TEL095(827)8746 松が枝町4-27

開館  9:00〜17:00
入館料  大人100円/小中学生50円
休館  12月29日〜1月3日
駐車場  なし
文化財  国指定重要文化財/1904年(明治37年)建造


●JR長崎駅からのアクセス
路面電車/長崎駅前電停から正覚寺下行きに乗車し、築町電停でのりつぎ券をもらい下車。石橋行きにのりつぎ大浦天主堂下電停で下車。徒歩3分。
長崎バス/長崎駅前東口バス停から田上、大平橋行きに乗車し、大浦天主堂下バス停で下車。徒歩3分。または長崎駅前南口バス停から深掘、樺島、ダイヤランド、脇岬行きなどに乗車し、グラバー園入口で下車。徒歩すぐ。
車/長崎駅前から大浦天主堂下電停まで約8分。



明治時代、長崎経済を支えた銀行は
現存する長崎最大級の煉瓦造及び石造洋館


香港上海銀行は明治29年(1896)に長崎支店を開設。明治37年に竣工したこの建物は、明治から昭和初期の建築界の異才・下田菊太郎が設計した現存する唯一の遺構で、長崎市内の煉瓦及び石造洋館として最大級のもの。
この支店は当時神戸以西唯一の外国銀行で、在留外国人、なかでも貿易商を主な取引先として外国為替やロンドン・上海・香港における外貨の売買を主要業務とした特殊為替銀行だった。
現在も、銀行時代の名残を見せる旧香港上海銀行長崎支店記念館へ……探検隊いざ潜入!




保存運動によって残された建物に
長崎の港の歴史が詰まっている

香港上海銀行長崎支店としての役割を終え、昭和6年(1931)に閉鎖された後は昭和15年(1940)に長崎県が買収し梅香崎警察署庁舎や大浦警察署庁舎として利用されていた。その後長崎市が土地建物を買収してからは長崎市立歴史民俗資料館として活用。
そして昭和62(1987)、長崎市政100周年を記念して、「国際交流会館」がこの建物を解体して建てられる計画が持ち上がると、「旧香港上海銀行を守る会」が発足。この建物は、現地保存をという市民運動によって長崎住民約10万人の署名を集め、解体の危機を乗り越えたのだった。
その後、約4年間の保存修復工事を経て、平成8年10月に「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」としてオープン。1階は、当時の雰囲気を伝える展示とコンサートなどのための多目的ホール。2階の一部と3階には長崎〜上海航路、貿易港長崎の歴史についての展示を行い長崎の港の歴史を紹介している。また、この建物の設計者である建築家下田菊太郎を紹介する展示もある。



おすすめチェックポイントベスト5


1.海岸通りにそびえ建つ煉瓦造及び石造洋館の外観

下田菊太郎設計によって当時の建築様式にて建設されたこの洋館は、長崎港に向かって建ち、資料的価値が高いだけでなく、海岸通りの景観形成にも重要な役割を担っていた。建物正面の2、3階部分は円柱を通した大オーダーとし、旧英国領事館のイオニア式と同様に、ギリシア建築様式であるコリント式の大列柱。柱頭には美しいアカンサスの葉が飾られている。屋根の上に見られるアンティフィクサ、アクロテリオンというギリシア風の装飾にも注目! 建物の前面の壮麗さが、長崎港に入港する船に乗った人々の視線をいかに意識してデザインをされたか、創建当時の時代と時の流れを感じさせる洋館なのだ。



長崎港を望む


美しい大列柱


ギリシア風の装飾


2.銀行として機能していた内部

内部に入るとすぐに香港上海銀行時代に復原された長いL字型のカウンターが広がり、往時の銀行風景を思い浮かべることができる。1階スペースはこのカウンターはそのままに、コンサートや結婚披露宴などのイベントが催される多目的ホールとして利用されている。また、2階、3階へと続く木製階段、手すり、室内の※マントルピース、漆喰天井など、全ての装飾が明治の華麗な時代を偲ばせる造りとなっているのだ。
(※暖炉上部側面の飾り)




L字型のカウンターは
一部残っていたものに倣い復原


高級感漂う内部の装飾


重厚な造りの木製階段


3.頓珍漢人形の常設展示


2階、応接室には手作りの小さな頓珍漢人形(トンチンカン人形)が展示されている。作者は故久保田馨(かおる)。14年間に30万体をも製作されたこの人形は、長崎市内の土産物店でとても安い値段で売られていた土人形。ひとつひとつじっくり見ていると、その味わい深さに心を引き寄せられる。その不思議な独創性に魅せられたブラジルの詩人、I・Cヴィニョーレスに絶賛され、「デザイン」誌上で紹介され、全国に紹介されることとなったというもの。またこの人形創作には原水爆への怒りや平和への願いが込められているため“もうひとつの平和祈念像”ともいわれている。手にとって見ることができないのが残念だが、個性豊かな人形の表情ひとつひとつを観察してみよう。



2階に常設された展示室

何とも愛らしい頓珍漢人形


4.明治期に活躍した貿易商・ウォーカー氏の遺品

開国後の長崎に造成された外国人居留地には、新たなビジネスチャンスを求めて訪れた数多くの外国人達による独特な居留地社会が形成されていた。彼らが持ち込んだ風俗や風習は、もちろんその後の長崎文化に多大な影響を与えた意味あるもの。明治31年(1898)、下り松42番地にウォーカー商会を設立し、船舶運輸代理業を営んでいたスコットランド出身のロバート・ネール・ウォーカー(グラバー園内に移築されている旧ウォーカー住宅の家主、ウィルソン・ウォーカー氏の弟)。彼もまたこの香港上海銀行長崎支店を利用していた貿易商の1人だった。彼の孫にあたるウォーカー・アルバート氏が彼の遺品を寄贈。2階展示室「居留地の人々」にて公開されたこれらの調度品を通して、当時の居留地に暮らした外国人達の暮らしを垣間見ることができるのだ


ウォーカー商会看板



ウォーカー氏が使用していた調度品


5.貿易港長崎で活躍した居留地の外国人

開国後の長崎には外国人居留地が形成され、英国人を中心に多くの貿易商が活躍したことはご存知の通り。やはり代表格はトーマス・B・グラバーだ。彼らは欧米の最新技術や思想でもって産業を興し、長崎だけではなく幕末から明治の日本の近代化に大いに貢献したわけだが、実は開国と同時に中国との貿易もさらに活発化し、多くの華僑も貿易商として活躍していたのだそうだ。3階展示室「貿易港長崎」では当時の長崎港の役割と賑わい、活躍した人物を再確認することができる。


香港上海銀行長崎支店を利用していた貿易商達



外観の壮麗さから内部の華麗な装飾に至るまで目を奪われる程美しい洋館。現在の旧香港上海銀行長崎支店記念館は、旧英国領事館(現・野口彌太郎記念美術館)や旧長崎税関下り松派出所(現・長崎市べっ甲工芸館)と共に明治期の海岸通りの風景を形成していた当時の現存する建物であることから、往時のロマン溢れる長崎風景を思い起こさせるものだといえる。
そしてまた、市民の保存運動によって解体の危機を乗り越えた事実を知ると、今も港を望む長崎最大級の煉瓦造及び石造洋館は、さらに雄々しく見えてくるのだ。



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