芸者衆が多く参詣していたこの場所は、劇中、愛八が素足でお百度を踏むシーンのモデルとなっている場所です。その他、坂本龍馬の刀傷があることで有名な史跡料亭・花月は、劇中随所に登場します。しかし、撮影の多くは東京のスタジオで行われました。つまり、精巧に創られた花月同様のセットが東京に組まれ撮影されたのです。

梅園身代り天満宮は、愛八と古賀十二郎が探し当てた歌『ぶらぶら節』の中にも登場しています。

♪遊びに行くなら花月か中の茶屋
 梅園裏門たたいて 丸山ぶらぶら
 ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう



なかにし礼の小説『長崎ぶらぶら節』で一躍全国区となった花街跡・丸山。この小説の舞台となったことを記念して、ゆかりの地である梅園身代り天満宮内には、なかにし礼氏の書を刻んだ記念碑が建立されました。

 


さて、このお宮が身代り天満宮と呼ばれるのは、創建者の丸山町乙名・安田治右衛門が二重門付近で襲われ左脇腹を槍で刺されましたがどこにも傷がなく、代わりに自邸の祠の天神像が左脇腹から血を流し倒れており、身代りになった天神様をここにお祀りしているからだといいます。そして、丸山の遊女達も“身代”を“みだい”と読み、自分の生活に苦労がないことを願って参拝したそうです。


お宮の中には縁起ものが数多くあります。

まずは、天満宮ならではの撫で牛。自分の痛みがあるところと、牛のその部分を交互に撫でるのが秘訣です。社殿の正面にあるのが現役の3代目で、社殿横にあるのが2代目。この2代目撫で牛はボケ封じに御利益があるといわれています。


次に梅塚。遊女や芸者衆は、自分の家で食べた梅干の種を天神様と呼び、参詣の際に持参して、自分達の生活に苦労がないことをお願いしたのだそうです。今も玉垣の中には新しい梅干の種が入っているので、梅干の種を持って参拝する人がいるのでしょう。

社殿両脇に鎮座する狛犬は願を掛けると必ず叶えてくれるといわれる狛犬です。特に向かって左側の狛犬は歯の痛みがある者が狛犬の口に水飴を含ませると痛みをとってくれる歯痛狛犬として親しまれています。


そして、眺めて恵比須様の笑顔を見ることができれば笑顔が美しくなり、さらに身体も心も美しくなるのだという恵比須石。また、横の金比羅様と一緒に参詣すると、金運もアップするといわれています。


また、梅園というようにお宮は梅の木にとり囲まれています。現在、15本の梅が植えられていて、節分を迎える2月上旬から咲きはじめ、3月上旬まで多種多様な梅の花を楽しむことができます。



古くから人々に親しまれてきた風情漂う天満宮内に身を置いて、『長崎ぶらぶら節』の世界に思いを馳せてみてはいかがでしょう?

人情味溢れる丸山芸者・愛八。本名・松尾サダ。長崎の代表的な民謡『ぶらぶら節』と『浜節』をレコードに吹き込み、世に広めた長崎東検番の名妓は、昭和8年、60歳でその生涯の幕を閉じました。愛八の墓は、丸山からもうしばらくゆるやかな坂を上った上小島の墓域にあります。




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