諏訪町の子龍

お宝認識度★★☆☆☆


■DATA■
年代/昭和32年〜現在(昨年16度目)
鑑賞条件/次回の奉納は2016年予定
場所/諏訪神社踊り馬場、庭先廻りほか(踊町の年に限る)



「子龍」を振る小さな龍方は、
長崎くんち、未来の担い手!

長崎に住む人が感じる季節の移り変わりには、肌に染み込んだ基準がある。それは、単純に「祭り」の前の風と、「祭り」の後の風という微妙ながらも絶対の感覚。この「祭り」とは、もちろん長崎の氏神である諏訪神社 秋の大祭「長崎くんち」のこと。しかし、ひとくちに「くんち前の風」とはいっても、その始まりは、爽やかな初夏。6月1日の「小屋入り」に、神社で「清祓い(きよはらい)」を受け、稽古はじめの報告と本番の成功を祈願するときから始まっている。この日、長崎人の多くは一年でも最も清々しく心地良い風を感じる。そして、小屋入りを皮切りに、大人も子どももひっくるめて「長崎っ子」は、シャギリの音色に敏感に反応。各地で行なわれている稽古の様子と、その折々に吹く風を感じながら、4ヶ月先に控えた当日までをカウントダウンするのだ! そして10月3日、「庭見せ」ともなると、待ちに待った「くんち目前の秋風」が吹く。
数ある奉納踊りの演目の中で、長崎くんちの代名詞とも呼べるのが龍踊り。現在、龍踊りを奉納する踊町は、今年の踊町である筑後町と、籠町、五島町、諏訪町の4ヶ町。どの町も、その町ならではの特徴や演出を大事に、気概を持って臨んでいるから、くんち通は「○○町の龍踊りなら、見どころはココばい!」というものがどの町にもある。そして、昨年の踊町だった諏訪町の特徴のひとつに、「子龍」の存在がある。初代、子龍の龍方を務めた子ども達は、現在の子龍を持つおじいちゃん世代。諏訪町の子龍は、昭和32年に初登場した。長崎くんちの大きな特徴として、踊町が巡ってきた町は、根曵衆や龍衆、踊り子さんなどの演者はもとより、先曵、采振(さいふり)など、その町の子どもから年長まで、老若男女が参加する、というものがある。諏訪町の龍踊りの場合、小学生・中学生の男女は、「囃子方」、それ以前の子ども達は、ガネ(=長崎弁の蟹の形)のカミ(=ヘアスタイル)をした「ガネカミ唐人」として参加してきたが、昭和30年から園児〜2年生の男の子に小さな龍を持たせるようになった。すると、大人の見様見真似で振るように……。そこで、昭和32年、監督を付けてきちんと稽古をして、演技をする「諏訪町の子龍」が誕生したのだった。
諏訪町龍踊保存会総監督の山下寛一さんは語る。
「子どもの頃のくんちの思い出は人様々。踊町以外の子は、くんち=出店ですよね、踊町に生まれた子は、7年に一度の大役の年の出来事が印象深いでしょうが、都合で参加できない子もいます。でも、一度くんちの空気に触れてもらって、くんち好きになってもらいたいんですよ。くんちの期間、学校が休みになるし、参加する子どもたちは校内で英雄ですよ。そして、生まれ育った町を好きになって、誇りを持ってもらいたい。子どもの参加できる幅を広げると、お母さん達にも参加してもらえて踊町自体が賑わう。くんちの後は、断然町内のコミュニケーションがよくなるんですよね。」
熱心に稽古を重ねる子龍の龍方
長崎くんちがはじまったのは、眼鏡橋が架橋され、出島の築造が始まった寛永11年(1634)。それから375年。多くの長崎っ子によって受け継がれてきたこの伝統の祭りも後継者無くしては守ってゆけない。諏訪町龍踊保存会の「真のくんち好きの後継者を育てる」という心意気を胸に育てられた小さな龍方。彼らは、きっとこれからの未来、長崎くんちを盛り立てる担い手となって、多くの人々に「くんちの風」を運んでくれることだろう。


昭和32年、第1期生の子龍の龍方

平成20年、第16期生の子龍の龍方
[写真提供/諏訪町龍踊保存会]

 
【もどる】