南蛮貿易時代の井戸

お宝認識度★★★★☆


■DATA■
年代/1500〜1800年代
鑑賞条件/年中24時間無料鑑賞可能
場所/長崎市役所〜長崎県庁エリア一帯



遠い昔、この町に生きた人々の
生活必需品!現存する貴重な井戸

ご周知の通り、長崎の町は開港と同時期に現在の県庁前付近、長い岬に開かれた六つの町からはじまった。ポルトガルとの貿易を機に行われたこの町建ての際、当然のごとく生活用水を用立てる手段として井戸が掘られたわけだが……実は、そんな遠い昔に掘られ、使用されていた井戸が今も現存している。
その井戸を、まずは県庁前の横断歩道脇、車道から10cm程高くなった人々が日々行き交う歩道に発見。そこに見慣れた手押し井戸ポンプがぽつねんとある。これが遥か400年余り前にさく井(せい)された【六町時代の井戸】だというから驚きだ(もちろんポンプは後付け)。
そして、メルカつきまちの裏、県庁坂より、築町の石垣の下には【下町の井戸】。長崎県警本部裏手の石垣の下には【崖の下の井戸】というように、今の長崎の町のはじまりとなった市役所から県庁にかけての旧道を含む道筋には、意外にも多くの井戸が現存している。これらの井戸のほとんどは江戸時代から使われているもので、特に【崖の下の井戸】などは、オランダ船へ積み込む飲料水として使用されていた。この辺りは、かつて岬であった開港当時、引いては寄せる波の音が響く崖だったのだ。この崖下にあったため、その名も【崖の下の井戸】。この並びには当時もっとたくさんの井戸があり、そこから引かれた水もポルトガル船やオランダ船、唐船などの乗組員の飲料水として使われていたという。

■南蛮貿易時代の井戸
いつもこの道を通っているという人の中にも、この井戸の存在、知らない人いるかも?
江戸時代、長崎の町を取り締まった地役人・町年寄のなかに高島家がある。幕末の有名な西洋砲術家、高島秋帆(しゅうはん)はこの11代にあたるが、この高島家の屋敷も旧六町の大村町にあった。現在の家庭裁判所・簡易裁判所がその高島家の屋敷跡だ。長崎の町において、大名や公家と違わない地位と権力、財力を持ち合わせていた高島家のお屋敷は広大で、造りもとても堅固なものだったということが判明している。そんな高島家の敷地内には、なんと井戸跡が11ケ所もあったのだそうだ。
そういえばこの辺りには長崎ならではの石造りの溝、エゴ端がソロソロと流れている。長い歳月のなかですっかりコンクリート化し、ビルが建ち並ぶオフィス街へと変貌した市役所〜県庁界隈。基礎工事を重ねる度に地面を何度も掘削しているにも関わらず、しっかりと水脈が残っていることには感動すら覚える。
400年余り前に掘られたこれらの井戸だが、豊かな水脈のおかげで今も豊富に水が出ている。しかし、残念ながら蓋がしてあったり、トタンで囲ってあったりと使用されていない井戸の方が多いのが現状。しかたない!散策中にこれらの井戸をみつけたら、遠い昔に想いを馳せることで楽しむとしよう。


■崖の下の井戸跡
貿易船の飲料水として重宝された崖の下の井戸跡。ここがかつて崖だったというのも納得させられる今の地形!

 
 
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