● 龍馬はグラバー邸に行ったか否か?

長崎龍馬の道--36 グラバー商会跡、 42 旧グラバー住宅



日本最古の木造西洋風建築として知られる旧外国人居留地、南山手の丘に現存する旧グラバー住宅(国指定重要文化財/主屋、附属屋)。開国後、21歳の若さで長崎に乗り込んできたスコットランド出身の貿易商人・トーマス・B・グラバーの邸宅跡です。文久3年(1863)に建てられた当時はあくまで接客用の別邸だったらしく、その後、住居として増築を重ねた経緯から、上空から見るとクローバー型の南国バンガロー風建築となっています。この可愛らしい邸宅のある場所に、幕末の志士らをかくまった「隠し部屋」があります。様々な研究書によれば、そこに出入りしていたのは、五代友厚、高杉晋作、伊藤博文、桂小五郎(木戸孝允)らの面々。グラバーは倒幕派の薩摩藩、長州藩などに肩入れし、国禁を犯してまで自分の船で薩摩の若者をイギリスに密航させたりしていました。ここはそんな幕末の志士たちと密談を重ねていた場所だったのでしょう。現在、グラバーの妻ツルが使っていた夫人部屋脇の廊下に架けられた小さなハシゴの先の天井にこの「隠し部屋」は現存しています。さて、龍馬とグラバーの関係ですが、記録上では、グラバーと社中の接点は慶応元年の蒸気船ユニオン号と小銃の取引や慶応二年の帆船ワイルウェフ号の取引がよく知られています。現状は、当時の二人の関係を示す記録等は少ないものの、薩摩・長州の面々と龍馬とのつながりや龍馬らがオルト住宅を訪れていること、さらには社中の近藤長次郎との関わりなどを考えると、二人は何らかの形で面識があったものと推測されます。邸宅の背後にそびえる楠の傍らに大きな自然石があります。そこに残こされているのは、試し撃ちと推測される弾痕。もしかしたら、龍馬が残したものかもしれませんね。




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