袋橋

お宝認識度★★☆☆☆


■DATA■
年代/推定、慶安年間(1648〜1652)
鑑賞条件/年中24時間無料鑑賞可能
場所/栄町(旧袋町)



この橋、車道なんです。
今も現役、市民を支える年長橋

長崎の市街地中心を流れる母なる川、中島川。この川は、長崎開港(1570)から出島が置かれた鎖国時代、貿易品を運ぶ水運路として活用されてきた。長崎港内に停泊した外国船からの荷揚げが小舟に小分けされ、この中島川を遡り、町ごとに陸揚げされて商いが行なわれていたのだという。もともと中島川に架かる全ての石橋は1600年代に架設されたもので、300年余り、実に江戸時代から昭和後期という長い年月の間、多くの人々が行き交い生活道路として親しんできた。それぞれの橋名も、往時の風情を偲ばせるものばかり。実は明治14年(1881)以前まで、これらの石橋群には、定まった橋名はなく、『眼鏡橋』も「めがね橋」、「酒屋町橋」というように、架橋した人物の名前や町名、周囲の情景、架けられたいきさつなどから様々な呼ばれ方をしていた。そこで、当時長崎区常置委員だった西道仙が常置委員会の委嘱を受け、市内の川に架かる多くの橋を命名。今回、長崎のお宝に認定する「袋橋」も旧町名「袋町」に由来。刻まれた文字は、名付け親である西道仙の筆によるものだ。しかし、先人達が育んできた橋の歴史も何度となく危機を迎える。川は氾濫し、その度に橋は代替わりしていったのだ。記憶に新しいところでは、昭和57年(1982)の長崎大水害における中島川の大氾濫。川にかかる石橋群の一部は全壊し、流失するなど多大な被害を受け、見るも無惨な状態となった。そんななか、被害を半壊にとどめた古橋がある---小ぶりなアーチ型の橋、『袋橋』。お隣さんは、国指定重要文化財に指定の長崎を代表する観光名所『眼鏡橋』である。袋橋は、1985年復元。この袋橋の架設年代は不明だが、一説によると欄干親柱の擬宝珠造りからみて寛永11年(1634)架設の眼鏡橋に次ぐ古いもので慶安年間(1648〜1652)と推定されている。もっぱら眼鏡橋を上手く眼鏡の形に撮影しようとする人達で賑わう地味な橋だが、実は構造的にも素晴らしく、歴史的にも価値の高い橋なのだ。その頑丈さを物語るかのごとく、現在でも車道(一方通行)。そのため。観光客の方などは、「まさか!」という目で運転手の目を覗き込むこととなる。この橋を渡るときも車で通るときも、周囲には十分に注意を払おう。

今は浅くてたとえ小舟でも上れそうにもないが、昔は橋の欄干の上から飛び込んで泳げるほど深く、水もきれいだった中島川。今ではこの川に架かる橋の中で、本物の石橋は国指定重要文化財の『眼鏡橋』と上流にある『桃渓橋(ももたにばし)』、そしてこの『袋橋』だけとなった。中島川と同様、石橋群は、長崎の町の歴史を物語る史跡、これからも大事に共存していこう。

年長者だというのに逞しく、
頼りになる現役の『袋橋』。
 

 
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