● 今、長崎で「龍馬」を想う

長崎龍馬の道--21 長崎まちなか龍馬館

海援隊以外にも、明治維新後の長崎で活躍した土佐藩出身者がいました。後藤象二郎、そして岩崎彌太郎の二人です。現在、金屋町のテレビ長崎の正面玄関入り口に石碑が建つ後藤象二郎宅跡。龍馬、彌太郎、後藤が度々密談を交わしたこの邸宅は、後に彌太郎に受け継がれました。幕末、上下関係にあった二人は、その後も密接に関わってゆきました。維新後、彌太郎が企業家の道を進むのに対し、後藤は当初困難な外交事件の処理に当たって名をあげ政治の道に入りました。一時は新政府中枢の参議等を務めましたが、明治7年(1874)の「征韓論」政変で下野し、本格的企業活動を目指して「蓬莱社(ほうらいしゃ)」を設立。高島炭鉱の払い下げを受け、明治10年(1878)には、小曽根町海岸に後藤炭鉱舎の事務所と石炭置き場を作り、自ら長崎に乗り込み指揮にあたりましたが炭鉱経営は困難を極めました。そんな姿を見てか、後藤の政治的素質を惜しんだ慶應義塾の福澤諭吉は、渋る彌太郎を説得。高島炭鉱を三菱が譲り受ける形で後藤は政界へと戻っていきました。彌太郎の弟、三菱2代目、弥之助の妻は、後藤の娘。彼の時代から高島炭鉱、さらに造船業に乗り出した三菱財閥は大きく発展を遂げていくのです。現在の長崎の町を構築している港風景の中には、龍馬の夢とともに、後藤象二郎、岩崎彌太郎の夢と希望がつまっているのかもしれません。

さて、2010年から約1年間、長崎と龍馬や、幕末の志士らの結びつきを長崎市民はもとより、多くの観光客の皆様に発信していた『長崎まちなか龍馬館』(http://www.nagasaki-ryoma.jp/)が、2011年4月1日に装いも新たにリニューアルオープン。前回好評を得た、お出迎えのエントランスに設置された9mのワイドスクリーンに映し出される『コンセプトムービー』もリニューアル。今回のテーマは『龍馬と長崎』です。


今回のムービーテーマは『龍馬と長崎』

「勝海舟と坂本龍馬らが初めて見た長崎」「希望の地、長崎に託した夢『亀山社中』」、「宿敵後藤象二郎と手を結ぶ『海援隊』へ」、龍馬が託した夢を引継ぐ(岩崎彌太郎〜三菱)」、龍馬が生きた長崎と、まるで彼の夢が映し出されるように港を中心に発展していくその後長崎の町の姿が見えてきます。その他、没後100年を迎えたグラバーの遺品を本邦初公開。また、龍馬の妻・お龍が弾いたとされる「月琴」や、徳川将軍から賜わった印籠(初公開)、日本古来の「書」「絵画」など、龍馬ゆかりの長崎の豪商・小曽根家の秘蔵品の展示は見応えがあります。人気の『なりきり龍馬写真館』はそのまま。ぜひ、リニューアル後も足を運んで、龍馬のことを想ってください。


グラバーが別邸を構えた「高島」が描かれた
『高島絵大文蔵』
 




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