● 龍馬も頼りにした貿易商人 ウィリアム・オルト

長崎龍馬の道--37・42 オルト商会跡、旧オルト住宅(グラバー園)

龍馬率いる海援隊が、長崎の外国人居留地で貿易商を営む貿易商人から武器を調達していたことはご存知の通り。当時、最大の有力者で、志士らの行動に理解を示していたトーマス・B・グラバーの名がその筆頭に上がりますが、残念ながらグラバーと龍馬に面識があった記録は残っていません。そんななか、グラバー園の中に現存する取り分け大きな豪邸 オルト邸の存在からその名を知られるウィリアム・オルトもまた、居留地時代に長崎で活躍し、巨万の富を得た貿易商人の一人でした。長崎の女性実業家である大浦慶と手を組み、製茶貿易で成功したオルトは、岩崎弥太郎ともビジネス上で深い関わりを持っていました。そんな彼の邸宅を龍馬も訪れたことがあります。それは、慶応3年5月22日、午後7時頃。日中、聖福寺において「いろは丸事件」の賠償問題について、土佐藩参政 後藤象二郎と紀州藩勘定奉行 茂田一次郎のトップ会談が行なわれた、その日のことです。この事実が記されているのは、『岩崎弥太郎日記』。そこには、弥太郎が、後藤象二郎、龍馬ら数名とオルト氏を訪れ、イギリス提督と会って盃を交わしたとあります。さて、この事実は何を物語っているのか、とても興味深いところですね。






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