● 社中の面々が往来した石畳の坂道

長崎龍馬の道--7  龍馬通り



寺町通り沿いの禅林寺と深祟寺の間から風頭山へと上る石段の道は、「龍馬通り」と呼ばれ親しまれています。連なる寺院の背後にそびえる風頭山は、かつての「石切り場」。通りに使われている石畳や石段の石の多くは、この風頭山の石を切り分け使われているのです。風頭山の山頂に行くと、今も石切り場跡の断崖絶壁を間近で見る事ができますが、ときたま、ご年配の方々がそこでロッククライミングを楽しんでいらっしゃる光景に出会うこともあり、それには少々驚かされます。さて、龍馬らが設立した日本初のカンパニーの拠点には、この風頭山の中腹、「亀山」と呼ばれるかつて焼物職人が窯を構えた跡地が利用されました。平成21年8月1日、復元工事を終えリニューアルオープンした「長崎市亀山社中記念館」は、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』の影響から、今年は全国各地から多くの観光客がお越しになり、大盛況! 龍馬ファン、幕末ファンが連日詰めかけ、長蛇の列を成しています。皆さんのお目当ては、もちろん、この「亀山社中記念館」なのでしょうが、できればその行き帰りに通る、縦横無尽に張り巡った長崎独特の坂道にも興味を注いで欲しいものです。長崎の氏神 諏訪神社や、長崎奉行立山役所、代々の長崎奉行にあがめられていた若宮稲荷神社、そして、連なる山々の麓(ふもと)に広がる長崎港。龍馬や社中の面々が往来した石畳の坂道からは、かつて、彼らも目にした長崎風景が見渡せます。長崎の郷土史家、越中哲也先生によれば、社中の面々は、この道なりの光源寺へも度々立ち寄っていたとか。幕末の志士らが上り下りした坂道を、ぜひ当時に思いをはせながら歩いてみてください。




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